0061話
ミレイヌとの模擬戦翌日。これまでの数日のように宿屋の自室でダンジョンに関する本を読んでいたレイは、ドアをノックする音で我に返った。
「誰だ?」
「ギルドから来ました。指名依頼の件について説明があるとのことですので、申し訳ありませんが同行して貰えますか?」
「分かった。準備をするからちょっと待ってくれ」
(いよいよ来た、か)
ランクアップ試験の合格発表時にグランが言っていた依頼の詳しい説明の件だと理解したレイは、読んでいた本をミスティリングへと収納してドラゴンローブを身に纏い、スレイプニルの靴を履いてドアを開ける。
そこにいたのは、40代程に見える中年の男だった。
レイを見ると、小さく頭を下げる。
「では早速案内致します」
「ああ。……ちなみに、行くのは俺だけか?」
「はい? レイさんがパーティを組んでるという情報はないのですが……違うのですか?」
「いや、そうじゃなくて俺がテイムしているグリフォンはいいのかって意味だ」
自分の聞いた情報が間違っていたかもしれないと思っていたのだろう。ほっと安堵の息を吐きながらも小さく頷く。
「はい。今日はレイさんだけでお願いします。向かう場所がギルドならテイムしているモンスターが一緒でも構わないのですが……」
「ん? さっきギルドから来たとか言ってなかったか?」
「私は確かにギルドの職員ですが、案内する場所は今回レイさんを指名して依頼をする人物です。……こう言えば分かりますか?」
レイへと依頼した人物。それが誰なのかは、グランから話を聞いて知っていた。即ち。
「この街の領主、ラルクス辺境伯……か」
「その通りです。本来ならギルドの方で説明をするのが普通なんですが、今回は場合が場合ですので領主の館で説明することになりました」
「……まぁ、確かにそれだとグリフォンは連れていけないよな」
もしセトを連れていった場合、下手をすればギルムの街に自分がいられなくなるだろうというのは容易に想像がついた。
「分かった。ただ、行く前にちょっと厩舎に寄ってもいいか? 俺がテイムしているグリフォンはかなり頭がいいからな。一応出掛けることを知らせておいた方がいいだろう。下手をしたら俺が誘拐されたとでも勘違いして追ってくる可能性がある」
「……グリフォンというのはそれ程に頭がいいものなんですか?」
「さて、俺のグリフォンが特別なだけかもしれないがな」
ギルドからの使者に断り、厩舎へと向かう。その途中、夕暮れの小麦亭の前にそれなりに立派な馬車があるのを見たレイは、さすが領主からの依頼だと妙な所で感心しながら厩舎の中へと入って行く。
「グルルゥ」
厩舎の中に入ったレイをセトは喉の奥で鳴きながら出迎える。
だが、レイはそんなセトの頭を撫でながら口を開く。
「悪いな、セト。確かに今から俺は出掛けるが、今回は領主の館に向かうから一緒に連れていけない」
「グルゥ」
寂しそうな声で鳴きながら、その頭を擦りつけてくるセト。
「何、この前のランクアップ試験の時とは違って今回はすぐに戻って来るさ。別に数日留守にするって訳でもないんだからな」
「グルゥ」
それでも寂しそうに鳴くセトの頭を、最後にもう1度だけ撫でてから厩舎を出て行くレイ。
セトはその後ろ姿が見えなくなるまでじっと眺めていた。
「待たせたな」
馬車の前にいるギルドの使者へとそう言うが、小さく頭を振って馬車の扉を開ける。
「いえ、冒険者の方に色々とあるのはギルドで働いてるだけに理解しています。さ、どうぞ。領主様もお待ちしてますので」
「そう言って貰えると助かるよ」
笑みを浮かべて馬車に乗るように促す。
その様子に、自分はそこまでお偉いさんになった覚えは無いんだがと思いつつもレイは馬車に乗り込む。
それを確認すると、使者は扉を閉めて御者席へと移動して馬車を出発させるのだった。
「……今日は余りいい天気じゃないな」
馬車の中から外を見ながら呟くレイ。
実際、現在の空は雲で覆われており、いつ雨が降ってきてもおかしくはない天気だ。
そんな風に思いつつも、馬車の中では特にやることもないので部屋で読んでいたダンジョンの本をミスティリングから取り出して読みふける。
ここ数日で大分読み進めてはいたが、それでもまだ7割程といった所だ。せめて実際に依頼が始まる前までには読み切ってしまいたいレイだった。
そして本に集中して暫く。これまで軽快に走っていた馬車が突然止まり、扉が開かれる。
「レイさん、領主様の館に到着しました」
「ああ、分かった」
馬車を降りたレイは、頬にポツポツと水滴が降り注ぐのを感じながら、使者の案内に従って領主の屋敷の門を潜る。
(領主の屋敷と言うよりは……どこぞの砦のように見えるな)
それが領主の屋敷を見たレイが抱いた感想だった。
屋敷と言うには大きすぎ、城と呼ぶにはどこか物足りない。そんな建物を見てイメージしたのは砦だった。実際、この領主の屋敷は砦としての役目を持たされているのは明らかであり、恐らく有事の際にはギルムの街の住民をある程度避難させる役目も持っているのだろうというのはレイにも簡単に予想出来た。
「こちらです」
ギルドの使者の後を追い、領主の館へと入っていく。一応は領主としての体裁なのだろう、通路の所々には絵が飾ってあったり壺が置かれていたりしている。また、魔石を使ったマジックアイテムの明かりが一定距離ごとに壁に埋め込まれているというのも印象的だった。
ただ、それでも通路の途中に飾られるようにハルバードや槍といった武器があるのを見るとやはり領主の館というよりも砦という印象が強く残る。
物珍しそうに通路に飾られている品を眺めながら使者の後を歩いて行くと、10分程で精緻な彫り物をされた扉が見えてくる。その扉だけで金貨数枚……下手をしたら白金貨が必要になるだろう、芸術品の様にレイには見えた。
その扉の前へと2人が辿り着くと、使者は当然とばかりに扉の横にあるドアノッカーで壁をノックする。
(ドアノッカーなんだからドアをノックする物じゃないのか? いや、確かにどちらかと言えば芸術品だろうが……何でこの扉だけこんな風に豪華なんだ? 砦にしか見えないこの屋敷を見る限りだと貴族的な贅沢をするような性格には思えないんだが)
そんな風にレイが内心で考えていると、扉の奥から声が聞こえて来る。
「入れ」
「はい。失礼します」
一言声を掛け、扉へと手を伸ばす使者。一応取っ手の部分を持ってはいるが彫られている部分へとなるべく触らないようにして扉を開ける。
「領主様、指名依頼の件でランクD冒険者のレイを連れて参りました」
「うむ、ご苦労。待っていたぞ。さぁ、中に入れ」
中からそう言われ、レイは使者に促されるようにして部屋の中へと入る。
「っ!?」
そして部屋へと一歩足を踏み入れたその瞬間。横合いから感じた鋭い音と殺気に、咄嗟に地面を蹴りつけ前方へと転がるように跳躍する。
床を転がるように一回転し、転がっている間に殆ど反射的と言ってもいい動きでミスティリングからデスサイズを取り出して構える。
そしてレイの目に映ったのは金属で出来た鎧を身につけており、その頭部は同様に金属の兜によって覆われている人物だった。そして手には目を引きつけるような剣。
(この感覚はアロガンの魔剣と同じような感じか。つまりは魔剣!)
そしてデスサイズを構えたその瞬間に再び床を蹴る。ただし今度は敵の攻撃を回避する為ではなく、自分に攻撃を仕掛けてきた相手を排除する為にだ。
「はぁっ!」
案内された部屋がデスサイズを振るうのに十分な広さをもつ部屋であるというのは、レイにとっても幸運だったのだろう。
その幸運を十分に活かし、領主の部屋にあるソファの背もたれを切断しながらデスサイズの刃は襲撃者の胴体を狙って襲い掛かる。
「くっ!」
魔獣術により作られたデスサイズ特有の、実際の重量を装備者であるレイへと感じさせないという能力により100kgを超える重量を持つにも関わらずその刃はまるでフォークやナイフでも振り回しているかのような速度で襲撃者へと襲い掛かるが、その威力を本能的に察したのか、襲撃者は素早く後方へと飛び退いて回避する。
ヒュッ、とまるで空気どころか空間そのものを斬り裂いたような鋭い音を立てて自分のほんの数cm前を通り過ぎていった刃を見たその瞬間。襲撃者の男は兜の中で額に冷や汗が吹き出るのを感じていた。
(馬鹿な。この私がいくらラルクス辺境伯が推薦した人物とは言ってもランクDの冒険者如きに脅威を覚えるだと? いや、今のは偶々だ。そんなことは断じて認めん!)
人は自分の想像を超えた存在と出会った時、その存在に対して敵対するか友好的に接するかを選ぶことになる。それは即ち、その存在を排除する方向に精神を持っていくか、あるいは友好的な関係を築いて庇護を得るかという違いだ。そしてこの男は即座に前者を選択する。
(こんなことになると分かっていれば魔剣ではなくいつもの魔槍を持ってきたものを!)
男は内心で自分の浅慮に後悔しながらも、それでもレイへと向かって魔剣を構える。
そして目の前の人物と向かい合うようにしてデスサイズを構えるレイ。
ここまで来れば、レイにも大体の事情は飲み込めていた。何しろ領主の館の、しかも領主自身がいると思われる部屋で暴漢に襲われるなどということがあるだろうか?
(そんな訳があるか)
内心の疑問を即座に斬り捨て、自分がこの領主の館へと呼ばれたのは姫将軍とやらがダンジョンへと向かう際の護衛なのだという風に考えれば答えは決まっている。
(護衛としての腕試し……か。そして恐らくこいつはその姫将軍とやらのお供か何かといった所か)
そう理解しつつも、だからと言ってこの戦いがそう簡単に終わる物では無いというのはレイにも理解出来ていた。即ち目の前の男に自分の実力を見せないと駄目なのだろうと。
「……行くぞ」
短くそう告げたその瞬間、地を蹴って男との距離を縮めるレイ。
男もまた、魔剣を構えて自ら長物の獲物の利を捨て間合いを詰めてくるレイを待ち受ける。
「食らえ!」
鋭く叫び、剣を構えて得意の突きを放つ男。元々槍を使っている男にとっては、武器は違えど剣による突きもまた十分な速度と威力を持つ一撃だ。
だがレイは、顔面を狙って放たれたその突きを首を微かに動かしただけで回避する。
「まだだ!」
突きとして放たれた刀身はほんの一瞬で男の手元へと戻され、そのまま再び閃光の如き突きを新たに一撃、二撃、三撃と連続で放たれる。
その尽くを最小限の動きで回避しながら間合いを詰めていくレイ。
(馬鹿な、いつもの魔槍ではなく魔剣を使っているとは言っても私の突きをここまで連続で回避するだと? 本当にランクDか!?)
男もまた内心でレイに対して得体の知れない恐怖を覚えつつも、得意の五連突き最後の一撃を放つ。
最後の一撃にして、最速の一撃。その突きをデスサイズの柄で弾いたレイは、そのまま近距離から柄を使って男の胴体へと打撃を加える。
「がっ!」
メキョッという、とても金属の鎧を殴ったような音ではない打撃音が部屋へと響き渡る。同時に、その音を出した男はそのまま強引に胴体ごと柄を上へと振り抜いたレイにより空中へと浮き上げられ……次の瞬間にはいつの間にか手元へとデスサイズを戻したレイが自分を狙っているのに気が付く。
(くそっ、何だこいつの馬鹿力は。このままだとやばい。となると、気休めでしかないが……)
デスサイズの刃が自分へと降りかかってくる瞬間を予想し、気休めと知りつつも魔剣を盾に少しでもその衝撃を防ごうとする。
そしてレイがデスサイズを振りかぶり、その刃が男へと迫り……
「そこまで!」
デスサイズの刃と男の魔剣が接触する寸前に部屋の中へと大声が響き渡った。