0064話
領主の館でキュステとの初顔合わせをした翌日、約束通りにレイは朝9時の鐘が鳴る前に正門へと向かっていた。
「グルゥ」
当然、セトも一緒にだ。
大通りをセトと共に歩いているといつものように街の住人や冒険者達が近寄ってくるのだが、さすがに今日は公爵令嬢を出迎えるという目的がある為、いつものようにしっかりと相手をするのではなく短い挨拶だけをして正門へと向かっている。
「おや、レイ君。もしかして君もあそこの人達の関係者だったりするのかな?」
正門前でいつものようにランガへとギルドカードと従魔の首飾りを渡すと、そういう風に声を掛けられる。
あそこの人達の関係者、との言葉にランガが見ている方へと視線を向けると、そこにはここギルムの街の領主であるラルクス辺境伯のダスカーに、エレーナの護衛部隊隊長のキュステの姿があった。当然その2人だけではなく、護衛やお付きの者達も十数人単位で存在している。ダスカーは領主に相応しい豪奢な服を着ており、キュステもまた前日よりは劣るがそれでも一目で高級品と分かる鎧を身につけていた。
何しろ前日までキュステが使っていた鎧はレイ自身がデスサイズを振るって破壊してしまったのだから、今キュステが身につけている鎧は恐らく急遽用意した物なのだろう。
(それでも、あのレベルの鎧を用意出来る財力はさすがと言うべきか)
見栄えで言えば確かに昨日レイに破壊された物よりも劣るだろうが、レイの目が引きつけられるということは恐らくマジックアイテムなのだろう。
「で?」
ギルドカードを返却しながら尋ねてくるランガに小さく頷く。
「あながち間違いではないな」
「やっぱりね。ただ、あのキュステって人はプライドが高いらしいから迂闊なことは言わない方がいいと思うよ」
そう忠告してくるからには、恐らくキュステはこの正門前でも何らかの騒ぎを起こしたのだろうとは予想が出来た。
……ただ、その忠告は前日にキュステを文字通り叩きのめしているレイにしてみれば遅すぎた忠告だったのだが。
「ちょっと遅かったな」
「ありゃ、そうなのかい?」
「ああ。昨日ちょっとあってな」
それだけ言いギルドカードを受け取ると、セトと共に正門を出てから近くにいるダスカーとキュステ目指して歩いて行く。
そしてダスカーの近くにいた面々はセトの姿を見て反射的にだろう、手に持っていた剣や槍を構える。それはキュステも同様で、その手に持っている魔槍を素早く構えるのだった。
「やめんかっ! ……悪いな、レイ。この者達も俺の護衛を担っている者達でな」
周囲の者へと一喝したダスカーが苦笑を浮かべつつレイに声を掛けてくる。
「いえ、こちらこそ声も掛けずに近付いてしまって申し訳ありませんでした」
「グルゥ?」
どうしたの? とでも小首を傾げるセトに、何でも無いと首を振りつつその頭を撫でる。
すると嬉しそうに喉の奥で鳴き声を漏らすセト。
「ふむ、随分と懐いているのだな。確かに話に聞いていた通りだ」
ダスカーが感心したように呟き、チラリと横にいる男へと目をやる。
そこにいたのは、鍛えられた筋肉と意志の強さを感じさせる中年の男だった。レイは知らないが、ギルムの街を守る騎士団の副団長を務めているトレンマという男だ。
そのトレンマは、自らの主君であるダスカーの目配せを理解してレイへと声を掛ける。
「レイ殿、その、私はこう見えてもモンスターに興味があってな。良ければそのグリフォン……セトとか言ったか。触らせて貰っても構わないだろうか?」
(……なるほど、本当にセトが俺に従っているのかを確認したいのか。本来なら領主であるダスカーが自分で確認したいんだろうが、立場上それは難しいから信頼の置ける部下に頼むって所か?)
目配せをしたそのやり取りで大体の絡繰りが理解出来たレイはトレンマへと向かって頷く。
「ああ、問題無い。普通に撫でるだけなら問題無いだろう。……普通に撫でるだけならな。ただし人間がやられて嫌なことはグリフォンも嫌がるというのは覚えておいてくれ」
含みを持たせたレイの言葉に、ダスカーもまた自分達の狙いをレイが悟ったのだと理解し再びトレンマへと目配せをする。
その目配せを受けたトレンマは、レイの言う通りにただ大人しくセトの背を撫でるのだった。
「ほう、それがお前自慢のグリフォンか。なるほど、確かに見事なグリフォンだ」
トレンマが離れていった所で口を挟んできたのはキュステだった。言葉では褒めてはいるのだが、その目には相変わらずレイを見下すような光が宿っている。
「グルルルゥ」
セトもまた、それを感じ取ったのか不機嫌そうに喉の奥で鳴く。
「残念だが、セトはあんたが好みじゃないらしい」
「あんた、だと? 貴様、平民風情が誰に向かって口を聞いていると……」
「キュステ殿、そこまでにしてもらおう。レイもだ。お前達2人は明日から臨時とは言えパーティを組んでダンジョンに挑むのだぞ。それを今から仲違いをしていてどうする」
レイの態度に咄嗟に魔槍を構えようとしたキュステだったが、ダスカーの言葉に渋々とだがそれを収める。
同時に、レイもまた今にも襲い掛かろうとしていたセトの背を押さえる。
「グルルゥ」
不満そうに喉の奥で鳴くセトだが、レイに押さえられてはその不満を飲み込むしかなかった。
……ただし、キュステへとその鋭い視線を向けたままだったが。
そしてその視線と正面から向き合ってしまったキュステは一瞬だけだが確かにその動きを止める。
それに気が付き、周囲に聞こえないように口の中だけで舌打ちをして内心で呟く。
(私がテイムされているモンスター如きに一瞬でも恐怖を覚えたというのか? 幾らランクAモンスターのグリフォンと言えども不愉快な。その飼い主であるレイとかいう奴も平民の分際で貴族に対する礼儀というものを知らないし……このような下賤な者共をエレーナ様の下に近づけねばならないとは……つくづく不愉快な連中だ)
キュステのその様子を見やり、レイもまた内心で呟く。
(ゴブリンの涎といい、夜闇の星といい、アロガンといい、どうしても俺はこの手の奴等に好かれる運命にあるらしいな。まぁ、アロガンに関して言えば最終的には幾らかマシにはなったが)
「グルゥ?」
何をしてるの? とでもいうように頭を擦りつけてくるセトに、何でも無いと頭を振って頭を撫でる。
本来であればミスティリングの中に入っている干し肉なりなんなりを与えてもいいのだが、現在は姫将軍の到着をこの街の領主と共に待っているので、さすがにそんな不躾な真似は出来ない。代わりにセトをあやすようにしてその頭を撫でているのだった。
ダスカーは部下の者達と何やら仕事について話し合い、キュステは黙って街道の向こう側をまるで祈るように見つめている。
そんな状態が30分程続いた頃。街道の先から徐々にこちらへと向かって来る馬車が見えてきた。
それを見たキュステはレイに対して取っていた高慢な態度は完全に消え失せて喜色満面の表情を浮かべ、この地の責任者でもあるラルクス辺境伯のダスカーも同様に安堵の息を吐く。
何しろこの地の責任者だということは、ここで起きた不祥事はダスカーの責任となるのだ。それも自分が所属している派閥と対立関係にある派閥の象徴的な人物が盗賊やモンスターに襲われて怪我や死んだりなんてしてしまったら、自分だけではなく部下達にも責任が行く可能性があるのだから無事に到着したのを見て安堵したとしても不思議ではないだろう。
(まぁ、姫将軍の異名が示す通りの実力者なら街道に出て来るようなモンスター程度なら問題無く倒せると思うがな)
ダスカーは内心で呟く。
姫将軍、という周辺諸国へと広がっているその異名はそれ程の武名を誇っているのだ。
やがて2頭のウォーホースに引かれた馬車の細かなところまでしっかりと確認できるようになるとレイは思わず感嘆の息を漏らす。
「へぇ、随分と立派な馬車だな」
その言葉にキュステは軽く眉を動かし、一瞬。ほんの一瞬だけ感心したような目をレイへと向ける。……もっとも、すぐにその視線はこれまでと同様の見下すようなものへと変わったのだが。
「ほう、気が付いたのか。さすがだな」
ダスカーは感心したようにレイへと声を掛ける。
彼も今は領主とは言っても、元々は武人畑の人間だ。それだけにこちらへと近付いてくる馬車がどれだけの魔力を込めて作られたマジックアイテムなのかというのは感じ取っていた。
レイにしても、マジックアイテムを見た時と同様に視線を惹き付けられる感覚があった為にその事実に気が付いたのだった。
「領主様、どういうことでしょう?」
だが、領主の側にいる側近達は基本的には文官なのでマジックアイテムに関しては疎く、馬車がどれ程の一品なのかを気が付かない者達が殆どであり、その為に自分の上司であるダスカーへと尋ねる。
「お前達には分からないかも知れないが、あの馬車そのものがかなり強力なマジックアイテムになっているんだよ」
「本当ですか? 一応私も魔法を使える身ですが、あの馬車がそれ程の物だとはとても思えませんが」
「だろうな。あの馬車には隠蔽の効果も与えられている。……だよな、レイ?」
お前のそのローブと同様にな、という風に匂わせるダスカー。
(……気が付いていたのか。さすがと言うべきか)
当時最高の錬金術師と言われたエスタ・ノールが作ったドラゴンローブの隠蔽効果が見破られるとは思ってなかっただけに驚きの表情を浮かべるレイ。
ダスカーの言葉に再びチラリとレイへと視線を向けるキュステだったが、既に馬車が目の前まで近づいて来ている為に特に何かを口に出す時間も無かった。
そして馬車がレイやダスカー、キュステ達の目の前で停止してその御者席から1人の男がひらりと飛び降りる。
その身のこなしと同様に、どこか軽い性格を持っていそうな雰囲気を持つ男はキュステを見て軽く手を振ってから馬車の扉をノックする。
そんな男の様子に苦笑を浮かべているところを見ると、レイにも今の御者の男がキュステの知り合いなのだろうというのは容易に理解出来た。
(それに、今の身のこなし……どこか盗賊のキュロットに通じるものがあった。となると、あの男が姫将軍御一行の盗賊役なのか?)
「エレーナ様、ギルムの街に到着致しました」
「うむ、ご苦労」
中からの声が聞こえ、馬車の扉が開かれる。同時に出て来たその人物。ただ1人のその人物の姿を見た瞬間、ダスカーの部下や、あるいは何が起きてるのかと馬車の周囲を遠巻きに見ていた者達に衝撃が走る。
黄金をそのまま髪へと作り替えたかのような金髪が日の光を反射し、その顔立ちはこの場にいる殆どの者が今まで見たことも無い程の美貌だった。普通ならまるで人形のようだと表現されるのかもしれないが、自らの意志と気の強さを現しているその鋭い眼がその人物が人であると証明している。そして鎧に包まれていても尚隠しきれないその豊かな双丘はまさに肉感的としか言いようがないだろう。さらにその人物が馬車から地上へと降り立った時、その女の目線が周囲の男達とそう大して変わらない位置にあるのに気が付く者もいた。つまりは女にしては相当に高い身長だということだ。
周囲の男達……否、女達も含め、まずは女の美貌に。次にその豊かな双丘に。そして最後にその高い身長にと目を奪われる。
女にとっては周囲の視線を集めるのは既に慣れているのか、特に気にせずに周囲を見回し……馬車の周囲にいる者達の中で、唯一自分の顔や身体ではなくその腰に装備されている連接剣や鎧そのもの、あるいはマントや靴といった自慢の装備品へと次々に視線を送っている存在に気が付く。
(ほう、面白い)
女の興味を引いたのは、その男――レイ――もまた自分と同じスレイプニルの靴を履き、その身をかなり高性能なマジックアイテムであろうローブで包んでいたからだ。そしてなによりも……
(あの者、本当に人間か? まるで魔力そのものが人間と化しているかのようなこの圧倒的な魔力。このような人物がいるとは、さすが辺境という所か)
レイの持つ魔力に気が付き、内心で感嘆の念を抱く。魔力が人間と化している、という表現は奇しくもエルフであるフィールマがレイに感じたものとほぼ同様のものだった。
そして、レイの視線がエレーナの装備しているマジックアイテムからその顔へと移り。
エレーナもまた同様に、その視線をレイの装備しているマジックアイテムからその顔へと移る。
それは、本当に偶然だった。たまたまレイの視線がエレーナへと。そしてエレーナの視線がレイへと同時に向けられ……2人の視線が交わる。
「……」
「っ!?」
何があった訳でも無い。視線が交わったという本当にただそれだけの事実。
だが、レイは何故かエレーナという人物を見た瞬間、小さくだが思わず驚きの表情を浮かべ、エレーナは殆ど反射的に息を呑んでいた。
周囲の者からしてみればほんの数秒。だが視線を合わせている2人にしてみれば1時間、あるいはほんの一瞬にも感じられる不思議な感覚の中でお互いにナニカを感じたのだった。