ブルージャスティスなんてどうかしら?
「うっ、くそ、くそう……」
泣いていた。
俺は布団の中で泣いていた。
将来に不安があったからではない。友人をなくしてしまったという恐怖からでもない。俺は、自分よりも年下のガキに泣かされてしまった。あの車椅子のクソガキ、すげえ目だった。すげえ顔だった。ちょっとした親切心と、興味からチラシの不備について教えてやったのに、
『……はあ?』
だよ。
はあ? って。いや、どうしてだよ!? もう嫌だ。何かムカつく。明日は家から一歩も出ない事に決めた。とりあえず、辞職についてはまだ早い。今は英気を養って、次はヒーローどもをボコボコにして追い込んでやる。仇は取ってやるぜ桑染!
翌朝、大家が家賃を取り立てに来たので窓から逃げた。
だが、何も考えずに出てきたので暇を持て余している。そして気付いた。俺に趣味と言える趣味なんてなかったのだと。余暇って何だ。テレビ見たり、音楽聞いたり、そんぐらいはする。けど、それ以上はない。休みの日は、今まで何をして過ごしていたっけ。
気が付くと、俺は駅前まで足を伸ばしていた。人通りは少なかったが、昨日とは違い、家族連れが目立つ。ベビーカーを押した主婦や、辺りをうろちょろするガキンチョども。実に平和だ。この中に、俺みたいな悪の組織の戦闘員が混じっているなんて、誰も考えてはいないだろう。……いや、考えていたとしても、無視するんだろう。ここで正体を現したところで、怪人が現れたところで、あの人たちは我関せずといった顔で改札口を抜けて、電車に乗り、ショッピングセンターなりに行くんだろう。
アホらしい。帰ろうかな、とも思ったけど、ついつい目で追ってしまう。今日も、あの車椅子の少女はチラシを配っていた。昨日の朝は忙しくて見てなかったし、夜は暗くて良く見えなかったけど、中々、悪くない顔である。と言うか良い。目鼻立ちもしっかりしてるし、可愛い。茶色、というよりも栗色のウェーブがかった髪は、ふわふわしてわたあめみたいだった。車椅子に乗っているせいか、やけに小さく見える。ううん、十五、六歳くらいだろうか。フリルのついたピンクのワンピース、膝の上には白い鞄が置かれている。白いハイソックス、白いローヒールのパンプス。……何か、甘い。砂糖で出来てるって感じ。か弱くて、守ってあげたくなるような。
まあ、性格は悪いに違いない。目付きも悪いし、愛想なしだ。チラシを受け取ってもらっても、礼なんか言わない。当然だろうと言わんばかりである。何だか腹が立ってきた。お前はどんだけ偉いんだ。可愛いなら何をやっても許されるのか。ふざけるな、俺はロリコンじゃねえ。どこかの誰かが許しても、この俺だけは許さねえ。
八つ当たりという単語が頭の中に浮かんだが、俺の足は止まらなかった。どうして、俺ばかりがこんな辛い目に遭わなきゃならないんだ。俺が何をしたってんだ。
「おい」
車椅子の少女の前で立ち止まると、彼女は小さく手を上げた。チラシを渡そうとしているのだろう。俺はそいつを引っ手繰るようにして受け取った。
「昨日はよくもやってくれたな」この手の台詞は板についている。
少女は小さく顔を上げた。俺の顔を見つめて、不思議そうに、と言うか不審そうに眉根を寄せる。
「邪魔なんだけど」
たじろぎそうになる。が、昨日の俺とは違う。昨日は、アレだ。色々精神的にも参っていたし、センチメンタリズムでメランコリックな状態だった。
「お前、覚えてないのか?」
「邪魔だって言ってんでしょ」
ふいっと顔を反らされる。謝って欲しい訳じゃあなかったが、この野郎、俺を舐めてやがる。こちとら六年も戦闘員やってんだ。
「親切に声掛けてやったってのに、よくもまあそんな事言えるよな」
「親切?」
「電話番号だよ、書いてなかったじゃねえか」そう言って、俺はチラシを見せ付ける。
「書いてるわ。それより、さっきから何なの? 警察呼ぶ? ヒーローが来るまでそこで喚いてる?」
「は?」
チラシをひっくり返せば、そこにはきちんと電話番号なり、どこかの住所なり待遇なりが書かれていた。きっ、きたねえ。書き足しやがったんだ。
「や、別にそういうつもりじゃ、俺はさ、ただ」
「仕事の邪魔だからどこかへ行ってくれる? と言うか、行かなきゃ本当に怒るから」
周囲からの視線が突き刺さる。冷静に考えれば、華奢な女の子に俺みたいな図体のでかい男が絡んでいる構図である。通報されない方がおかしかった。警察はともかく、ヒーローまで出張ってくりゃあ人生終わりである。
車椅子の少女はふっと、鼻で笑った。人を馬鹿にするような所作が、実に良く似合っている。
「それとも、あなたヒーローになりたいの?」
咄嗟の事で、声が出なかった。
「あなた、体格は良いものね。へえ、鍛えているのかしら。学生? 何か部活でもやっているの?」
「学生じゃねえよ」
「あら残念。だったらもう、どこかで働いてるのかしら?」
「い、いや……」
何故か、真実を口にする気にはなれなかった。
俺が躊躇っていると、女の子はこっちに顔を向ける。じろじろと、値踏みするような視線で体をねめつけられていた。
「はっきりしない人ね」
ヒーロー、か。よりにもよって、俺みたいな奴に何を言ってんだか。
「用がないんなら消えてくれる? 目障り」
チラシに目を通す。ヒーロー派遣会社、か。うん。待遇は、はっきり言って悪い。実績もない新興のくせに足元見てやがる。この街には何十、何百って同業社も同業者もいるんだ。金払いが良くないと、誰だって興味を持たないっつーの。
「掛け持ちとかありか?」
「は?」
「いや、他んところでも働いてんだよ俺。こういうのは先に言っておこうと思ってさ」
少女は僅かに目を見開き、俺とチラシを見比べた。
「本気? 冷やかしじゃあないでしょうね?」
「とりあえず、話だけでも聞かせてくれよ。ああ、そっか。こういうのって面接か。履歴書とか、そういうのいるんだっけ?」
今いるところにはスカウトで入ったから、特に面接とか、そういうのってなかったんだよな。改めて考えりゃ、俺は本当にあそこの社員なのかどうか不安になってきた。
「ちょ、ちょっと待って。本当に、本気なの? 自慢じゃないけど、ウチは待遇だって良くないわよ」
「出来たばっかりだもんな」
「お金だって、そんなに払え、ないし」
おいおい。んな事言っちゃうかよ普通。だまくらかしてでも勧誘しろよ。
「掛け持ちしてるし、まあ、そんな気にしないって」
ヒーローって言葉につられた訳じゃあない。俺はただ金が欲しいだけなんだ。先立つものさえあれば、どうにかなる。幸せはそれで買えるんだからな。ただ、悪の組織なんてやってる奴にまともな就職先なんてない。仕事柄、恨みだって買っている。スーツと覆面で正体を隠しながらやってるけど、素顔丸出しの職場ってのは嫌な感じだ。だから、ヒーローってのは打ってつけじゃあないのか? 正体を隠せるし、スーツを着られるんだから、そこそこの腕っ節とそこそこの体力があれば資格も職歴も関係ない、筈だ。派遣社員ってのも良い。実質、今の職場と変わらない。やる事だって変わらない。基本的には走り回って、戦うだけ。変わることと言えば、自分の立ち位置だ。正義か悪か。それだけの違いに、違いない。
「……り、履歴書はいらないわ。とりあえず、ウチに来てもらえるかしら?」
迷う事はない。運命や天命なんか信じちゃいない。多分、俺みたいなクズが選べる道は、これぐらいなのだから。
女の子に連れてこられたのは、駅前から十分ほど歩いた先にある、小汚い雑居ビルだった(俺だけで歩くならもっと早く着いたかもしんない)。四階建てだが、テナントは入っていない。つーか、人のいる気配がしない。俺、騙されてるんじゃないだろうな?
「一番上だから、階段で行って」
「は? だっ、おい!」
それだけ言うと、女の子はエレベーターに乗り込んでしまう。先に向かったらしいが、一緒に乗せてくれても良いだろうがよ。あ、いや、もしかして警戒されてるのか? だよな、普通。何か、帰りたくなってきたな。こういう経験ってないし。
結局、着てしまう。着いてしまう。エレベーターの前で、女の子が苛々した様子で待っていた。
「ヒーローになりたいんなら、五秒で上り切りなさい」
本気で言ってんのかよ。ヒーローになりたきゃ役所で手続き済ませてスーツ着れば良いんだよ。
「あ、今のってテスト? もしかして、不合格か?」
「……馬鹿じゃないの?」
言って、女の子は鞄から鍵を取り出す。すいーっと廊下を進み、一番奥の扉の前で立ち止まった。ほう、ここがヒーローの巣窟と言うわけか。……やばいな、すげえ緊張してきた。バレたらどうしよう。バ、バレるわきゃねえよな。こっちゃ覆面被って色々やってたんだし。
「どうぞ」
「お、うん」促され、俺は扉を潜った。
意外にも、こざっぱりとした室内である。ビルが汚いから、もっとえげつないのを想像していたんだが、ビニールの床には埃一つ落ちていない。革張りの黒いソファに、ガラスのテーブル。書籍がみっちりと詰まった本棚。あ、こっちにはデスクがある。ノートパソコンだ。欲しい。うわあこのテレビでけえ! え、どうしてこんないっぱい新聞が置いてあんの? うわー、うわー! 内心、馬鹿にしていたが、流石はヒーローを派遣する会社だ。生活臭が一切感じられない。ウチの組織も見習ってもらいたい。もっと待遇良くしろよ。
「座って。楽にして良いわ」
女の子は車椅子から降りずに、窓際に向かった。そこには、木製のエグゼクティブなデスクがある。やらしい言い方だが、高価に見えて、社長っぽい。彼女の指定席なんだろう、きっと。……ん?
「どうしたの?」
女の子と向かい合うようにして、俺はソファに座った。って、うっ、うわ。腰が沈む。
「い、いや。……あの、さ」
嫌な予感と言うか、気になっていたんだけど。
「他の人は? つーか、君が、俺を面接すんの?」
「何か不都合でもあるの?」
「だって君、バイトだろ? ビラ配りの」
俺がそう言うと、女の子は眉をつり上げた。何かおかしな事を言ってしまっただろうか。
「あなた、鈍い。誰を探しているのか知らないけど、ここの社長は、私よ」
…………嘘だろ。い、いや、でも、何だかそんな気はしてた、ような、していないような。
「気付いてなかったの? 良いわ、今までの無礼、非礼の数々は忘れてあげる」
女の子は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ようこそ、ヒーロー派遣会社『カラーズ』へ。私は白鳥澪子。ここで、一番偉い人間よ」
これ以上分かりやすい自己紹介もないな。
「あなたの名前、聞かせてもらえるかしら?」
「青井正義。色の青に、井戸の井。そんで……」
「もしかして、正しい義、かしら? ふふっ、すごい。正にヒーロー、良い名前じゃない。気に入ったわ、あなた」
職場じゃあ馬鹿にされるんだけどな。確かに、ふざけた名前に違いない。けど、悪い気分じゃなかった。自分よりも年下の人間に褒められるってのは。
「雇ってあげる。光栄に思った方が良いわよ。青井、あなたは、ウチの初めてのヒーローなんだから」
は?
「細かい事を言ったってしようがないと思うの。噛み砕いて言えば、ウチは、依頼に応じ、その仕事に適したと思われるヒーローを派遣し、派遣された者と時間給を折半する方式でやってるの。別に、仕事がない時にここにいる必要はないわ。仕事があれば連絡を入れるから。直接仕事場に行ってもらう事もあれば、一度ここに集まるって場合もあるでしょうね」
全然、全然話が頭に入ってこなかった。俺は手を上げ、待ったと短く叫ぶ。
「……タメ口はやめなさい。で、何よ?」
聞きたい事は山ほどある。けど、ちょっと待て。待ってくれよ。
「俺、一人? 嘘だろ? ヒーローが、俺しかいない、だって?」
女の子、白鳥は小さく頷いた。
「今のところはね。けど、募集だって掛けてるわ」
気付くべきだ。これ以上の深入りは、本当にやばいんじゃないのか? こんな、こんなところで、マジで金なんか入るのかよ? いや、そもそも仕事なんて来るのか? だって、社長自らチラシ配ってるような会社なんだぞ。
「当ては? 本当に、俺以外にも来るんだろうな?」
「どうかしら」おい。
数ってのは、多ければ多いほど良い。フォローも効くし、選択肢だって増える。一人きりじゃあ、流石に辛いぞ。例えば、俺が怪我や病気でリタイアしたら、誰が、どうするんだ?
「社員は? 社長以外に誰が……まさか、一人でやってるなんて事は……」
「馬鹿ね。いるに決まっているでしょう」
恐る恐る口にしたが、どうやら最悪の結果は免れたらしい。
「運転手が一人いるわ」
「ふっざけんなよ!?」
運転手だあ? そりゃいないよりマシだけど、いないよりマシだけど!
「そうね、あなたの名前はブルージャスティスなんてどうかしら?」
「おおっ? お前俺の話聞いてなかったのか? 信じらんねえ、駄目だ。どうせすぐ潰れちまうよ」
「なっ……? あなた、正気? 社畜になるつもりあるの?」
「ねえよ! つーか、社長がそういう事言うなよ!」
ギリギリ残ってたやる気が根こそぎ持ってかれた。本当、無理だ。ここじゃあ俺まで潰される。そんな気がする。
「悪いけど、この話はなかった事に」
立ち上がって、一目散に扉へ向かう。
「ちょっ、まっ、待ちなさい!」
「今後ますますのご健康とご活躍をお祈りしております」
「あなたが祈るな! 分かった、分かったわよ。譲歩、譲歩しましょう」
俺の足は止まった。だけど振り向かない。
「とりあえず、ウチに入ってちょうだい。別に、あなたに強要はしないわ。仕事が入れば連絡する。内容が気に入らなければ断っても良い」
んなもん当たり前じゃねえのか?
「ふわふわし過ぎなんだよ、あんたは。マジで、ここでやる気あんのかよ?」
言っちゃなんだが、この街は激戦区だろう。そこら中に悪の組織がひしめき、ヒーローたちが蠢いている。生き馬の目を抜くような世界なんだ。きっと。
「あんた、幾つだ?」
「十六よ。文句ある?」
若っ。マジかよ、十六で社長になれんの? や、でもこんなアレな会社じゃあなあ……。
「あんたみたいな子供がやれるようなところじゃないと思うぜ。正直、オススメしない。つーか、畳むのをオススメするね」
世間ってのを知らなさ過ぎる。俺にそう思われるくらいに、この子は危うい。
「関係ないわ」
だけど。
「悪を駆逐するのに、正義を守るのに、年なんて関係ないのよ」
こいつは言い切ったのだ。一番最初に言ったのは、金じゃない。こいつは、悪を滅ぼすと、正義を守ると言い切った。
ヒーローって、何だ?
疑問が浮かぶ。凄まじい速度で脳内を駆け巡る。爆発しそうになる感情を抑えるのに必死だった。
「……どこまで、ガキなんだ」
ヒーローなんざ、もういない。
正義も悪も、何もかも分からない。
でも、俺は、悪い奴に違いない。組織の戦闘員として、本当に、駄目な事ばっかりやってきた。この手に残ったものは、もう、ないに等しい。薄汚れて、この先だって良く見えない。
どうして、そんなにまっすぐなんだ。
どうして、そんなに綺麗に見えるんだ。
どうして、俺は。
どうして、俺は――――。
「ガキと、好きに呼べば良い。けれど、私を否定するのはよして」
どうしても、俺は、諦められなかったのだ。
「……ブルージャスティスは、やめてくれ」
こいつにあてられたのか? それとも、弱り切っていたのか? 頭がおかしくなってしまったのか?
「もっと、良い名前を頼む。社長」
いや、きっと、俺はヒーローになりたかった。そうに、違いない。