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全然デカくないじゃろう!



 交通量調査ってのは初めてやるが、酷く退屈だ。通行人の数を数えるだけ、カウンターをかちかちやるだけなんだけど、これなら、マスコットやってる方がマシである。

 駅前から少し歩いたところにタクシーを停めて、組み立て式の椅子に座ってから数十分が経過した。流石に、この時間は人が多い。ここらは会社とかもあるし、学校が向こうにあるから学生だって通る。きつい。指がつりそう。拘束時間も長い。半日はこうしていないと駄目らしいのだが、俺たちは三人でやっているので、実質、一人四時間か。交替して休憩挟めば、そこまで辛い仕事でもない。むしろおいしいのではなかろうか。時間が経てば人通りも少なくなる。椅子に座るだけの簡単なお仕事の始まりだった。

 二時間が過ぎて通行人も少なくなった頃、

「どう?」

 タクシーのウインドウが開き、社長が顔を覗かせる。

「どうもこうもねえよ。つーか話し掛けんな。それから、お前もちゃんとやれよ」

「……何を?」

「いや、何をって。これに決まってんだろ。一人で十二時間も出来るかよ」

 社長は首を傾げた。

「え?」

 首を! 傾げるな!

「疲れるのは嫌よ」

「それが働くって事なんだよ」

「嫌。だって、今まで私一人でやってきたんだもの。少しくらいは楽をしたいじゃない」

 そういや、こいつ一人でチラシ配ってたっけ。朝から、晩まで。他にも、色々とやっていたんだろう。

「折角の部下よ? 効率良く使わなくちゃ、可哀想じゃない」

「これのどこが効率的だ。自分が楽したいだけだろうが」

「そうよ。偉い奴はね、楽をしても良いの。さ、ほら、人が通るわよ。カウント、カウント」

 ウインドウが閉められる。俺のやる気を削ぐだけ削いで、後はもう知らん振り。



 今何時だ。腹減ってきた。もう交替してくれ。駄目だ。集中力が続かん。もう、どうして俺が人なんか数えなきゃいけないんだ。社長と九重は昼食を買いに行くとか言ってたが、全然戻ってこない。そこのコンビニで買えば良いだろうに。どこまで行ってんだ、畜生。

 しかし、目は勝手に動く。指は勝手に動く。俺の体は奴隷と化していた。

「なあ」

 誰かが俺の前で止まる。見上げると、背の高い、若い女が立っていた。どこにでもいそうな、大学生に見える。シャツにジーンズと、割かしラフな格好だった。彼女の長い黒髪は、腰まで届きそうである。

「なあ、ちいと聞きたい事があるんじゃが」

 俺は無視した。女の後ろを爺さんが通り、カウンターを回す。

「なあ」

「……邪魔」

 女は俺を見下ろした。やけに鋭い目付きである。社長のそれとは違い、気の強さを隠そうともしない。素直な奴だと思った。

「この会社に行きたいんじゃけど」差し出された名刺を一瞥する。

「知らねえ。よそ当たれや」

「そのゆい方は……! どうせ暇なんじゃろうに」

「暇じゃねえよ、働いてんだ。おら、どっか行けって」

 学生が。就職活動か何かか? 自分で調べろよ、そんなんは。

「意地悪。教えてくれてもええじゃない」

「だから、知らないって言ってんだろ」

「ちゃんと見てなかった!」

 名刺を近付けられる。うぜえ。消えろよ。俺は女の手を払い除けて、椅子に座り直す。

「で、会社はどこにあるん?」

「電話して聞けよ。鬱陶しいんだよ、さっきから」

 空腹ってのもあって、俺の語気は知らない間に強まりつつあった。

「うっとうしいたぁなんじゃ。そっちが教えんから……」

「知らないって言ってんだろ! マジで、さっさと失せろや」

「ちっさ」……何?

 俺は女を見上げた。

「器が、こまいってゆぅたんじゃ」

「道を教えてもらえなかったくらいでそこまで言うか? お前の器のがちいせえんだよ」

「ふ、ふん。口の回る男は好きじゃない」言って、女は髪の毛をかき上げる。何かかっこつけてるみたいで、全然似合ってなかった。

「失せろバーカ」

「どっ、どうしてそがーな事をゆぅんか!」

 ムカつくからだ。……でも、初対面の奴にここまで言ったのは初めてかもしれん。腹ぁ減ってるし、社長やら組織やら、各方面から色々と溜め込んでいたんだろう。この女とはもう二度と会う事もないだろう。適当に相手して、ストレス発散させてもらうか。

「そこにいたら陽が当たらねえだろデカ女」

「誰がっ。全然デカくないじゃろう! 腹立つ男……!」

 何か。

 なーんか変だな。この女の話し方、どっかで聞いたような気がする。うーん? けど、こんな奴知らねえしなあ。

「変態。こっち見んな」

 …………まさか? まさか、こいつ。ひょっとして……!

「……名刺、見せてみろ」

「……ん」女は名刺を差し出した。俺はその会社とやらの住所を確認した後、向こうの方を指差す。

「まっすぐ行け。したらでかくて赤い屋根のビルが見えるから。そこの六階」

 女は疑わしそうに俺を見た。

「ほんまに?」

「ほんまほんま。ほら、遅刻するんじゃねえの?」

 嘘だけど。

「あ、ありがとう」

 名刺を返すと、女は早歩きで去っていった。

「あら、誰かと話していたの?」

 入れ違いになる形で、社長と九重が戻ってくる。何故か手ぶらだった。

「道聞かれた。で、俺のメシは?」

「え? 九重、そんなもの頼まれていたかしら?」

 九重は首を横に振る。

「私たちはさっき食べてきたから」

「なんでだよっ? 買ってこいよ! 気ぃ利かせろよ! 俺はこっから動けねえんだぞ!」

「それはそうよ。勝手に持ち場を離れたらクビになってしまうわね」

 ぐっ、くっ、クソガキが……!

「……もういーよ。交替、交替な」

「誰と?」

「お前らのどっちかとだよっ。腹が減ったし、眠いんだ」

 と言うか、もう帰っても良いんじゃないか? 残り八時間、こいつらでやれよ。

「ガムがあるから、それを噛みながら続けなさい」

「なあ喧嘩売ってんだよな? そうなんだよな?」

「私はやらないから」社長は九重に視線を遣る。往来だってのに、車椅子から下ろされた彼女はお姫様抱っこで後部座席に運ばれていった。

 九重は車椅子をトランクに入れた後、タクシーの前に立って俺を見る。

「……やります。助手席で良かったら、寝ててください」

「寝るのは、やめとく。けど、腹は減った。ちょっとそこのコンビニ行ってくるから、その間は頼む。えーと、やり方、分かるか?」

 大丈夫だと、九重は頷いた。俺はタクシーから自分の財布を取り、コンビニに向かおうとする。社長は、目を瞑っていた。眠ろうとしているのだろうか。ラジオをかけてやる。大音量で。



 カラーズの仕事、と言うか、交通量調査のバイトは終わった。俺は後の事を任せて、徒歩で一度家に戻る。シャワーを浴びてから、今度は悪の組織の仕事場に向かうべく家を出た。

 尤も、昨日の今日で仕事があるとは思えない。例のヒーローがどこに、どのようにして現れるのかが分からない以上、打つ手がないのである。作戦を立てたって、奴らは力ずくでそれを邪魔するのだから。



 だが、俺の予想とは裏腹に、組織では大掛かりな作戦が進められていた。らしい。どこそこを襲い、何かを奪うような仕事ではない。その内容とは、ヒーローの駆逐、である。駆逐とは大層で物騒だけど。

「情報を集めたい。数字付きは例のヒーローを探して、可能ならば交戦を」

 九番を除いた数字付きを集めた江戸さんは、表情一つ変えずにそんな事を言い放った。俺たちは顔を見合わせる。

「俺たち、だけですか?」

 二番の疑問は尤もだ。だから、江戸さんは首を横に振り、前もって用意していたような答えを口にする。

「四天王、クンツァイトの部隊も動いている。エスメラルド様の下につく怪人とその数字付き、そして、集められるだけの戦闘員を費やすつもりだ」

「……マジっすか」それって、つまり、何人が動くんだ? 組織にいる構成員の数を、俺は正確に把握していない。だけど、相当の数が動くぞ、それって。俺たちだけじゃない。別の組織だって、同じような事をしているかもしれない。

「それだけ、しゃもじ女がやばいって事ですか?」

「私たちだけでなく、他の組織もヒーローには情報を漏らしていない。だと言うのに、例のヒーローは我々の仕事場所に現れる。何か、掴んでいる。そう考えても不思議ではないだろう」

 そうだ。九番が情報をバラしやがったのはアレだけど。そもそも、九番がいた場所の近くにしゃもじ女がいたのは事実。あのアマ、どんな情報源を持ってやがるってんだ。

「実は、『赤イ松』の幹部から、連係を持ち掛けられている」

 赤イ松と言えば、この街でも昔からあるような、そこそこでかい組織だ。日本だけじゃなく、海外にも支部があると聞く。そんな奴らも、あのヒーローを危険視してるってのか。

「言い出す事はないだろうが、他の組織も、一旦は協力し合いたいというのが本音だろう。うちの組織の怪人だけでなく、多くの怪人がこの数日で倒されている」

「しかし、相手は危険です。情報を集めるのは賛成ですが、数字付きだけで交戦と言うのは……」

 江戸さんは俺を見る。嫌な予感がした。

「十三番、君の意見を聞きたい」

 やっぱり、か。しゃもじ女とやり合って帰ってきた事で、俺は数字付きになれたようなもんだしな。詳しい話を聞きたいんだろう。だけど。

「正直、あのヒーローに関しちゃ、無我夢中だったんで。あんまり、詳しくは話せませんよ」

「構わない。十三番、『しゃもじ』の戦闘能力は、どのようなものだった?」

 江戸さんには前にも言ったが、他の数字付きは詳しく知らないんだったな。情報は回っているだろうけど、まあ、一応言っておこう。

「分かりやすいパワータイプっすね。異名の通り、武器はしゃもじで、そいつを振り回すのが『しゃもじ』の戦法です」

「確かに分かりやすい。しかし……」

「対策は立てられないですね」

 言いよどんだ江戸さんの後を、四番が続けた。

「力押しされちゃあ、どうしようもねえよなあ」

「つーか、前からあんな奴いたっけ?」

「知らん。俺は前に初めて見た」

 申し訳ないが、俺だってこれ以上の情報を持っている訳ではない。戦ったが、やはりどのように戦ったのか覚えていない。と言うか、生きて帰れたのが奇跡だったのである。

「仕方ないな。数字付きは交戦を控えてくれ。これは、エスメラルド様の指示でもある。他の組織も動いているだろうから、私はそちらの線で動いておく」

 なるほど、江戸さん個人としては情報が欲しいわけだ。一応、頭に入れておこう。全員が姿勢を正して、彼の顔を見つめる。

「勇気と無謀を履き違えてはならない。覚えておきたまえ。……何、少し忙しくなるが、例のヒーローを倒せばすぐにいつものように暇になる。全く、私は、それはどうかと思うがな」

 きっと、それに近い事をエスメラルド様が言っていたのだろう。

 交戦しなくても良いと言われたので、数字付きからは余計な緊張を感じられなかった。だけど、俺たちが仕掛けないだけで、向こうが仕掛けない道理はない。それだけは忘れちゃいけなかった。



 夜の街を、あてどなくさ迷い歩く。数字付きは三班に分かれ、しゃもじ女を捜索していた。途中、他の組織の戦闘員や怪人と出会う事があった。顔見知りの怪人たちと情報を交換しながら、真っ白な地図を塗り潰していく。

「しかし、ウチの連中とは会わないな。クンツァイトってのも動いてるんだろ?」

「上手い事分散させてんじゃねえのかな。同じところを同じ奴らが探したってしようがねえだろうし」

 恐らくはそうだろう。だから、別組織の連中としか遭遇しないのだ。

「こうしてぞろぞろしてるけどさ、ヒーローは見ないよな」

「まあ、別に俺ら何かしてる訳じゃねえし」

「見つかったら問答無用で殴られそうだけどな」

 違いない。

「そういや十三番さー」

 俺は首を巡らせる。

「お前って、マジで『しゃもじ』と戦ったのか?」

「あー、だから、あんま覚えてないんだよ」俺は苦笑する。尤も、表情の変化などマスクのせいで分からないだろうが。

「お前が何か情報掴んでたらさ、色々と、なあ?」

 手柄にはなる、か。けど、なあ……。

「実は、何か掴んでんだろー?」

「いやいや、何も知らないって」

 俺は笑う。今だけは、マスクをしていて良かったと思う。何せ、今の俺は嫌らしい笑みを浮かべているだろうからな。

 しゃもじ女の正体に、俺は気付いている。証拠はない。ただ、広島弁を喋ってて、長い黒髪をしていただけだ。体格も似たようなもんだったが、そこまでは分からない。だけど、特徴的過ぎる。昼間の女を疑うなって方が難しい。

 ヒーローも、戦闘員も、正体を知られてはならない。だから、俺たちは顔を隠している。ある程度鍛えているとは言え、中身は普通の人間なのだ。スーツを着ていない時に襲われれば一たまりもない。……『しゃもじ』の正体に気付いている者は、他にもいるかもしれない。だけど、この街で最もあのヒーローの中身に近づいているのは、俺なんだ。唯一のアドバンテージを、俺だけが握っている。そう簡単に、他の奴に渡してたまるかよ。こいつは使える。金になるかもしれん。まだ、誰にも言えないな。

「ま、気長にやろうぜ」

「おー、つーか、いつまで探せば良いんだろな」

「適当にやろうや。地図も大分埋まってきたし。もしかして、今はこの街にゃいないかもな」

「ぎゃはは、恐れをなして逃げたか」

「どっかの怪人が倒してくれねえかなー」

 倒すのは、俺だ。いや、倒せなくても良い。絶対に、あの女には痛い目を見てもらう。調子に乗りくさってボケが。目立ち過ぎるとどうなるかってのを思い知らせてやるぜ。何、手掛かりは持ってる。バレないようゆっくりやるさ。あのアマが何の気なしに俺に見せた名刺が、いつかあいつの首を絞める。そうに違いない。

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