0002話
奥深い森の中にその建物は存在していた。周囲にあるのは天を突くかのような大樹ばかりであるにも関わらず、何故かその建物には柔らかな日光が降り注いでいる。そんな建物の中は一切の人気が無く、生き物の気配という物も無い。だが、不思議なことに何故かその建物の床には埃等が一切無く非常に清潔な状態で保たれていた。
そしてそんな建物の中にある一室で玲二……否、かつて佐伯玲二と呼ばれていた人物が目を覚ます。
「……ここは一体?」
周囲を見回しながら額に手を当て数秒考え込むが、すぐに何かを理解したかのように頷く。
「そうか、俺はあの光球と融合して……あぁ、なるほど。確かに融合だな。知識はある。それに確かに意識は俺のままで間違いは無い」
玲二は周囲を見回すと、ようやく自分がベッドで寝ていたことに気が付く。その床には魔法陣が描かれており、つい今し方まで眠っていたこの肉体に何らかの魔術を施していたのだろうと予想出来た。ベッドの枕元に置かれていた衣服を身につけてベッドの上から起き上がる。
「と言うか、新しい肉体って俺はどんな身体になったんだ?」
あの光球、知識によるとゼパイル・ゾンドという名前だったらしいが、そのゼパイルの用意してくれた水の入った桶へと自分の顔を映してみる。
そこに映し出されているのは真っ赤な髪をした少年の顔だった。顔立ちはどちらかと言えば美形よりと言っても問題無いと思う程度には整っている。目の色は青で真っ赤な髪との対比が印象に強く残るだろう。身長165cm程度で、外見年齢的には15才前後といった所か。生前の年齢が17才だった玲二にしてみれば2才程若返った計算になる。
「もっとも、ゼパイルから貰った知識によると十分とんでもない肉体らしいが」
玲二が貰ったゼパイルの知識によると、この肉体はゼパイルとその一門が魔力と技術の粋を結集して作った……否、創ったものだ。老化によって一門が消滅していった経緯がある為、不老処置を施されているのだ。もちろんその前提条件としてある一定以上の魔力が必要というのがあるのだが。
そして不老ではあっても不死では無いというのがポイントだ。さすがに世界有数の魔術師達が集まっても不老不死という人類の夢には到達出来なかったようだ。ただ、その代わりなのだろう。驚異的な回復力がその肉体には宿っており、身体能力に関してもかなり高性能に作られているらしい。
「まぁ、取りあえずはこんなものか」
知識から自分の肉体の性能を引き出し、大体の理解をした後はテーブルの上にあった水差しで木のコップに水を注ぎ、一口で飲み干す。
その水で喉を潤しながらふと気が付く。
「そう言えばこの水も数百年前の物なんだよな」
そう言いながら、空になったコップへと再度水差しから水を注ぎじっと見つめる。ゼパイルの言葉が正しいのなら、魔獣術とやらの後継者を捜す為にあの光球になって世界の狭間にある精神世界に引き籠もったのが数百年前。当然この肉体や水、ベッド、衣服等にしてもゼパイルが光球になる前に用意された物の筈だ。それがここまで新鮮な状態を保っているというのを考えると、世界でも有数の魔術師達が集まって出来た一門というのも玲二の胸にすっと入って来て理解が出来た。
まるで山奥の清水を汲んできたばかり、と言われても信じてしまいそうな程に新鮮な水だ。東北の田舎町に住んでいた玲二としては美味い水というのは飲み慣れている筈だったのだが、それ等と比べても天と地程の差があるように感じられ、余りの水の美味さにさらに数杯飲み干してようやく一段落する。
「取りあえず、この建物を見て回るか」
ゼパイルからの知識でどこにどういう物があるのかというのは大体理解しているが、それはあくまでもゼパイルから譲られた知識だ。実際に自分の目で確かめる必要性はあるだろう。
寝室にあるのは玲二が眠っていたベッドに、テーブル、椅子、水差し、コップ。
「ん? これは……」
部屋の中を見回した玲二の目に止まったのは寝室の壁に掛けられている絵だった。そこには老若男女の12人が描かれている。
地術、水術、風術、光術、闇術、時空魔術、空間魔術、召喚魔術、錬金術、数術、古代魔術。そしてそれらを率いる火術を操るゼパイルの12人だ。即ち一国を数時間で滅ぼせると言われた一門というのがこの絵に描かれている魔術師達なのだと玲二の中にあるゼパイルの知識が教えてくれている。
だが、玲二がその絵に目を奪われたのはそれだけではない。その絵の中の1人である数術を操る人物の着ている服だ。それはどう見ても日本の中学生や高校生が着ている黒い学生服で、おまけに本人も黒髪、黒目と日本人の特徴を備えていた。ゼパイルの知識からその人物のことを引き出す。
「タクム・スズノセ。数術士、か。これはどう考えても俺と同郷だろう」
ゼパイルの知識にあるタクム・スズノセという人物は不老という特性を持っていた。そしてそのタクム・スズノセの身体的特徴を取り入れ、より改良されて作り出されたのが今の玲二の肉体だとゼパイルの知識は教えている。
「となると、このタクム・スズノセや俺以外にもこの世界に来ている日本人がいたりする……のか?」
数秒考え込んだが、すぐに首を振ってその考えを振り払う。
そもそも他の日本人がこの世界に来ていたとしても、今の自分は意識はともかく肉体的には日本人ではないのだからどうしようもないだろう。出来るのはその人物と語り合って懐かしむくらいだろうか。
「それよりも不老だったなら、何故死んだんだ?」
それが気になり、再度知識を引き出す。
その知識によると、大国の権力闘争に巻き込まれた末に毒を盛られたらしい。その後は何とかゼパイル達の下に逃げ込めたのだが、結局解毒が間に合わなくてそのまま……という流れのようだ。
「まぁ、貴族とか普通にある世界らしいからな。その権力闘争に巻き込まれたらそうなるか」
ちなみにタクム・スズノセの使う数術というのは彼個人のオリジナル魔術であり、彼以外に扱える者はいなかったらしい。そしてその効果は対象を数値化出来るというものであり、戦闘には向いていない魔術だったとか。
「なるほど。ゲームとかで良くある鑑定とかアナライズとかそういう関係の魔術だったのか」
この世界では全くの未知の魔術だったらしいが、サブカルチャーをこよなく愛していた玲二に取ってはなんとなく理解出来る能力だった。
「さて、取りあえずこの部屋はこれで良し。次は研究室だな」
ペタリ、ペタリと床を素足で歩き寝室と思われる部屋の扉を開ける。恐らく屋敷そのものが何らかの魔術によって維持されているのか、床には汚れどころか埃1つすら落ちていなかった。
「これは……時空魔術を使ってこの屋敷の時間を止めていたのか」
ゼパイルの知識を確認しながら通路を進んで行く。そもそもこの屋敷はゼパイルが一門最後の生き残りとなった後に魔獣術の後継者を捜す為の拠点として利用していた屋敷であり、かなり狭く出来ている。それ故に研究室にも寝室からほんの数分で辿り着く。
研究室のドアには『この扉を開ける者、魔獣術の資格無き者には呪いが降りかからん』と書かれたプレートが掛けられていた。
「……少なくてもこの世界の文字は融合したおかげで読めると判明したな」
プレートの文字を見ながら呟く。
ゼパイルの知識によると、魔獣術の後継者となれる程の魔力を持たない者がこのドアを開けようとした場合は瞬時に燃やし尽くされる程の業火が襲い掛かってくるらしい。
「随分と過激なセキュリティだ」
茶化したように呟きつつも、そっとドアノブへと手を伸ばす玲二。さすがにゼパイルから魔獣術の後継者としてお墨付きを貰っていたとしても万が一を考えると慎重になってしまうようだ。
だが、伸ばした手はあっさりとドアノブへと接触し、本人も呆気に取られる程簡単にドアは開かれる。
「……ふぅ」
安堵の息を吐きつつ、研究室の中へと入る。
研究室の中は寝室と比べてかなり広かった。玲二の感覚で言うと30畳程の部屋、となるだろうか。そのうちの半分、奥の方には巨大な魔法陣が描かれている。入り口近くの半分は、本来は色々な実験をする為の機材や参考にする為の本があったのだろうが今はガランとしており実験道具の1つすら置かれていなかった。ただ、その代わりという訳ではないのだろうが魔法陣の近くにあるテーブルの上には細緻な宝石箱のような物が1つだけ置かれている。
「さて、これだけの宝石箱だ。中に入っている物には期待したい所だが」
小さく呟きながら宝石箱へと近寄り、その蓋を開ける。
「これは腕輪、か?」
宝石箱の中に入っていた物を取り出す。それは直径10cm程度のリングだった。用途的には腕輪で間違い無いだろう。
不思議そうに手に持ったリングを眺める。確かに一見すると綺麗な腕輪にも見えるが、それでも宝石箱の方が細かな細工や宝石が埋め込まれていたりと金銭的な価値が高いように思える。
違和感。頭をよぎったのはそれだった。金銭的な価値の高い宝石箱の中にそれ程金銭的な価値が高くない腕輪を仕舞っておく。普通に考えて有り得ないだろう。つまりこの腕輪には何かある。そう判断した玲二はゼパイルの知識を引き出し、理解する。
「なるほど、確かにこれは億万の宝石より価値がある代物だ」
ゼパイルの知識によると、この腕輪はいわゆるアイテムストレージの一種らしい。しかもゼパイルの一門で世界最高の空間魔術師、錬金術師と言われたリズィ・フローとエスタ・ノールの2人がメインに、数術士のタクムも協力して技術の粋を集めて作りあげた代物で、ゼパイルが言っていた一門が今まで集めてきた魔法道具や貴重な素材というのもこの腕輪の中に入っているらしい。名前はミスティリング。……腕輪なのにリング? とも思ったが、それはこのマジックアイテムを作った制作者の趣味か何かなのだろう。
ニヤリとした笑みを浮かべた玲二は、ミスティリングを一旦宝石箱の中へと戻して部屋の奥にある魔法陣へと歩み寄っていく。
「これが魔獣術の為の魔法陣、か」
魔獣術。既にそれがどんな魔術なのか玲二はゼパイルの知識から引き出して知っていた。
この魔法陣の中心で呪文を唱えると、魔法陣が施術者から魔力を吸収する。そしてその吸収した魔力によって魔獣が生み出されるのだ。尚、生み出される魔獣に関しては施術者の魔力、内面、性格、深層心理、趣味嗜好といった様々な要素が複合的に関係してくるので自分で任意に選んだりは出来ない。
それだけならゼパイル一門の奥義と言える魔術とは言えないだろう。だが、この魔獣術により生み出された魔獣はある特性を持っている。即ち、魔物の体内にある魔石。それを魔獣が捕食することにより、より強く、より強大に、より素早くと進化していくのだ。そしてその進化は捕食した魔石により千差万別。まさに無限の可能性と称されるのに相応しい可能性を持っている。その進化の先。即ち魔獣がどこまで強くなれるのかについては、理論上では際限が無いとなっているが当然そこまで魔獣を育て上げた者は存在していない。
即ち、魔獣術とは己と共に育っていく魔術、とでも言い換えられる代物なのだ。
尚、魔法陣が吸収する魔力が莫大な為に通常の魔術師では魔力どころか生命力や命といったものまで吸収されてしまい、更に不純物が混ざってしまう関係で魔獣が生み出されずに儀式は失敗に終わる。
改めて魔獣術についての知識を引き出すと、深く深呼吸をして魔法陣の上へと進み出る。
「ゼパイルとの契約もあるし、何より俺自身が魔獣術とやらには興味を惹かれている。ならここで試さない手はないな。……にしても、俺はもう少し慎重だったと思うんだが……これも融合の影響か?」
融合前にゼパイルが言っていた変化、それがこれなのかも知れない。玲二はそう内心で考えつつも、集中しながら口を開く。
魔法陣を起動させる呪文についてはゼパイルの知識の中に存在していたので、躊躇いは存在しなかった。
『我、魔力と共に魔獣を生み出す者。魔獣と共に生きし者。我が魔力を喰らい、我が内に眠る魔獣をこの世に顕現させよ。我と共に生き、我と共に死す。その姿を現せ!』
魔力を言葉に乗せて紡ぐのが即ち呪文。本来なら数年の修行が必要なその行為も、ゼパイルの知識を受け継いだ玲二は寸分の狂いもなくやってのける。世界最高峰の魔術師であるゼパイルですら驚いた程の莫大な魔力をその言葉に乗せて。
すると次の瞬間には玲二の乗っていた魔法陣が光り始め、徐々に、徐々にその輝きは強くなっていく。玲二から放たれた莫大な魔力を吸収してその光を増しているのだ。しかし、いくら玲二が莫大な魔力を持っているとは言ってもその魔力は当然無限ではない。魔法陣が輝き始めてから5分、10分、20分。
「ぐぅっ!」
やがて限界が近付き、魔法陣に片膝を突く。そして次の瞬間、既に周囲を見ることすら出来ない程の輝きを放った魔法陣が一際鋭く輝き……唐突に魔法陣からの発光が消え去った。
「で、出来た……のか?」
限界近くまで魔力を魔法陣に吸い取られた為、半ば朦朧とした意識のまま周囲を見回す玲二の目に入って来たのは艶のある黒。漆黒とでも呼ぶべき色の繭のようなものだった。その繭が次第にひび割れ……砕け散ったのを見た瞬間、玲二の意識は闇へと沈んでいく。気を失う寸前に玲二が感じたのは、ふさふさとした暖かい何かと、『グルルゥ』という甘えたような声。そしてカランッと何かが床へと落ちる音だった。