0088話
「……凄いな」
背後から聞こえてきたヴェルの声に、思わず苦笑するレイ。
目の前にあるのは、地下5階に到着して最初に襲い掛かってきたスケルトン2匹の残骸とでも言うべき代物だ。
本来は真っ白であった骨が黒く焦げており、中には既に炭化して崩れ去っている部分もある。そんな状態の骨がスケルトン2匹分、ダンジョンの床へと落ちているのだ。普通に戦っての結果という訳でもなく、セトが1回ファイアブレスを吐いただけでこの結果なのだからヴェルが驚きの声を上げるのも無理はない。
そもそもスケルトンというのはランクEモンスターであり、地下4階で遭遇したウォーターモンキーや地下3階で遭遇したリザードマンといったランクDモンスターに比べるとそのモンスターランクは低い。
だが、スケルトンはアンデッドであるというその一点により他の冒険者達からは非常に嫌われていた。何しろ基本的には自我というものを持っていないモンスターであり、その為に幾らダメージを与えたとしても怯むことなく、ただひたすらに冒険者達へと襲い掛かって来るのだ。また、人骨という形状の問題から討伐証明部位も魔石であり、物理攻撃でスケルトンを倒すにはその魔石を破壊するしかない為、結果的に討伐証明部位を手に入れるのが難しいという問題もある。そして同様の理由で普通のモンスターなら手に入れることが出来る素材の類も期待出来ないというのが大きいだろう。
これがより上位のアンデッドモンスターであるスケルトンロードといったモンスターなら、魔力によって強化された骨が武器や防具の素材、あるいは錬金術を使って作り出されるマジックアイテムの素材なり特殊なポーションの材料になったりもするのだが、最下級のスケルトンではそれも無理だ。
「確かにこれならアンデッドの類を相手にするには心強いな」
エレーナはヴェルの言葉に頷きながら、セトの背を軽く撫でる。
「いい子だ。この階層はお前のファイアブレスに頼ることが多くなるからよろしく頼むぞ」
「グルゥ」
喉の奥で小さく鳴き、スケルトンの残骸とも言える焼け焦げた骨や溶けた剣、槍を通路の脇に寄せて探索を開始する。
尚、スケルトンの討伐証明部位でもある魔石に関してはファイアブレスで骨諸共に焼け焦げて消滅していた。
その作業が一段落した後は探索を再開し、通路を歩き始めてから数分程で道が左右に分かれている分岐点へと辿り着く。
「……さて、どうするべきか」
悩むエレーナ。
何しろ地図が無い以上はどちらの道に進むのが正解なのかは運任せになる部分が強い。そしてこのダンジョンへと降りてからの自分達の様子を鑑みると、とても運がいいと言えないというのは明らかなのだ。
「レイ、どっちがいいと思う?」
レイへと尋ねるその様子に、思わず眉を顰める人物がいた。後衛をアーラと共に任されているキュステだ。
(今、エレーナ様は躊躇無く奴にどうすればいいのかを尋ねた。もちろん奴が冒険者である以上それは決して間違っているとは言えないだろう。だが、今までなら間違い無くまずは最初に私達に相談し、その後で奴に話を持っていった筈だ。……やはり奴はエレーナ様に悪影響を与えるな)
ギリッと奥歯を噛み締めていると、それに気が付いたのかキュステと同様に――ただしキュステとは違い面白そうな目で――エレーナとレイを見ていたヴェルが、苦笑しながら腰に付けてあったポーチから水筒を取り出してキュステへと差し出す。
「ほら、取りあえずこれでも飲んで落ち着け。お前がレイを気に入らないと思っているのは理解しているが、ここがダンジョンである以上は冒険者であるレイに頼るのは当然だろう」
「……ふんっ、本当にそれだけならいいんだがな」
奪い取るようにヴェルの差し出した水筒で喉を潤してから、レイの方へと視線を向けて吐き捨てた。
「このままだと、継承の祭壇での儀式に妙な影響を与えかねん」
「キュステの心配ももっともだけど、それこそ人の心は自分でこうしよう、ああしようと思ってどうこう出来るものじゃないだろ?」
「ラルクス辺境伯も何であんな冒険者を寄こしたのやら。そもそもお前が変なことを言うから……」
ヴェルへと更に何か文句を言おうとしたキュステだったが、それ以上何かを喋る前にエレーナから声が掛かる。
「取りあえず右へ進むことにする。もし行き止まりだったら戻って来ることになると思うが、気を抜かないようにして進むぞ」
「分かりました」
「まぁ、どのみち地図が無いんだから勘になるよな。この臭いだと嗅覚で敵の存在を感知するというのも難しいし」
「そうだな。かといって聴覚だと私達が動いている音が邪魔をするし、視覚はダンジョンの中では見えない部分が多すぎる」
エレーナが頷き、レイの方へと……正確にはダンジョンの先へと進んでいく。
それを微かに眉を顰めながら見送っていたキュステは、持っていた水筒をヴェルへと返してその後を付いていくのだった。
尚、アーラに関してはレイから借りたパワー・アクスを十分に使いこなせてないという自覚があるのか、休憩している間も軽く素振り等をして身体に馴染ませるように訓練を続けている。
そんなアーラの様子を、苦笑しながら眺めるヴェル。
ヴェルにしてみれば上の階であれだけの戦闘を繰り広げた後だというのに、もう体力が回復してきているアーラに対して色々と思う所があったのだろう。
「アーラ、体力が無くて上でへばってた割には復活するのが早いね」
パワー・アクスを手に、エレーナから指示されたように後ろからの奇襲を警戒しているアーラの方を振り向きながら声を掛けるヴェル。
そんなヴェルからの問いかけに、苦笑を浮かべながらもパワー・アクスを手に言葉を返す。
「そうね、私もそう思うけど……どうやら、このパワー・アクスとかいう武器は体力の消耗を抑えてくれる効果があるみたいなのよ。今まで使っていた長剣と比べても扱い易いし……まさに私の為にあるような武器ね。それよりもヴェルもきちんと周囲の警戒をしなさいよ。エレーナ様が罠に掛かったら承知しないわよ」
「へいへいっと」
アーラの持つパワー・アクスへと一瞬視線を向け、すぐに視線を前方へと向ける。
罠の兆候を見つけたらすぐにでも反応出来るように、いつもの軽い様子ではなく鋭い視線をダンジョンの通路へと向けている。
そんなヴェルの態度に満足しながらも、アーラはパワー・アクスの柄を撫でながら周囲を警戒していた。何しろ先程現れたスケルトンやゾンビの類は実体を持っているので近付けば分かるのだが、ゴーストの類は不意に壁をすり抜けて現れることもあるので油断が出来ないのだ。
(それにしても、本当にレイ殿から借りたこのパワー・アクスを使うようになってから体力に余裕が出て来たわね。やっぱりこれがマジックアイテムとしての効果なのかしら?)
アーラにはしっかりと理解出来なかったが、パワー・アクスは使用者に対して常時回復効果を与えるという能力を持っている。もちろんその効果はセトの首に掛かっている慈愛の雫石に比べると圧倒的に低く、回復量的にも本当に微々たる物でしかない。だが、それでも元々の体力がキュステやヴェル、あるいはエレーナよりも低いアーラにとっては十分以上に助かるものだったのである。
通路の分かれ道を右へと進んでから20分程。不意にレイの目に壁に設置された扉が目に入ってきた。
「さすがダンジョン、部屋とかもある訳か」
「グルルゥ」
入るの? とばかりに小首を傾げて尋ねてくるセトの頭を撫でながら背後へと声を掛ける。
「エレーナ様、前方に扉がありますけどどうします?」
「……扉、か。地下5階に下りてきたばかりですぐに地下6階への階段は無いと思うが……それでも万が一という可能性があるからな。ヴェル、罠があるかどうかを調べろ」
「りょーかいっと。ちょっとゴメンね」
ヴェルがレイとセトの隙間から顔を出すようにして取っ手を調べ始め、それを邪魔しないようにレイとセトは一歩後退してアンデッドの接近を警戒する。
「うーん、なるほど。お、ここはこうして……うわっ、これもダミーか。となるとこっちか?」
何やら楽しそうに呟きながら取っ手を調べているヴェルだったが、やがて数分後……カチッという音が周囲へと響く。
「ふぅ、何とか罠の解除に成功っと。結構えげつない罠が仕掛けてあったよ。この取っ手を引くと針が飛び出すって奴。しかもほら、あからさまに毒が仕込まれてる」
自慢そうに見せるその針は、長さ5cm程度の短さだったが確かにヴェルの言う通り毒と思われる液体に濡れていた。
(毒針……か。何かに使おうと思えば使えるか?)
内心で考えたレイはその毒針を捨てようとしているヴェルへと声を掛ける。
「ヴェル、その毒針そのまま捨てるんなら俺に貰えないか?」
「……いや、別にそれは構わないけど。こんな物騒なの何に使うのさ」
「まだ分からないが、幸い俺にはアイテムボックスがあるからな。この類の物を持ってて間違って自分や他人を刺すなんてことはないから安心しろ」
レイの言葉に数秒間考えてからエレーナへと視線を向けるヴェルだったが、エレーナも特に問題は無いだろうと小さく頷く。
「分かったよ、ほら。……けど、どういう毒かは俺も知らないから、扱いには気をつけてくれよ」
「問題無いって言っただろ」
そう言いながら渡された毒針をミスティリングの中へと収納を完了するレイ。
「よし、じゃあ扉を開けるぞ」
毒針の件も一段落し、いよいよヴェルが扉へと手を掛ける。ギギッという音と共に扉が開き、中の様子が見えてくる。
部屋の中はそれ程大きい訳では無く6畳程度の広さと言ってもいいだろう。その割りに広いような印象を受けるのは、部屋の中央にポツンと宝箱らしき物が置かれているだけだからか。全員が小部屋の中へと入り、その宝箱の近くまで移動する。
「……怪しいな」
思わず呟いたのはヴェルだった。その目には部屋の中に置かれている宝箱があからさまに罠だと映っていた。
「え? そう? ダンジョンなんだし宝箱とかあってもおかしくないんじゃない?」
「いや、そもそもアンデッドが徘徊するこの地下5階で誰が宝箱を使うのさ」
「……自我のあるアンデッドとか?」
「そりゃまぁ、そういうのがいないとは限らないけど……でも、それにしたってわざわざ部屋のど真ん中にポツンと置いておくと思うか? アーラならどうだ? 自分の大事な物を隠しもせずに部屋の真ん中に堂々と宝箱を放り出しておかないだろ?」
ヴェルの指摘に数秒考え……すぐに頷く。
「そりゃそうね。幾ら何でもそんな不用心な真似はしないわよ」
「だろう? つまりあの宝箱も不自然極まりない訳だ」
「つまり罠ってこと?」
「恐らくな。……エレーナ様、どうします? 俺としてはこのまま放っておきたいんですが」
「だろうな。当然の如く階段の類もないし、無理に危険を冒す必要は……退けっ!」
その声を聞いた瞬間、全員が反射的に後方へと跳んだのはさすがにエレーナ直属の騎士と言うべきだろう。また、レイとセトも同様に後方へと跳んでいる。
そして何かが自分に迫っているということに気が付き、反射的にデスサイズを振るうレイ。ただし迫ってきた何かの位置が左側だった為に、振るわれたのは刃の部分ではなく柄の部分だった。
ガッという鈍い音を立てながら吹き飛ぶ何か。念の為に距離を取ってそちらへと視線を向けると、そこにいたのは骨で出来た犬のような存在だった。
「……」
スケルトン特有の無言のまま、悲鳴すら上げずに吹き飛ばされはしたものの、殆ど接触した状態からの一撃であった為に一撃で仕留めるという訳にはいかなかったのだろう。骨で構成された犬は吹き飛ばされた勢いそのものを利用して距離を取り、壁へと足を付き衝撃を殺して床へと着地する。
「ほらやっぱり罠だった!」
「言ってる場合か! ヴェルも早く武器を構えろ! こいつ、小さい割には結構やるぞ!」
振り切ったデスサイズを改めて構え直したレイの言葉に、ヴェルもまた腰からナイフを取り出す。
さすがに今の素早い動きや間合いが近い状態では弓矢よりもナイフの方が有利だと判断したのだろう。
だが、それらよりも素早く動いたものがいた。
「グルルルゥッ!」
高く鳴き、床を蹴って骨犬に動く暇すら与えずに間合いを詰めたのはセト。
そのまま大きく前足を振りかぶり、骨犬の頭上から地面へと叩き付ける。
グリフォン特有の力に、マジックアイテムでもある剛力の腕輪の効果が合わさった一撃は、骨犬に抵抗すらさせることなくその身体を構成している骨のほぼ全てを文字通りに砕き散らすのだった。