0068話
「エレーナ様、紅茶です」
アーラがソファに座って本を読んでいるエレーナの前にあるテーブルへと紅茶を置く。
「うむ」
本のページを捲りつつ紅茶を口に運ぶエレーナ。
その様子を見ながら、レイは馬車の中へと視線を向ける。
揺れすらも殆ど無く、普通にどこかの部屋にいるという感じなのだが現在この馬車は間違い無くダンジョンへと向かって進んでいるのだ。
「さすが貴族と言うべきか」
思わず呟いたその言葉に、エレーナの近くにあるソファでこちらも何かの本を読んでいたキュステがチラリと視線を送ってくるが、特に何を言うでもなく再び本へと戻る。
ギルムの街から馬車で移動を始めた当初はレイに対してあからさまに見下した視線を向けていたのだが、それをエレーナに注意されて以降は関わるのもごめんだとばかりにレイの存在を空気のように扱うことにしたらしい。
尚、現在馬車の中にいないヴェルはと言えば御者台で馬車を操縦している。
この辺は元からそういう分担なのか、特に何を言うでもなく出発前に自然と別れていたのだ。護衛としての自分は御者台で警戒しなくてもいいのかと尋ねたのだが、エレーナによるとこの馬車の効果の1つに敵意を感知するとそれを馬車内部にいる者達に知らせるという効果もあると聞かされて納得した。
そういう機能があるならということでレイは大人しく馬車の中に入り、同時に馬車の横をセトが歩いているのだからいざという時にはセトの鳴き声で襲撃を知ることも出来るだろうと判断する。
あるいはどこかのモンスターや盗賊が襲撃して来たとしてもモンスターが相手ならその肉がセトの食事になるだけだし、盗賊ならその骸を野に晒すだけになるだろう。
「どうした、レイ。あまり居心地が良さそうではないが」
どこか所在なさそうにしているレイへとエレーナが声を掛けてくるが、このような豪華な馬車に乗ったことのないレイにしてみれば落ち着かないのは当然だった。
「こういう立派な馬車に乗るのは初めてなので、どうにも緊張してしまって」
「ふむ、そういうものか。だがここからダンジョンまで2日程は掛かるのだ。そのうち慣れるだろうから今は気分を楽にして旅路を楽しむといい。……もし何なら、私の持っている本か何かを貸すが?」
「いえ、一応本の類は俺も持ってますので」
その一言に感心したように頷くエレーナ。この世界での書物というのは基本的に写本であるものが殆どであり、それ故に1冊辺りの値段も相応の額となる。安い物でも銀貨数枚。稀少な物だと白金貨数枚というものもあるのだ。
「何しろ師匠の所で習っていたのは基本的に魔法を含む戦闘技術といったものでしたので、冒険者としてやっていく為には倒したモンスターの素材を剥ぎ取る方法やモンスターの特徴も自分で調べないといけませんでしたから」
「冒険者というのはそういうのが一般的なのか? 騎士団では上の者が下の者へと色々と指導するのが普通だが。アーラ、お前はどうだった?」
馬車の一件から多少ではあるがレイへの態度を軟化させ始めたアーラへと尋ねるエレーナ。
アーラにしても前日に殺され掛けた記憶はまだ強く残ってはいるのだが、一晩経ってあれが自分の勇み足であったというのをきちんと納得したというのもあってレイに対する態度はキュステ程に頑なではなくなっていた。
(そういう意味で問題なのはキュステとヴェルだろうな。特にキュステは貴族としてのプライドが高く、貴族以外の者を見下す傾向にある。……このレイという男との旅でその辺が解消すればいいのだが)
エレーナはそう思いつつ、本を読む振りをしながら自分へと……正確にはレイが自分へと危害を加えないかどうかを伺っているキュステの方へと視線を向ける。
エレーナにとってキュステという存在は、その貴族特有のプライドの高ささえ無ければ非常に頼りになる部下なのだ。魔槍を操る腕に関してはケレベル公爵が擁する騎士団の中でも上位に位置するし、何よりも自らが貴族であるという矜持とエレーナ自身を慕ってくれている為に裏切りの心配がないので安心して戦場を共に出来るのだ。
そんな風に考えている間に、アーラは自分が騎士団に入団した時の経験を話し出す。
「そうですね。確かに私がケレベル公爵の騎士団に入団した当初は先輩達から色々と教わりました。例えば訓練で使う武具の置き場所とか戦闘に関するアドバイスとか……それこそ、その先輩達から教えて貰わないと訓練に付いていくのは無理だったでしょうね」
「そうだろうな。私の騎士団はこんな具合なのだが、冒険者は違うのか?」
エレーナの言葉に、ギルドに登録した時のことを思い出すレイ。
もし自分に絡んできた鷹の爪の面々と上手い具合にやり取りを出来ていたら、アーラの言っていたようになっていたかもしれないとは思った。だが。
「その機会が無かったとは言いませんが、何しろつい数ヶ月前までは魔法の師匠とセトだけしかいない場所で育って来たのでどうしても人付き合いが苦手なんですよ」
「そうか? こうして私とやり取りをしているのを見てもそういう風には感じられんが」
「人と合う、合わないというのが結構ありますから。エレーナ様とはそうでもないですが……」
一瞬だけキュステの方へと視線を向けるレイ。
それを見たエレーナとアーラも納得したという風に頷く。
「まぁ、そういう訳でギルドの最初が最初だったので結局は独学で学んで覚えていくしか無かった訳です。……もっとも、その後はエレーナ様もご存じの雷神の斧の面々と交流を持ったりしてそれなりに冒険の知識を得られましたが」
「そう、それだ。レイ、お前がエルクと出会ったのはオークの集落に対する討伐隊の時だったと聞いたが?」
興が乗ってきたのか、読んでいた本を閉じて紅茶を一口飲むエレーナ。
あるいは馬車の中で上手く馴染めないレイに対して気を使ってるというのもあるのだろう。
自らが心酔する上司のそんな気遣いに気が付いたアーラは、多少の嫉妬を覚えながらもオークの集落に対する討伐隊というヴェルが聞いてきた噂話に興味もあり大人しく話を聞く態勢を取っている。
「そうですね、間違いではないですよ。実際、あのオークの集落を討伐するという依頼はエルクがいないと失敗していた可能性が非常に高いですし」
「む? レイがオークキングを倒したと聞いたぞ?」
「確かにオークキングを仕留めたのは俺です。他にも灼熱の風というランクCパーティもいましたが。ですが、そもそもオークキングが集落から逃げ出さないといけない程にまで追い詰めたのはエルク……と言うか、雷神の斧の活躍あってこそです」
「続けてくれ」
「そもそもオークの集落に対する夜襲で一番目立つような場所へ配置されたのが雷神の斧です。で、派手にオーク達を倒して集落にいたオーク達を引きつけていたんですが……さすがランクAパーティと言うべきか、集まってきたオークの殆どを相手にして一歩も引かずに渡り合っていたんですよ。それで集落中のオークがエルク達に向かって、それでも倒せない。最終的にオークキングは勝ち目が無いと判断したのか側近と思われる極少数の部下と共に集落を抜け出そうとしている所を、セトに乗って集落の上空にいた俺が発見して近くにいた灼熱の風と協力して倒したって流れですね」
「……なるほど。その話を聞けば確かにエルクがいなければ無理だったように聞こえるが……果たしてそれは本当に無理だったのか?」
ゾクリ。
何気なく言われたエレーナのその一言に、レイの背筋に冷たい氷が差し入れられたかのように悪寒が走る。
そう、実際レイが手段を問わずにオークの集落を1人で……否、セトと共に1人と1匹でどうにか出来なかったかと言われればそれは出来たのだ。ただし、その場合はレイの持つ魔力を最大限にまで使って集落ごと全てを焼き払うという方法ではあるのだが。
「昨日のアーラとの一件。お前が振るったあの大鎌を私が弾いたが、あの一撃の重さ。そしてお前自身から感じられるその魔力。それを思えば……いや、よそう。ここでそんなことを言ってもどうにもならないな。そうだろう?」
エレーナのその言葉に、動揺を押し殺して表面上はいつものように首を傾げるレイ。
「さて、何の話をしているのか俺にはちょっと分かりませんね」
だが、そんなレイの顔を見てエレーナが浮かべたのは苦笑だった。
「私も腹芸に長けてる訳でもないが、お前はそんな私よりも腹芸には向いてないな。……まぁ、いい。その代わりと言ってはなんだが、今日の野営の時に私と多少手合わせをして貰おうか。……構わないな?」
「別に俺が手合わせをする必要はないと思いますが」
「何を言う。これから共にダンジョンに挑むのだぞ? お互いの実力を知っておいて損はない。……と言うか、それくらいは必要最低限やっておくべきだろう」
「俺の実力ならキュステが十分知ってますよ。アーラも同様でしょう」
引き合いに出されたキュステは忌々し気な目をレイへと向ける。そしてアーラは苦笑を浮かべつつ敬愛する上司であるエレーナを眺める。
「レイ殿、こうなったエレーナ様は止められませんので諦めて下さい」
アーラに出来るのは、そうやって諦めるように忠告するだけだった。
その言葉に、どうやっても模擬戦の相手をすることになると判断したのだろう。レイは溜息を吐いて頷く。
「分かりました。確かにこれから共にダンジョンに挑むというのにお互いの実力を知らないというのは上手くないですからね。引き受けさせて貰います」
「そうか、それは助かる。さて、では夜の楽しみも出来たことだし後は時間が過ぎるのを待つとするか。レイ、お前も夜に向けて体調を整えておくようにな」
「……はい」
そう答えた時だった。突然馬車の中へと笛の音のような音が響く。
「これは?」
不思議そうに呟いたレイの言葉に答えたのは真面目な表情をして剣を腰の鞘から抜いているアーラだった。
「レイ殿、これはこの馬車に付与されている効果の1つであるこの馬車に向けて危害を加えようとしている者を感知した音です」
「つまりは襲撃か?」
「恐らく。敵がモンスターかどうかは分かりま……せん……が?」
言葉が途切れたのは、馬車の中で鳴っていた笛の音が唐突に途絶えたからだ。
「えっと、……あれ?」
笛の音が突然途絶えたことに困惑するアーラ。それを見ていたキュステは壁の窓から御者台へと声を掛ける。
「ヴェル、何が起こった?」
「あー、それがさぁ。アイアンスネークが襲ってきたんだが……」
「何!?」
ヴェルの言葉に咄嗟に魔槍を取りに戻ろうとするキュステ。だが、ヴェルがそれを止める。
「いや、大丈夫大丈夫。ほら、見えるか?」
ヴェルの視線の先を追うと、そこではグリフォンであるセトが自分の倍程の長さはあろうという巨大な蛇の頭部を鋭い鷲爪で叩き潰していた。
アイアンスネークの頭部が破裂した為に、周辺には頭部の中身や頭蓋骨が砕け散っている。
「アイアンスネークをあっさりと倒すか。……さすがグリフォンというべきか」
アイアンスネーク。ランク自体はEと低いモンスターだが、それは高い防御力とは裏腹に低い攻撃力故のランクだ。
その身体は名前通りに鉄の如き鱗で覆われており、低ランク冒険者では例え武器で攻撃しても文字通りに刃が立たない程の防御力を持っている。あるいはハンマーや棍棒、斧のような破壊力重視の武器なら内部に衝撃を通せる為にある程度対抗は出来るのだが。
そしてその高い防御力とは裏腹に攻撃方法は締め付け、噛みつき、尾を使った打撃という通常の蛇と変わらないものしかない。また、牙にも毒は無いので攻撃力自体はそれ程恐れるべきモンスターではない。ただひたすらに頑丈な防御力と無尽蔵な体力。それらが合わさった結果、強くはないが厄介なモンスターという認識になっている。
だが、そんなモンスターもグリフォンであるセトの一撃――力を上げるマジックアイテムである剛力の腕輪付き――には耐えきれずにあっさりとその命を散らしたのだった。
「グルルルゥ!」
そしてキュステが開けた扉から聞こえて来るセトの声。
その声が何を期待しているのかを感じ取ったレイは苦笑を浮かべながらエレーナへと声を掛ける。
「エレーナ様、セトの用事でちょっと馬車から降りたいのですが構いませんか?」
「うん? 何だ、急に。アイアンスネークが出たのだろう?」
連接剣の収まっている鞘を腰に差しながら尋ねてくるエレーナ。
「どうやらそのアイアンスネークをセトが倒したらしいですが、その保管をして欲しいとセトが鳴いてるので」
「保管?」
「セトの今日の夕食ですね」
「……あぁ、なるほど。そうか。セトも生きてるのだから当然食べ物は必要になるか。それがアイアンスネークなのか?」
「そうです。一応セト用の食事はアイテムボックスの中に色々と入ってはいますけど、食べる量が量なので現地調達出来ればそれに越したことはないんですよ」
「ふむ、まぁいいだろう。キュステ」
「分かりました」
エレーナの声に、キュステが御者席にいるヴェルへと声を掛けてゆっくりと馬車は止まる。
それを確認してからレイは馬車から降りる。
「グルゥ」
褒めて、とばかりに頭を差し出してくるセトの頭を一通り撫でてから頭部の無いアイアンスネークをアイテムボックスの内部へと収納する。
「へぇ、便利なもんだね」
その様子を見ていたヴェルの感心したような声。セトへとご褒美に干し肉を与えながらヴェルの方へと視線を向ける。
「まぁな。ソロで冒険者をやるのには十分以上に役立ってくれてるよ。……と、悪い。すぐに出発した方がいいな」
「確かにね。……君も、キュステの相手はしんどいかもしれないけどなるべく仲良くしてやってくれないかな? ああいう性格だから友達少ないんだよ」
「まぁ、相手次第だな」
突然話し掛けてきたヴェルにそう返し、馬車の中へと戻っていく。
(俺を嫌ってると思ってたんだが……そうでもないのか?)
そんな疑問を心の中に残しながら。