0026話
「あ、レイさん。依頼の方はどうでしたか?」
会議室を出て、ギルドの1階へと戻ると受付嬢のレノラが声を掛けてくる。今までに何度も世話になってる相手なので邪険にする訳にもいかずに、カウンターの方へと歩を進める。
「ああ、問題無い。無事に依頼を受けられることになった」
「そうですか。でも、相手はオーク。それもかなりの数と聞いています。気をつけて下さいね。ギルドとしても将来有望な新人にいなくなられるのは困りますし」
そう話すレノラの目は、確かにレイを心配そうな色を浮かべていた。
「そうよ。レイ君はまだまだ新人なんだから、難しい所はランクの高い人達に任せてまず生き残ることを考えないと」
突然聞こえてきたその声はレノラの隣、猫の獣人族の受付嬢だ。今まで話したことが無い相手だっただけにレイは訝しげな視線を向ける。
「あ、ご免ね。自己紹介がまだだったわね。私はケニー。レノラの悪友って所かな。よろしくね、レイ君」
「あ、ああ。よろしく頼む」
何故か殆ど初対面だというのに、あからさまな好意を発しながら接してくるケニー。その様子に些か戸惑いながらも差し出された手を握り返す。
「ちょっと、ケニー」
「何よ。朝の忙しい時間帯も一段落したんだから、少しくらいいいじゃない」
ケニーの言葉に依頼の張ってあるボードの辺りへと視線を向けるレイだったが、確かに依頼書を張っているボード周辺には殆ど人の姿が無い。
酒場の方には仕事の前に朝食を摂っている冒険者達も数名いるが、さすがに酒を飲んでる者はいなかった。
「とにかくレイ君。今回のオーク討伐の依頼はかなり危険なことになるだろうから、くれぐれも気をつけてね」
「ああ、そうさせてもらう。さて、俺も色々と準備があるからそろそろ行くよ」
「あ、うん。レイさんお気を付けて」
「レイ君、無事に帰ってきたらお姉さんが褒めて上げるから怪我をしないようにねー」
レノラは軽く手を振り、ケニーは自慢の大きな胸を強調するようなポーズでレイを見送る。
まだギルド内部に残っていた面々は自分達のアイドルでもある受付嬢達の様子に嫉妬の目を向けたりもしていたのだが、レイはそれに気が付かずそのままギルドを出て行くのだった。
「あら、お帰りなさい。早かったですね。今日はお休みですか?」
夕暮れの小麦亭へと戻ると、丁度入り口でラナと鉢合わせをする。その恰幅の良い身体でこれでもかとばかりに大量の食材を手にしているのは、今日の夕食用の食材なのだろう。
「丁度良かった。これから依頼で何日か留守にするんだが」
「はい、分かりました。ただ、貰っている日数分の料金を過ぎてしまったら部屋にある荷物はこちらで預かることになります。その後3ヶ月経っても戻ってこない場合は処分となりますがよろしいですか?」
「ああ、構わない。それと当然だがセトも連れていくことになる」
「分かりました。出発はいつになりますか?」
「昼くらいだな」
「では、出発前に食堂の方に顔を出して下さい。弁当は用意しておきますので」
短くそれだけを言うと、食堂の方へと消えていくラナ。昼食の準備や夕食の仕込みで忙しいのだろう。
その姿を見送ったレイは部屋へと戻り、ドラゴンローブとスレイプニルの靴を脱いでからベッドへと横になる。
何しろ基本的な荷物は全てミスティリングの中に入れてあるので、部屋に置いてある私物はそれこそ着替えや小銭程度しかない。
(オークの群れ。それも希少種か上位種に率いられている可能性が高い、か)
希少種と上位種。この2つは明確に違う。例えば以前にレイが倒したゴブリンの希少種。これはゴブリンそのものの突然変異だ。それに対してゴブリンの上位種となると、ハイ・ゴブリンのようにゴブリンそのものよりも上位の存在としてこの世に生を受けたモンスターだ。
(どのみちオーク自体もランクはそれなりに高いからスキルの習得に関しては期待出来るだろう。ただ、セトやデスサイズの特異性については余り目立たせない方がいいのも事実、か)
ただでさえ現状のレイはその実力や装備等で非常に悪目立ちしている。それに加えてミスティリングの存在を大勢の前で披露したのだから、現状のままでもいずれ何らかの魂胆を持った相手が近付いてくるのは避けられないだろう。現に会議室でミスティリングを見せた時に鋭い視線を送ってきた者も数名いた。そこに加えて水球やファイアブレスを使うグリフォンや、切り結んだだけで相手の装備を腐食させる効果を持ったデスサイズの存在が表沙汰になった場合……
(いや、待て。セトの水球やファイアブレスに関しては誤魔化しようがないが、腐食に関しては俺の魔法と言い切れば誤魔化せないこともない……か? いや、まぁ、どのみちなるべく知られないようにした方がいいのは事実なんだが)
敵の金属装備を腐食させるというデスサイズのスキルは、どちらかと言えばモンスターよりも人間相手の方が有効に働く。
考えてみれば当然なのだが、己の爪や角、牙や尻尾といった身体の一部が武器のモンスターと違い、人間は武器や盾、鎧といったもので武装しなければ基本的にその戦闘力は極端に落ちる。そしてそれらの武器の大半が金属製であることを考えると、そういう相手にこそ腐食というスキルは天敵と言ってもいいだろう。
(セトはグリフォンとしての基本的な能力のみで戦って貰う。そして俺は腐食のスキルはなるべく隠す方向で進める……といった所か。けど、オークは武装している者が多いとゼパイルの知識にもあったから、そっちは臨機応変に対応するしかないな)
臨機応変……というよりは、半ば行き当たりばったりで流れに任せた方がいいと判断したレイは勢いを付けてベッドから立ち上がり、出発の準備を始める。
まぁ、出発の準備とは言ってもベッドに寝転がる時に脱いだドラゴンローブとスレイプニルの靴を身につけるだけなのだが。
昼にはまだ少し早いが、元々のボッブスとの約束が昼前にギルドに来いというものだったのでここの食堂で昼食を食べてから向かえば丁度いいと判断したのだった。
「あ、お客さん。はい、これ。今日の夕食にでも食べて下さいね」
食堂に入った途端にバスケットにたっぷりとサンドイッチの入った弁当を渡される。
いつもの弁当と違ってかなりの量が入っているのか、ずっしりと重い。その重量感に意表を突かれ、思わず尋ねる。
「いつもより随分多いようだが?」
「そりゃそうですよ。10日分の宿泊料を貰ってるのに数日も留守にするって言うんですからこのくらいは奮発させてもらいます。あと、今日の昼食はそこから天引きってことでいいですよ。座って下さい、すぐに料理を持ってきますから」
こうして夕暮れの小麦亭で昼食を取り、弁当としてたっぷりのサンドイッチも貰って満足したまま厩舎へと向かうのだった。
「グルルゥ」
レイが入って来たのを見たセトが嬉しそうな鳴き声を上げる。
同時に厩舎の中にいた他の馬達が落ち着き無くそわそわし始めた。
自分達より生物としての格が圧倒的に違うセト。だが、それでも厩舎にいる時は眠っていて安全だったのに、レイが来たことにより目を覚ましたので再び恐怖を覚えたのだ。
そんな様子に苦笑を浮かべながらもセトを厩舎から出すレイ。
「セト、これから泊まりがけでオークの討伐に向かう」
「グルゥ」
分かった、とでもいう様に短く喉の奥で鳴くセト。
「ただし、今回は俺とセトだけじゃない。全部で数十人近い集団での行動だ。だから俺はともかくセトの特殊性を他の奴等に知られるのは面白くない。セトも妙な奴等に絡まれたりするのは面倒だろう? 街の外ならともかく、中だと殺したりすれば事件として色々と面倒なことになるのは間違い無いだろうし。だからオーク退治をしている間は基本的に水球とファイアブレスの使用は禁止だ。もちろん命の危機とかそういう時はセトの判断で使っても構わないが」
「……グルゥ」
不承不承、といった感じで承知するセト。その頭をコリコリと掻きながら宥めるように口を開く。
「その代わりと言ってはなんだが、今回のオークはかなりの数がいるらしい。それにゴブリン討伐の時に戦ったような希少種や上位種といった存在もいるらしいから魔石に関しては期待出来るだろう。それにセトにとってはオークの肉とかも興味あるだろ?」
「グルルルルゥッ!」
その一言で機嫌を直したのか、嬉しそうに鳴くセト。
食べ物で機嫌があっさりと直ったその様子に苦笑を浮かべつつ、早速冒険者ギルドへと向かう。
いつも通りに通行人に驚かれ、あるいは怖がられつつも屋台で適当に食べ物を買ってはセトへと与え、昼食を食べた直後だというのに自分でも食い、そして多めに買ってミスティリングの中へと収納していく。
そんなことをしながら道を歩き、冒険者ギルドの前へ。そしてセトはレイが何も言わなくても馬車や従魔の待機スペースへと移動してゴロリと寝転がるのだった。
そんなセトの頭を軽く撫でてから、レイはギルドの中へと入っていく。
ギルドの内部はもう少しで昼ということもあり、酒場のスペースに10人近い冒険者達が座って昼食を摂っていた。だが、レイがギルドの内部へと入ってカウンターへと近付いて行くにつれ、その中の数人が食事を取りながらもレイの様子を観察する。
(……誰かに見られている?)
カウンターへと近付きながら視線を向けられているのを感じるレイ。この場所、この時期に注目される理由となると恐らく自分の持っているミスティリングを見たオーク討伐隊のメンバーだろうと当たりを付ける。
(オークの集落まで移動する間も安心は出来ないらしいな。だが、まぁ……)
口元へと微かな笑みを浮かべる。
(襲ってきたらそれ相応の対処をするまでだ)
「レイさん?」
カウンターの中でそんなレイの姿を見たレノラへと声を掛けられ、笑みを消す。
「あれ、レイ君。どうしたの? 何か忘れ物?」
レノラの隣にいたケニーもまたそう尋ねてくる。
昼近い時間帯ということもあり、暇なのだろう。実際軽く見回しても依頼書が張られているボードの周辺に数人の姿があるだけでカウンター内部の職員達も出払っているのか数が少ない。
「いや、俺はボッブスとかいうギルド職員に昼前に来るように言われていてな。それよりも随分人数が少ないみたいだが?」
チラリ、とカウンター内部へと視線を向けてからそう告げる。
「レイさんも参加するオーク討伐で使用する物資の準備や馬車の用意とかの作業にかなりの人数が引っ張って行かれましたから」
「それよりも、ボッブスさんに呼ばれるなんてどうしたの? もしかしてレイ君、オーク討伐に行くのを止める気になったとか?」
どことなく嬉しそうなケニーの言葉に小さく首を振る。
「いや、物資の運搬の件でな」
「物資の運搬? 何でそれでレイ君が呼び出されるの?」
「ちょっ、ケニー! 踏み込み過ぎよ!」
レイへと尋ねたケニーへとレノラが窘める。
オーク討伐依頼の説明をした時もそうだったが、基本的に冒険者という者は自分の持っている手札を他人に見せるということはしない。冒険同士とは言っても、仲間でありながら競争相手でもあるのだから。……そう、普通の冒険者ならそう判断する。だが、しかし。
「ああ、俺はアイテムボックスを持ってるからな」
その辺の常識が無いレイはあっさりとそう答えるのだった。
とは言っても、レイにとってミスティリングの存在は鷹の爪と騒動を起こした時に堂々と見せている。その鷹の爪との揉め事が起こったのは冒険者ギルドの前でだったので、その情報は当然知っていると思っていたのだ。オーク討伐の会議でも見せたのだし。
だが何の偶然か、レノラとケニーの2人はレイがアイテムボックスを持っているという情報を持っていなかった為にギョッとした目でレイへと視線を向ける。
「え? レイさんアイテムボックス持ってるんですか?」
「うわっ、レイ君凄い。ね、ね。ちょっと見せ……」
「来たか」
はしゃいだケニーの声を遮ったのは低い声だった。だが、その声を聞き漏らすというのは無いように思える。そんな存在感のある声だ。
「あ、ボッブスさん」
「お、お疲れ様です」
レノラとケニーもまた、すぐにその存在に気が付き小さく頭を下げて大人しくなる。
そんな2人にチラリと視線を向けたボッブスは特に何も言わずにレイへと視線を向けてる。
「こっちだ、付いて来い。物資の準備は出来ている」
それだけ言ってカウンターから出てギルドの裏口へと向かう。
「その、行ってらっしゃい」
「気をつけて戻ってきてね」
レノラとケニーから見送りの言葉に小さく頷き、ボッブスの後を追う。
ちなみに、レノラ達と会話をしている間もしつこく向けられていた酒場からの視線はボッブスが姿を現した途端にあっさりと離れていくのだった。
「これが運んで貰いたい物資だ」
ボッブスの言葉に目の前にある物資の山へと視線を向けるレイ。
そこにあったのはポーションやマナポーションといった物の他にも、毒消しや麻痺解除薬のような薬品類。干し肉やドライフルーツ、乾パンといった保存食。テントの他にも今回の討伐で必要になると思われる様々な物資の山だった。討伐対象のオーク達がいるのがギルムの街から1日程度の距離だが、行きに1日、討伐してすぐに帰って来れる訳でもないので向こうで1日。帰りに1日と合計3日。そして何か不測の事態が起きた時の為の予備等も考えるとその量は小さな山と言ってもいい程の量になっている。
それでも今回は移動距離が1日程度なのでこの量で済んでいるが、これがもっと遠い場所だと物資の量も倍々的に増えていただろう。何せ30人分の食料その他の物資なのだから。
「運べるか?」
「問題無い」
ボッブスの言葉に小さく頷き、物資の山へと触りながら次々とミスティリングの中へと収納していくレイ。
ボッブスは感心したようにその様子を眺めていた。
そして10分も掛からずに全ての物資の収納を終え、ボッブスの指示に従って数度物資の一部をミスティリングから出したり収納したりを繰り返す。
「よし、物資はお前に全て預ける。それと、お前はソロだったな。今回の依頼では少なくてもオークの集落に辿り着くまでは雷神の斧と行動を共にしろ。オークの集落に向かう途中でお前が死んで物資が使えなくなったりしたら笑い話にもならないからな」
「分かった」
「では、そろそろ他のメンバーも正門に集まっている頃だろう。俺は用があるからお前は先に行ってろ」
ボッブスの言葉に頷き、その後を追う。
(いよいよオーク討伐か。さて、どんな魔石が手に入ることやら。他にも俺を狙ってる奴もいそうだし、退屈だけはしそうにないな)