0050話
ガタゴトと揺れながら、1台の馬車が街道を進んで行く。3頭もの馬が引く馬車の速度はそれなりに速く、その御者台ではローブを纏った魔法使いと思しき存在が馬の手綱を握り、魔法使いの隣では戦士風の男がモンスターの奇襲を警戒して周囲の様子を探っていた。
そして馬車の内部では。
「うわっ、本当にまだ温かい。これっていつ買った奴?」
「あー、何日前だったかちょっと忘れたが、焼きたてなのは間違い無い」
レイがミスティリングから出した焼きたてのクッキーをキュロットが驚きながらも笑みを浮かべて口に運ぶ。
「あら、いい匂いね。私も1枚貰ってもいい?」
「いいわよ。かなり美味しいからフィールマも食べてみなさいよ」
その匂いに釣られたフィールマが思わずといった様子でクッキーを口に運ぶ。
「あら、本当。……アイテムボックスって凄いわね。いつでも焼きたてのクッキーが食べられるなんて」
「……いや、普通はアイテムボックスはこういう風に使うんじゃないと思うんだが」
フィールマの言葉に、スペルビアが唖然としながらもそう口に出す。
そんなスペルビアの様子に、自分のアイテムボックスの使い方が普通とは違うというのを理解しているレイは苦笑を浮かべつつもまだ残っている焼きたてクッキーの入っている皿を差し出した。
「食うか?」
だが、皿に乗せられているクッキーを眼にしたスペルビアは小さく首を左右に振る。
「いや、甘い物は苦手でな」
「なら俺が1枚貰おうか」
断ったスペルビアの代わりに、グランが手を伸ばしてクッキーを手にとって口に運ぶ。
「うん、確かに美味いな」
そんな状態で外の御者席で緊張感を漂わせているアロガンと違い、馬車の中は和気藹々とした様子だった。
昨日は緊張の余りにレイへと突っかかってきたキュロットにしても、さすがに1日も経てばその緊張感にも慣れてきたらしくその態度は至って普通だ。
パーティの眼であり、耳であり、鼻でもあるキュロットの様子に安堵を覚えつつ、自分もクッキーを口に運びながらグランへと声を掛ける。
「今回の試験は盗賊の討伐だが、生きて捕獲とかは考えなくてもいいのか? オーク討伐の時にボッブスから盗賊なんかは生きて捕らえると奴隷として売り払うことが出来ると聞いたんだが」
「あぁ、確かに普段ならそれでもいいんだが、何しろ今回はお前達が盗賊……いや、人間を相手にしてきちんと殺せるかどうかというものだからな。その辺は考えずに全て倒し……いや、殺してしまって構わん」
人を殺すという事実を誤魔化させない為に、敢えて倒すから殺すへと言葉を変えて口に出すグラン。
それを聞いていたフィールマとキュロットは軽く眉を顰め、対照的にレイとスペルビアは特に表情を変えること無く受け入れる。
「でもさ、今更だけど盗賊の数は最低20人なんでしょ? 私達6人でそれを相手にするのはちょっときつそうだよね」
「いや、そうでもない。何しろ俺達が攻撃する側なんだから奇襲を仕掛けることも可能だろう。……もっとも、奇襲できるかどうかはお前の働きに掛かってるがな」
不安そうに呟いたキュロットへと、レイが告げる。
実際、盗賊と言われてはいても戦闘力や仲間との連携、あるいは人間故の頭の良さといった要素を加えて総合的に考えても、その危険度や戦闘力はゴブリン以上、オーク未満といった所でランク的に言えばせいぜいEランク相当でしかない。
ただ、盗賊というのは人間――正確にはエルフや獣人、ドワーフのような亜人も混ざっていることがあるが――であるという点で冒険者達が殺すのを躊躇う可能性もあるのでランク的にはDとなっているのだ。
「だろうな。実際、今回この試験を受けている参加者は試験官のグランさんも言っていたが粒ぞろいだ。そもそもパーティ6人のうち、3人が魔法を使える時点で盗賊退治程度には贅沢極まりないメンバーだよ」
レイとキュロットの話を聞いていたスペルビアが苦笑しながらキュロットの緊張を解すべくそう告げる。
「……ちなみに、私の精霊魔法と御者をしているスコラの魔法は見たけど、レイの魔法はどんな風なの?」
前日に行われた模擬戦で、レイはデスサイズを使った戦闘しか見せていないために興味を抱いていたのだろう。フィールマが身を乗り出して尋ねてくる。
(エルフ、ねぇ)
レイは自分の中にあったエルフというイメージとは随分と違うフィールマの様子に多少戸惑いつつも口を開く。
「基本的には炎の魔法がメインだな。ただ、威力は強いがそれだけに周囲に与える影響も大きくてな。威力の調整も出来てせいぜい生焼けか黒こげかってことで今回みたいな殲滅戦ならともかく捕獲とかになると途端に使えなくなる」
「ふーん。……確かに、私の眼から見てもレイの持ってる魔力は高いわね。……それこそ、エルフの私達はもとより上位種族であるハイエルフの方々よりも……」
最後だけを周囲に聞こえないように口の中で呟く。
前日のランクアップ試験の顔合わせの時に、会議室へと入ってきたレイを見たフィールマはその桁外れと言ってもまだ足りない程の魔力を感じ取ってしまった。その為に何かあったらいつでも逃げ出せるように会議室では意識を張り詰めていたのだ。
(実際、このレイって人の魔力は尋常な量じゃない。まるで、魔力その物が人の形をしていると言ってもいい程だもの。まさかただの人間がこんな魔力を持ってる筈も無いし……人間じゃない? なるほど、それはあるかもしれないわね。ただ、少なくても意思疎通は可能だし敵対的という訳でもないというのは助かるわね)
内心でレイについての観察と評価をしつつ、自分達に危害を加える可能性は少ないだろうと微かに緊張を解く。
フィールマにしてみれば10人や20人の盗賊よりも、目の前にいるレイの方が余程危険度が高いように感じていたのだ。だが、その緊張感も会話をしているうちに徐々に解れていくのだった。
「ねぇ、レイ。そろそろ野営の準備をした方がいいんじゃない?」
太陽が沈んでいく夕暮れを馬車で進む中、スコラがレイへとそう声を掛けてくる。
その声を聞き、窓から外の様子を眺めると数秒程考えて頷く。
「そうだな、まだ初日だというのにここで頑張りすぎても明日以降に響く可能性があるか」
スコラの提案に頷き、御者台と繋がっている扉を開けて御者をやっているスペルビアと見張りのアロガンへと声を掛ける。
「そろそろ野営の準備に入るから良さそうな場所があったら止まってくれ」
「ああ、分かった」
「……」
レイの言葉に短く返事をするスペルビアと無言で返すアロガン。
出発時のゴタゴタがまだ尾を引いており、御者台にはどこか緊張感が漂っていた。
そんな状態ではあったがスペルビアは必要以上に揉め事を起こす気は無いらしく沈黙を守り、アロガンはアロガンで先日の一件や出発前の一件でレイに対する恐怖心染みた苦手意識を植え付けられている為にこちらも大人しく敵の襲撃を警戒している。
そして御者席にいる2人に声を掛けてから暫くすると岩の陰になって周囲から見えにくくなっている場所を発見し、そこで一晩を明かすことにしたのだった。
その岩陰へと馬車を止め、まだ明るいうちにレイの持ってきたテントを男用に。キュロットの持ってきたテントを女用として設営する。
同様に、エルフであるフィールマが近くにある森から薪を集め、アロガンが川から水を汲んできて野営の準備は完了した。
その後はそれぞれが持ってきた食べ物で夕食を済ませる。
「護衛は2人1組。それを3交代制にする」
そう言いながら、レイはミスティリングから砂時計を取り出す。
前日に道具屋で買い求めた魔導具で、名前はそのまま砂時計という。5cm程度の大きさしかないが、その中に使われているのは魔石を砕いて錬金術を用いて処理をした物なので、それなりに高価な魔導具ではある。普通の砂時計では2時間を計るとなるとそれなりの大きさが必要になるのだが、この砂時計は魔石を用いたマジックアイテムなだけに5cm程度の大きさで2時間を計ることが出来るようになっていた。
「この砂時計は中の砂が落ちきるのに2時間掛かるから、これが落ち終わったら交代とする。1組目はアロガンとスコラ。2組目はキュロットとスペルビア。最後は俺とフィールマだ。異論がある者は?」
「その組み合わせの根拠は何だ?」
レイの向かい側、焚き火の向こう側にいるスペルビアがそう尋ねる。
その言葉を聞いたキュロットが自分と組むのが不満なのかと視線を向けるが、スペルビアはその視線を意に介さずレイの返事を待つ。
「1組目は魔法使いと剣士。2組目は剣士と盗賊。3組目は魔法戦士とレンジャー。戦力的に均等になるように分けたつもりだ」
「……了解した。それでいい」
スペルビアが頷くと、特に他に何か意見がある者がいる訳でもなかった為に後はそのまま自由時間になる。
キュロットとフィールマが女同士で話をし、アロガンは自慢の魔剣の手入れを。スコラは魔法の訓練なのか昨日の模擬戦でも使った水の鞭を作りだしては消してというのを繰り返している。そんな皆の様子をグランは特に何を言うでもなく見守り、レイはデザートとして街で買っておいたクムの実――梨に近い食感とミカンの酸味を持つ――を食べていた。
そんなレイの下へとスペルビアが近付き声を掛ける。
「レイ、ちょっといいか?」
「ああ」
「良ければでいいんだが、俺の剣の稽古に付き合ってくれないか?」
「剣の稽古?」
「何しろ今日はずっと馬車の中だったから少し身体を動かしておきたいんだ」
その言葉に少し考えてから頷くレイ。
剣の稽古という意味でならアロガンもいるのだろうが、基本的な性格が傲慢なだけにスペルビアとも合わないのだろうと判断したのだ。
それに自分に話し掛けてきたスペルビアからは訓練と言うよりも昨日の模擬戦のリベンジを、という雰囲気を放っているというのもあるだろう。
「じゃあ、少し離れるか。ここでやって他の面子に怪我をさせる訳にもいかないしな」
「ああ、それで構わない」
レイがそう提案し、スペルビアは頷く。
その場にいる面々に断り、少し離れた場所へと移動するとレイはミスティリングからデスサイズを取り出し、スペルビアは鞘から剣を抜いて構える。
そんな2人の様子をキュロットとフィールマ、グランは興味深そうに眺め、アロガンは興味のない振りをしながらもチラチラと視線を向けていた。全く興味を向けていないのは魔法の訓練に集中しているスコラだけである。
「来い」
「行くぞ!」
レイの言葉に鋭く叫び、地を蹴って間合いを詰める。デスサイズという長物を使っている以上は懐に入られればどうしようもないだろうという判断。そしてレイはそれをさせじとデスサイズを振り下ろす。
ここまでは昨日と全く同じ展開。昨日はここでスペルビアがデスサイズを剣で受け止めて身体ごと吹き飛ばされた。つまりは……
「選ぶべき選択肢は受けではなく回避!」
横合いからデスサイズが迫っているのを感じ取り、そのまま地を這うように姿勢を低くして死神の一撃を潜り抜ける。そして目の前にある足下へと剣を横薙ぎに……
「甘いな」
しようとした、その瞬間。つい一瞬前に自分の上を通り過ぎた筈のデスサイズの柄が何故かスペルビアの目の前にあった。
横薙ぎにされたロングソードは、当然その柄に受け止められている。
「ちぃ!」
攻撃が止められたと理解して今の場所にこのままいるのは危険だと判断。咄嗟に後ろへと跳躍しようとするが、足首を何かが通り過ぎたかと思うと、いつの間にかスペルビアはその場へと転がされていた。
そして目の前に突きつけられたデスサイズの巨大な刃。
「……今、何をした?」
何をしたと聞いてはいるが、レイが何をしたのかというのはやられた自分が一番よく知っている。だが、それをいつ行ったのかが全く分からなかった。昨日為す術もなく破れた相手との再戦なのだから決して手を抜いていた訳ではない。そしてそこまで注意していたにも関わらず自分の足をいつ掬われたのかが全く分からなかった。
レイはある種の畏怖が混じった目で自分へと視線を向けるスペルビアを気にした様子は無く、数歩離れた位置で再びデスサイズを構える。
「どうした? 訓練はもう終わりなのか?」
その言葉がスペルビアのプライドを刺激したのか、そのまま立ち上がる。
何しろ昨日とは違い、足を掬われて転ばされただけなのだ。このまま訓練を続けるのに全く支障はない。
その圧倒的ともいえる実力差が、かえって余計にスペルビアのやる気を刺激した。
「はぁっ!」
気合いと共にロングソードを振り下ろし、横薙ぎに一閃、突き、足首を狙った地を這うような一撃。
それ等全ての攻撃を、いなされ、回避され、弾かれる。
そんな、模擬戦と言うよりは既に戦いといってもいいやり取りが開始されてから20分程。唐突にレイが構えていたデスサイズをミスティリングへと戻す。
「どうしたんだ? 俺は、まだやれるぞ」
そうは言いつつも、スペルビアの息は既に乱れているのは誰が見ても明らかだった。
「このままやっても明日に疲れを残すだけだ。今日はここまでにしておく」
「……」
多少不満そうにしつつも、自分の状態はきちんと理解しているのだろう。不承不承ながらその剣を鞘へと戻す。
こうして、多少のイベントを起こしつつもランクアップ試験1日目の夜は過ぎていった。