0015話
「ここだな」
呟いたレイはセトと共に道に立ち止まる。そんなレイとセトを避けるようにして通行人達が歩いて行くが、そんなのは全く気にしないとばかりに看板を見上げる。
その看板には地平線に沈む夕日とその夕日に照らされて赤く染まる小麦が描かれていた。『夕暮れの小麦亭』という宿の名前をそのまま表した看板と言えるだろう。
宿の大きさ自体はレイがギルドからここに辿り着くまで見てきた他の宿と大して変わらない。1階が酒場兼食堂となっており、2階と3階が宿になっているというオーソドックスな作りとなっている。違うのは宿の裏に建てられている厩舎の大きさだろう。そこだけで他の宿がそのまま入るくらいの大きさを持っている。本来、この夕暮れの小麦亭という宿は一定以上の規模を持つキャラバンや傭兵団、あるいはこの街に立ち寄った貴族のお供達が泊まることの多い宿なのだ。ちなみに最後の例えの場合は貴族本人は一泊白金貨数枚の宿に泊まるのが普通である。
ギィッと扉を開けると、そこにはまだ午後も半ばを過ぎていないという時間だけあって殆ど人の姿は無かった。数人が1階の酒場で食事をしている者達がいる程度だ。
「いらっしゃい。お食事ですか? それともお泊まりで?」
宿に入ったレイを見た恰幅のいい中年の女がそう声を掛けて来る。
「宿を頼む。それと、表に俺がテイムしたモンスターがいるから厩舎もだな」
レイの声を聞いた女はニコリと人好きのする笑顔を浮かべながら頷く。
「はい、ありがとうございます。宿泊料金前払いとなってまして、朝と夜の食事付きで1泊銀貨3枚となります。ただし10日以上滞在の場合は金貨2枚に銀貨7枚にさせてもらっています。それと、テイムしたモンスターというのは?」
「グリフォンだ」
「……なるほど」
グリフォンと聞いて一瞬動きを止めたが、すぐに我に返ったのが目の前にいる女がその辺の男よりも肝が太いことを示していた。
冒険者や傭兵といった相手と日々やり取りしているだけはあるのだろう。
「グリフォン程の大物となると……厩舎の使用料や餌代も込みでと1泊銀貨2枚となります。10日以上滞在の場合は金貨1枚に銀貨8枚となります」
「ああ、頼む」
殆ど悩みもせずに頷いて懐から出した袋から金貨5枚を取り出して手渡す。
そもそもこの街でセトを連れて泊まれる宿がここしかないと聞いている以上、悩む余地は無いのだからしょうがない。
「ありがとうございます、ではお釣りの銀貨5枚となります。早速宿の者が厩舎に案内しますので、グリフォンを一緒に連れていって貰えますか?」
「分かった。それとここは1階が酒場になってるようだが食事も出来るんだな?」
「はい。ただ、朝と夜の食事以外に関しては別料金を貰ってますが」
女の言葉を聞き、受け取った銀貨から1枚を手渡す。
「厩舎に行って荷物を置いた後に昼食を取りたいから用意しておいてくれ。それとグリフォンの分もな」
「分かりました。……申し遅れました、私はこの夕暮れの小麦亭の女将をやっているラナといいます」
「そうか、暫く世話になる。俺はレイ。表にいるグリフォンはセトという」
「はい、よろしくお願いします。……あぁ、来たようですね。あの子が厩舎まで案内しますので」
ラナに呼ばれて来たのは、20才前後に見える青年だった。ラナの息子なのか、顔立ちが良く似ていた。
「この子は私の息子でドラムといいます。厩舎の担当をしてるのでモンスターについてはこの子に話をして貰えれば。ドラム」
ラナに促され、ペコリと頭を下げるドラム。純朴そうな顔つきで母親譲りのニコリとした笑みを浮かべる。
「初めまして、ドラムといいます。早速ですが厩舎の方に案内させてもらいますね」
「ああ。モンスターは表にいる」
「はい、では最初だけ僕と一緒に来て下さい。モンスターに警戒されると大変ですので」
ドラムの言葉に頷き、2人で表へと向かう。ちなみにラナに関しては頼まれた食事の準備をするらしくドラムを見送った後はさっさと厨房へと足を向けていた。
「うわぁ……立派なグリフォンですね」
それがセトを見たドラムの第一声だったが、それを聞いたレイは意外そうな顔をドラムへと向ける。
このギルムの街に来てから、セトを見る者は皆恐れや怯えといった表情を見せていただけに純粋に感心の声を上げるドラムの様子が新鮮に映ったらしい。
「お客様、その、撫でても大丈夫でしょうか」
「グルゥ」
それどころか、触ってもいいかとも尋ねてくる。その様子はレイだけではなくセトに取っても好ましい反応だったらしく、機嫌良さそうに喉の奥で鳴くのだった。
レイも珍しく口元に笑みを浮かべながら頷く。
「ああ。セトもお前のことが気に入ったようだしな」
「では、失礼して……」
ゆっくりと手を伸ばしてセトのシルクのように滑らかな毛が生えている背中を撫でる。
「凄い……グリフォンに触れたのは初めてですが、こんなに滑らかな手触りなんですね」
感動したように呟くドラムだったが、当然その滑らかな手触りはセト特有のものであって標準的なグリフォンはもっとごわごわとしている。
「さて、満足してくれた所でそろそろ厩舎の方に案内してもらっていいか?」
「あ、はいっ! すいません。すぐに案内します!」
ドラムの案内に従い、宿の入り口の近くにある道から脇へと入りそのまま進んでいくと、程なく厩舎が見えてくる。
さすがにキャラバンや傭兵団といった面々を迎え入れるのに相応しく、夕暮れの小麦亭の1階部分と殆ど変わらない広さだ。
「さ、どうぞ」
ドラムの言葉に従って厩舎の中へと入ると動物やモンスター特有の匂いはするものの、清潔に保たれている。また、現在夕暮れの小麦亭に泊まっている客のものなのだろう馬の姿もあった。
だが、殆どの馬はセトの姿を見るなり落ち着かない様子になって周囲をキョロキョロと見回し、小刻みに体を動かす。
生物としての格の違いを本能的に感じ取っているのだろう。
「あー、すいません。見ての通り他のお客様の馬があの様子ですのでこの子は少し離れた所で休んで貰いますね」
ドラムは申し訳なさそうにこちらへと謝ると、馬が繋がれている場所とは一番離れている場所へとセトを連れていく。
「では、セトはここで過ごして貰うということでいいでしょうか」
「グルゥ」
ドラムにセト、と名前を呼ばれ喉の奥小さく鳴いて了承の意を伝える。
「……レイさん、もしかしてセトって人の言葉を理解してる……んですか?」
セトが頷いたのを見て、それに気が付いたドラムの言葉に苦笑を浮かべるレイ。
「Aランクモンスターなんだから、人の言葉くらい大抵は理解出来るさ」
もっとも、普通のAランクモンスターが理解出来るのはあくまでもある程度の人間の言葉であってセトのように完璧に理解出来る訳ではないのだが、さすがにドラムもその辺までは知らなかったらしく感心したように頷いている。
そんな様子を眺めながら、セトに話し掛けているドラムの背へと声を掛けるレイ。
「ドラム、セトの世話は任せたぞ。朝から殆ど何も食べてないから落ち着いたら何か食べ物をやってくれ。金に関しては女将に渡してある」
「あ、はい。わかりました」
「じゃあ、セト。ここで大人しくしてるんだぞ」
「グルゥ」
寂しそうに鳴くセトの頭をコリコリと掻いてからレイはその場を後にした。
「お客さん、食事の用意出来てますよ」
宿屋の中へと入ると、ラナに声を掛けられ酒場の席に着く。
「さすがに夕食の仕込み前なので、あり合わせの物ですが……」
そう言って出されたのは肉の入ったシチューに、たっぷりのパン。野菜サラダにチーズとワインだった。
腹の鳴く音に負けたようにシチューの肉を一口。噛み締めた途端、肉の旨味が口の中に広がりながらほろりとほどける。
「美味いな」
「ありがとうございます」
思わず口から出た言葉に、丁度横を通ったラナが笑みを浮かべながら頭を下げる。
「うちの宿は料金が他の宿に比べて高いので、料理には力を入れてるんですよ」
高い、という言葉を聞きピクリと反応するレイ。
(一泊銀貨3枚。つまり3千円で朝食、夕食付き。十分安いと思うんだが……まぁ、日本とファンタジー世界の辺境にある街じゃ物価とかその辺が違っても当然か)
「ちなみに、このシチューの肉は何の肉なんだ?」
レイが食べたことのある肉としては日本にいる時に近所の猟師に分けて貰った猪の肉に似た味がしたので興味本位で尋ねてみる。
だが、その質問に返ってきたのはラナの不思議そうな顔だった。
「何の肉って……ファングボアの肉ですが。食べたことありませんか? この辺では一般的な肉なんですが」
その言葉に一瞬口に運ぶスプーンを止めたレイだったが、すぐに何でも無いような顔をして話を続ける。
「いや、師匠から修行してこいと空間魔法でこの辺りに無理矢理転移させられたからな。冒険者になったのも今日で、この辺のことに関しては何も知らないんだよ」
「あぁ、魔法使いでしたか。それは大変ですね。うちの料理をしっかりと食べて頑張って下さい」
ラナを誤魔化し、ゼパイルの知識を探る。
(ファングボアの情報は……無しか。本格的に使い物にならなくなってきたな。となると、まず明日はギルドじゃなくて図書館かどこかで情報収集か)
そう考えながら、パンと野菜サラダ、チーズを味わって食べて最後にワインを飲むのだった。
ちなみに15才相当の肉体ではあるが、ゼパイル一門が作った肉体だけあってアルコールの耐性もあるらしく特に酔っ払うこともなく食事を終えたのだった。
「ふぅ……今日1日で随分と色々あったな」
2階の角部屋。そこがレイが借りている部屋だ。辺境にある街としては料金が高いと言っていただけあり、部屋の中は小綺麗でベッドや布団も文句無しだった。特に布団は小まめに干しているのか日光の香りがする。ドラゴンローブを脱ぎ、ベッドへと寝転がりながら呟く。
「そう言えば、明日この世界について調べる時は暦なんかも調べておいた方がいいだろうな。ゼパイルの知識はアレだし」
既にレイの中ではゼパイルの知識、特にこの世界における一般常識については参考程度にしかならなくなっていた。いや、あるいは今の常識とは違っている内容も多いのだから先入観というのを考えた場合はかえって使わない方がいいのかもしれないと判断する。
「もちろん、魔術……いや、魔法なんかについては十分有用なんだろうが」
そこまで呟き、ふと右腕に装備しているミスティリングが視界に入ってくる。それをみて、つい数時間前にバルガス達から巻き上げた金品を思い出した。
寝転がっていた状態から起き上がり、脳裏にリストを表示して金の入った袋4つを取り出してベッドの上へとその中身を広げる。数えてみると白金貨が8枚に金貨が4枚、銀貨15枚に銅貨9枚とかなりの金額が入っていた。
「部屋にもある程度置いてあるんだろうが、それでもこの金額か」
そう呟くレイだが、これらの金額が正真正銘の意味でバルガス達の全財産であるとは知らないままだった。
「迷宮探索ってのはかなり儲かるらしいが……広さがなぁ」
色々な魔物が出て来て、それらから剥ぎ取れる素材に魔石。稼げる金額も多いとなればレイにとっては……否、冒険者にとっては非常に魅力的な場所だろう。ただし当然ローリスクハイリターンという訳にはいかないので、一定以上の戦力は必要になる。そしてレイにとって一番痛いのは迷宮が狭いということだ。当然普通の冒険者が戦闘をする分にはそれ程問題は無いのだが、デスサイズ程の長物や2mオーバーのセトが戦うのはちょっと厳しいだろう。
「ダンジョンに行くにしても、もう少し戦力を整えてからだな」
ひとまずそう結論づけたレイは、金を一纏めにして自分の袋に入れるとバルガス達から奪った武器をミスティリングから取り出す。
長剣が1本。短剣が2本、弓と矢が入っている矢筒。そしてメインのマジックアイテムであるバトルアックスだ。
ちなみに長剣がアイアンソード、短剣が両方ともアイアンダガー、弓はそのまま弓。バトルアックスに関してはパワー・アクスという名前だった。
名前が分かったのは、ミスティリングの効果だった。脳裏にリストを浮かべた時に武器の名前がきちんと表示されていたのだ。これにより、レイは少なくても手に入れた名称不明のアイテムをミスティリングの中に入れることで名前だけは分かるようになったのだった。
それらを一通り眺めていくが、すぐに溜息を吐いてミスティリングの中へと戻していく。
そもそも長剣やバトルアックスを使うにはデスサイズが邪魔になる。短剣に関してはより高性能なミスリルナイフがある。辛うじて使えるとすれば、弓だろう。ただし、その場合は遠くから弓で牽制しつつ敵が近づいて来たら弓をその場に放り捨ててデスサイズで攻撃というパターンになるのだろうが。
「まぁ、長剣はいざという時の予備として持っておくか。短剣なんかは投擲用として使えないこともないだろうし。となると残るは弓矢とバトルアックスだが……まぁ、すぐに決める必要もないか」
そもそもバルガス達から奪った金があるので懐にはかなりの余裕があり、急いで売る必要も無いと判断したレイは銅貨3枚でお湯をわけて貰い、体を拭いてから夕食まで眠るのだった。
ちなみに夕食はケルピーというモンスターのステーキと、内臓の煮込み料理だった。