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0090話

「あの空間から脱出できたのか?」


 目の前にある小部屋へと視線を向けて呟くエレーナ。

 そのエレーナの言葉にレイは頷きつつも、同じように扉へと視線を向ける。


「恐らくこの小部屋その物が冒険者達を空間ループへと誘い込む為のトリガーになっているんだと思います」

「そうなると、宝箱に潜んでいた骨の犬はそれを見破られない為のダミーという訳か」


 苦々しげに扉を見ていたエレーナだったが、気分を取り直すように大きく息を吐き出すとその視線を通路の先へと向ける。


「一度引っ掛かった罠に拘っていてもしょうがない。今はとにかくこの通路を前へと進むぞ。ヴェル、今のような罠もあるから警戒を厳重にな」

「りょーかい、りょーかいっと。さすがに同じような罠に何度も引っ掛かるのはプライドに関わるから期待してくれ」


 軽い口調でエレーナに返すヴェルだったが、その目にはむざむざと罠に引っ掛かったという屈辱が浮かんでいた。

 その様子を見ながらキュステもまた同じように罠に掛かったのが屈辱だったのか、唇を噛み締める。


「ほら、ヴェルはともかくキュステはその手の訓練を受けてないんだからそんなに悔しがらなくてもいいでしょ。それよりも2人とも先に進んでるから置いていかれるよ」


 魔槍を構えたキュステの肩を軽く叩きながら先へと進み始めたエレーナとレイの後を追うアーラ。

 その様子に気が付いた2人も慌ててその後を追う。


「……正直、こんな簡単に罠に引っ掛かるとかプライド的に痛いな」

「ふん、お前にもなけなしのプライドくらいは残ってたんだな」

「おいキュステ、それちょっと酷くないか? それよりも俺はお前が何で悔しがってるのかが不思議だな」

「貴族である私がモンスター風情の罠に引っ掛かったのだから、屈辱を感じて当然だろう」


 忌々しげに吐き捨てたキュステの言葉を聞き、苦笑しながらヴェルは腰のポーチから水筒を取り出して喉を潤す。


「ほら、お前も飲め。こんな所で怒っていてもしょうがないだろう。お互いに次からは気をつけるってことで」

「……ふん」


 鼻で笑いつつもきっちりと水筒は受け取り、一口、二口と喉を潤してからヴェルへと返す。

 そんな風にやり取りをしていると、前方を進んでいたエレーナ達へと追いつき再び前衛、中衛、後衛へと隊列を組み直して周囲を警戒しながらも前へと進み始める。


「先程の罠を考えると、他にもまだ罠があると考えた方がいいだろう。各自気をつけるようにな。それとヴェルは周囲の警戒よりも罠の発見に意識を集中してくれ。周囲の警戒はセトがいるから余程のことが無い限りは安心だろう」

「グルゥ!」


 任せろとばかりに鳴くセトと、その隣にいるレイを先頭にして前へと進んで行く。

 そしてそのまま進み始めて10分程経ち……


「グルルゥ」


 セトが通路の先を見据えながら低く唸り始める。


「早速の敵か。俺達があの無限ループを突破出来るとは思ってなかったから慌てて迎撃を出した……って所か?」

「さて、その可能性は高いだろうが油断は禁物だぞ」


 ヴェルに言葉を返しながらも連接剣を構えるエレーナ。他の面々も同様に武器を構え、いつでも戦闘が可能な状態になっている。


「アーラ、キュステ。お前達2人は背後の警戒を厳にな。もしこの階層にいるアンデッド達が誰かの指示によって動かされているというのなら、前後からの挟撃を狙ってくる可能性もある」

「分かりました。後ろはお任せ下さい!」

「先程の様な無様な真似は晒しません」


 レイが背後からそんな風に答える声を聞いていると、やがて通路の先から足音が聞こえて来る。

 ベチャッ、ベチャッ、ベチャッ、ベチャッ、ベチャッ。

 水っぽい何かが床へとぶつかってくる音。それがかなりの数聞こえてきたのだ。

 そして同時に……


「グルゥ」


 どこか嫌そうな声を上げるセト。同時に常人よりも五感の鋭いレイの鼻にも腐臭の強烈な臭いが漂ってくる。


「うっ!」


 思わずデスサイズを持っていない左手で鼻を押さえるレイに不思議そうな目を向けているエレーナとヴェルだったが、それから数秒程してレイ程ではないが常人よりも五感の鋭いヴェルが呻きながら鼻を押さえ、それからエレーナもまた無言で眉を顰めて鼻を押さえる。

 やがてベチャ、ベチャッ、という足音が近付いてきて、その濡れたような足音と腐臭の正体が明らかになる。

 身体が半ば腐りかけて肋骨が露出している個体もいれば、目玉がドロリとした液体で眼窩から飛び出ている個体もいる。

 1歩踏み出す度にベチャッ、という音を立てながら腐臭を漂わせた肉や液体を地面へと零れ落としつつもレイ達へと向かって来る無数の影。それが何というモンスターなのか、レイは当然知っていた。


「ゾンビ、か」


 忌々しげに呟くレイ。身体能力や五感が鋭いだけに、腐臭の直撃を受けて既に半ば嗅覚は麻痺してしまっている。それはレイよりも尚鋭い五感を持つセトも同様で、機嫌が悪そうに喉の奥で唸りながら自分達に近付いてくる20体近いゾンビへと視線を向けている。

 そんな中、ヴェルがゾンビを見ていてとある事実に気が付き嫌そうに口を開く。


「おいおい、ゾンビ共の中に何匹か鎧を装備している奴がいるんだが……もしかしてあれって」

「……だろうな。恐らくこの階層で命を落とした冒険者達の成れの果てだろう」

「うげっ、やっぱり。……俺は嫌だぜ、あんな風になるのは」


 ヴェルの予想をエレーナが肯定し、心底嫌そうに自分達に近付いてくるゾンビへと視線を向ける。

 冒険者がダンジョンに挑んだ以上、そこで死ぬというのは当然避けたい所だろうが、ダンジョンに潜るということは死という危険性が常に付き纏う。だが、もし死んだとしてもその死体をリッチなりなんなりに玩具にされるというのはヴェルにとっては絶対に御免被りたかった。……いや、ヴェルだけではない、その場にいる全員の意見だろう。

 ゾンビに対して有効な攻撃手段は普通のアンデッドと同様に神聖魔法や火の魔法が有効だ。あるいは腐った死体に触るのを躊躇わないというのなら、その腐肉に埋まっている魔石を狙うという手段もある。

 そしてエレーナ達にとっては幸いなことに、このパーティには炎を使いこなす魔法使いとモンスターが存在していた。

 幾ら姫将軍として名高いエレーナにしても、わざわざゾンビを相手にするというのはぞっとしない出来事だったので心の底からレイとセトの存在に感謝するのだった。

 それはレイとの仲が急速に悪くなっているキュステにしても同様で、もし自分がゾンビと戦うような出来事になっていたら非常に不愉快な戦闘になっていただろうと眉を顰める。


「……ねぇ、キュステ」


 そんな最悪の未来を想像していたキュステの鎧を隣にいたアーラが軽く叩いてくる。

 コンコンという音で我に返り、アーラへと視線を向けるキュステ。


「どうした?」

「なんかさ、エレーナ様の予想通りの展開になってるような気がするんだけど……どう思う?」

「……何?」

「ほら、耳を澄ましてみてよ」


 アーラの言葉に従い、聴覚へと意識を集中させる。するとベチャッ、ベチャッ、というゾンビの歩く音が相変わらず聞こえてくる。だが、その音を良く聞き……


「ちぃっ!」


 舌打ちをしながら魔槍を構えて背後を振り向くキュステ。

 そう。聞こえて来る足音はゾンビのものなのだが、自分達に近づいて来ている目の前の存在の足音と時間差をつけて聞こえて来る足音もあるのだ。それも前からではなく、背後から。


「エレーナ様っ、予想通りに背後からも敵襲です。足音から考えて恐らくゾンビかと!」

「誰かは知らないが、盛大に私達を歓迎してくれているようだな。アーラ、キュステ、取りあえずレイとセトの手が空くまでは防御に徹して持ち堪えろ!」


 エレーナからのその命令を聞き、ベチャッ、ベチャッ、と汚らしい足音を立てながら近付いてくるゾンビを視界に入れた2人はそれぞれの武器を構える。


「斧でゾンビを攻撃すると色々と悲惨なことになりそうなんだけど……」

「それは私も同様だ」

「でも、キュステの武器は槍じゃない。間合いで考えれば絶対そっちの方が有利でしょ」

「それでも我が家に伝わるこの魔槍を、ゾンビ等というアンデッドの腐った血肉で汚さないといけないのは非常に気が進まないな」

「じゃあやっぱりレイかセトがどうにかするまで時間を稼ぐしかないね」

「……ふん」


 余程レイに頼るのが嫌なのだろう。不機嫌そうに鼻を鳴らして返事をしつつも、自分が直接戦うよりはレイ達に任せた方がいいと思ったのか特に文句を口に出さずに近付いてくるゾンビを見据え、右耳についているピアスへと触れながら魔力を込めて呪文を唱える。


『大いなる水の精霊、猛々しき5つの牙を露わにせよ』


 魔法発動体でもあるそのピアスを通じて世界が改変され、5本の水で出来た円錐状の棘が形作られる。直径10cm程度の大きさだが、実はキュステに使える中で最も強い攻撃魔法がこれだった。何しろ水の魔法を得意としてはいるが、基本的には回復魔法をメインにしてきたので攻撃魔法はそれ程得意ではないのだ。


『ウォーター・ファング!』


 魔法の発動と共に放たれた水の棘は、言葉も無く無言で歩いてくるゾンビの顔や胴体、手足といった場所へと突き刺さる。

 だがそもそもゾンビには痛覚というのは存在していない為、水の棘が着弾したその衝撃で数秒だけ足を止めるとすぐにまた前進を始める。


「駄目じゃない!」


 期待はしていなかったが、あるいは万が一という一縷の望みを持っていただけに思わず突っ込みを入れるアーラ。

 そんな中、突然キュステやアーラの上空を何かが通り過ぎて目の前へと着地する。


「グルゥ!」


 その何かは言うまでも無くグリフォンのセトだった。

 チラリとアーラが前衛の方へと視線を向けると、既にそこではゾンビらしき存在が黒焦げになって地面に倒れていた。それでもまだ数匹のゾンビが動いていたが、それらのゾンビはレイが放った火球により偽りの命を消し去られていく。


「アーラ、キュステ。前衛はセトのおかげでなんとかなった。背後から襲ってきたゾンビもセトに任せてお前達は防御に徹しろ!」

「はい!」


 アーラがエレーナに返事をし、パワー・アクスを持ったままゾンビの接近を警戒する。

 殴ろうというのだろう、無言で手を上げながら近付いてくるゾンビを相手にセトは大きく息を吸う。


「グルルルルルルゥッ!」


 そしてそのクチバシからファイアブレスが放たれ、近づいて来たゾンビが炎に包まれる。


「うわっ、ちょっ!」


 ファイアブレスを使えるといっても、あくまでもまだLv.2でしかない以上は一瞬でゾンビを黒焦げにするという訳にもいかず、身体中を炎に包まれたままアーラとキュステへ、そしてセトへと近付いてくるゾンビ。アーラとキュステの前へと立ち塞がっているセトとの距離が0になる寸前……


「グルルルルルゥッ!」


 再度ダンジョン内へと響くような雄叫びを上げながらそのクチバシからファイアブレスを解き放つ。

 さすがにLv.2だとは言っても、二度も炎に包まれてはゾンビも抵抗出来ずにその腐肉を炭化させていき、振り上げた手を振り下ろすことも出来ずにその場へと倒れ込む。

 そんな光景が2度、3度と続き、ふとアーラが気が付けば背後から襲撃してきたゾンビはその全てが燃やされて地面へと倒れ込んでいた。


「グルルルルゥ!」


 そんな焼け焦げて炭化したゾンビを前に、勝利の雄叫びを上げるセトへと前衛に襲い掛かってきたゾンビの残りをセト同様に全て片付けたレイが近付き、その頭を撫でてやる。


「よし、よく頑張ったな。セトのおかげでゾンビ共を圧倒出来たぞ」

「グルルゥ」


 褒めながらミスティリングから取り出した干し肉をセトへと与えながら、エレーナへと視線を向ける。


「エレーナ様、取りあえずここから離れましょう。何者かは知りませんが、このままここにいたらまた何らかのアンデッドが増援として送られて来る恐れがあります」

「……そうだな。確かにアンデッドに対する有効な攻撃手段を持つ者がレイとセトしかいない以上は連戦は避けるべきだろう。行くぞ、出来れば今日中に地下6階への道は見つけておきたいからな」


 エレーナの言葉に皆が頷き、そのまま隊列を整えてダンジョンの中を進んで行く。

 ちなみに黒焦げにされたゾンビは当然体内に持っている魔石も破壊されてしまっており、素材の類は何も入手することが出来なかった。

 実はレイとしてはスケルトンやゾンビの魔石で何らかのスキルを覚えられるかどうか期待もしていたのだが、かと言ってセトにそれ等を食べさせるのも気が引けたのでもし入手したとしたらデスサイズでスキル習得が出来るかどうか試していただろう。

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