0034話
オークの小屋に背を着けるようにして、敵の奇襲を警戒しながらも休憩しているように見える男。その男を狙ってスニィは弓を引き絞っていた。
(結局グリフォンをテイムしてるって言っても自分自身の実力はこんな物な訳ね。弓で狙われているというのに殺気一つ感じ取ることが出来ないなんて。全く、アルも心配しすぎなのよ)
いつでも弓を放てるように準備を完了し、チラリと向かいの建物の屋上にいるセリルへと視線を向ける。
スニィの視線を受け止め、小さく頷くセリル。アルとムルガスの準備も整ったという合図だ。
(新入りちゃん、分不相応にも貴重なマジックアイテムを持ってた自分を恨むのね。アイテムボックスは売り払って私達の人生の糧にさせてもらうから……ねっ!)
息を止め、狙いを定めて矢を持っていた手を離すと、次の瞬間には弓から放たれた矢が夜の空気を斬り裂くようにしてぼーっと休んでいるように見える標的へと向かい、そのまま胴体へと命中してレイは声もなく地面へと倒れこんだ。
「よし、全員掛かれ!」
同時に周囲に響くセリルの声。その声が発せられるのと同時にアルとムルガスがバスタードソードと短剣を構えて暗闇から躍り出る。セリルもまた長剣と盾を持ったまま屋根からふわりと飛び降りた。
仲間3人の様子を確認しつつ、不測の事態に備えて再度弓を引くスニィ。
少し離れた所で自分に狙いを付けていた矢が放たれた瞬間、レイの目はその放たれた矢を的確に捉えていた。
自分の頭部を狙って放たれたのならデスサイズで斬り飛ばすなり回避するなりしようと考えていたのだが、矢が狙っているのは胴体だった。恐らく狙いがより付けやすい胴体を狙ったのだろうと判断し、ドラゴンローブで右脇腹へと放たれた矢を防ぎながらもそのまま地面へと倒れこんだように見せかける。
次の瞬間には向かいにある建物の上からセリルの声が聞こえ、その声と同時に2人、セリルと合わせると合計3人分の足音が自分の方へと近寄ってくるのを聞き取っていた。
(ボッブスとエルクから貰った情報によると夜闇の星の構成人数は4人。戦士2人に弓使いが1人、そして盗賊が1人。この場合一番厄介なのは遠距離攻撃が可能な弓使いだが、幸いドラゴンローブを抜ける威力は無いから後回しでいいだろう。そうなると次に厄介なのは身軽で闇に紛れるのが得意な盗賊か)
自分に近寄ってくる3種類の足音を聞きつつ、盗賊の位置を探る。
戦士と盗賊では身のこなしや装備品の重量が違う為に足音にも微妙に差異がある。それを聞き分けているのだ。
(左、か)
正面がセリル。右から近付いてくるのはその足音や走る速度から重い装備を身につけている夜闇の星のもう1人の戦士のアルだと判断し、地面に倒れたまま握っているデスサイズをしっかりと握る。
戦士と盗賊では移動速度にも当然差があり、一番最初にレイの場所へと辿り着いたのは夜闇の星の中でも軽装備である盗賊のムルガスだった。
「ムルガス、どうだい? スニィの弓できちんとくたばってるかい?」
少し離れた位置から聞こえて来るセリルの声。それも足音と共に徐々に近づいて来ているのがレイには感じ取れている。
「ちょっと待ってくれ姐御。今確かめてみる」
ジリ、ジリと近付いてくる足音を聞きながら内心でニヤリと笑みを浮かべるレイ。
本来ならこういう場合は迂闊に標的に近付くのではなく短剣なりその辺に落ちている石なりを投げたりして反応を確かめるというのが相手の生死を確かめるには一番いい。実際に今回も短剣なり投石なりで頭を狙われていたらすぐに反撃に移るしかなかったのだが、ムルガスは武器を惜しんだのか、あるいは手間を惜しんだのか、警戒しながらもレイへと近付いていく。そして……
(今だ!)
足音からムルガスが自分の攻撃可能範囲に入ったと判断したレイの行動は素早かった。地面に倒れこんだまま握っていたデスサイズを地に這うようにして横薙ぎに一閃したのだ。自分の攻撃が察知されないように魔力を通さない状態での一撃だったので、肉を斬り裂き、骨を切断するその感触を普段より強く感じつつもデスサイズ自体の斬れ味でムルガスの両足首を切断する。
「……え? あ、あ、あ……ぎゃああああああああ! お、俺の足が、俺の足がぁぁぁっっ!」
一瞬、自分が攻撃を受けたのを信じられなかったのだろう。呆けたような声を出しつつも、両足首を切断された為に上手く立っていることが出来ずに地面へと崩れ落ちるムルガス。そして数秒を経てから襲ってきた強烈な痛みに地面に倒れながら泣き喚く。
「ちぃっ、まだ生きてたのかい。アル、行くよ。どうせ最後の悪あがきでしかない。スニィ、弓で援護を!」
セリルはレイの持っている最大のマジックアイテムはアイテムボックスであるミスティリングのみだと判断していた。故に、まさか普段から身に纏っているドラゴンローブが、ミレアーナ王国中を見回しても……否、エルジィン中を見回しても他に類を見ない程の最高級品質のマジックアイテムであるとは思わず、今ムルガスに放たれた一撃はスニィの矢で致命傷を負った死の間際の苦し紛れの物だと思い込んだ。
あるいは、それも無理は無かったのかもしれない。何しろドラゴンローブはゼパイル一門、つまりは当時の世界でも最高峰の錬金術師であるエスタ・ノールがその価値を他者に見抜かれないようにと隠蔽効果を付与しているのだ。辺境の、それもCランク程度の冒険者にそれを見破れというのが無理な話だろう。
頭の片隅でそんなことを考えつつ、ムルガスの両足首を切断したデスサイズの一撃の反動を利用して跳ね起きるレイ。そのまま地面を転がり回っているムルガスへと近づき、デスサイズの刃で地を掬うような一撃を放って見苦しく泣きわめいていたムルガスの胴体を真っ二つにする。
「がっ!?」
小さく悲鳴を上げ、胴体から胃や腸といった内臓を周囲にばら巻き、目から光を失うムルガス。その近くにまるで揃ったかのように足首から先が靴と共にあるのを見て、その様に一瞬だけ苦笑を浮かべる。
(人を殺しても罪悪感は特に無し、か。まぁ、現状ではありがたいけどな)
「ムルガス!? ちぃっ、矢が当たったってのに無傷なのかい! アル、一斉に仕掛けるよ!」
「姐御!? 一旦退いた方が!」
「馬鹿を言うんじゃないよ! もう仕掛けたんだ。こうなってしまった以上はあたし達が新入りを殺すか、あるいは奴に逃げられてギルドに賞金を掛けられるかのどっちかしかないんだ。覚悟を決めな!」
「……くそっ、分かったよ!」
タイミングを合わせ、前方と右から剣を振りかぶってくる2人。そのうち夜闇の星のリーダーであるセリルの方が手強いと判断し、まずは相手の数を着実に減らすべく狙いをアルへと定め、デスサイズの柄を使って自分の周囲に巻き散らかされているムルガスの内臓をアルの方へと向かって弾き飛ばす。
「ちぃっ!」
咄嗟にバスタードソードを横薙ぎに一閃。ムルガスの内臓を顔で受け止めて目潰しとされるのは回避する。だが……
「馬鹿! 迂闊だよ!」
セリルの声が周囲に響くが、既に遅い。バスタードソードはその重量故に一撃の威力は高い。しかし、同時にそれは取り回しの難しさにも繋がるのだ。例えば、レイが今やっているように懐に入り込まれた時のように。
バスタードソードを振り切ったアルがふと風を感じて視線を向けると、既に先程までレイのいた場所にはローブを纏った小柄な姿は何処にも見えなかった。
「アル、懐だ!」
セリルが長剣を構えて叫びながらアルの方へと向かうが、既に遅い。まさに死神の大鎌の如くアルの命を刈り取ろうとその巨大な鎌が振り下ろされそうになっていたのだ。
(くそっ、姐御は間に合わない。俺の剣も間に合わない……こんな、こんな所で終わるのかよっ!)
自分の死をもたらす存在がすぐ目の前に迫ってきているせいだろう。アルの頭はこれまでになく素早く回転し、自分の生きてきた人生の意味は何だったのかと自問をし、セリルの口車に乗ってレイを襲ったことを後悔し……
「馬鹿っ、諦めるな!」
その声が聞こえた瞬間、我に返った。
「……何だ?」
おかしい、自分は今死ぬ寸前だった筈だ。なのに何故生きている? そんな疑問を抱きつつ視界に入ったのは、先程レイが大鎌を振るおうとしていた位置と自分の位置の丁度中間辺りの地面に突き刺さっている数本の矢だった。
その矢を見た瞬間、諦めるな、と叫んだ声がスニィのものだったと思い出す。
「無事だね?」
そして隣には剣を構えてレイを牽制しているセリルの姿。そこまで周囲の状況を確認して、ようやく自分がまだ生きているんだと実感することが出来たのだった。
「姐御、あいつは強い。伊達にグリフォンを従えてる訳じゃないらしい」
「そのようだね。ったく、ランクGの新入りだよ? それがこんなに強いなんて誰が思うのさ」
そんな2人のやり取りを聞きながら、レイの口元には笑みが浮かんでいた。
「俺がどのくらい強いのか、か。そうだな。少なくてもCランクモンスターを討伐出来る程度の強さは持ってると自負しているよ」
デスサイズをヒュンヒュンと振り回しながら目の前の2人を視界に入れつつ、弓使いであるスニィの様子を窺うのも忘れない。
先程の弓での一撃はタイミング的にはこれ以上ない物だった。レイの人外に近い身体能力を持っていたからこそ攻撃を回避出来たのだが、通常の人間ならまず間違い無く放たれた矢をその身に受けていただろう。
(そして何よりも驚いたのは、あのアルとかいう男を明らかに囮にしていた。俺がデスサイズを振るうのを、そのほんの一瞬の隙を突くかのようにして攻撃しながら、それでも尚諦めるなと口に出し、それに応えるように動いた。……なるほど。信頼、か)
この討伐任務に参加してからのレイは、夜闇の星に関してチンピラ同然のパーティだと思い込んでいた。実際その行動原理はチンピラそのものではあるのだが、パーティ間の信頼はきちんとされているのだろうと、この時初めて理解したのだった。
(かと言って、俺が大人しく殺されてやる訳にもいかないけどな。俺に不意打ちを仕掛けてきた時点でお前達の死は既に確定済みだ)
死の寸前からどうにか脱したアルが額に冷や汗を滲ませながらもレイの隙を窺う。同時に、その隣にいるセリルもまた同様だ。背後からはレイが隙を作ったらいつでも矢を放てるように弓を引いているスニィ。
敵を牽制するようにデスサイズの柄の中程を持ち、まるで棍の演舞でもしているかのようにヒュンヒュンと振り回しつつ夜闇の星相手の作戦を内心で練る。
(この場合一番厄介なのは近接戦闘が可能な2人じゃなく、遠距離からの援護が可能なあのスニィとかいう女か)
デスサイズを振り回しつつ、チラリとスニィの方へと視線を向けるレイ。そこはオークが作った家屋の屋根の上であり、普通ならそこまで攻撃は届かないだろう。炎の魔法を使うにしても、セリルとアルの2人が呪文を唱える隙を与える筈も無い。そう、スニィに対する攻撃手段が無いのだ。普通なら……だが。そしてレイの存在はとても普通と言える存在では無かった。
デスサイズを振り回している遠心力を使い、柄の部分で地面を抉り土や石を目の前にいる2人への目潰しとして撃ち放ち、その場から大きく後方へと跳び退る。
次の瞬間、一瞬前まで自分がいた場所を中心に数本の矢が突き刺さっているのを確認しながらスレイプニルの靴を発動する。
跳躍したレイが最高点に達し、落ち始めた所でスレイプニルの靴で空気を踏んでさらに跳躍。
その瞬間、まるでレイが落ち始めている所を読んでいたかのようにレイの足下を数本の矢が飛んでいく。あのままスレイプニルの靴で空を足場にしていなければ、恐らく放たれた数本の弓のうちの何本かはレイに突き刺さっていただろう。だが、そのスニィの計算をマジックアイテムであるスレイプニルの靴が覆す。
自分の攻撃が再度外れたのを見たスニィが慌てて矢筒から矢を取り出して弓を引こうとしたその時……
「残念だったな」
既にレイはスニィの目の前に存在しており、デスサイズを振りかぶっていた。
「っ!?」
何かを叫ぼうとしたスニィだったが、それが口に出る前に魔力の込められたデスサイズが振り下ろされ、その巨大な刃は肩口から入り袈裟懸けにスニィの身体を斜めに切断し……次の瞬間には身体がずれて内臓と血を屋根の上にぶち撒ける。
『スニィ!?』
その様子を見ていたセリルとアルは同時にスニィの名を呼ぶが、既にスニィの瞳から意志のある光は消え去っていた。
「手前っ! よくもスニィを!」
怒声を上げるアルだったが、レイは冷たく凍えた目でアルとセリルを見据えるのみだった。
「何だ、自分達は俺を殺しても良くて、俺がお前達を殺すのは駄目だとでも言うのか? 殺すつもりで掛かって来たのを殺し返して何が悪い? それともお前達のみが俺を殺す権利を一方的に持っているとでも言うつもりなのか?」
「うるせぇっ! とっととそこから降りて来やがれ! 俺の剣でスニィやムルガスがやられたのと同じように叩っ斬ってやるよ!」
そう怒声を吐くアルだったが、レイはそのままそこに留まって降りてくる様子が無い。
「何だ、盗賊や弓で武装してる相手は倒せても、お前と同じ近接戦闘職同士でやり合うのは苦手なのか? お前も男なら正々堂々と戦え!」
「くくっ。正々堂々、ねぇ。自分達は不意打ち、4人で俺1人に奇襲を仕掛けておいて正々堂々とかあまり笑わせないで欲しいんだが……いや、冒険者としての才能はともかく、芸人としての才能なら一級品だな、お前は」
「ふざけるな!」
「そうだな、冗談はこの辺にしておくか。それと冗談ついでに訂正しておこう。俺は別に戦士では無い。敢えて言うなら……『魔法戦士』だ」
「……何?」
思わず聞き返してきたアルの言葉を無視し、魔力を込めた呪文を口に出す。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
レイが呪文を唱え始めるのと同時に、魔力で構成された紅い線がアルとセリルのいる場所を囲うように描かれていく。
「ちぃっ!」
その線の危険性を察知したのだろう。セリルは後方へと素早く跳躍してその魔力線から逃れる。だが、セリルよりもランクの低いアルにはそこまでの判断力は無かった。いや、あるいはあったのかもしれないが、仲間を殺されて頭に血が昇り危機感知能力が下がっていた。
いつもの慎重さを発揮していたのなら、もしかしたら自分に迫る圧倒的な死の存在を感じ取れていたかもしれない。だが、それは全てもしもの話。既にアルは紅い魔力線に囲まれており、その運命は決していた。
『火精乱舞』
呪文が完成し、魔法が発動する。紅い線で描かれた場所がまるで切り取られたかのように半透明の紅いドームに覆われ、ようやく自分がどれ程危険な場所にいるのかを悟ったアルが頬を引き攣らせた瞬間……紅いドームの中に無数のトカゲのような存在が現れる。その数は数えるのも面倒臭くなる程の数であり、同時に次の瞬間にはトカゲ達が爆発して炎に変わっていく。1匹が爆発して炎へと変化し、その爆風に触れたトカゲが同じく炎に変化し……と、爆発と炎の数が連鎖的に増え、最後の1匹が爆発して炎に変化した時にはその眩しさに目を開けていられない程の灼熱の炎がドームの中を荒れ狂い、アルに最後の言葉すら発せさせずに瞬時に燃やし尽くすのだった。