0065話
「エレーナ様、どうかしましたか?」
エレーナの後から馬車から降りたアーラが、馬車から降りてから動きを止めてどこか一点を見つめているのに気が付きそう声を掛ける。
だが、エレーナはそれに答えずただじっとレイと眼を合わせていた。
「エレーナ様? どうしましたかエレーナ様!?」
いつもは声を掛けるとすぐに反応があるエレーナが、声を掛けても何一つ反応しない。それがどれだけ異常なことなのかというのは、ここ数年エレーナの護衛兼世話役として常に側に仕えてきたアーラにとっては明らかだった。
そしてアーラは殆ど反射的と言ってもいい動きでエレーナの視線の先を追う。
そこにいたのはローブを身に纏った1人の青年……いや。自分と比べて数歳程年下の少年とでも言うべき存在だった。
だがエレーナに心酔しているアーラにとっては相手が少年だろうと青年だろうと、あるいはどこぞの貴族であろうと関係は無い。ただ自分の敬愛するエレーナに何らかの危害を加えたと判断すると殆ど反射的に腰から剣を抜いて地を蹴り、レイとの距離を縮める。
「貴様、エレーナ様に何をしたぁっ!」
周囲へと響くその怒号は、幸いなことに時間を忘れてエレーナの美貌に見惚れていた者達の時計を再び動かし始める。
それは、エレーナと視線を絡めていたレイもまた同様だった。
「っ!?」
気が付けば既に自分は襲ってきた女の攻撃範囲内へと存在しており、その女は剣を大きく振りかぶっている。
小さく息を呑み、殆ど反射的な動きで自分の肩を目掛けて袈裟懸けに振り下ろされた剣の一撃を半身だけ身を引いて回避する。空を切り裂き、地面へと突き刺さった女の剣。
数cmどころか20cm近くも剣先が地面にめり込んでいるのを見れば、自分を殺そうとして本気で振り下ろされたのだというのは一目瞭然だった。
地面にめり込んだ剣を引き抜こうと女が力を入れたその瞬間。その刀身へと右足を乗せ動きを固定し、同時に左足で女の剣を持っていた右手首を蹴り上げる。
「きゃぁっ!」
剣先が地面にめり込む程の剛剣を放った女の声とは思えない可愛い悲鳴を上げつつも、手首を蹴られた衝撃で握りしめていた剣を手放す。それを見るまでもなくレイはミスティリングからデスサイズを取り出し、身体を回転させた遠心力を利用して女の首を刈り取るべく魔力を通した刃がその細い首へと迫り……
キンッ、という音を立ててどこからともなく飛んできた何かにデスサイズの刃が弾かれる。
(何だ!?)
自分の近くには目の前の女以外は誰もいなかった筈。そう思いつつ素早く周囲を見回すと、いつの間に抜いたのか剣の柄らしき者を握っているエレーナの姿が視界に映る。
だが、妙なのはその剣だろう。エレーナの手元にあるのは剣の柄と鍔のみ。本来であれば鍔から伸びている筈の刀身は金属質の鞭のようなものが伸びており、その鞭には規則的に分解されたかのような刃が備え付けられている。
(連接剣って奴か)
地球では空想の武器として存在していた連接剣がこのエルジィンには存在することに意外性を感じつつも、その顔には驚愕とも言える表情が浮かんでいた。
何しろ今弾かれたのはただの武器ではない。魔獣術で産み出された、自分の魔力が物質化したマジックアイテムなのだ。そう、ゼパイルですら驚愕した程の莫大な魔力によって作り出されたマジックアイテムであり、そのデスサイズに魔力を乗せて放った一撃。通常であれば受ける、いなすという手段は役に立たない。盾で防いだとしてもその盾ごと滑らかに切り裂く程の一撃であり、回避以外に死を逃れる術は無い。それ程の一撃を弾かれたのだ。
そして驚愕を感じているというのはエレーナもまた同様……否、エレーナの方が余程大きい驚愕に襲われていた。突然襲い掛かっていった部下に放たれた死の一撃。今まで見たどんな一撃よりも鋭く、強力で、圧倒的な一撃。現にその一撃を何とか弾いた自分の手は未だにその衝撃で痺れているのだから、今と同じ攻撃を後何度防げるだろうか。そんな風に思いつつも背筋にゾクリとした何かを感じる。
(……これは、何だ?)
怒り、怯え、焦燥、悲しみ……そのどれとも違う。そう、久しく感じていなかったそれは……歓喜。
天賦の才があり、同時に決して修練を怠けることもなかったエレーナにとっては、例え隣国の将軍と言えども苦戦する程の相手では無かった。そんな自分が気圧される程の一撃を放つ相手。初めて自分と対等以上に戦える相手と出会ったエレーナの内心は歓喜に染まる。
だが、内から湧き上がってくるその歓喜をすぐに押さえて口を開く。
「待ってくれ!」
凜、とした声が周囲へと響く。
その声で、今起こった出来事に慌てていた周囲の者達も落ち着きを取り戻す。
レイもまたその声に何かを感じ取ったのか、デスサイズを持ったままではあるが戦闘態勢を解いて様子を伺う。
そんなレイの様子に微かに安堵の笑みを浮かべながら、エレーナは再び凛とした声を放つ。
「今の出来事はこちらの不始末だ。そこの者には後ほど改めて謝罪をさせてもらう。……構いませんか?」
レイから外された視線は、この場の責任者であるギルムの街の領主、ラルクス辺境伯へと向けられていた。
「そうだな。そちらがそれでいいのなら。……レイ、お前も異論はないな?」
「……はい」
ダスカーの言葉に小さく頷き、チラリとあらぬほうへと視線を向ける。
「セト、もういい」
「グルゥ」
その声に、セトは短く鳴きながらレイの方へと向かって歩いてくる。
セトがどこにいたのか。その答えは自らの同僚へと危害を加えようとしたレイへと向けて魔槍を構えようとしていたキュステの目前。その手が魔槍へと触れたその瞬間にセトは音もなく地を蹴りキュステの前へと姿を現し、鋭い目付きで牽制していたのだ。
「ぐっ!」
グリフォンとは言っても見下しているレイにテイムされているモンスター。そんな存在に自らの動きを封じられたという屈辱に顔を歪めるキュステ。だが、今はレイの下へと暢気に歩いて戻っているセトに鋭く見つめられて身動き一つ出来なかったのは事実なのだ。
高慢なプライドを持つが、それでもキュステは現実を見ない程に愚かではなかった。
「……グリフォン、だと?」
そしてエレーナもまた、自分の目の前を悠々と通り過ぎるその存在に思わず声を漏らす。
ランクAモンスター、グリフォン。大空の死神とも呼ばれるそのモンスターがこんな場所におり、しかも人に従っているということ自体が信じられない。
「ラルクス辺境伯、あのグリフォンは……」
近くまで近寄ってきたギルムの領主へと尋ねるエレーナ。その物問いたげな様子に小さく頷くダスカー。
「先程、エレーナ殿と刃を交えた冒険者が従えているモンスターだ」
「済まないが、勉強不足故にグリフォン程のモンスターを従えられる者がいるなど聞いたこともないのだが。それ程の者がいるのなら噂くらいは広がるのではないか?」
「そうだな。だが、何しろあいつがこのギルムの街に現れてからまだ数ヶ月と経っていない。さすがに王都まで噂は届かなかったんだろうよ」
「……ふむ、そういうものか。ここで私達を待っていたとなるとあの者が私達と共にダンジョンへと?」
「そうなる。言っておくが、あいつは手紙にもあったランクDという条件から外れてはいないぞ。何しろつい1週間程前にランクDになったばかりだからな」
「あれ程の人材が? あぁ、なるほど。街に現れてから数ヶ月と経っていないのならしょうがないのか。いや、そう考えるとよく数ヶ月でランクDまで上がれたというべきか」
「オーク討伐で功があってな。そのおかげだ」
「オークの集落が作られたという噂はうちの者が拾ってきたが……なるほど、あの者なら確かにオーク如きはどうとでもなるだろうな」
デスサイズを弾いた時に痺れた右手がようやく感覚を取り戻し始めたのを確認して頷く。
確かにあれ程の威力の一撃を難なく繰り出せる実力があるのなら、オーク如きはどうとでもなると理解出来た。
「ああ。おまけにそのオーク共を率いていたオークキングすら単独で倒したというんだからその実力は保証付きだ。ご覧のようにグリフォンすらも従えているしな」
「オークキングを? ……そうか、それ程の腕か。正直今回のダンジョン探索は気が進まなかったのだが、これはいい。一気に楽しみになってきた」
胸の中に浮かんできた喜びの感情を、そのまま笑みに浮かべるエレーナ。それを見たダスカーは、年甲斐もなくその笑顔に自分の頬が赤く染まっているのを自覚し、視線を逸らしながら咳払いをする。
「ん、ごほん。それでエレーナ殿。そろそろ街中に入りたいのだが構わないだろうか?」
「ああ、もちろん構わないとも。この後はラルクス辺境伯の館であの者との顔合わせが出来るのだろう?」
「もちろんその手筈は整っている」
「助かる。アーラにも謝罪させないといけないからな。……アーラは気が利くし腕も立つんだが、どうにも私に関係することには過敏に反応してしまうのだ。今回もまさかいきなり斬りかかるとは思ってもみなかった。……あの者の名前を聞いてもいいか?」
そう尋ねるエレーナは、部下の不始末に対する責任というよりも純粋に自分が名前を知りたいのだという本心を隠しながら尋ねる。
「そうだな、詳しい説明に関しては館に着いてから本人に自己紹介をさせる予定だが……まぁ、名前くらいはいいだろう。レイという」
「レイ、か」
口の中で実際に言葉に出してレイの名を呟くエレーナ。そんなエレーナの下にようやくアーラがやってきて頭を下げる。
「すいません、エレーナ様。勝手な真似を……」
そして頭を下げているアーラから少し離れた場所にはヴェルとキュステの姿があった。
「おい、あいつ本当にランクDなのか?」
「らしいな。正直、腕はともかく性格を考えるとエレーナ様の側には近寄らせたくはないのだが」
「確かに腕はともかく、性格に問題があるというのはマイナス要素だぞ。それにアーラとのやり取りを見ても、俺達と上手くやっていけるとは思えない。他の人選は無理なのか?」
「……ヴェルにしては随分と拘るな」
「いや、これから向かうダンジョンはまだ未踏破ダンジョンなんだぞ? そんな危険な場所で後ろを気にしながら進むなんてのはさすがに遠慮したい」
「話は分かるが、何しろラルクス辺境伯直々の推薦だからな。断る訳にもいくまい」
「けどよ!」
「どうした? いつものお前らしくもない」
「いや、確かにそうだな。いつもの俺らしくないといえば俺らしくないか。俺達の上司であるエレーナ様も気に入ったみたいだし、護衛部隊の隊長でもあるキュステがいいならこれ以上は言わないさ」
小声でそんな風に会話をしている横で、アーラはエレーナに窘められていた。
「アーラ、今回のお前の行動は正直感心出来ないぞ」
「申し訳ありません。エレーナ様にもご迷惑を……」
「私に対する迷惑は別にいいのだがな。この後、ラルクス辺境伯の領主の館であの者を正式に紹介されるだろう。その時にはきちんと先程の件を謝罪するようにな」
自分達から離れた場所でグリフォンと戯れている男へと視線を向けながらエレーナが告げる。
「エレーナ様がそう仰るのであれば」
エレーナの視線の先を追い、そこに先程自分を殺す寸前だった男の姿を発見して奥歯を噛み締めながらもその命令に頷くアーラ。
「ラルクス辺境伯の話によると、あの男とダンジョンで行動を共にすることになるらしいからな。アーラとしても気まずい雰囲気でダンジョンに潜りたくはないだろう?」
「っ!? あの男が……ですか?」
「うむ。実際にどれくらい腕が立つのかはアーラ自身が体験したと思うが」
その言葉にアーラは先程見たレイの身のこなしや、空気すらも斬り裂くような一撃を思い出して冷や汗が背中と額にぶわっと吹き出る。実際、エレーナに助けられなければ本当に自分の命はあそこで終わっていたのだというのはアーラも理解している。そして敬愛する自らの上司であるエレーナには及ばないであろうが、少なくても自分よりは腕が立つということも。
「確かにあの者の腕が立つのは認めましょう。ですが、腕が立ちすぎます。キュステのように貴族に拘る訳ではありませんが、もう少し別の人選をお考えになってはどうでしょうか?」
アーラのその言葉に、エレーナは苦笑を浮かべて首を振る。
「そもそもあの者はラルクス辺境伯に父上が依頼した上で推薦された人物だぞ? 腕が悪いからという意味で却下するならともかく、腕が立ちすぎるから却下するというのは向こうに対しても失礼だろう」
「ですが!」
そう声を荒げた時。人混みを割って3人の人物が姿を現した。
「ありゃ? 姫将軍様が何でここに?」
その人物はまるで悪戯小僧がそのまま大人になったような無邪気な笑みを浮かべてエレーナ達へと声を掛ける。
そこにいたのは、マジックアイテムでもある巨大な戦斧を背負った人物。その隣には杖を持ってローブを身に纏っている理知的な女と、長剣を腰へと携えた青年の姿があった。
即ち、ランクAパーティ雷神の斧の面々だ。
「エルク殿か? 久しいな。いつぞやの大地の精霊の一件以来か。そう言えばエルク殿もこのギルムの街を拠点にしていたのだったな」
久しぶりに出会った戦友へと笑顔を見せるエレーナ。同時にエルクは照れくさそうな笑みを浮かべて返し、その妻でもあるミンもまた微かな笑みを浮かべる。だが、2人の息子であるロドスはそのエレーナの美貌に微笑みかけられてその顔を真っ赤にして視線を逸らすのだった。
そんな息子の様子に笑みを浮かべつつ、エルクは口を開く。
「ああ。このギルムの街が俺のホームだな。……で、姫将軍様はなんでまたこんな辺境に?」
「姫将軍様というのはやめてくれ。エレーナでよい。何、父上からダンジョンへと潜るように命を下されてな。その関係でここまで来た訳だ」
「……ダンジョンに? エレーナが強いというのは知っているが、それとダンジョンに潜るのは別物だろう? ……あぁ、なるほど。だからこのギルムの街に寄った訳か。ここで盗賊なりなんなりを雇うと」
そのエルクの言葉に、首を振ったエレーナはグリフォンを撫でながらも驚いた表情をして自分達を見ているレイへと視線を向ける。
「ラルクス辺境伯には彼を薦められてな」
「彼……って、レイじゃねぇか」
「おや、知ってるのか?」
「ああ。オークの集落に対する討伐隊で一緒になってな。……なるほど、奴なら確かにダンジョンでも何とか出来そうな実力は持ってるだろうな。セトもいるし」
「おや、雷神の斧の保証付きと考えてもいいのかね?」
意外、という表情で一瞬エルクへと視線を向けるエレーナだが、すぐにレイの強さを思い出して逆に納得する。
「そうだな。色々と不器用な所はあるが、問題無い人選だろう」
「だろう? 俺も自分の眼には自信を持ってるんでな」
今まで少し離れた所でエレーナとアーラ、そしてエルクのやり取りを見守っていたダスカーがエルクへとそう声を掛ける。
「おや、ラルクス辺境伯のダスカーともあろう者がこんな所で何をしてるのかな?」
「エレーナ殿の出迎えだよ。そっちこそどこかに出掛けるのか?」
「ああ。トロールが数匹現れたって話でな。商人達が襲われる前に何とかしてくれとのことだ」
「……ああ、そう言えば緊急性の高い報告として上がってたな。確かにそれは緊急度が高い依頼だ。引き留めて悪かった、なるべく早めにトロールを何とかしてくれ。ここは辺境故に商人が来なくなったらダメージが大きいからな」
「ああ、任せておけ。じゃ、エレーナもまたな」
「うむ。ダンジョンの件もあって私は暫くギルムに逗留するだろう。機会があればまた会おう」
「そうだな。うちの息子もあんたに憧れてる口だから構わないぞ」
「父さんっ!」
突然妙なことを言い出した父親に思わずそう声を掛けるが、その父親はいつものように豪快に笑ってそれを受け流す。
「お前の息子はロドスとか言ったか。言っておくが、私を口説こうとするのなら最低限私よりも強いというのが条件だぞ?」
「くっくっく。周辺諸国にその勇名を馳せる姫将軍よりも強い男なんて……」
そこまで言って、ふとレイの方へと視線を向けるエルク。
「そうだな、そう言えばレイがいたな。これは本気でもしかするか?」
口の中で小さく呟き、何かを言いかけた所で……その頭部へとミンの持っていた杖が振り下ろされる。
「エルク、楽しく話している所を悪いが、こちらもそう余裕がある訳じゃない」
「っと、悪い。じゃあ、そういう訳で俺達はそろそろ行かせて貰うよ。ダンジョン攻略頑張れよ。……まぁ、レイがいるんだから余程のことでも無い限りは問題無いと思うが」
そう言いエルクとミンは街道を進んで行き、エレーナに見惚れていたロドスもまた慌ててその後を追う。
その後ろ姿を見送ったエレーナは再度アーラへと視線を向けて口を開く。
「どうやらあの者はランクA冒険者でもあるエルクの保証付きのようだぞ? なら問題はないと思うが?」
「……はい。エレーナ様がそう仰るならば、私は従うまでです」
アーラが渋々ではあるが納得したのを見たエレーナはダスカーへと視線を向ける。
「では、ラルクス辺境伯。案内をして貰っても構わないか?」
「そうだな、そうした方がいいだろう。いつまでも正門の前にいては通行する者達の邪魔にもなるしな」
ダスカーは頷き、領主の館へと戻るよう周囲に指示を出したのだった。