0020話
時は戻り、レイとセトがギルムの街にやって来たその日の夜。
ギルムの街の中心部。そこには屋敷……と呼ぶには大きすぎるが、城と呼ぶには小さすぎるという建物が建っていた。
辺境の街だけあり見栄えの良さよりもいざという時の籠城を考えて建てられているのだろう、どこか無骨な印象を与える建物だった。
この建物の主人。それはこのギルムの街を治めているラルクス辺境伯である。
ラルクス辺境伯が治めているのは、正確にはこのギルムの街だけではなく周辺一帯なのだが、幾ら広い土地を治めていようとも街はこのギルムの街しか存在していなかった。
当然これまでギルムの街を治めてきた代々のラルクス辺境伯達も己の領地を栄えさせようと行動は起こしたのだが、辺境……すなわち、モンスターの存在により新たな村や街を築くのは諦めざるを得なかったのだ。
何しろ夜になると街の外では普通に街道をモンスターが跳梁跋扈するのだ。そんな中で家屋を築けと言った所で引き受ける大工がいない。昼間の間だけ家を建て、夜になったらギルムの街で過ごすという手段を取った者もいたのだが、翌朝には建てた筈の家が破壊されてしまっているのでどうにも出来ない。
それを防ごうと外壁を最初に作ろうとした者もいたが、こちらも一晩で全ての外壁を作れる訳ではなく翌朝には建設途中の外壁が全て破壊されているのが常であった。
本来、このギルムの街は辺境におけるミレアーナ王国の拠点として作られた街だ。夜毎に現れるモンスターを相手にどうやってこの街を作りあげたのかというと、純粋に出て来るモンスターを全て倒すという力業でだった。それを行う為に、中央大陸の中でも大国と呼ばれるミレアーナ王国の軍隊のうち半数近くがギルムの街が完成するまでこの地に集結していたというのだから、どれ程の規模だったかが分かるだろう。
ともあれ、そんな経緯で作られたギルムの街の領主は執務室で提出された報告書を見て思わず天を仰いだ。
そして次の仕事が終わったら飲もうと思っていたワインを気付けに一口、二口と飲んで深呼吸。
その後、部屋に飾ってある鏡を見て自分の顔を確認する。
鏡に映っていたのは40代程の中年の男であり、どちらかと言えば強面という印象を与える。また、口元に生えている髭もその印象を強めているだろう。
その後、深呼吸をしてから再び執務用の机へと戻って先程まで見ていた書類へと目を通す。
そこに書かれているのは、1人の人間がギルムの街に入ったということだった。このギルムの街はラルクス辺境伯領では唯一の街だ、それだけに規模も大きく、人口も多い。普通ならそのような街に見知らぬ者が1人入って来た所で領主であるラルクス辺境伯の所まで情報は昇ってこないだろう。まぁ、その人物が凶悪な犯罪者であったり、あるいは王都の大貴族の跡継ぎだったりするのなら話は別だろうが。
しかし、今ラルクス辺境伯の前にある報告書に書かれている内容はそれ等に匹敵するような出来事だった。
「……ランクAのモンスターであるグリフォンを従えた男、だと?」
一度読んだ後も、何度も何度も読み直す。だが、そこに書かれている内容は何度読んでも変わらない。
「夢でも幻でも無い、か。これは喜ぶべきか、悲しむべきか」
ランクAモンスターを従えた男。それも報告書を読む限りでは冒険者志望となっている。それが真実本当の内容なのだとしたら、この街はこの上なく強力な戦力を手に入れたことになる。
ただでさえ最近はモンスター達の動きに不自然なものが見て取れるだけに、純粋に戦力として考えたらまさに天佑と言ってもいい。
「だが、余りにもタイミングが良すぎる」
書類を見る……否、睨みつけながら呟くラルクス辺境伯。
深い溜息を吐いたラルクス辺境伯は、近くにあった鈴を鳴らす。するとすぐにドアをノックする音が部屋へと響く。
「入れ」
「失礼します。辺境伯、お呼びでしょうか」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、20代程の男だった。ラルクス辺境伯の部下で秘書的な役割を果たしている男である。
「ああ。警備隊隊長のランガとか言ったか。彼を呼んでくれ。提出された報告書の件について話を聞きたい」
「分かりました。すぐに」
自分の命令を聞き、素早く敬礼して部屋を出て行く部下の背を見送りながら再び報告書へと目を通す。
「モンスターの異常行動。希少種の姿も数匹確認されているこの時期に、か。騒動の種となるか、救いの主となるか……願わくば後者であって欲しいんだがな」
ラルクス辺境伯がそう呟いた時、再びドアをノックする音が聞こえてきた。
「入れ」
「はっ、警備隊隊長のランガであります。自分をお呼びと聞きましたが」
チラリとランガを観察すると、強面の顔に威圧的な髭。どこか自分と似ているその姿に思わず笑みを浮かべながらも口を開く。
「うむ。お前を呼んだのは提出された報告書の件でだ」
「はい」
「この報告書にはランクAモンスターのグリフォンを手懐けている者が街に入ったとあるが」
「間違いありません」
「……その人物はどのような者だった? お前の印象でいいから話せ」
ラルクス辺境伯の言葉に、昼間にあったレイの姿を脳裏に浮かべるランガ。その姿は強く印象に残っていた為に、それ程苦労せずに思い出すことが出来た。
「まず、容姿に関してですが身長は自分の胸くらいまでしかありませんでした」
「それは……随分と小柄だな」
グリフォンを連れた冒険者を希望する者ということで、てっきり巨漢を想像していたラルクス辺境伯だが自分の予想とは随分違うらしいと頷く。
「外見に関しては、赤い髪に青い瞳でどちらかと言えば整った顔立ちと言ってもいいと思います。そしてその身を何らかのマジックアイテムだと思われるローブで包んでおり、武器として身の丈以上の長さを持った大鎌を持っていました。また、アイテムボックスの類のマジックアイテムを持っているのも確認済みです」
「……本当か?」
疑わしい視線をしていると自分でも思いつつ、確認する。
その視線を真っ向から受け止めて頷くランガ。
「はい。間違いありません」
「何だ、その目立ちまくっている格好は」
小柄な体格。マジックアイテムと思われるローブ。身の丈を越える大鎌。世界でも稀少なアイテムボックス系のマジックアイテム。そしてグリフォン。それ等のイメージを頭の中で連想していくと、どこからどう見ても目立つ印象しか残さない。他国のスパイや工作員といった可能性も考えていたラルクス辺境伯だったが、そういう存在がここまで目立つ出で立ちをする筈も無い。
「その者の街に入った後の行動は?」
「報告によると、そのまま冒険者ギルドに直行。ギルドに登録した後はDランク冒険者達と諍いを起こしたそうです」
冒険者達との諍い。それを聞き、ラルクス辺境伯の頬がピクリと動く。
「つまり、その少年の目的はこのギルムの街の冒険者達を潰すことにあるのか?」
「いえ、こちらに流れてきた情報によると冒険者達の方から対象に因縁を付けて絡んでいったらしいです」
その言葉を聞き、思わずほっとしたような息を吐く。冒険者達の存在はこのギルムの街に取っては生命線も同様だ。戦力としても、経済としても。もし何らかの手段を使ってギルムの街から冒険者達を一掃したとしたら、恐らくこのギルムの街は遠からず滅びることになるだろう。そう判断しているラルクス辺境伯にとってランガの言葉は安堵の息を吐くのに十分なものだった。
「その少年の様子を聞いている限りでは、目立たないように行動するという感じはないようだが」
「はい、それは私もそう思います」
「では、他国のスパイや工作員といった可能性は無いか?」
「そう、ですね。恐らくですがその可能性はかなり少ないと思います」
「根拠は?」
「その少年は一般常識に非常に疎い所も見受けられましたし、街に入るのに税金が必要だというのも知りませんでした。そして何より、金貨はともかく銀貨や銅貨といった貨幣も一切持っていませんでした」
その説明に思わず眉を顰めるラルクス辺境伯。だが、それは先程までの危機感によるものではない。
「一般常識を知らず、貨幣の類も持って無いだと? ……今まではどこで暮らしていたんだ?」
少なくてもこの中央大陸で貨幣は十分に広まっている。それなのに街に来るのに銅貨1枚すら持っていないというのはどう考えてもおかしいのだ。
「本人によると、ずっと山奥で魔法の師匠と2人で暮らしていたらしいですが……」
「が?」
「その、魔法ではなく魔術という言葉を使ってました」
「……何?」
魔法と魔術。それは両方とも同じ物を現している単語だが、魔術という言葉が廃れて久しい。そもそも現在では魔術という単語を知らない者が大半だろう。
「どれだけの山奥だ、それは」
呟きながらも、この時点でラルクス辺境伯はレイが他国のスパイや工作員である可能性を殆ど排除していた。
「それが、本人もどこだったかは分かっていなかったらしいです。ただ魔法の修行が大体終わったので、後は冒険者にでもなって修行をしろと転移魔法を使われて魔の森に放り出されたとか」
「魔の森か」
低く呻くラルクス辺境伯。この街から徒歩で10日程度の位置にある森であり、ランクの低いモンスターで言えばスライムなり、あるいはそもそもモンスターですらない野生の獣が。ランクの上を見れば竜種すら生息しているという、まさに魔獣の森。魔の森だ。
「はい。そこでウォーターベアとジャルムを仕留めたらしく、その毛皮を売って税金としました」
「ランクCのウォーターベアを倒す、か。まぁ、グリフォンを従えているのだからそうおかしな話でもないか」
ウォーターベアはランクC、ジャルムはランクFの魔物だ。ただし、ジャルムのランクはあくまでも1匹でのランクであり群れている場合はランクがDまで跳ね上がる。
「取りあえず、お前の話を聞く限りでは他国の者という可能性は少ないと判断してよさそうだな」
「はい、自分もそう思います。確かに戦力としてはかなりのものがありますが、潜入させるというのにあそこまで目立たせる必要は無いでしょう。あるとしたら、囮という線でしょうが……」
そこまで口に出し、何かに気が付いたように首を振る。
「そもそもグリフォンのようなモンスターを手懐けている者に囮をさせる意味がありませんね。もっと他に使い道は幾らでもありそうですし」
ランガの言葉にラルクス辺境伯も頷く。
「ああ。俺もそう思う。だが、万が一という可能性が無いとも言い切れないのも事実だ。一応お前はその少年、レイとか言ったか? そいつを気に掛けておけ」
「それは見張れ、という命令でしょうか?」
「いや、命令でもなければ見張れという意味でも無い。純粋に気に掛けておいてやれという意味だ。お前の話を聞く限りでは戦闘技術に関してはともかく、師匠と2人で暮らしていたせいか人との接し方が苦手なようだ。折角グリフォンを手懐ける程の冒険者だというのに、下らない揉め事でそんな貴重な人材を失いたくはないからな。特に貴族派の連中には気をつけておけ。奴らが接触しているようなら連絡を寄こせばこっちで対処する」
「了解しました」
貴族派。それは即ち大貴族を中心として集まった派閥のことだ。現在のミレアーナ王国では国王派、貴族派、中立派の3派が権力闘争を行っている。まぁ、割合的には6:3:1程度でラルクス辺境伯の所属する中立派は圧倒的少数なのだが。
だが、勢力が小さい故により巨大な派閥である貴族派からは度々ちょっかいを出されているのも事実。そんな連中がグリフォンというランクAモンスターを従えているレイという少年にちょっかいを掛けてきたとしたら……その後の出来事を予想して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるラルクス辺境伯だった。
レイがギルムの街へと入った翌日、街から数時間程離れた位置で1つのパーティがモンスターを相手に戦闘を繰り広げていた。
「くそがぁっ!」
大柄な男が罵声を口に出しながら持っていた巨大な斧を振り下ろす。
「ギギ!」
振り下ろされた斧で頭部を切断された体長1m程の蟻だったが、断末魔の声を上げながらも尚動き続けている。
「バルガス! 油断するな!」
長剣と盾を持った男が自分達のリーダーへとそう声を掛け、首を失ったままバルガスに突っ込んだ蟻を盾で防ぐ。同時に素早く近づいて来た男が頭を失った蟻の足を素早く斬り落としてようやく戦闘は終了する。
「おいっ、バルガス! いつも通りに行くのは無理だって言っただろうが!」
長剣と盾を持った男、ゾリトがバルガスへとそう怒鳴りつける。
「分かってるよ! けど俺等がなんでこんな雑魚共を相手にしなきゃなんねぇんだよ!」
苛立たしげに持っていた斧を地面へと振り下ろす。振り下ろされた斧が地面を抉り、土砂と石を周囲へと撒き散らす。
「落ち着け。俺達は借金を抱えている身だというのを忘れるな。踏み倒すなんて真似をしたらお尋ね者間違い無しなんだぞ」
短剣を持った男の声に、苛立たしげに舌打ちをする。
借金。そう、ランクDの冒険者グループである鷹の爪は現在借金を抱えているのだ。
全ての始まりは、目指していた迷宮の魔法に関するトラップが仕掛けられていた箇所を攻略した打ち上げの時に起こった。
元々粗暴で粗野といった性格をしていたバルガスが冒険者ギルドに登録に来た相手に絡んだのだが、その絡んだ相手が悪かった。売り言葉に買い言葉とばかりにギルドの前で有り金を賭けて決闘し、見事に敗れてしまったのだ。そして持っていた武器や金は根こそぎ持って行かれ、残ったのは骨折等の怪我を負った身体だけだった。
特にバルガスに至っては、迷宮で手に入れたばかりのマジックアイテムであるバトルアックスを奪われるという踏んだり蹴ったりの状態となっていた。
そして怪我をしたからには治療院なり回復魔法を使える魔法使いに頼んで回復して貰わなければならないのだが、鷹の爪の面々は有り金全てをレイに取られており、治療費どころかその日の食事代すらも残っていなかった。
だが、鷹の爪はランクDの冒険者パーティだ。つまり、そこそこの信頼や実績がある。その信頼や実績のおかげでギルドから治療費やある程度の生活費を借りることが出来た。そして借りた金は当然返さなければならず、その為にソルジャーアントの討伐依頼を引き受けているのだ。
尚、武器に関してはレイに奪われた武器の前に使っていたものを予備として残してあったので借金に関しては純粋に治療費と生活費のみとなっている。
ギルドからの借金をしている以上は、それを踏み倒すという真似はまず出来ない。ギルドは世界中の支部とマジックアイテムで密に連絡を取り合っているので、そんなことをすればたちまち自分達が手配されると分かりきっているからだ。そうなると自分達を狙った賞金稼ぎに狙われる羽目になるだろう。……一応その場合は捕獲限定の賞金首だろうが、それでもそんなものになりたくない鷹の爪の面々は必死に依頼をこなすのだった。
「誰がゴブリンの涎だぁっ!」
レイに付けられた不名誉なパーティ名を否定しながら。