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0063話

 ギルムの街へと続く街道。現在、そこには1台の馬車が止まっていた。

 ……そう、走っていたではなく止まっているのだ。

 その理由は街道の脇を見れば誰もが理解するだろう。

 現在そこではモンスターと人との戦いが行われている。

 街道での戦闘となると人がモンスターに襲われているというのが普通なのだが、この時は違っていた。むしろ本来は襲撃者である筈のモンスター達が逃げ惑うのを、襲撃された側である人間達……否、たった1人の人間が蹂躙していたのだ。


「浅ましきオーク共よ、私達を襲った不運を嘆きながらその命を散らすがいい!」


 女はそう言いながら、持っていた武器を大きく振るう。

 その武器は、一見普通のロングソードよりも多少長めだが普通の剣に見えた。だが女が大きく剣を振るうと、その剣先が伸びて鞭のようにしなり、同時に刃もまたその鞭の所々へと付いている。いわゆる、連接剣や蛇腹剣と言われる武器だ。本来なら扱うのに非常に高度な技術が必要なマジックアイテムの一種なのだが、女はまるで舞うかのように連接剣を振り回す。

 そしてそんな女もまた美しい舞を踊るのに相応しい美貌を持っていた。まるで芸術品の如く整った顔立ちをしており、鋭い切れ長の眼がその気の強さと意志の強さを連想させ、10代の後半というまさに少女から女へと生まれ変わる者独特の匂い立つような色気を放っている。またその頭部からはまるで黄金の糸とでも表現すべき豪奢な金髪が背中の中程まで伸びている。髪の先はくるりとロール状になっており、いわゆる縦ロールという髪型だ。

 身体を覆っているのはこれもまた連接剣と同様のマジックアイテムである鎧だ。その効果は風の祝福を与えるというもので、装備している者の速度を上げ、風を読むという能力を与える。その背を守るのは黄金の髪と同様の色を持つ黄金のマントで危険察知の効果を持つマジックアイテムだ。そして足に履かれているのは数歩であれば空を蹴ることが可能だというスレイプニルの靴。胸元には男の眼を惹き付けて止まないだろう巨大な膨らみに挟まれるようにして魔法防御を高めるネックレスが掛けられている。

 まさに全身がマジックアイテムで固められている女だが、何よりも驚嘆すべきはそのマジックアイテムの性能に頼り切っているのではなく完全に使いこなしていることだろう。


「どうした、私を手に入れたいのだろう? ならば己の力を見せてみよ! 私は自分より弱い男にこの身を任せるような真似は断じてしないぞ!」


 そう叫び、連接剣を振るう女。激しく、舞うような動きで連接剣を振るっている為だろう。その姿は自分の命を狩ると分かっているのに、オークは女の美貌に見惚れたままその首を連接剣によって断ち切られる。オークの首から切断された勢いで血が数滴白い肌へと跳ねたが、そのオークの血ですら女の美しさを際立たせる為の化粧と化していた。

 その姿はただひたすらに美しく華麗であり、それでいて残酷でもあった。美しさや残酷さだけではない。人の眼を惹き付けるようなカリスマ、あるいは将としての威厳というものも発している。戦の神とも、美の女神とも表現出来るその姿を無理に言い表すとするのなら戦女神だろうか。

 そう、たった1人でオーク10匹以上を圧倒しているこの女こそがエレーナ・ケレベル。ケレベル公爵家の令嬢にして、ミレアーナ王国やその活躍で一躍名を上げたベスティア帝国だけではなく、周辺諸国一帯で姫将軍として名高い存在である。

 そんな自分達の上司を、少し離れた場所で2人の騎士が見守っていた。


「さすがエレーナ様ね。オーク如きはものともしていないわ」


 舞うようにオークを狩っているエレーナをうっとりとした表情で眺めているのは女の騎士。年齢は10代後半ではあるがエレーナよりは少し下くらいか。名をアーラ・スカーレイと言い、エレーナの護衛部隊の1人だ。名字持ちなのは貴族派に所属しているスカーレイ伯爵家の三女という立場故だ。


「あー、本当にうちの女王様は綺麗だけど怖いと言うか、怖いから綺麗だと言うか……」


 呆れたように苦笑を浮かべているのは20代前半の騎士でヴェル・セイルズ。こちらもアーラ同様に貴族派に所属しているセイルズ子爵の次男で護衛部隊の1人だ。

 そしてこの2人にブラシン侯爵の次男であるキュステを入れた3人がギルムの街に向かっているエレーナの身を守るようにケレベル公爵に命じられた護衛部隊だ。


「それにしてもこんな街道でオークが出るなんて……それもオークメイジやオークアーチャーまで出て来るなんておかしいわね」


 エレーナに見惚れつつも呟くアーラ。その言葉を聞いたヴェルは、いつものような軽い口調で言葉を紡ぐ。


「確か最近ギルムの街の近くにオークが集落を作られたって話があって討伐隊が派遣されたから、恐らくその生き残りとかだと思うよ」

「……あんた、良くこんな辺境の出来事まで知ってるわね」


 驚きの表情で自分を見る同僚に苦笑を浮かべるヴェル。


「これから俺達が行く街なんだから情報収集くらいは当然しないといけないでしょ、この部隊の裏方担当としては。それにただでさえギルムの街は俺達貴族派じゃなくて中立派の、しかもその中でも大物と見なされているラルクス辺境伯のお膝元なんだから」

「……そうね。エレーナ様を守る為には情報収集を怠る訳にもいかないものね」

「まぁ、そうは言っても俺達全員を合わせたよりもエレーナ様の方が強いから護衛部隊の意味なんて殆どないんだけどね」

「あんたねぇっ!」


 怒鳴りつけてくるアーラに向かい、ヴェルは話を誤魔化すようにエレーナの方へと視線を向ける。


「ほら、そろそろ戦いが終わりそうだよ。ここで時間を取ってちゃギルムの街に到着するのが遅れるだろうし、後片付けはちゃっちゃと済ませないと。俺はエレーナ様が倒したオークの魔石を集めてくるから」

「別にオークの素材くらい集める必要は無いと思うんだけど」

「そう言わない。ほら、ここで取った魔石とかをギルムの街で売れば少しでもこっちに親近感を抱かせられるだろう?」

「じゃあ、討伐証明部位はいいの?」

「それはねぇ……何しろ俺達ギルドに登録してないから。まさか討伐証明部位を売る為だけにギルドに登録するなんてのも馬鹿らしいし」

「そう言われればそうね。討伐証明部位もギルドに所属していなくても買い取ってくれてもいいのに」


 頷いているアーラの下へと、小規模とは言えオークの群れを傷1つ付かずに殲滅したエレーナが近寄ってくる。

 その顔には疲労の色は無く、息すらも乱してはいない。ただ激しい運動をした為に微かに頬の血色が良くなっているくらいか。そしてそれが余計にエレーナに凄絶とも言える色気を醸し出させていた。本人は恋愛といったものに全く興味を抱いてはいないのだが、その外見は多くの者が見ただけで引き寄せられる程の色気を放っている。それは本人にとっても周囲の者にとっても不運なことだろう。


「さすがに辺境と言うべきか。まさか街道に昼間からこれ程のオークの群れが出るとは思わなかったな」

「お疲れ様でした、エレーナ様。これをどうぞ。頬に返り血が……」


 シルクのハンカチをそっと差し出すアーラ。


「ありがとう、アーラ」


 そのシルクのハンカチで頬に付いている血をそっと拭いながらオークの胸を切り裂いて心臓から魔石を取り出しているヴェルへと声を掛ける。


「ヴェル。魔石の回収をするのもいいが早めにな。オーク共の血の臭いをかぎ取って他のモンスター共が近寄ってきては面倒になる」

「はい、すぐに終わらせます」


 その言葉通り、ヴェルは手際よくオークから魔石を取り出していく。その作業は端から見ても手慣れているものだった。

 それも当然。何しろ王都からギルムの街へと辿り着くまでに既に何度となくモンスターに襲われ、それを返り討ちにしてはその死体から魔石を取り出しているのだ。その手際の良さはその辺の冒険者達と比べても遜色ないものになっている。

 その手際の良さを発揮し、10匹以上のオークから素早く魔石を取りだし終えたヴェルはこれまでのモンスターから取ってきた魔石が入っている袋の中へと無造作に放り込む。


「エレーナ様、魔石の回収を完了しましたのでこの場を離れましょう。エレーナ様が仰ったように血の臭いに惹かれて新たなモンスターが来ても厄介ですし」

「うむ、そうしようか。ギルムの街まで後少しだからな。2人共もう少々頑張ってくれ」

「何を言ってるんですか。私はエレーナ様が側にいてくれればいつでも元気ですよ!」

「ふふっ、アーラは元気がいいな。……ヴェル、準備はいいな?」

「馬車の方にも被害は特にないようです。……相変わらずさすがですね」


 ヴェルはチラリ、と馬車へと視線を向ける。

 一見普通の馬車にしか見えないこの馬車が、実は非常に高度なマジックアイテムであると見抜ける者は極少ない。目立たないようにと隠蔽の効果も付与されているからだ。他にも空間魔法により調整されており、馬車の内部は30畳程の豪華な部屋となっている。また、馬車そのものが魔法による強化を施されている為に非常に頑丈になっており、弓矢程度なら文字通り刃も立たない。そして馬車を引く馬の能力を増加させるという付与効果も持ち、馬車を引いている馬がミレアーナ王国でも有数のウォーホースであるという影響もあって、この馬車は一種の走る城塞とも言える存在になっていた。他にも敵意を察知するという効果があり、そのおかげでオークに奇襲されるのを避けられたのだった。

 それもこれも全てがノブレス・オブリージュ、いわゆる高貴なる義務を果たす為に戦場へとその身を投じた愛娘を守る為にケレベル公爵がこの世界でも有数の魔法使い達が集まると言われている魔導都市オゾスの錬金術師達へと金に糸目をつけずに制作させた特注品のマジックアイテム故の性能だ。

 馬車へと向けるヴェルの視線を追い、エレーナは小さく頷く。


「うむ。父上には感謝をせねばな。この子達と馬車のおかげで戦場だろうと辺境の街道だろうと何の心配もなく旅をすることが出来るのだから」


 そう言いながら、馬車に繋がれている2頭のウォーホースの背を撫でるエレーナ。


「ブルルルル」


 ウォーホースは自分の背を撫でられる気持ちよさそうに目を細めて小さく嘶く。


「お前達もギルムの街まではもう少し。頑張ってくれ」


 最後にそう言い、馬車の中へと入っていくエレーナ。アーラはその後を追って馬車の中へと入り、ヴェルは御者席へと座って馬車を発進させる。

 馬車の中には職人が技術の粋を凝らして作ったと思われる家具の数々が並んでいる。これもまた、危険な場所へと出ていく娘を心配して少しでも寛げるようにと父親であるケレベル公爵が用意したものだ。

 そしてマジックアイテムによる簡単なキッチンまで備え付けられている馬車の中でアーラが紅茶を淹れており、エレーナはソファへと座りそれを待つ。


「キュステ、大丈夫ですかね?」

「何がだ?」


 淹れたての紅茶をエレーナが寛いでいるソファの前にあるテーブルへと置きながらアーラが呟く。


「ほら、キュステってば貴族に対しては基本的に丁重に応じますけど相手が貴族じゃないと途端に対応が不躾になるじゃないですか。ただでさえこれから向かうのはエレーナ様が所属している貴族派じゃない中立派の貴族の領地なんですから余り騒ぎを起こして欲しくないな、と」

「アーラ」

「はい?」

「確かに私の父上は貴族派の中心人物であるのは事実だ。だが、今まで何度も言ってるように私自身は別に貴族派という訳では無い。……もっとも、だからと言って中立派や国王派でもないがな」


 先程までの激烈な戦闘が嘘であるかのように、優雅に紅茶を口に運びながらそう告げるエレーナ。

 アーラはそんな自分の上司に見惚れつつも溜息を吐くという器用な真似をしてみせる。


「エレーナ様、これまでにも何度か言ってますが他の方達はエレーナ様のお父上が貴族派の中心人物であるケレベル公爵であるという時点で自動的にエレーナ様自身も貴族派であると見なすのです」

「……貴族とは面倒なものだな」

「貴族の義務を忠実にこなしているエレーナ様が言われると、凄い説得力のある言葉ですね」


 用意してあったクッキーの乗った皿をテーブルの上に置き、苦笑を浮かべるアーラ。


「貴族としての義務は理解している。民の税によって私達は生きているのだから、その民を守ることにこの身を捧げるのには何ら躊躇はしない。だが、権力争いにまで手を出したいとは思わないがな」

「ですがエレーナ様の存在は、お父上のケレベル公爵が貴族派の中でも有力者だという関係もあって貴族派の象徴とも言える程になっています」


 アーラのその言葉に、エレーナは苦笑を浮かべつつクッキーを口へと運ぶ。


「姫将軍か。正直、私には過ぎた通り名だと思うがな」

「何を仰るんですか。エレーナ様がベスティア帝国の将軍を一騎討ちで倒したあの戦いは、貴族派はおろかミレアーナ王国中に広まっていますよ」

「その話はともかくだ。これからの予定だが……」

「はい。ギルムの街に着いたら、まずは領主であるラルクス辺境伯との面談があります。そして領主の館で一泊し、翌日には早速ダンジョンへと出発する予定となっています」

「ダンジョンか。……継承の祭壇。本当にそんなものが発見されるとは思わなかったがな」

「そうですね。幸い、ギルムの街ではその真の価値に気が付いている者はいないようですし」

「そうなると最大の問題は無事そこまで辿り着けるかだが……本当にギルムの街で雇うのは盗賊でなくてもいいのか? 幾らヴェルがその手の技能に精通しているとは言っても、実際にダンジョンに潜るのは初めてだろうに」

「私もそう思うんですが……何しろヴェル本人が大丈夫だと言い切ってますし」

「ふむ。……辺境の街の冒険者か。もしかしたらそこになら私よりも強い相手がいるかもしれないな」

「エレーナ様……自分を倒した相手にその身を委ねるとか公言するのは止めて欲しいのですが」


 エレーナに心酔しているアーラにしても、そればかりは譲れないと口を開く。

 文武両道にして容姿端麗。余りにも他人より突出しすぎたが故に、エレーナは自分と結ばれる相手は何か一つでも自分より上でなければならないと思い込んでいた。そして現在の自分は姫将軍と呼ばれる存在だけに、その相手は自分より強い者でなければならないと公言していたのだ。

 当然、それを聞いた貴族の若者達はエレーナに勝てば美貌を持つ妻とケレベル公爵家そのものが手に入るとして今まで何人、何十人、何百人と勝負を挑んできてはいたのだが、その全てがエレーナに返り討ちにされているのだった。

 そんなエレーナだからこそ、自分に相応しい相手はそうそういないだろうと思い込んでいる。

 ……だが、エレーナは知らない。これから出向く辺境の街で己の運命とも言えるような相手と出会うということを。そして、そこで初めて自分が女であるという自覚を持つということを。

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