0060話
ランクアップ試験合格発表から数日。レイの姿は相変わらず夕暮れの小麦亭にあった。
借りてる部屋でドラゴンローブやスレイプニルの靴を脱ぎ、気楽な表情でベッドへと寝転がって本屋で買ってきた本を眺めている。
そこに書かれているのは、ダンジョンに関しての注意事項が主な内容だ。
グランから聞かされた指名依頼の場所がダンジョンだというので、以前にもモンスターの解体方法等の本を買った店に行って購入してきた物だ。
「やっぱりダンジョンには盗賊が必須か」
本によると、ダンジョンには大抵トラップが仕掛けられていると書かれている。
そしてそのトラップも、ダンジョンに棲み着いているモンスターの中でも知恵ある者が仕掛けたトラップもあれば、ダンジョンが形成された時に自然発生的に作られる物もあるとのことだ。
「姫将軍とやらは、戦場で戦うくらいなんだからまず盗賊技能を持ってる筈はないと考えてもいいだろう。それは俺も同様だ。となるとこのギルムの街で盗賊を雇うか、あるいは姫将軍様のお供に盗賊がいるのを祈るしかないんだが……」
そう思いつつも、半ば諦めの表情を浮かべる。
何しろ、指名依頼としてレイだけが公爵令嬢と共に行動をするとグランに言われているのだ。ならギルムの街で新たに盗賊を雇うという可能性はまず無いと思ってもいいだろう。そうなると後の希望は公爵令嬢のお供に盗賊技能を持っている人物がいるだけなのだが。
「いっそ、俺が簡単な罠なら解除出来るように勉強しておくか?」
そうも考えたレイだったが、依頼開始までの時間は残り数日。とてもではないが、今から盗賊の技術を修めることが不可能なのは明らかだった。
「このままここで考えていてもしょうがない、か。少し身体を動かしてくるか」
とは言っても、討伐依頼を引き受けないように言われている以上はギルドの訓練所で鈍らない程度に身体を動かすしかないのだが。
それでもやらないよりはマシ、とばかりに勢いよく起き上がり出掛ける準備を整えて宿を出る。
そして厩舎へと顔を出すと……
「はい、セトちゃん。これも食べて食べて」
何故かそこには蕩けるような表情でセトへと餌付けをしているミレイヌの姿があったのだ。
「グルルゥ」
セトもまた喜んで餌付けされているその様子に苦笑を浮かべつつ、1人と1匹へと近付いていく。
「あ、レイ。お邪魔してるわよ」
「いや、確かにいつでもセトに会いに来てもいいとは言ったが……今日は依頼はないのか?」
そんなレイの質問に、セトの背を撫でながらミレイヌが小さく頷く。
「うん。昨日ちょっとフォレスト・クローラーを相手に頑張ったからね。今日はお休み」
「……そうか。よく頑張ったな」
フォレスト・クローラー。それはその名の通りに森に住む巨大な芋虫のようなモンスターである。その大きさは小さい物でも全長2m。大きくなれば全長3mを越えるのもそう珍しくはない。戦闘力自体はランクDモンスターとそれ程高くなく、危険度も同ランクのトレント等に比べればかなり低い。だが、その見た目が巨大な芋虫ということもあり女の冒険者達にとっては蛇蝎の如く嫌われているモンスターなのだ。また、そのブヨブヨしている身体は前衛職の者達にとってはなるべく攻撃したくないというのもあり、女で剣士をやっているミレイヌにしてみれば最悪の相手だったのだろう。
「でしょ? だから今日はこうしてストレス解消の為にセトちゃんと戯れている訳。……レイは何の用事?」
「いや、ちょっと身体を動かしにギルドの訓練場まで行こうと思ってな。どうせならセトも行くかと思ったんだが……どうする?」
ミレイヌへと撫でられているセトへと声を掛けるレイ。何ならこのままここでミレイヌと一緒にいても構わないが……という思いもあって尋ねたのだが、セトは自分も一緒に行くと小さく喉を鳴らす。
それがミレイヌにも分かったのだろう。残念そうな顔をしながらも、溜息を吐くのだった。
「ということだが、ミレイヌはどうする?」
「あー……そうね。なら私も一緒に行くわ。一度レイと模擬戦をしてみたかったってのもあるし。……どう?」
ミレイヌにしても、自分よりも格上のモンスターであるオークキングを1対1で倒せるレイの戦闘力には興味があったので少し悩んだ後にあっさりと頷く。
「それにセトちゃんとももう少し一緒にいたかったしね」
ただ、そう付け加えるのがミレイヌがミレイヌたる由縁なのだろう。
その後はセトを厩舎から出して、いつものようにギルドへと向かう。
いつもと違うのは1人と1匹なのではなく、2人と1匹であるということか。
「セトちゃん、セトちゃん。はい、これ」
そしていつもはレイが屋台で食べ物を買ってセトに与えているのだが、その役目がミレイヌに変わっていた。
その様子を眺めながら、コッペパンのようなパンに肉を挟んだホットドッグのような物を自分用に買って口に運びながらミレイヌへと声を掛けるレイ。
「少し前までは金欠だって騒いでいたのに、今は余裕があるのか?」
「まあね。何しろレイがランクアップ試験に行ってる時にセトちゃんと一緒にやったトレントの討伐依頼で希少種を倒せたからね。その素材がかなり高額で売れたのよ。……魔石は手に入らなかったけど」
ミレイヌのその言葉に、セトが毒の爪を得たのはその希少種だったのだろうと予想する。
「それに昨日のフォレスト・クローラーも足とか糸とか魔石がそれなりの値段で売れたしね。今はお金に少しは余裕があるの」
そんなミレイヌとセトの下へとギルムの街の住人やセトを知っている冒険者達が集まってくるのも平常通りと言えば平常通りの光景だ。
そしてギルドへと到着し、セトはレイに何も言われなくても馬車や従魔の待機エリアへと移動して寝転ぶ。
日の当たる暖かいその場所は、既に半ばセトの専用スペースとなっているのだった。
「セトちゃん、じゃあ暫くお別れね。貴方のご主人様と戦ってくるわ」
「グルゥ」
セトも喉の奥で短く鳴いて2人を見送り、レイとミレイヌはそのままギルドの中には入らずに訓練場へと向かう。
「今日は余り人がいないわね」
訓練場の中を見回してミレイヌがそう呟く。
実際、訓練場の中では5人程の集団がいるだけで、他に訓練をしている人の姿は見えない。
その5人にしても、同じ場所で固まって訓練をしている以上はパーティか、あるいは知り合い同士だというのは容易に想像が付く。
「まぁ、日中だしこんなものだと思うぞ」
早朝ならまだこれからの依頼に向けて軽く身体を動かすような者もいるかもしれないが、今は日中だ。この時間帯に訓練場にいるということは、レイやミレイヌのように休日か、あるいは訓練日としている者達だけだろう。
「それもそうね。さて、じゃあお互いにちょっと身体を温めてからやり合うことにしましょうか。いいわよね?」
「ああ、問題無い」
ミレイヌの言葉に頷き、ミスティリングからデスサイズを取り出すレイ。
その様子を見ていた5人組の方から驚きの声が上がるが、ミスティリングを見て驚く者達というのはレイにとっても既に見慣れた光景だ。その様子に構わずに準備運動を開始する。
デスサイズをゆっくりと振り下ろし、斬り上げ、そのままの流れで横薙ぎにする。同時に刃の付いている方だけではなく、柄を棍のように扱うように取り回しては空中を突く。
まるで演舞のようなその動きに、先に訓練場にいた5人だけではなくミレイヌまでもが思わず見惚れていた。
「って、だからそうじゃなくて」
苦笑を浮かべながらミレイヌもまた、自分のロングソードを鞘から抜いて準備運動を開始する。
それから数分、お互いの身体が解れた所で小さく頷きそれぞれの武器を構えて向き直った。
そしていざ! と思ったその時、まるでタイミングを計っていたかのように声が掛けられる。
「すまない、ちょっといいか?」
声を掛けて来たのはレイ達よりも先にこの訓練場にいた5人組のうちの1人だった。外見はどこかお人好しそうな印象を受ける柔和な顔立ちで、年齢は10代後半から20代前半とレイよりも年上でミレイヌとは同年代といった所か。レイにしてみれば、つい数日前まで共にランクアップ試験を受けていたアロガンやスペルビアの2人を思い起こさせられる人物だった。
「何かしら?」
「君達、これから模擬戦をやるんだろう? 良ければ僕達にも見学させて貰えないかな?」
「……せめて、頼む前に自分達の名前くらいは名乗って欲しいんだけど」
「っと、ごめんごめん。2人共かなりの使い手だと思ったらついね。えっと、僕はベアムター。あっちにいる4人と組んでいる大地の絆というランクEパーティのリーダーをさせてもらっている」
ペコリ、と頭を下げて自分の不躾さを謝りながら自己紹介をするベアムターへとミレイヌも微かに笑みを浮かべながら口を開く。
「ミレイヌ。灼熱の風のリーダーを務めているわ」
「灼熱の風って、確かランクCの……うわ。あの剣の腕は道理で……」
感心するベアムターに顔を向けられ、レイもしょうがなく自己紹介をする。
「レイだ。ランクD冒険者。ソロで活動をしている」
「レイ……? どこかで聞いたような気がするけど……でも、その歳でランクDってのも凄いよ。っと、そんな話はともかく模擬戦を見学してもいいかな? 僕自身はランクDなんだけど、あっちにいる子達は殆どがランクEやFだから一度高ランク同士の戦いを見せてあげたいんだ」
「高ランクって……ランクCだとまだまだそこまで言われる程じゃないと思うけど」
そんな謙遜するというよりは事実を喋っているというようなミレイヌの言葉に、ベアムターはとんでもないとばかりに首を振る。
「その若さでランクCパーティを率いているというだけで僕達にしてみれば十分凄いよ。……で、どうかな?」
「うーん、私は構わないけど……レイは?」
恐らくギルムの街でも若手の期待株としてこの手の出来事には慣れているのだろう。ミレイヌは特に問題無いと頷いてレイへと尋ねる。
「そうだな、邪魔をしないというのなら構わない」
「ありがとう。絶対に邪魔はさせないから」
頭を下げてから仲間の下へと走っているベアムター。その後ろ姿を見送りながらミレイヌは苦笑を浮かべながらレイを見る。
「ちょっと意外だったわね。色々と秘密の多いレイなんだから模擬戦の見学なんて断ると思ってたのに」
「秘密の多い、か。確かにそれは否定出来ないな」
「そりゃそうでしょ。私の身体にあんな物を埋め込むんだもの。……まぁ、結果的に私達は意図せずに戦力アップが出来たんだからいいんだけどね」
あんなの、と言われて灼熱の風へと使用した戒めの種を思いだす。
確かにあの魔法は、レイの秘密を話さない限りは害は無い。それどころか炎に対する耐性を得たり、炎関係の魔法の威力が上がったりとメリットもあるのだ。
そんな風に思いだしていると、ベアムターが4人を引き連れてレイ達の下へと戻って来る。
「お待たせしました。ほら、皆」
『よろしくお願いします』
ベアムターの言葉にあわせて、4人が頭を下げる。
その4人は良く見ると年齢的にはレイと殆ど変わらない年頃の少年、少女達だった。
中にはレイよりも明らかに年下と思われる少女の姿もあり、その様子にレイだけではなくミレイヌまで驚かせる。
「随分と若いパーティなのね」
「うん。皆、僕と同じ孤児院出身なんだよ。で、僕が面倒を見てるんだ」
「あー、ベア兄照れてるー」
「やっぱり美人を相手にするとベア兄も照れるのか。てっきり女には興味無いと思ってたのに」
そんな野次とも言えない野次に、顔を赤くしながらベアムターが反論する。
「馬鹿、折角模擬戦を見せてくれるミレイヌさんに失礼なことを言うな。……すいません」
「いいわよ、気にしないで。それよりも危ないからちょっと離れててね」
「はーい」
(子供の扱いが慣れてるな……)
ミレイヌとベアムター達のやり取りに感心しながらも、気を取り直してデスサイズを構える。
「よし、じゃあ用意はいいわね。あ、魔法は無しよ」
「分かった。武器のみだな」
「そ。じゃあ……そうね、ベアムターさん、開始の合図を」
「では……始めっ!」
ベアムターの合図と共に、ミレイヌがロングソードを構えたまま地を蹴りレイへと迫っていく。
それを迎え撃つべくデスサイズを構えつつ、敢えて前に出るレイ。
「っ!?」
まさか長物を持っているレイが敢えて間合いを潰してくるとは思わなかったのだろう。ミレイヌは一瞬だけ躊躇をし……その結果、剣の間合いの内側にレイの接近を許してしまう。
「行くぞっ!」
その一瞬の隙を突き、デスサイズの柄でミレイヌの足を掬い上げるような一撃を放つレイだったが、大鎌の部分の動きでレイが何を狙っているのか悟ったミレイヌは素早く後方へと跳躍する。
その一瞬後、ミレイヌの足があった場所をデスサイズの柄が鋭く通り過ぎていく。
「……さすがにやるね。これでランクDだとか詐欺でしょ」
「そっちこそこうも容易くこっちの意図を見破るとは思わなかった」
「これでもランクCなんだから、そうそう容易くやられはしないよ。ギャラリーの目もあるってのにあっさりとやられちゃ先輩の面目丸つぶれでしょ」
「そういうのを気にするタイプだったか?」
軽口を言い合いながらも、目や身体の動きでフェイントを仕掛け、お互いの隙を探る。
(とは言え、このままだと時間だけが過ぎていくか。なら……)
内心で決意し、会話を続けながらも徐々に、徐々に隙を作ってはそれを大きくしていく。
その様子を見ていたミレイヌも隙が出来るごとにピクリと反応はするのだが、それが誘いであるというのも理解しているので迂闊に仕掛けられない。
わざと隙を作ってそこに攻撃を誘うという真似をしたレイだったが、その行為にどこへ攻撃を仕掛けたとしても防がれるのではないかというプレッシャーを感じ始めるミレイヌ。
ここで攻めてもいいのか? それともこれも隙なのか? ここで攻めないと……そんな考えが頭を巡り……
「はぁぁぁっ!」
そのプレッシャーに耐えきれなくなったように大きく一歩前へと出る。
裂帛の気合いと共に振り下ろされた一撃をレイはデスサイズの刃が付いていない方で受け止め、柄に沿って受け流し……そのままミレイヌの刀身が柄を掴んでいるレイの手元付近まで来た時、デスサイズで刀身を絡めるようにして上空へと剣を弾き飛ばす。
そして次の瞬間には、無手になったミレイヌの首筋へとデスサイズの刃がピタリと当てられていた。
「そこまで、勝者レイ!」
訓練場にベアムターの勝負ありの声が響き渡り、それを見ていたベアムターの仲間の冒険者達はランクD冒険者がランクC冒険者に勝ったという出来事に驚きの声を上げるのだった。