0082話
ダンジョンの中だというのに、森の中で朝日を浴びるという不思議な体験をしながらも目の前に倒れているオーガの死体を眺めるレイ。
切断された右肩や首からはまだ血が吹き出しており、すぐにミスティリングへと収納すると自分も血だらけになりそうなので取りあえず吹き出ている血が収まるまではこのまま待つことにしたのだ。
「さすがに朝方からの運動は疲れるな。セト、あの血が流れ終わるまではちょっと休憩にするか」
「グルゥ」
レイの言葉に頷き、血の届かない少し離れた所で草の生えている地面へと寝転がるセト。
そしてレイはそんなセトの獅子の胴体へと体重を預けて一息吐く。
「ほら」
ミスティリングから取り出した梨のような果物をそのままセトへと差し出すと嬉しそうに喉を鳴らしながらその実を咥える。
その様子に笑みを浮かべつつ自分の分も取り出して噛ぶりつくのだった。
そんなリラックスをしている状態でもセトの五感は常に働いており、不意に森の方へとその視線を向ける。一瞬新しい敵かと警戒して地面へと置いたデスサイズへと手を伸ばしたレイだったが、セトの視線の先にあるのはつい先程まで自分達が夜営をしていた場所だと理解するとすぐにデスサイズから手を離す。
セトもまた同様だったのだろう、じっと見つめていた視線を外す。そしてやがてその方向からは草を踏みしだく音や会話が聞こえてきた。
「ヴェル、こっちでいいんだな?」
「はいはい。この大量の血の臭いからして間違いないでしょ」
「血の臭い、か。ふんっ、奴等が死んでる可能性もある訳だ」
「ちょっと、キュステ。言い過ぎよ」
「だねぇ。そもそもあのレイとセトだよ? それこそドラゴンとかとやり合ったってんならまだしも、こんな所にいるモンスターにやられるとは思えないけどなぁ」
「……ふんっ!」
「キュステ、お前もレイの実力は十分理解している筈だな? いい加減その見下す態度を直せ。レイは気にしていないみたいだが、側で見ていて気持ちのいいものではないぞ」
「ですがエレーナ様!」
そんな風に言葉を交わしながら茂みの中から現れたのは、予想通りエレーナ達だった。
「うわっ、ちょっ。見てみなよあれ。こりゃ確かに血の臭いが濃く漂ってる筈だよ」
地面へと倒れ伏して未だに首と右肩から血を流し続けているオーガを見て驚きと呆れの混ざったような声を漏らすヴェル。
その隣では、アーラやキュステもまた目の前に広がっている光景に驚きの色を隠せないでいた。
そんな中、エレーナだけがその光景を冷静に眺め、少し離れた場所で身体を休めているレイとセトを発見する。
「レイ、セト。無事で何よりだ。いきなり飛び出したと聞いて驚いたが、怪我らしい怪我もしてないようだな」
声を掛けられ、他の3人も地面に寝転がっているセトとそのセトに体重を預けているレイの姿に気が付いた。
4人に視線を向けられ、苦笑を浮かべながらレイが立ち上がってエレーナ達へと近付いていく。
「お前達が感じた敵というのは、このオーガだったのか」
「はい、何しろこの巨体ですからね。歩くだけでも相当音が響いてましたし、同様に軽く揺れたのですぐに分かりましたよ。それでこのままだとあの野営地が戦場になる可能性があったので打って出ました」
「……そうだな。多少言いたいことはあるが、お前の判断は概ね間違っていないだろう。実際にお前とセトの1人と1匹で特に傷を負うこともなく倒したのだからな」
そこまで言い、ようやく血の勢いが少なくなって来たオーガへと視線を向けるエレーナ。
「それで、今は血抜きでもしていたのか?」
「まぁ、そんな所です。アイテムボックスに収納してしまえば時間が流れないから本来なら必要無いんですが……何しろ倒す時に首と右腕を斬ってしまったのでしょうがなく、という感じですね。血が流れている状態のままでアイテムボックスに収納すると俺まで血が掛かりそうだったので」
「なるほど。まぁ、怪我が無いなら何よりだ。だが、まさかこれ程の大きさのオーガが出て来るとはさすがダンジョンと言うべきか」
エレーナのその言葉に不思議そうな視線を向けるレイ。
何しろオーガと出会ったのはこれが初めてなだけに平均的な大きさというのは分からないのだ。
「そんなに大きいんですか?」
「ああ。私が以前見た個体よりも1回り……いや、2回り以上は大きいな」
「となると、もしかして希少種とかでしょうか?」
「いや、見た所では普通のオーガに見える。ただ単純に他の個体よりも大きく成長したんだろう。ほら、それよりも血が止まったぞ。さっさと収納して来い。これからこの地下4階を探索して地下5階に向かう階段を見つけなければならないんだから、さっさと朝食を食べて探索を再開するとしよう。今日もまた1日忙しくなると思うからよろしく頼むぞ」
エレーナにしてみれば起きてからまだ20分と経っていないだろうに、寝ぼけたような様子や寝癖の類は一切見せずに笑みを浮かべながらレイの肩を軽く叩いてくる。
その気安い様子は、とてもではないが公爵令嬢と言えるようなものではないが、その代わり姫将軍としてなら十分な態度のようにレイには思えた。
「レイ、エレーナ様の言う通りに血も殆どが流れきったらしいからそろそろ収納した方がいいんじゃないか? この血の臭いを嗅いで他のモンスターが来ないとも限らないし」
「そうだな、後はこれを回収してから朝食を取って階段探しと行くか」
ヴェルの言葉に頷きながらオーガの斬り飛ばされた右腕と頭部を収納し、その巨体も同時に収納する。
身長5mを越える巨体があっさりとミスティリングの中へと消え去ると、周囲が急に広くなったように感じる一同だった。
「ではそろそろ野営地まで戻るとしようか。ちょっと早いがレイの言ったように朝食を取るとしよう」
エレーナの言葉に頷き、その場を後にして野営地へと向かって歩き出す。
「お、まだ火種が残ってるな。ラッキー」
野営地へと辿り着くと、ヴェルがそう言いながら薪として用意してあった枯れ木を焚き火の中へと放り込んでいく。
その薪が燃えて火の勢いが増すのを見ながら、エレーナはレイの方へと視線を向ける。
「レイ、朝食を頼む」
「はい」
頷き、ホットドッグに似た総菜パンを人数分取り出し、同時に昨日も食べたシチューの入った巨大な鍋を取り出す。
「グルルゥ」
その匂いに釣られたのだろう。セトもまた、喉を鳴らしながらレイへと頭を擦りつけてくる。
「ああ、分かってる。お前の分は別に用意してあるから安心しろ」
雷神の斧のメンバーであるエルクと共に食べやすい大きさに処理をしたオーク肉の固まりをミスティリングから取り出し、数本の枝で刺して倒れないようにして焚き火で焼き始める。
尚、食べやすい大きさというのはセトに取って食べやすい大きさということであり、レイ達にしてみれば一塊はある大きさだったりする。
「では、セトには悪いが私達は一足先に頂くとしよう」
エレーナがそう言い、ホットドッグとシチューで簡単な……しかし、ダンジョンに潜っている状態としては豪華極まりない朝食の時間となる。
レイもまたホットドッグやシチューを摘みながら、同じくミスティリングから取り出したタレを丁度いい具合に焼けてきたオーク肉の表面へと塗り、再度火で炙って香りを出してからその肉を巨大な葉っぱの上に置く。
「グルルゥ!」
待ちきれないとばかりに早速肉へと噛ぶりつくセト。
タレが火で焦げる香ばしい匂いが周囲へと広がり、その匂いはレイ達の食欲を否応なく促進していた。
チラリ、チラリとセトの食べている肉を見ていたアーラだったが、やがて我慢が出来なくなったのだろう。レイへと声を掛ける。
「レ、レイ殿。良ければ私もその肉を食べてみたいのですが……」
「アーラも? じゃあついでに俺の分もお願い出来るか?」
「ふむ。なら私も貰おうか」
アーラだけではなく、ヴェルやエレーナまでに頼まれてはさすがに断ることも出来ずに自分用……というよりも、人間が食べるサイズに切り分けられたオーク肉をその辺に生えている木の枝に突き刺し、タレを塗ってから焚き火で焼き上げる。
「うおっ、いい匂いだ。うちとかじゃ絶対に食べられないタイプの料理だな」
「そりゃあ貴族の食卓に出るような料理のように上等な物じゃないからな」
ヴェルの言葉に苦笑しつつ、一口サイズなだけにすぐに焼き上がった串焼きをそれぞれに手渡す。
「キュステ、お前はどうするんだ? 食うなら分けても構わないが」
食欲を掻き立てる匂いをしている串焼きを手に、チラリとキュステの方を見るレイ。
「いらん」
だがキュステは一言でそれを断り、まだ半分以上も残っていたホットドッグを口の中へと強引に詰め込み、シチューで流し込んで自分の荷物が置かれている木の洞へと入っていくのだった。
「全く……すまんな、レイ。折角気を使ってくれたのに」
オークの肉を美味そうに食べながら謝罪してくるエレーナに、苦笑を浮かべて首を振る。
「もう慣れましたよ。ただ、エレーナ様がオークの肉を食べると言ったのに文句を言わなかったのはちょっと意外でしたね」
「あ、そう言えば確かに。いつものキュステなら公爵令嬢ともあろう方が云々とか言いそうだよな」
「ヴェルの言いたいことも分かるが、今までのことを思い出せ。戦場では補給不足の為にモンスターの肉を食べていたこともあっただろう」
その言葉に頷いたのはヴェルではなくアーラだった。こちらもまたオーク肉の串焼きを味わいながらも頷く。
「そうですね。補給部隊をベスティア帝国に襲われたことがありましたよね。……もっとも、あの時に食べたのはこのオーク程美味しくなかったと思いますが」
「基本的にモンスターの肉は魔力を多く含んでいる物程美味くなるからな。ランクDのオーク肉よりも不味いと感じたならランクの低いモンスターの肉だったんだろうさ。……まぁ、ランクの低いモンスターでもポイズントードの足肉のように美味い肉はあるんだが」
「レイの言う通りだな。確かあの時に食べた肉はランクFかG程度のモンスターだった筈だ」
そんな風に会話をしながらもオークの串焼きはすぐになくなる。そもそも味見程度の量しか出さなかった為、それ程の量がある訳でもなかったのだ。
その横ではセトが2つめのブロック肉を食い終わり満足そうに喉を鳴らしている。
全員の空腹が収まり、周囲にはどこかほんわかとした雰囲気が広がっていた。レイがミスティリングから出した鍋に湯を沸かして簡単なお茶を淹れて食後の一時を楽しむ。
「……さて。食事も済んだことだしそろそろ今日の探索を開始しようか。出来れば今日中にはこの階層を抜けて地下5階には行きたいものだが」
「確か上の階で会った冒険者達によると地下5階にはアンデッドがいるとか」
「本来であれば私達の中にアンデッドの弱点となる炎の魔法を使える者はいないが、今はお前がいるだろう?」
エレーナのその言葉に苦笑を浮かべつつも小さく頷く。
「うちのパーティは火の魔法を使える面子がいないのが弱点だよなぁ。俺だってある程度は魔法が使えるのに」
「ヴェルが? ……あぁ、そう言えば確かに領主の館で……」
レイの言葉に、コップに淹れられたお茶を一口飲み苦笑を浮かべるヴェル。
「まぁ、使えるとは言っても本当に初歩的な物なんだけどね。この部隊の裏方を務める上で必要だったから覚えたんだし。基本的にはトラップの解除とかそういうのに使う感じかな」
「でも魔法使えるんだからいいじゃない。この部隊の中で唯一魔法を使えない私とか微妙に肩身が狭いんだけど」
こちらもお茶を飲みながら不服そうに口に出すアーラ。
「……レイ殿、正直このお茶はいまいちです」
訂正。どうやらお茶が美味くないのが不服だったらしい。
エレーナのメイド的な役割も果たすアーラにしてみれば手順も無視して適当に淹れたレイのお茶には不満なのだろう。
とは言ってもエレーナ自身は戦場での飲み食いにも慣れているので、特に文句も言わずに飲んでいるのだが。
「それと問題は昨日襲ってきたウォーターモンキーの群れだろうな。昨日の一件で諦めてくれてればいいんだが……」
エレーナの視線が少し離れた場所へと向く。
そこには夜営中に襲い掛かってきたモンスターの死骸が折り重なって小さな山を作っている場所だ。
一番多いのはゴブリンだが、トカゲや巨大蝙蝠、ソルジャーアント、ホーンラビットといった物の他にもたった今口に出したウォーターモンキーも数匹混ざっている。
「恐らく夜に襲ってきたのはあの群れの偵察隊か何かだと思います。私も1匹斬り伏せましたが……」
「アーラの言う通りだろう。そうなるとあの群れは私達を諦めてはいないと見るべきだな。そして偵察に出された個体が夜営中の私達を隙有りと見て襲い掛かってきたという所か」
「あの群れを率いてるボス、ウォーターモンキーにしてはかなりでかかったからねぇ。それこそ希少種か何かかも」
ヴェルの言葉に頷き、最後の一口のお茶を飲み干したエレーナは立ち上げる。
「よし、そろそろ出発の準備に入ろう。食器を洗う者は水辺のモンスターには気をつけろよ」
エレーナの指示に従い、それぞれが探索の準備を始めていよいよダンジョン2日目が始まるのだった。