0092話
「ふぅ……さて、食事も済んだし休憩もそれなりに取った。じゃあ、残りもう片方の扉を調べるとしますか」
手や服に付いていたパイ生地を払い落として立ち上がるヴェル。
その周辺では既に昼食を終えていたレイ達もヴェルと同様に立ち上がる。
「グルルゥ」
周辺の警戒を一手に引き受けていたセトもまた、寝転がっていた床から起き上がった。
基本的にはセトの感覚に任せておけば敵に奇襲されるという事態はまず起きないというのがレイやエレーナにとって共通の認識だったのだが、何しろアンデッドの巣窟らしいこの地下5階ではその腐臭によってセトの嗅覚が封じられている。その為にレイやエレーナ達も食後に休憩とばかりに話をしながらも、どこか緊張した様子でいたのだが……幸い敵に襲われるようなこともなく昼食の時間を終了することが出来たのだった。
「とは言ってもなぁ……そっちの何も無い扉と向かい合わせにあるような扉なんだから、恐らくこっちに何かあるっていう期待も薄いと思うんだよねぇ」
扉の罠を調べながら呟くヴェル。だが……
「お? いや、訂正。これはもしかしてもしかするかも」
意外そうなヴェルの声が周囲へと響く。
「どうした、何かあったのか?」
「そ。どうやら最初に調べた右の部屋と違って何かがあるのは確定っぽいね。でないと罠が仕掛けられているのはおかしいし」
取っ手の部分を調べながらヴェルがエレーナの質問に答える。
その口調はいつものように軽いものだが、それでも取っ手の部分を何らかの器具を使って調べるその手順はさすがに姫将軍と呼ばれるエレーナの部隊の一員といった所だろうか。
「ここをこうして……こっちがダミーだから……よしっと。罠の解除完了! いやぁ、この部屋は結構期待出来るかも。何しろ迂闊に扉を開けたらそれに連動して部屋の中から矢が発射されるような細工がしてあったからね。そこまでして守りたい何かがあるってことだと思うよ」
「……一番最初の部屋のように、より大きい罠を隠す為のダミーじゃないといいんだがな」
ボソッと呟くキュステに苦笑を返すヴェル。
「幾ら俺でも同じ失敗を続けてはしないさ。一応この部屋の周辺もざっと調べてみたけど、特に何らかの罠が仕掛けられている様子も無いし」
「だといいがな」
魔槍を手に、いつものこととばかりに敵からの奇襲を警戒するキュステ。
そんなキュステを横目にエレーナが頷き、ヴェルが扉を開けながらも念の為にと部屋の正面から身体をずらす。
そして扉が開けられても特に何が起きる訳でもなく……
「ほらな。だから罠の解除は成功したって言っただろ?」
確かにヴェルが開けた扉からは本人が言っていたように矢が飛んでくるでもなく、あるいは何らかの他の罠が発動することもなかった。
「ならそんな風に壁に隠れないで堂々と開ければいいのに」
「おいおい、幾ら俺でも完璧に罠を見抜けるって訳じゃないんだぜ? もし俺が気が付かない罠の類があったりしたら大変じゃないか」
「はいはいそうね。で、部屋の中身はどうなってるの?」
アーラに言われて部屋の中を覗き込むヴェル。
「当たりっぽいな。何かの研究室っぽい」
「……研究室? こんなダンジョンの地下に?」
「ああ、恐らくこの階層に入ってから俺達を狙ってる奴の仕業だろうな。それが前に言ってたようにリッチかどうかは分からないが」
そんな2人の会話を聞いていたエレーナは納得したように頷き、その視線をレイへと向ける。
「レイ、ヴェルと一緒に中の捜索をしてくれ。この階層のマップが置かれている可能性もあるし、魔法関係ならお前がこの中で一番詳しいだろう」
「それは構いませんが……」
目をヴェルの方へと向ける。その視線を受けて、レイが何を言いたいのかを察したヴェルは頷く。
「ああ、普通に考えてダンジョンの中に研究所があるっていうのはおかしい。そもそも扉がここにある以上は誰でも見つけることが出来る訳で、ダンジョンに潜ってるのは俺達だけじゃない。少なくても、地下3階で出会った冒険者達はこの地下5階にアンデッドが出るのを知っていたんだからここに来たことがあるんだろうし、そもそも継承の祭壇を見つけた冒険者達は最下層の地下7階まで潜ってるというのを考えるとここを見つけていてもおかしくない。そして見つけた以上はこんなあからさまに怪しい場所を探さない訳はないんだよな」
『それはな、そこが通常のダンジョン空間の裏にある場所だからじゃよ』
ヴェルが疑問を口にした瞬間、その場にいた全員がその声を聞いた。
(……いや、声を聞いたと言うよりは頭の中に響いた? テレパシーや念話といった類か?)
声が頭の中に響いた瞬間、素早くデスサイズを構えるレイ。その隣ではエレーナもまた連接剣を引き抜き、どこから襲われても対応が出来るように武器を構えている。ヴェルやキュステ、アーラも同様だ。
『全く、儂が少し留守にしていたくらいでこんな盗人共が沸いて来るとは。落ち落ち実験も出来んわい』
頭の中に声は響くが、その声の主と思しき存在はどこにもいない。
素早く周囲を見渡すレイだが、声の主を見つけることは出来なかった。
「……出てこい」
エレーナの声が周囲に響くが、特に誰か、あるいは何かが出て来る様子は無い。
『はっはっは。出て行けば攻撃されると分かりきっているのに、わざわざ出て行くと思うかね?』
「出てこなければ、お前の研究室とやらもどうなるかは分からないが? 大事な物もあるのだろう?」
連接剣の切っ先を研究室へと向けるエレーナだが、響いてくる声は笑みすら含ませながら言葉を続ける。
『確かに大事な物もあるが、良く考えてみることじゃな。ダンジョンの中という危険な場所に本当に大事な物を置いておくと思うかね? 確かにその研究室にあるのは儂にとってはそれなりに価値のある物であるというのは認めよう。じゃが、それとてあれば便利という程度の物が大半で、何物にも代え難いという訳ではない』
「……」
その声を聞き、何かを考え込んだエレーナ。その様子を見ていたキュステが姿無き声へと向かって口を開く。
「それが事実かどうかを確かめてもいいのだぞ。こんなダンジョンに潜んでいる輩だ、どうせ碌なものではないだろう」
「待て、キュステ」
魔槍を構えようとしたキュステを止めるエレーナ。
「エレーナ様、何故ですか!」
「私は待てと言ったぞ」
「……分かりました」
不承不承ではあるが、槍を退くキュステ。それを確認してからエレーナは再び姿無き声の持ち主へと向かって口を開く。
「1つ……いや、2つ聞きたい。答えて貰えるか?」
『ふむ、そうじゃの。まぁ、盗人とは言え久方ぶりに訪れた折角の客人じゃ。戯れるのも良かろう。儂に答えられることなら答えようか』
その言葉を聞きながら周囲を見渡したレイは、その時になって初めて声が聞こえてきてからセトが動きを見せていないことに気が付いた。本来であれば好奇心が非常に強いはずのセトが、だ。
セトの姿を確認すると、まるで肉食獣の前に孤立してしまった子鹿のように小さく震えて壁の近くで縮こまっている。
(……何?)
確かにセトは生まれて……というよりも魔獣術によって産み出されてからまだ1年どころか数ヶ月程度しか経っていない。それでもランクAモンスターのグリフォンとして生まれ、多数のスキルと強力極まりないマジックアイテムを幾つも装備している今のセトはそれこそ雷神の斧のようなランクAパーティと正面から戦っても互角以上に戦える力を持っているのだ。だというのに、そのセトが怯えきっているというその姿にレイはただ唖然とするしかなかった。
(そうなると、この声の主は最低でもセトより強いということになる。……確かに敵対するのは避けるべきだが……)
このパーティのリーダーでもあるエレーナの方へと視線を向けると、エレーナもまたその視線をレイへと向けていたらしく視線と視線が絡み合う。その一瞬だけで、レイはエレーナもまたこの声の主と戦いを避けようと考えているのを理解する。何故ならエレーナの視線もまた、一瞬だけだが震えているセトへと向けられていたのだから。
そしてエレーナもまたレイがセトの様子に気が付いているのを理解したのだろう。小さく頷き口を開く。
「1つ、私達は無限ループの罠に引っ掛かってから執拗にアンデッドモンスター達に付け狙われた。それを指示したのは貴方で間違い無いか?」
『ふむ、そうだとも言えるし違うとも言えるな。奴等には不法に侵入してきた者達へ対する排除を命じてあったのでな。それが理由じゃろうて』
「それはつまり、貴方自身は私達と敵対するつもりはないと?」
『さてさて、どうしたものか。先程のそこの坊主の様子を見る限りでは儂が敵対をしないといっても通じないと思うがの。それならば最初から敵対する方を選ぶのが正解のように感じるんじゃが』
「……先程は失礼した。だが、貴方が好んで敵対するというのならともかく、私達から敵対をしたいとは思わない。私達の目的はあくまでも最下層にあるという継承の祭壇に向かうことであって、このダンジョンを攻略したいという訳ではないのだ」
『ほう。継承の祭壇とは懐かしい名前が出て来るものだな。それの意味することを分かって言っておるのかの?』
「当然だ。その為にわざわざダンジョンに潜ったのだからな」
エレーナと姿無き声との会話を聞きながら周囲を見回すレイ。
キュステは鋭い目付きで声の持ち主がどこにいるのかを探しており、アーラはエレーナの会話が終わるのをただじっと待っている。そしてヴェルは怯えているセトの方へと視線を向けた後は声の持ち主がどれだけの実力者なのか理解したのか、アーラと同様にエレーナの方へと視線を向けて会話が無事に終わるのを待っている。
『ふむ、確かにそれならば儂としてもわざわざ敵対する必要性は感じないのう。じゃが、自分で言うのもなんじゃがこうして姿も見せずに声を頭の中へと響かせるというような手段をとっている儂の言い分を信じるのかの?』
「今までの会話だけで貴方がきちんとした自我を持っているというのは理解した。意志に関しても喋っている限りでは私達に対する敵意というものは感じられない」
『若いのう……もし儂が敵意を消しているだけだとすればどうするんじゃね?』
「その時は私の人を見る目が無かったと言うだけだ」
エレーナがそう返事をした時だった。頭の中で聞こえていた声が突然笑い出す。
『クッククク。ハーハッハッハッハ。人。そうか、人か。いや、ここまで愉快な気分になったのは何時以来じゃろうな。良かろう、その礼にここで敵対することはしないと約束をしよう。それで2つめに聞きたいことというのは今のことかの?』
「いや。ダンジョンにいるモンスターというのは基本的にダンジョンの核に転移させられ、その際にある種の洗脳を受けていると聞く。なのに貴方は私達と敵対する様子も無く、こうして言葉を交わしている。……貴方はもしかして召喚されたモンスターではないのではないか?」
『うむ、いかにもその通りじゃ。このダンジョンは儂の研究に丁度いい条件を有しておるのでな。勝手にこのダンジョンに裏の空間とでも言うべき場所であるここを作って利用させて貰っておる』
「……そうですか。貴方がどういう存在なのかは今の私には理解出来ませんが、それでもこの国に敵対していないというのは助かります」
『いやいや、本当に肝の据わった娘じゃ。随分と久方ぶりに人と話したが、実に楽しませて貰った。そうじゃな、その礼という訳じゃないがこの下の階層に送ってやろうかのう』
その言葉を聞きピクリと反応するエレーナ。さすがに地図も何も無いダンジョンの、しかも疲れを知らないアンデッドが徘徊している場所を探索するのは気が進まなかったのかもしれない。
(何しろこの声の主が言ってることが事実だとしたら、俺達がこの裏の空間とやらに迷い込んだのは無限ループの場所からだしな)
無限ループに入った小部屋は地下5階に降りてからそれ程距離の離れていない場所にあったのだから、もしここを放り出されたとしたらまたこの階をほぼ最初から探索しないといけないのだ。
「それは助かるが……今更だが、貴方のことを知った私達を無事に帰してもよいのか?」
『質問は2つじゃったと思うが、まぁ、いいじゃろう。それに答えるとするのなら特に問題は無い、じゃな。お主等が元の空間に戻ったらここに入ってくる空間の出入り口を多少弄れば他の者が入ってくるのは殆ど無理に近いじゃろうしな。それにもし誰かがここに来たとしても、先にも言ったように別にここにある道具はどうしても必要な物という訳でもないしのう。それより下へと向かう階段は研究室の前に作って置いたから、それを使えば地下6階はすぐじゃよ』
相変わらず頭の中に響く声。そしてレイやエレーナ達がふと気が付くと、確かに研究室の出入り口のすぐ近くにはつい数分前までは存在していなかった筈の階段が存在していた。
「これは……」
『言ったじゃろう? 地下6階に続く階段じゃよ。あぁ、どこに出るのかということなら心配する必要は無い。通常の地下6階の出口と空間的に繋げておるからな。普通にこの階層の階段を下りたのと同じ場所に出る筈じゃ』
「……ありがとうございます、と言っておきます。では、私達はこの辺で失礼させて貰いますので」
『何、気にすることは無い。久方ぶりに儂を楽しませてくれた礼じゃよ。では、さらばじゃ』
「待って下さい! 良ければ貴方の名前を聞かせて欲しいのですが。私はミレアーナ王国のケレベル公爵家のエレーナ・ケレベルと言います」
『残念じゃが既にお主の聞きたい話には答えておる。再会する機会があったら名乗らせてもらうとしようかの』
「……そうですか、残念ですがしょうがないですね。よし、皆。行くぞ」
エレーナの指示に従い、アーラ、ヴェル、キュステが研究室から出てレイもその後に続こうとした時……再び頭の中に声が響き渡り、同時にレイとセト以外の者の動きが止まる。
『おっと。忘れる所じゃった。そこのグリフォンを連れてる者には聞きたいことがあったんじゃったな』