かたじけない
出たからにはやるしかない。戦力差はあまりにも絶望的である。比較するのもアホらしい。だが、今回は別に戦わなくても良いんだ。とりあえず、カラーズの宣伝をするに留めておこう。うん、俺以外にヒーローだっているんだし。ブランコで立ち漕ぎでもしながら叫べば、社長だって満足するに違いない。
と言う訳で、俺は案外、リラックスしていた。纏わりつくガキどもを母親のもとへ持っていき、公園へと歩く。ゆっくりと。うん、まあ、視界も悪いし動きづらいが、着ぐるみん時よりはマシだった。
公園内に足を踏み入れると、今まで戦いに耽っていた奴らが一斉にこっちを見る。俺は思わず視線を逸らした。みっ、見んなよ! 怖いじゃねえか。
黒い忍者どもは一旦距離を取り、四人でひそひそ話を始めている。青い忍者ヒーローはじっとこっちを見つめていた。その瞳からは感情と呼べる類のものを感じ取れない。
「どうも」とりあえず挨拶しておこう。
「俺の事は気にせず、ただ、俺の話だけを聞いてくれ」
そうして、ガキどもの方にも目を向ける。おお、ギャラリーが増えていた。これは都合が良い。
「……何者だ?」
黒い忍者に問われて、俺は待っていましたとばかりに大きく口を開いた。
「俺は段ボールファイトマシン! ヒーロー派遣会社、カラーズでヒーローをやっている者だ!」
忍者たちは再びこそこそと話を始める。今の内に畳み掛けておこう。
「カラーズ、カラーズ! 炊事洗濯家事退治! ティッシュ配りからデパートの屋上でのマスコット活動など、何でもやらせていただきます! ヒーロー派遣会社カラーズ! カラーズをっ、どうぞよろしくお願いします!」
こんなもんで良いだろう。さて帰るか。
「待て」背を向けた瞬間、呼び止められる。
「からあずだと? 聞いた事もない。貴様、イダテン丸の味方だろう」
イダテン丸?
「しらばっくれるか、異形め」
ふと、青い忍者に見られているような気配を感じた。……イダテン丸とは、そいつの事か。しかし、俺はイダテン丸なんぞ初めて聞いたし初めて見た。仲間な訳がないだろう。
「知らん。今日、この場に限っては、俺は誰の味方でもない。誰の敵でもない」
「ええい、ほざくか!」
黒忍者が刀を構えた。えっ、おいちょっと待てよ。
「カラーズはっ、最近出来たヒーロー派遣会社であり! 我々社員一同は!」
「黙れっ」
言うが早いか、忍者の一人は地を蹴り、俺に向かって飛び出してくる。俺はブランコの方へと、拙い動きで必死に逃げた。
「背中見せるかっ」
「俺は関係ねえよォ! 勝手にやってろよバカ!」
ブランコから、シーソーへ、シーソーから滑り台へ。遊具の周りをぐるぐると走り回る。
「往生せぬか――――あ」
俺に刀を振り上げようとしていた戦闘員が倒れ込んだ。何が起こったのか、良く見ると、そいつの首元には何かが突き刺さっている。これは、手裏剣だ。呆然としていると、イダテン丸と呼ばれていたであろう忍者が、それを躊躇いもせずに引き抜いた。うわ痛そう。
「くそっ、やはりイダテン丸の仲間か!」
「よくもライデンを!」
まずい、完璧に狙われた。逃げるしかない!
俺はイダテン丸を盾にするようにして、公園の出口に向かって駆け出した。タクシーまで辿り着くが、何故かドアは開かない。
「おい何やってんださっさと開けろよ!?」
ドアは開かない。後部座席のウインドウがゆっくりと下りていく。
「まだ駄目よ」
「はあああああ!? 見たろさっきの!? もう無理だってマジでやべえって!」
「あの、イダテン丸とかいう奴ばかり活躍しているじゃない。これでは意味がないわ」
「この人でなしがっ」車内の社長をぶん殴ろうとするが、それよりも先にウインドウが上がっていく。
「ぎゃああああ腕が! 腕が! 俺の腕がああ!?」
「早く行きなさい」
こっちが悶えている隙に、ウインドウを開けた社長は両腕で俺を押しやがった。そして、彼女は小さく手を振る。
「逃がすものかっ」ひいい!
逃げ場などない。とりあえず、俺はイダテン丸の傍に立つ。しゃがみ込み、呼吸を整える。
「まずはそこの箱から殺すぞ、散っ」
「助けてイダテン丸!」
プライドなどなかった。だがイダテン丸は答えない。それどころかこっちを見ようとすらしない。戦闘員が迫ってきて、俺は滑り台の方へと逃げる。
「待てっ、待てっ」
「カラーズです! カラーズをよろしくお願いします!」
頭の中がぐちゃぐちゃになって、思考と口が一体化している。意味不明な事を叫びながら、俺は公園中を逃げ回る。
「何でもしますカラーズです! 何でもやりますカラーズです! 一票をっ、清き一票を!」
金属音が高く響いた。滑り台の階段の部分に、刀が突き刺さっている。なんちゅう切れ味だ。ふざけきってやがる。
「おぎゃあああああ殺される! カラーズっ、カラーズを助けて!」
「シップウ後ろだっ」忍者が叫ぶ。
俺の近くにいた忍者がぐらりと崩れた。そいつの体が地につくより先、イダテン丸が忍者の腹を蹴り上げる。一、二、三、四……何回蹴った? 凄まじい体術だ。スーツの性能に頼りきっている訳ではないらしい。このヒーロー、練り上げられた技と、鍛え上げられたしなやかな体付きの持ち主なのだと、俺は今更ながらに気付いた。
やがて、黒忍者は地面に倒れ込む。と言うより、叩き付けられた。当分は目覚める事もないだろう。
「クロガネ、回り込め」
「応よシロガネ」
残った黒忍者が、イダテン丸を挟み込むような位置に立つ。背負った刀を鞘から抜き去り、おおっ、と、甲高くも威圧感のある声を放った。
だが、イダテン丸は動じない。構える事もしない。ただ、自然に立っている。流れに身を任せていると評すよりも、流れを読み切り、その中で静かに立っているという方が相応しい。水のような佇まいだった。
黒忍者二人はイダテン丸の周囲を回り続ける。隙を探っているのだろうが、無駄だった。そうして、痺れを切らしたのはそいつらの方である。刀を振り上げ飛び掛かる。
「なあっ……!?」
刀は空を切った。確かにそこにいた筈なのに、イダテン丸の姿は霞にでも紛れてしまったかのように、忽然と姿を消している。
「ごっ……!」
俺が辺りをきょろきょろとしていると、戦闘員が一人倒れた。その喉元には、イダテン丸の手刀が突き刺さっている。
「うおおおおおおおお!」
一人、最後に残った忍者が咆哮を上げる。だが、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえない。俺は笑った。
「参ったか! これがヒーロー派遣会社カラーズの実力だ!」
ここぞとばかりに勝ち誇る。
「お、おのれっ」
「ぎゃっはっはっは! おらどうした下忍風情が! 悔しかったらかかってこいよっ、そうでないならドロンと隠れてニンニン喚け!」
視線だけで人を殺せるなら。黒忍者はそんな目をしていた。しかし、全然怖くない。さあイダテン丸、さっさと野郎を仕留めてしまえ。
「許せんっ、せめて貴様だけでも!」
「っておい! 狙うのは俺じゃねえだろ!」
向かってくる!?
俺は背を向けて逃げようとしたが、足がもつれて近くにあった鉄棒に頭をぶつける。クラっときた。クラっと。
「往生!」
したくねえ!
目を瞑って、無駄だと分かっていても両腕で頭をブロックする。だが、いつまで経っても痛みは訪れなかった。恐る恐る目を開けると、俺の前にはイダテン丸が立っている。そして、黒忍者はゆっくりと倒れていった。
「……た、助かった」立ち上がろうとしたが、腰が抜けている。
ま、まあ、全て終わったんだからもうどうでも良い。
しかし、こいつら、一体何だったんだ? 一応、忍者同士だったし、まさかアレか。抜け忍って奴か?
「な、なあ」
事情を聞こうとするも、イダテン丸はこっちを見なかった。
「あんた、ヒーローだよな? こいつら、何? どっかの戦闘員なんだよな?」
答えてくれないと思ったが、とにかく喋った。何を話したのか分からないけど、とにかく話し続けた。けど、やはり返事はない。
「…………っ」
「え?」
イダテン丸はこちらに背を向けたまま、何かを言ったような気がした。だけど、声が小さくて良く聞こえない。やがて、ヒーローは俺に向き直る。ゆっくりと首を振り、息を吐いた。関わるな、とでも言いたそうで、俺は何も言えなくなる。
「かたじけない」
「え、う、うん?」
それだけ言って、イダテン丸は公園の入り口に向かわず、フェンスを飛び越えていってしまう。とんでもない跳躍力だった。まあ、よその組織の事情に首を突っ込むのも面倒な話である。全部忘れてしまおう。うん、それが良い。
立ち上がり、俺はタクシーに向かった。
「だっせえなあおまえ! にげてばっかだった!」
「イクジナシだこいつ! イクジナシイクジナシ!」
「うっせえ殺すぞガキども!」
息を吐く。まあ、どうにかなった。まだ、生きていられる。けど、いつまでこんなギリギリの事やらなきゃなんないんだろう。
「疲れた……」
「逃げてただけじゃないの」
「アホかお前。立ち向かえってのか」
死ねと同義語だぞ。
「それに、ちゃんと宣伝してやったじゃねえか」
「悪名が轟いたような気がするのだけれど」
「悪名だとして、そいつも立派な知名度だろ。つーか労えよ、今まさに、俺は死に掛けてたんだからな」
「ああ、お疲れ」
気ぃ入ってねええええ。投げ遣りに言うくらいなら何も言って欲しくなかった。九重は運転してるから、ずっとだんまり決め込んでるし。つーか、何か不機嫌? 段ボールファイトマシンを駄目にしちまったから、か? 最初から駄目だっつーの、こんなの。
「今度はもっとまともなスーツ用意しとけよ。いい加減にしとけってんだ、マジで」
段ボールを外そうとするが、上手く外れない。と言うかぴったりフィット過ぎて、この、全然……!
「ちょ、社長、これ外してくれよ」
「ええ? どうして私が。嫌よ」
「外れないんだって!」
腕をぶんぶん振る。うわ、やべえよ。時間が経つにつれて、何か肌と一体していくような感じがする。早く外さないと、何かまずい。
「九重に頼みなさい。ほら、信号で停まったわよ」
「お、おお。こっ、九重、これ、取って取って」
腕を振ってアピールするが、九重はこっちを見なかった。
「ちょっとぉ、どうして無視してんの!?」
「オカマみたいな喋り方はやめなさい」
「早く外してくんなきゃマジでやばいじゃないの!」
信号が青になり、車は発進する。
「頼む頼むマジで! なあもう早くこんなの……」
「……こんなのって言った」
「あ?」
「折角作ったのに」
運転中に九重が喋ったのも驚きだが、こいつが恨みがましく物を言うのにも驚いた。
「穴だって開けちゃうし、濡らしちゃうし……」
「お前ふざけんなや、何言ってんだよ。こんなのをこんなのって言って何が悪いんだよ」
死刑執行人みたいな真似しといて、何を可愛くむくれとんじゃコラ。
「自信作だったのに」
「あーっ、もう、分かったから、会社戻ったら外してくれよ」
九重は膨れっ面のままこっちに一瞥くれた後、
「じゃ、写真だけ撮る。それまで着てて」
そう言い切り、運転に集中する。もう口を利いてくれなかった。
「……なんなの、こいつ?」
「うるさいわね。それより、あまり寄らないでくれる? 薄気味悪い威圧感があるのよ、それ」
ヒーローって何だ。正義って何だ。
少なくとも、この女からはそういったものを感じられなかった。
「ちっ、けど、ちゃんと金払えよ。命懸けで宣伝したんだからな」
「嫌」
いつか死ぬぞこいつ。すげえ嫌な死に方で。