0100話
継承の儀式を行っている時に、突然短剣を取り出してエンシェントドラゴンの魔石を破壊しようとしたヴェル。
それを見て咄嗟に駆け出したレイだったが、後1歩でデスサイズの間合いへと入る直前に背後から魔槍が突き出される。
ヴェルの言葉に本能的に危険を察知して強引に身体をずらしたのだが、それでも背後から突き出された魔槍はレイの脇腹へと強烈な衝撃を与えていた。
不幸中の幸いだったのは、レイが纏っているのがドラゴンローブというマジックアイテムだったことだろう。一見するとただのローブにしか見えないのだが、その正体はドラゴンの皮で鱗を挟んでいるという魔法防御、物理防御共に極めて高い極上の一品であり、その辺のプレートメイルよりも余程防御力が高いのだ。そのおかげで脇腹を魔槍に貫かれるという事態にはならないで済んだ。
「ぐっ、な、何だ!?」
だが脇腹を貫かれないで済んだとは言っても、その衝撃までは殺せない。そして今にもデスサイズを振り下ろそうとしていたレイにとって、その一撃はバランスを崩させるには十分な威力を持っていた。
それでも尚地面へと倒れ込まずに、手を付き転倒を堪えたのはレイの極めて高い身体能力によるものだったのだろう。反射的に背後を見たレイの視界に入ってきたのは、目を赤く染めたキュステが魔槍を構えて再度突きだそうとしている場面。
「セトッ!」
「グルルルゥッ!」
レイの叫びに答えたセトが、鋭い鷲爪を横薙ぎに一閃しようとして……
「駄目だ、レイ殿! 今キュステを魔法陣から外に出すとエレーナ様の儀式に悪影響が!」
「ちっ、セト!」
「グルゥッ!」
レイが何を望んでいるのかを理解したのだろう。セトは横薙ぎにしようしていた一閃を止め、真上から叩き潰すようにして一撃を放ってキュステを魔法陣へと叩き付け、そのまま動けないようにして押さえつける。
それを確認し、再び地を蹴りヴェルへと迫り……
「ちょっとだけ遅かったな」
口元に嘲笑の笑みを浮かべたヴェルが、何の躊躇いも無くその手に持っていた短剣で既に7割程風化するようにして砕けていた魔石へと振り下ろす。
「やめろおおぉぉぉっ!」
叫び、間に合わぬと知りながらもデスサイズを振り下ろすレイだったが……
「おっと。危ない危ない」
魔石へと短剣を突き刺して破壊したヴェルは、後方へと大きく飛び退ってレイとの距離を取る。
「ヴェル!」
「そんなに怒るなよ。別に俺だって好きでやったことじゃないんだからさ。……でも、残念だったな。このミレアーナ王国を救う為の唯一の希望だったのに。これじゃベスティア帝国に対抗するのはまず無理だろうな」
ヘラヘラとした笑みを浮かべつつそう告げてくるヴェルに、奥歯を噛み締めるレイ。
「それよりもほら、後ろの確認をしなくてもいいのか?」
その言葉に一瞬だけ背後へと視線を向けるレイ。その視線の先では儀式が途中で強制的に中断されたのが原因なのか、アーラ、キュステ……そしてエレーナの3人が意識を失い魔法陣の中へと倒れていた。
その様子を見て、ギリッとデスサイズの柄を握っている右手へと力を込める。
(落ち着け。今は奴を殺すことよりも、情報を収集する方が先だ)
心の中で呟き、その荒れ狂っている心を落ち着ける。
「……何故だ?」
「さて、何に対する何故なのかな?」
レイとヴェル。盗賊としての能力ではヴェルが勝っているが、純粋に戦闘力だけで考えるのならヴェルはレイの足下にも及ばないだろう。それなのに何故か余裕の笑みを浮かべつつ、まるで面白い演劇でも見ているかのように笑みを浮かべているヴェル。
その様子に疑問を抱きつつも、情報を収集するべく会話を続ける。
「お前はエレーナの護衛騎士団の一員だったんだろう? それなのに、何故ここに来てエレーナを裏切るような真似をする?」
「何でだと思う?」
「質問に質問を返さないんで欲しいんだがな」
ブンッ、とデスサイズを振るって威嚇するレイ。
「おっと戦闘になったら俺には勝ち目が無いからな。そうだな、答え合わせと行こうか。さて、レイとしては何で俺がここでエレーナを裏切ったと思う?」
「無難に考えれば、お前がベスティア帝国に寝返ったという所か」
「んー、それだけだと50点だな。正解は俺だけじゃなくて俺の家そのものがベスティア帝国に寝返ったからでした」
「……家そのもの、だと? 俺が聞いた話によると、お前の家も貴族だった筈だが? それもこのミレアーナ王国でも国王派の次に勢力のある貴族派で、中心人物のケレベル公爵とも近しい関係と聞いている」
「それもそうなんだけどね。俺の考えはともかくとして、父さんはミレアーナ王国がベスティア帝国に対抗出来るとは考えていない訳だ。その理由は幾つかあるけど、最大の理由はやっぱり技術力だな。この継承の祭壇に到着した後にエレーナから聞いていたと思うけど、ベスティア帝国では継承の儀式を簡易版だけど確立していて、それなりの人数を揃えている。あ、ちなみに継承の儀式に耐えきった兵のことを『魔獣兵』って呼んでるんだってさ。……安直だとは思うけど」
「魔獣兵、ね。それで勝ち目が無いから向こうについた訳か」
「そ。まぁ、それは父さんの意見であって俺は違うんだけど」
口元に笑みを浮かべつつ説明を続けるヴェル。
「なら、お前は何故裏切ったんだ? エレーナとの付き合いも長いんだろう?」
「そうだな。ケレベル公爵の騎士団に入団してからだから、ざっと5年程度か」
「それだけ長く生活を共にしていれば当然情もあるだろう。ましてやお前達はエレーナの護衛を兼ねた騎士団なんだろう?」
「ああ、それも間違い無いよ。けどさ……」
そこまで告げ、不意にその口元に浮かべていた笑みの種類を変えるヴェル。
これまでの笑みが何かを面白がる笑みだったとしたのなら、今はニタリとしたまるで狂人のような笑み。
「俺、ふと思ったんだよね。このままミレアーナ王国についてベスティア帝国と戦って人を殺すのもいいけど、どうせならベスティア帝国側についた方がもっと人を殺せるんじゃないかって」
「快楽殺人者か」
「お? その呼び名はいいな。うん、これからはそう名乗ろう。快楽殺人者のヴェル・セイルズってね」
「……俺が言えたことじゃないが、人を殺して何が楽しい?」
レイ自身オークの集落に対する襲撃で夜闇の星のメンバーを全員殺しているし、その後のランクアップ試験でも盗賊達を殺している。だがそれはあくまでも必要だったから殺したまでで、人を殺すという行為そのものに悦楽を感じたことは一度もない。それ故に、目の前にいる男が理解出来なかった。
「え? 楽しいじゃん。その人物の命が自分の手で終わるんだぜ? それと皮膚を切ったり肉を断つあの感触。生きている人間にナイフを刺して骨を削り取った時に出る悲鳴! そしてその内臓を切り刻んで自分の肺を見せてやった時のあの絶望の表情! ……ああ、もう堪らないよな」
「……狂人と話をしようと思った俺が馬鹿だったか」
「狂人とか、そんなに褒めないで欲しいな。もちろん俺がベスティア帝国に付こうと思ったのはそれだけじゃないぜ? さっきも言ってたけど、向こうには魔獣兵を作る為の技術がある。それも、ミレアーナ王国のように失敗が前提にあるようなレベルの低い技術じゃなくてより完成度の高い技術が。もし向こうで魔獣兵になったら、どういう能力が貰えるんだろうな? 強酸で人を溶かすとか? エメラルドウルフの触手みたいなのもありといえばありだよな。スプリガンのように身体の大きさを変えられるというのはあまり面白くなさそうだけど……いや、子供の振りをして近付いて目の前であの巨体に変身して絶望する表情を楽しめると考えればそう悪くは無いかも?」
「まさしく狂人、か」
呟きつつ、気を失った今も念の為にとセトへと押さえつけられているキュステへと視線を向ける。
「で、キュステには何をしたんだ?」
「さぁ? 元々キュステはレイを嫌っていたから、それでじゃないの?」
「……違うな。確かに奴は俺を嫌っていたし疎んでいた。あるいは憎んでいたと言ってもいいだろう。だが、それでも俺に対する憎しみよりもエレーナに対する敬愛や尊敬、好意といった感情の方が強かった。そんな奴があからさまに自分の上司でもあるエレーナの害になりそうな人物を攻撃するのを邪魔すると思うか?」
レイに対しては徹底的に見下した態度や軽蔑した視線を向けてくるキュステだったが、そのキュステが自分の上司でもあるエレーナに対して向けている好意は本物だった。それが恋愛感情なのか、はたまた姫将軍と呼ばれる程の器の大きさに惹かれてのものなのか、あるいは単純に貴族派の中心である人物の子供だからなのかはレイにも分からなかったが、間違い無くその好意は本物だったのだ。もしそれが無かったのなら、恐らく今頃キュステはデスサイズによって斬り捨てられていた可能性もある。
「ありゃりゃ。お互いに嫌いあっていた割には意外と信じてるのな。じゃあヒントを教えて上げよう。これなーんだ」
そう言い、腰のポーチから取り出したのは何の変哲もない水筒だった。
だが、その水筒を見た時にレイの中にこれまでの記憶が蘇る。
このダンジョンに突入してから自分は幾度となくヴェルがキュステへと水筒を渡してその中身を飲ませている場面を見ていなかったか?
「何かの魔法薬を使った訳か」
そう呟くレイだが、内心では首を傾げる。
(確かにヴェルがキュステに水筒を渡していたのを何度か見た記憶がある。だが、その時にはヴェル自身も水筒を口に運んでいたことがあった筈だ)
「大正解! まさにレイの言った魔法薬というのがキュステがおかしくなった答えだったりするんだな、これが」
「けど、お前もその水筒に口を付けて飲んでいた筈だが?」
「おお、良く見てるじゃん。でもさ、魔法薬には解毒剤があるって知らないか?」
「それでお前自身は魔法薬の効果が無いままにキュステを操った訳か」
「そ。でもキュステに飲ませた魔法薬ってさ、本人が心の底から拒否するような事は出来無いようになってるんだ。無意識にでも心の奥底でそうしたいという願望があって、初めて俺の命令を聞く訳。まぁ、キュステのレイに対する憎悪なんて無意識とかそういうレベルじゃなかったけどな」
轟っ!
レイが手に持ったデスサイズを横薙ぎに振るい、その速度によって空気が斬り裂かれる音が周囲へと響く。
「もういい、黙れ。お前の話を聞いていて分かったのは1つだけだ」
「何? やっぱり俺が危険だからベスティア帝国に逃げ込む前に殺すって?」
当然そうだよな? と言わんばかりに尋ねてきたヴェルの問いだったが、レイはそれに首を横に振る。
「いや。俺がお前を気に食わない。見ているだけで不快に感じる。だからこそこの場でお前を殺すってな! 飛斬!」
デスサイズに宿ったスキルの中でも使用しやすく、尚且つ威力もそれなりに高いそのスキルを発動する。
振り下ろされたデスサイズの斬撃が、そのまま空気を斬り裂くようにヴェルへと向かう。
自分へと迫る死の斬撃を見ながら、それでもヴェルは口元に狂気に満ちた笑みを浮かべ……
「何!?」
その声を上げたのはヴェル……では無く、レイ。
思わず声を上げたレイの視線の先では、生々しい紫色の触手のようなものがレイから放たれた飛斬をヴェルの代わりに受け止め、斬り裂かれていたのだ。
飛斬を受け止めた触手の先端部分はそのまま切断され、地面に落ちた途端に崩れ去ったがすぐに次の触手が伸びてヴェルを守るかのように蠢いている。その触手の出所はヴェルの懐、レザーアーマーの内側から延びている。
「あはははは。残念でした。これってばベスティア帝国の錬金術師が作った護衛用の魔法生物らしいよ。ちょっとやそっとの攻撃力じゃこいつをどうにかするのは難しいだろうね」
口元に嘲笑を浮かべつつ、レイへと視線を向けるヴェル。
その視線には、自分の目の前に立っている強大な戦闘力を誇る獲物を仕留められるという歪んだ喜びの光が浮かんでいる。
だが……
「それがどうした?」
少しも混乱していないし、慌てていない。冷静極まりない言葉を返され、不快そうに眉を顰めるヴェル。
「何言ってるのさ。レイの攻撃は俺に通じないのに、何でそんなに余裕な訳?」
「さて、それはどうかな? 確かに今俺の放った一撃はお前に対して効果がなかっただろう。だがお前が防いだのはあくまでも俺の持ってる技の1つにしか過ぎないんだというのを忘れて貰っては困るな。それに……俺の攻撃が効果無いとしても、お前の攻撃も同様だろうに。キュステの不意打ちを食らっても特にダメージの無かった俺に、キュステよりも圧倒的に攻撃力で劣っているお前がどうするつもりだ?」
「確かにそうかもしれないな。けど、レイがキュステの攻撃を防げたのはそのローブがあったからこそだろ? ならそのローブが覆っていない場所、顔面や手足を狙えばいいだけじゃん」
懐から取り出したのはナイフ。それもただのナイフで無いと言うのは、その紫色の刀身から明らかだった。
「ポイズンナイフ。一応それなりにレベルの高いマジックアイテムだよ。ほんの少しでもこのナイフで傷を付けられたら10分程度は麻痺で身体が動かなくなるっていう素敵な効果を持ってるんだけど……レイに対抗出来るかな?」
「ふん、幾ら強力なマジックアイテムだとは言っても所詮は俺の顔と手足くらいにしか効果が無いというのは一緒だろうに。そもそもお前程度の存在が近接戦闘で俺をどうにか出来ると思ってるのか? お前に出来るのは精々壁役の後ろから弓やナイフ投げで攻撃するだけだろうが、その壁役もいない。その触手にでも任せるつもりか?」
淡々とヴェルの弱点を突きながら挑発していくレイ。
だがヴェルはレイの言葉を聞きつつもその口元には相変わらず笑みを浮かべたままだった。
「そうだな、確かにレイの言う通りかも。なら前衛を作ればいいだけなんだけどな」
パチンッ、と指を鳴らすヴェル。そして次の瞬間……
「グルゥッ!?」
どこか困惑したようなセトの声が背後から聞こえ、咄嗟に地を蹴り横へと跳ぶ。
そしてつい一瞬前までレイのいた場所を背後から突き出された何かが通り過ぎ、そのままその何かはレイが回避した空間を通り抜けてレイとヴェルの間へと立ちはだかるのだった。
「……キュステ」