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0097話

 目の前にあるのは、身長6mを越える程の体躯を持った巨人族の一種でもあるスプリガン。

 ランクBモンスターであるスプリガンにしても、さすがにエレーナやレイといった強さを持った者達と正面から戦っては為す術もなく破れ、現在ではその骸をこの広い部屋に晒している。


「エレーナ様、あれ!」


 そんなスプリガンを横目に、部屋の中を見ていたアーラがとある一点を指差す。

 そこにあったのは、スプリガンと戦う前には存在していなかった地下へと続く階段だった。


「なるほど。この部屋を守っていたスプリガンを倒すと地下へと続く階段が現れる仕組みになっているのか」


 頷くエレーナだが、その横ではヴェルが難しい顔をして何かを考えている。


「ヴェル?」

「あ、いや。何でも無いよ。ただちょっとさっきの十字路で他の2つの道に進んでもここと同じような、いわゆるボス部屋の類があって、そこにいるモンスターを倒せば階段が現れるのかどうかちょっと気になっただけだから」

「そうだな、この部屋の様子を見る限りでは恐らくそうなのだろう。もっとも、あくまでも予想でしかないがな。実際にあの十字路から他の道に進んでみないと確実なことは言えないさ」


 スプリガンの死体を回収しているレイを見ながらアーラが首を傾げる。


「でもエレーナ様、継承の祭壇の情報があるってことは誰か最下層に到達したパーティがいる筈ですよね? ならその人達が倒した部屋に辿り着いていればそのまま階段があったんじゃないですか?」


 その疑問に答えたのは、話し掛けられたエレーナではなくヴェルだった。


「いや、恐らく地下への階段を守っているモンスターが倒されるとダンジョンの核が新しいモンスターを召喚するんだと思う。もっとも数時間程度で召喚し直されるのか、あるいは数日程度必要なのかは分からないがな」

「ダンジョンの核にとってもゴブリンのような弱いモンスターならともかく、スプリガンのようなランクBモンスターともなれば召喚するのに時間が必要だ……と思いたい所だな。継承の祭壇で儀式を終えた後でこの階層に戻って来た時に、またスプリガンと同ランクのモンスターがいましたというのは余り洒落にならん」

「せめてもの救いは、1匹だけだったってことですよね。エメラルドウルフのように群れをなして現れたりしたらどうなっていたか」


 そう。いくらランクBモンスターとは言っても、所詮は1匹である以上は手数の多いエレーナ達にとっては戦うとなれば厄介だが、それでも絶望を覚えるような強さを持つ敵ではないのだ。

 そもそもレイは以前に自分1人だけで同ランクのオークキングを倒した経験があるし、セトに至ってはランクAモンスターなのだ。そして姫将軍と呼ばれるエレーナもまた、その1人と1匹に迫る戦闘力を持っているのだから。


「エレーナ様、スプリガンの回収終わりました」


 ふと目を向けていたレイが振り返り、そう声を掛けられて思わず意表を突かれる。

 何故か今レイと目が合った時に一瞬だけ頭の中が真っ白になったような気がしたのだ。

 とは言っても、それもほんの一瞬。すぐにいつものように冷静に物事を考えられるようになったエレーナは、最下層に続く階段へと視線を向ける。


(あの階段を下りれば最下層。継承の祭壇まではもう少しだが……消耗した体力のことを考えればここで一晩過ごして体力や魔力を回復してから最下層に挑むべきだな。何しろ地下6階でランクBモンスターが姿を現したのだ。最下層ではどのようなモンスターがいるか……)


 内心で考え、次いでその視線をヴェルへと向ける。


(それにヴェルもこの階では相当量の罠を解除してきた。多少の休憩は取ってはいるが、それでもゆっくりと休んだ方がいいだろう。盗賊役のヴェルが肉体的、精神的な疲労で罠の解除に失敗するなんてことになったらここまでの苦労が水の泡となるからな)


 数秒程でそれらの考えを纏め、こちらへと近寄って来るレイを含む全員へと声を掛ける。


「今夜はこの部屋で一晩を明かし、明日の朝に最下層に下りることにする。幸いこの部屋はあの巨大な扉が閉まっているおかげで敵が侵入してくる可能性があるのは最下層への階段のみだろう。その分見張りも森の時のように忙しくなることはない筈だ。それとスプリガンに代わるこの部屋の高ランクモンスターは先程ヴェルが言ったように恐らくすぐに再召喚という真似は出来ないだろうが、それでも気を抜かないようにな。もしその兆候があった場合は見張りの者はすぐに全員を叩き起こせ」

「その場合、再召喚されたモンスターは倒すのでしょうか?」


 キュステの問いに、小さく首を振るエレーナ。


「召喚されたモンスターによる、としか言えないな。容易く一掃出来るような敵ならばそうしておいて明日の朝まで再び休むというのもいいだろう。だがそうでない場合、あのスプリガンのようなランクBモンスターが召喚された場合は寝起きでどうこうするのは難しいだろうから最下層に下りることになるだろうな」

「そうですね、それがいいでしょう」


 キュステが納得したというように頷き、エレーナの視線がレイへと向けられる。


「レイ、早速だが夜営の準備を頼む。今も言った通りいざという時にはすぐに行動出来るようテントや寝袋の類は使わないから、必要な物は食料や休む時に使う毛布くらいだろうが」

「分かりました。ちょっと待って下さい」


 脳裏にミスティリングのリストを展開し、毛布や飲み物、食べ物の類を取り出す。

 食べ物は大量のサンドイッチにポタージュスープで、これまでの道中で腹が減っていた皆が次々に手を伸ばしては口へと運んでいく。

 それでもがっついたように見えないのは、さすが全員が貴族の出身と言うべきなのだろう。


「グルルゥ」


 自分にも、とセトが頭をレイへと擦りつけてくるので取りあえずサンドイッチを何個かセトに与え、再び脳裏にミスティリングのリストを表示する。


「さすがにセトが食べる用に焼いておいたモンスターは全部食べてしまったか。……セト、すぐに食べられる街中で売ってたモンスター用の食事と、ちょっと時間が掛かるけど今ここで焼いたモンスター。どっちが食べたい?」

「グルルルゥ」


 チラ、とスプリガンの流した血の方へと視線を向けるセト。


「なるほど、やっぱり美味い方がいいか」


 街中で売っているモンスター用の食事というのはいわゆるドッグフードのようなものであり、種族にもよるのだろうがセトは余り好んでいない。

 それを理解していたのでセトが多少時間が掛かっても美味いモンスターの方を選ぶのはレイにとっても予想の範疇だった。

 何しろサンドイッチを数個程食べているので何が何でもすぐに何かを食べたいという訳でもないのだろう。


「さて、じゃあ何にするか……んー、あぁ、オーガの右腕があったな」


 呟きながら、地下4階で自分が倒した巨大なオーガの右腕をミスティリングから取り出すレイ。

 その右腕から素材として売れる皮をミスリルナイフで剥ぎ、大きめの固まりにぶつ切りにする。


「……レイ、1つ聞いてもいいか?」


 オーガの右腕を切り分けるレイを見ていたエレーナが、突然そう声を掛けてくる。


「はい、なんですか?」

「調理をすると言っても、火はどうするのだ? いや、レイが火の魔法を得意にしているのは知ってるが、それでも薪がないとどうにもならないだろう」

「あ、それは大丈夫です。以前からギルドの依頼で森に行ってる時にいざという時の為にそれなりに乾燥した木材はアイテムボックスの中に収納してましたし」


 エレーナに答えながら、ミスティリングから乾いた薪を取り出してデスサイズを握り、呪文を唱える。


『炎よ、我が指先に集え……小さき炎』


 呪文を唱えるとレイの人差し指に小さな火が灯り、それを使い薪へと火を付ける。すると次第に炎は大きくなり、そこへぶつ切りにした肉へと先の尖っている薪を刺し、同時に薪を組み合わせて串の刺さった肉を支える台のような物を組み立て、肉の刺さっている串を置く。


「グルルゥ」


 早速焼けてきた肉の炙られる臭いにセトが喉を鳴らし始め、それを焼けたところから適当に切り分けつつ塩で軽く味付けして皿の上に乗せてセトへと差し出す。


「……さて、取りあえず今日の見張りについてだが。私、アーラ、キュステ、ヴェル、レイの順番でいいだろう」


 一瞬だけセトの方へと視線を向けながらエレーナの指示を聞き、特に異論が出ないのを確認してその後は自由時間となる。

 アーラはエレーナと会話をし、レイはオーガの肉が焼けた場所からセトへと食べさせていた。

 そんな2組の様子を見ながら、キュステはヴェルに渡された水筒で喉を潤しながらも微かに眉を顰める。


「全く、つくづく頭の固い奴だな。……ほら、これでも食いなよ」


 自分の隣にいたヴェルから干し肉を受け取りながらも口を開く。


「私は別に何も言ってないぞ」

「目は口程に物を言うってね。大体キュステだって分かってるんだろう? レイとセトがいなければ、俺達は恐らくこうして無事ではいられなかったって」

「……それは認めよう。だが奴がエレーナ様に対して影響を……しかも、悪影響を与えているというのもまた事実だ。ヴェル、お前も気が付いているんだろう? 地下5階からこの地下6階に下りて以降エレーナ様は随分と奴のことを気にしている。恐らくあの声の主が何か関係しているのは間違い無いだろうがな」

「声の主ね。……まぁ、確かにうちの女王様はこの地下6階に下りてからちょっと挙動不審気味な所もあるけど……それだってレイが気になるから自然と視線を向けてるだけだと思うけどね」

「はぁ。お前は本当に気楽でいいな。私にもお前のような楽観さが多少は欲しいものだ」

「そう言うなって。ほら、これも食いなよ。そして腹一杯になったらさっさと寝ろ。明日はいよいよ最下層なんだから妙な理由で足手纏いになられたら困るぞ?」


 キュステがヴェルから受け取った小さな瓶には、何らかの木の実を炒めたと思しき簡単なツマミの類が入っていた。


「これは?」

「俺の特製のツマミだ。貴族が食うような物じゃないけど、こういう場所なら問題ないだろ」

「……ツマミだけで酒は無し、か」

「ダンジョンの夜営で酒とか飲むと女王様に叱られると思うがね」

「だから、何度も言うがその女王様という呼び方はだな……」


 そんな風に会話をしつつも、やがて1人、2人と眠りにつき、起きているのは見張りのエレーナとまだオーガの肉を食べているセト。そしてその世話をしているレイの2人と1匹のみとなる。


「グルルルゥ」


 そして焚き火で焼いた肉を全て食べ終えたセトは、満足気に喉の奥で鳴いてから少し離れた場所へと移動して寝転がって目を閉じるのだった。

 そんなセトの様子を見送り、食事の後始末を終えたレイもまた立ち上がり……


「レイ、少しいいか?」


 先程からじっと自分を見ていたエレーナに声を掛けられる。


「はい? 構いませんが……何か軽く食べる物でも?」

「いや、良ければちょっと話に付き合って貰いたくてな。もちろんレイが眠いというのなら断って貰っても構わん」


 数秒程考え、再び焚き火の前へと腰を下ろすレイ。その様子を見ながらエレーナは口元に笑みを浮かべながら口を開く。


「レイ、正直ここまで来るのはお前がいないと無理だっただろう」

「そうですね、本来であれば謙遜すべき所なのですが……ここは大人しく、はいと言っておきますか」


 その言葉を聞き、苦笑を浮かべるエレーナ。


「お前……実は私に対しての敬語は無理をしているんじゃないか?」

「まぁ、違うとは言えませんね。何しろ師匠と2人……いや、セトも入れると2人と1匹で暮らしてきたので敬語なんてのは本で読んだくらいでしか知りませんし」

「なるほどな。やはりお前の普段の口調はヴェルやアーラと話している方か」

「それはそうですよ。まさか普段から敬語で喋るような育ちの良さなんか無いですし」

「……ふむ、そうだな。ここまで骨を折ってくれた礼だ。公式の場で無い限りは私に対しても敬語を使わない、普通の口調で喋ってくれても構わないぞ」


 パチンッ、と焚き火の中で炎の跳ねる音が響く中でエレーナがそう告げる。

 周囲の壁がぼんやりと光る中で焚き火の明かりがエレーナとレイの2人を照らし出す。


「いいんですか?」

「構わん。普通の貴族なら礼儀に厳しいのだろうが、知っての通り私は普通の貴族令嬢とは違うからな」

「まぁ、確かに普通貴族の令嬢は戦場に出て来るなんて事はしないでしょうが」

「敬語じゃなくてもいいと言っただろうに」

「すいません。……いや、ごめん。これでいいか?」

「そうだな、そういう態度で接してくれると私としても助かる」

「貴族令嬢なのに敬語が得意じゃないとか……いいのか?」


 そう尋ねるレイの言葉に苦笑を浮かべるエレーナ。


「別に貴族全員が格式張っている訳ではないさ。私の部下達を見てみろ。キュステはともかく、アーラもヴェルもそういうのは苦手そうだろう?」

「……何? キュステが貴族なのは分かりきっていたが、アーラとヴェルもそうなのか?」

「ああ。アーラは伯爵家の三女、ヴェルは子爵家の次男だ」

「さすがにそれは予想外だったな……」


 こうして、周囲を焚き火の明かりがぼんやりと照らし出す中、レイとエレーナの2人は1時間程2人きりで会話を続けていき……やがてレイが焚き火の前から立ち上がる。


「さて、そろそろ俺は休ませて貰うよ。明日にはいよいよ最下層だからな。疲れを残しておくというのは考えたくもない」

「そうか。……そうだな。確かに今日のレイは私達の中で誰よりも活躍したからな。その方がいい」

「ああ、じゃあおやすみ」


 そう言い、焚き火から離れようとしたレイだったが……


「レイ!」


 突然背後から、思いの外強い口調で呼びかけられる。


「どうした?」

「その、今日の……いや、何でも無い。明日は頼むと言いたかっただけだ」

「? まぁ、当然手を抜くつもりはないさ」


 不思議そうな顔でエレーナの顔を一瞥し、今度こそ本当に休むべく毛布へとくるまる。


(レイ……私は、お前を……いや、未練だな)


 小さく首を振っているエレーナをその場に残し。

 こうして最下層に突入する前日の夜は更けていくのだった。

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