ファンタジーか何かか?
今日はカラーズの仕事がない。戦闘員としての仕事も、夜まではない。だから、と言う訳ではないが、俺はある場所へ向かっていた。昨日、あの広島弁を喋っていた女が行こうとしていた会社へ、である。住所は名刺で確認していたので、それについては問題なかった。交通量調査をしていた地点から、十分も歩かないで、そこに着いた。
「……七時か」
時間としちゃあ少し、早い。サラリーマンや学生の数もまばらだった。
例の会社は、ビルの六階にある。カラーズのそれとは違い、建物の外観は白くて、真新しかった。そして、あの女が行こうとしていた会社の名前を確認し、どのような会社であるかも確認する。何の事はない。そこは、ヒーロー派遣会社だった。『ミストルティン』という社名らしい。すげえそれっぽい。カラーズも社名変えて欲しい。ズ、だけど、ヒーローは俺しかいないんだもん。
しかし、ヒーロー派遣会社か。あの広島女が行こうとしていたのは、ヒーローとしてか? それとも……いや、待とう。とにかく、あのアマを待ち伏せる。幸い、時間はまだたっぷり残されているのだ。問題は、俺の根気がどこまで続くのかって言うのと、場所を変えなきゃ怪しまれるって事だった。
どうして、俺はあのヒーローに執着しているのだろうか。最初に会った時、馬鹿にされたからか? おいしいところを持っていかれちまったからか? それとも、戦闘員としての仕事を邪魔されたからか? いや、どれも違うような気がする。もっと分かりやすい理由な筈だ。そう、俺はただ、ムカつくだけなんだ。あの女が、ムカついてムカついてしようがない。だから、だろうか。交通量調査ん時、あんなに突っ掛かっていったのは。腹が減っているだけじゃなかった。俺は、最初に気付いていたのかもしれない。あの女が、しゃもじのヒーローだって事に。
一時間ほど経って、人通りも多くなってきた。忙しない空気のせいか、俺を気にする人は誰もいない。けど、いつまでもこうしているってのも、何だかだるくなってきた。そもそも、あの女が今日もここに来るとは限らないのである。でも、俺が帰った後に来る可能性も、なきにしもあらず。とりあえず、もう少しだけ残っていようか。喉渇いたし、コンビニかそこらの自販機で……、
「あぶねえ」
見つけた。
背は、その辺の男より高いから、すぐに分かった。駅前からやってきたであろう人込みの中、頭一つ抜けて見えている。長い黒髪に、気ぃ強そうな目。間違いない、奴だ。俺は気付かれないように、背を向けて距離を取る。
女は、あのビルへと入っていった。その後を追いかける。だが、早計は禁物である。もしかしたら、彼女はしゃもじと関係がないのかもしれない。名刺を持っていた以上、可能性としては薄いが、ミストルティンというヒーロー派遣会社ではなく、別のテナントに用があるのかもしれない。
何気なく、さり気なくを装ってビルの入り口に行く。女の姿はそこにはなかった。エレベーターが動いている。これを使って移動したのか。暫く、見つめる。エレベーターは、六階で停まったらしかった。ついさっきまでは、何をやってるんだろうなんて考えていたが、今は違う。あの女は、間違いなくヒーロー派遣会社と関わりがあるんだ。社員か、依頼者か。……昨日は名刺を持って、会社に向かおうとしていたな。と、すると、新入社員って感じか? それとも、マジで就職活動? いや、でも、すげえラフな服装だったな。
何にせよ、もう少し待とう。
コンビニでジュースとパンを買い、それを食いながら三十分ほど経つと、ビルからあの女が出てくるのが見えた。急いでいる様子はない。隣には、グレーのスーツを着た、サングラスの男がいる。歳は、若くは、ないな。四十代か、もしかすっともっといってるかもしれねえ。女がビルに入る時にはいなかったな。彼女が社員だとしたら、あの男は上司か?
「……ふう……」
こっちには、来ない。奴らは徒歩で移動している。どうする? 追うか? ……いや、やっぱやばい。つーか怖いな。それに、奴がヒーローとして仕事場に向かおうとしているのなら、手荷物が少ない事が気に掛かる。スーツを下に着ているような感じでもないし、あのしゃもじを入れられるような鞄すら持っていない。ほぼ、手ぶらだ。もしかしたら、スーツは別の場所に保管しているのかもしれないが、すぐには確かめられない。
奴らの進む先、身を隠すような場所もない。そも、派遣社員だとしても、数多くの怪人をぶっ倒してきたヒーローだ。尾行に気付かれないとも……いや、とっくに気付かれているかもしれない。今日のところは引き上げよう。つーか、ヒーローの正体見たり枯れ尾花って感じ。ここまで確実なら、もう間違いない。しゃもじ女の正体は、あのアマだ。悪の組織を苦しめていたのは、ミストルティンの派遣社員だったのだ。
その足で、俺はカラーズへと向かっていた。組織に行き、ミストルティンについて調べても良かったのだが、他の奴らには、しゃもじの情報を渡したくなかったのである。それに、社長も一応は派遣会社のそれで、同業者だ。何か知っているかもしれない。
「ああ、あそこね」
な訳で尋ねてみると、社長は何か知っているらしい風に言った。こいつも、たまには役に立ちそうだな。
「何か知ってんのか?」
「それよりも、どうしてあなたが知っているの?」
「ああ、俺だって同業者くらい知っておこうと思ってさ。ちょっと調べたんだよ」
社長は、いつもの指定席から俺の顔を見つめる。何かを探っているような視線が気持ち悪くて、テレビの方に視線を遣った。
「……殊勝ね」どうもと返しておく。
「でも、どうしてミストルティンなの? あそこは、そんなに大きくはない会社よ。この街でなら、もっと大きなところもあるのに」
「俺の知り合いがさ、そこに依頼した事があるんだよ」
社長は僅かに目を見開いた。
「へえ、あなたの知り合いって、波乱万丈な人生を送っているのね」
「どういう意味だ?」
「知らないの? あそこは、怪人の退治を専門に請け負っているのよ。つまりは、そういう事。依頼料だって馬鹿にならないと思うわ。その知り合いとやら、あなたは、どうしてウチを紹介しなかったのかしら」
怪人の退治を専門に? へえ、そんなところもあったのか。自信があるようで、ムカつく限りである。
「俺がここに入る前の話だったんだよ」
「そ。何かあったら、次はウチをよろしくと言っておきなさい」はいはい。
「だから、ミストルティンには戦闘能力の高いヒーローがいるわ。あまり良い話は聞かないけどね」
俺は身を乗り出す。面白そうな話が聞けそうだった。
「素行の悪いヒーローが目立つのよ。依頼料だって、足元を見て吹っ掛けてるとも聞くわ。……まあ、実力は確かだから、文句は言えないと思うけど」
ま、あの女も柄は悪かったしな。
「青井」
「何?」
「転職を考えているの?」
「まさか。俺には、ここでヒーローやってんのが天職だって、最近はそう考えてるんだ」
社長は笑わなかった。
今日も、組織はしゃもじを探すのだろう。数字付きの控え室に行く前、ふと、俺は面白い事を思いついた。今まで慣れ親しんだ、小汚い下っ端戦闘員の控え室に行く。
控え室に入ると、相変わらず汚かった。小汚い連中が俺の顔を見て、鬱陶しそうに『あっちへ行け』という風に手を払う。
「よう、久しぶり」
俺がにこやかに手を上げても、誰も返してくれなかった。パイプ椅子を引き、部屋の中央に座り込む。
「おいおい、出世頭に挨拶くらいしとけよ」
「うるせえ裏切り者が! てめえ、一人だけ偉くなりやがって」
「しかも四天王の数字付きって話じゃねえか。畜生、良いなあ!」
分かりやすい反応をありがとう。
「数字付きって言っても、お前らと大して変わらねえんだよ。やってる事は同じだ」
「分かったから失せろって」
「消えろバーカ」
頑なな奴らである。彼らの心を溶かすには、面白いものが必要だろう。
「まあ聞いてくれよ。頼みがあんだ。あのさ、久しぶりにアレ、やろうぜ」
控え室が静まり返る。スーツに着替えようとしていた者も、その動きが止まっていた。
「……誰かから、やれって言われたのか?」
「いや」俺は首を横に振る。
「ついさっき思いついた。思い出したって言うべきか」
「青井よう、仕掛けてもさ、意味があんのか? 時間だって掛かるし、上にバレたら面倒くせえぞ」
その言い分は尤もだ。だけど、既に元、同僚の奴らは食いついている。
「しゃもじ女、知ってるだろ? お前らも昨日駆り出された筈だからな」
「ああ。けど、俺らにゃそこまでやる気はねえよ。分かってんだろ?」
分かっている。俺だって、つい最近まではここで愚痴ばかり零していた人間だ。いや、愚痴ばかり零しているのは、数字付きになったって変わらないか。
「でも、偉くはなりたいだろ? あのしゃもじ、ここだけの話、相当やべえ奴だ」
「知ってるっつーの。つか、お前、良く生きて帰ってきたよな。あの女、怪人を相当始末してんだろ? 正直、俺らまで駆り出してどうすんだって話だよ」
「そいつに、少しでもダメージ与えりゃ、誰かの目には止まるわな」
俺は、控え室にいる奴らを見回した。俯いている奴もいたが、目の色を変えた奴もいる。こいつらだって、ここでいつまでも燻っているつもりはないんだ。だから、協力してくれ。利用してやるから。
「上手くいきゃあ、俺から上司に言っても良い。使える奴がいるってな」
「青井さ、お前、そこまでして何をやりたい訳? 正直、まともじゃなくねえか?」
「俺は、あのしゃもじがムカつくだけだよ」
「は。何それ。お前、もしかしてそいつと知り合いなの?」
知り合いと言えば知り合いだが、こいつらが想像しているような関係ではない。むしろ、関係がないのだ。
「遊びだよ、遊び。成功しようが失敗しようが、手伝ってくれた奴は飲みに連れてってやるよ」
「どうせいつもんとこだろ」
うるせえ。
「まあ、そんなら良いか。気楽に、適当にやって良いんだろ?」
「おお、まあな。けど、今晩にでも暇見つけてやっといてくれ。しゃもじ女がいつ出てくるかは分からないからな」
「誰が誘き寄せんだ?」
勿論、俺だ。
「あっそ。ならいーけど。じゃ、今晩から仕掛けていくって事で良いな?」
「……何? マジで全員やってくれんのか?」
改めて、控え室ん中にいる奴らを見る。十数人はいた。マジかよ。
「言い出したのはお前なんだから、ちゃんとおごれよ?」
肩を叩かれる。まあ、あの女へ反撃出来るかもしれねえんだ。安いもんだろう。俺だって、上手くいくとは思っていない。こいつらに声を掛けたのは、念の為、ちょっとした保険のつもりだった。
さり気なく、地図を持つ。こうする事で好きに動けるからな。
今晩も、エスメラルド様の数字付きは街でしゃもじの捜索に当たっている。既に、別組織の奴らとも情報を交換した。昨日よりも、数が増えているような気がする。急いだ方が良いかもしれん。
九番も回復し、十三人を四、四、五の三班に分けた俺たちは、昨日と同じような場所を歩いていた。昨日いなかったからと言って、今日もいないとは限らない。焦る事はない。他の場所にも、組織の手は伸びている。どこかで、しゃもじが引っ掛かればそれで良い。出来るなら、この手で痛い目見せてやりてえが。まあ、無理だろう。他の方法を考えないとな。
だが、一緒にいる数字付きにはバレないように、俺はミストルティンへと向かっていた。そこにいるとは思えないが、他の場所を探すよりも、見つけられる可能性は高そうである。
「この辺、昨日は行ってなかったよな」
「駅前ってやばそうだろ。まだ終電きてないから一般人もいるし、ヒーローだっていんだろ
「派遣会社、この辺多いんだよな。……十三番、戻ろうぜ」
「でもさ、だからこそこの辺にいるかもしんないじゃん」
他の三人はこの場所を嫌がっている。長くはいられない。不審に思われるのもつまらないしな。
「じゃ、もう少しだけ行こうぜ」
コンビニの前を横切ると、店から若い男が出てきた。俺たちの姿を認めたらしいが、興味は持たれなかった。
「ちょっとビビった」
「俺も」うん。俺も。やっぱり戻りたくなってきたな。
「じゃ、あの辺まで行ったら戻ろうぜ」
俺は地図を折り畳んで、スーツの中にしまい込む。
「お、あの子可愛いじゃん」
「えー? そうかあ? 気が強そうで駄目だな。俺はもっと、こう、ヤマトナデシコって言うの? ああいう子が良い」
「んなもんこの世にいねえよ。ヤマトナデシコ? ファンタジーか何かか?」
ふと、同僚が指差している方に視線を遣った。髪の長い女で驚いたが、あの、広島弁の女じゃない。まあ、流石に初日からは出会えんわな。
そうして、ミストルティンの入っているビルの前まで辿り着く。周囲を警戒するも、人の気配はなかった。ここまでだな。
「じゃ、戻るか」
「うぃー」
「あいよー」
気だるそうに返事をした面々は、体を伸ばしながら来た道へ戻ろうとする。俺は最後尾につき、もう一度、ビルを見上げた。その時、入り口の自動ドアが開く。中から現れたのは、くそでかいしゃもじを持った、ヒーローだった。
『しゃもじ』だ。
まだ、彼女はこっちに気付いていない。
マジかよ、やっぱこっち来てて正解じゃねえか。ツイてる。ツイてるじゃねえか……! どうする? 今、仕掛けるか? あいつらはちゃんと俺の頼んだ通りにしているのか? そのエリアまであのアマを引っ張れるか? それまで逃げ切れるか? 数字付きは、何人残れる。こっちは四人しかいない。周りにゃ別組織の戦闘員も怪人もいない。孤立無援だ。その状況でしゃもじとやり合っても、一分持つか持たないかだ。
だが、千載一遇とも思える。いつ、あの女が他の怪人に倒されるか分からない。それどころか、ここまで好き放題に暴れ回ったんだ。ただで済むとも思えない。どっかの組織に拉致られて、死にたいと言うまで痛めつけられるかもしれない。そうなりゃ、俺の出る幕はない。……仕掛けちまうか。
「いたぞおおおおおおおおおおっ!」
「えっ? 何?」
「は?」
大声を出す。しゃもじの注意をこっちに引きつける為だった。他の数字付きにゃ悪いが、まあ、一緒に頑張って逃げ切ろうぜ。