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9聖







 ぱたぱた走っていく二人を見送り、静かに待ってくれていた人へ改めて向き直る。


「所長が自らいらっしゃるとは思いませんでした」


 老人は、ひょいっと眉を上げた。


「おや、ご存じでしたか……どこかでお目にかかったかな?」

「――いいえ。以前、お見かけしましたので」 


 この機関を作る根拠となった未成年保護義務法。この法案を通すために四年ほど毎日顔をつきあわせていましたよ。心の中でこっそり付け足す。

 お互い甘い物が好きなので、会う度にお気に入りのお菓子を持ち合い、新作菓子情報を交換していたやりとりも今回から中止となった。



「どうぞ、おかけになってください」


 促され、では遠慮なくと素直に座る。これ以上長居するつもりはなかったが、私が座らない限り所長も座らないだろう。


「貴方のお名前を勝手に頂いてしまいました。申し訳ありません」


 まず切り出された話題は謝罪だった。所長が言うには、割り札を読んだ職員と、二人の命名書類を作った職員は違うらしい。結果的に私の名前が、子どもはそれらに許可が必要とは知らず、職員は事態を知らず、私は何一つ預かり知らぬ間に、二人に分断して分け与えられた。

 その件を丁寧に謝罪してくれたが、それ自体は全く問題ない。ただし、もしも二人が改名したいと言った場合は、即座に対応してくれるよう約束してもらった。私の名前をつけるなんて、私を忘れていなければ百人中百三十人が猛反対するだろう。



「私の名も頂き物ですので。名をくださった方はきっと喜んでくださいます」

 その事実だけは、皆も喜んでくれるだろう。後は絶対、形容し難い顔をするか、止めたほうがいいと思うよと絶叫する人に分かれるとの確信がある。

「そう言って頂けると助かりますが……その怪我も、神力での治療ができず申し訳ない」

「神力で治療頂くような怪我でもありません。その力は、子ども達に残してくださればと」


 治療が可能な神力保持者は多くない。神殿であっても数えるほどだ。国によっては治癒師として強制的に軍の所属とされるほど数が少ない。その上、神力とは体力と同じで使用すれば使用するほど疲弊するものだ。当然、一日で治療できる数には限りがあった。そんな貴重な力を私の顔に使う必要はない。顔が削げただけなので命に別状はなかった。


「失礼ながら、貴方も治癒をお使いになられるとか」

「私は治癒師でも神官様でもございませんので、真似事にございます」

「これはご謙遜を。マリは、貴方が二人同時に癒やしてくれたとそれは興奮して話してくれましたよ。とても見事な治癒です。それこそ、並の治癒師では到底できる芸当ではないですなぁ」


 笑みを返答とする。返ってくるものも笑みだ。うふふあははと、幸せを循環させているのならいいが、ここにあるのはなんか嫌な汗掻いてくる空気だけである。さっさと話題を変えよう。

 そう決めて口を開くが、向こうが一足早かった。


「是非ここで働きませんか? 見ての通り人手不足なのですよ」


 にこやかに告げた視線が、すぃっと動く。向けられた先を追って、吹き抜けから一階を見下ろす。頭を抱えて書類に突っ伏す職員、窓をぶち破って飛び出す警邏隊、素っ裸で風呂から逃げ出してきた子ども。それを追うタオル一枚の職員。

 事態は相変わらず混沌を極めている。

 むしろ時が経てば経つほど悪化している。子ども達が保護されている区画からここまで結構な距離があるはずだが、あの格好で駆け抜けてきたのだろうか。大惨事である。

 人手が足りないのは一目瞭然だ。だがこれ、人手が増員されれば治まる類いの混沌なのか?

 何にせよ、それを受けるわけにはいかない。何せ私は。


「明日から王城で第二の試練なんですが!?」


 あと、当代聖女である。


「選定の結果が出てから考えて頂ければと」

「落ちると!?」


 にこやかな笑顔で黙らないでほしい。

 確かに私も、私のようなものが聖女を目指してます宣言したら鼻で笑う。だが、アデウス国民に残念なお知らせがあります。

 だいぶ前から、私が聖女です。


「十二の試練……あと十一か、十一の試練を軽々と乗り越える予定ですので、別の人材を探して頂ければと」


 明日からの私にご期待ください。



 所長はひょいっと肩を竦め、それ以上強くは勧誘してこなかった。引き際を見極めるのが上手な人である。


「それは残念。おっと、アデウス国民としては喜ばしいことですとも、ええ、勿論」


 白々しい笑顔も年の功で好々爺に見える。彼が場を持てば、その調子から逃れるのはなかなか難しい。だからさっさと切り上げようとした雰囲気を察したようだ。食えない爺の称号は誰にも渡す気がないらしい。


「ただ、一つだけ聞きたいことがあるのですが」

「私にお答えできる事柄でしたら」


 答えられないことのほうが多いと思うが、とりあえず聞くだけ聞こう。そう思い、心なしか居住まいを正した私を前に、所長はすっと声の調子を落とした。


「貴方は普段、治癒を使った後、倒れるほどの疲労を感じますか?」


 思わず口を閉ざしてしまった。これでは何かあると答えているようなものである。


「答えたくなければ答えずとも結構です。ですが現在、神力がうまく発動しない事例が確認されているようです」

「は?」


 どう答えるべきかと頭を回している間に追加された情報で、思わず声が出てしまった。所長の顔を見ても冗談とは思えない。そもそも、そんなたちの悪い冗談を言う人ではない。


「いつもならば問題ないはずの力を使って昏倒したり、そもそも発動しなかったりと、安定しないようです。その影響で、貴方が受けた選定の場もうまく整わなかったようです。ですから、神殿から二級神官以上が出てきていますしね」


 神力は、人間が扱う目に見えない力を指す。国によっては魔力、気、祈りなど様々な呼び方があった。アデウス国において神力とは途中で授かるものではなく、身体と同じく持って生まれてくるものだ。

 アデウス国では他国とは違い、神力自体は珍しいものではない。発現させる能力の違いはあれど、国民全員が所持している。

 一般的にはマッチ一本ほどの火を起こせる、そよ風を起こせるなど、小さなもの。大きな力になれば嵐を起こせるとも湖を持ち上げられるとも言われている。その規模の神力を扱える者は、神殿でも数えるほどしかいない。

 ちなみに、大小様々あれど誰もが持って生まれる神力を検知できない悲しい例外がこの私である。泣いてなどいない。


 持って生まれる力であるがゆえにか、不思議なことに国によって特色が出る。それにより、聖女選定の儀でアデウス国民の女のみを選べるのだ。旅費や滞在費目当てに参加しようとも、アデウス国民の神力を検知できなければ申請は不可となる。検知方法は簡単だ。受付で配布される割り札である。アデウスの神力を持っていなければ、あれに指紋は刻まれない。

 神力が輝かしき0の私でも、何故か割り札の指紋は刻める。神のご加護か、それとも私の神力は0ではなく数値として出せない量であれば存在しているのか。

 それはともかく、神力は身体と違って成長することもなければ老いもしない。決まった量が変わらずその身に在り続け、ただ不変があるだけだ。

 それなのに、神力に不具合が出るなんて聞いたことがない。私の治癒は神力ではなく神により与えられた聖女の力だが、それだって二人を治した程度で枯渇するようなものじゃない。だが事実昏倒し、負傷しても痛みに気付かず眠り続けた。二日も眠り続けるなど、空っぽになるまで使い切りでもしなければあり得ない。


 嫌な予感がし、膝の上に乗せていた掌へ視線を落とす。誰かに触れていなければ聖女の力は効力を持たないが、力として感じ取ることはできる。それなのに、光りが身体の中を走り抜けず霧散した。


「……成程?」


 敵の正体も動機も、何も分からない。だが、一つだけ浮かんだことがあった。それを飲みこみ、掌を握りしめる。ぐっと吊り上げた口角は、きっと笑みに見えることだろう。

 やるべきことは変わらない。神殿に戻り、聖女に戻る。結局はそこに集約してしまう。それ以外何もできない。何もない。それを知っている。

 切り替えができなくて、スラムなど生きていけるか。頬を殴り飛ばされた事実を気にする暇があれば、さっさと次のパンを探さなければならない。後でもできるものは後回しだ。



「そのような内容を、神殿と王城が簡単に公表するとは思えませんが」


 アデウス国は豊かな国だ。土地は肥え、鉱山は満ち、技術は溢れ、大小の差あれど神力を全国民が持ち、一教が穏やかなる支配を持つ。スラムはあれどそれを王都が抱えているがゆえに、方々へ散らず、地方の治安はそれほど悪くない。

 他国から見れば、喉から手が出るほど美味しい国なのである。何かしらが不足した際、財源確保でも資材確保でも食糧確保でも人材確保でも、名が上がる筆頭国がアデウスだ。無難な交易でも、暴威による略奪でも、だが。

 歴史上アデウスはそれなりに戦争を仕掛けられてきた。その度勝利してきたからこの豊かさを保てている。だが、ただでさえ聖女不在のまま大きな行事を行っている最中に、神力に異変が生じたなど他国に知られたら厄介なことになる。他国がつけいる隙をこれ以上作りたくないはずだ。

 さて、その情報元はどこだ。そろりと視線を向ける。にこりと返された。あ、駄目だこれ。


「年寄りは、暇な分耳ざといのですよ。前の職場繋がりとか、ねぇ?」


 王城――! 頑張れ王城――! 情報ダダ漏れ――! そっちが頑張ってくれないと、情報共有の義務として王城に報告している神殿が報われないぞ――!


「なに、前の職場のお隣にも、茶飲み友達がおりましてなぁ」


 神殿――!



 本当に駄目だこれ。彼を前に情報の秘匿は難しそうだ。私はそうそうに諦めた。最低限個人の秘密だけは守ろう。そう決めた。


「いろいろと大変なのですね。ですが本当に、怪我のことはお気遣い頂かずとも結構です。薬をつけてくださったではありませんか。おかげで化膿せず済んでいます。お世話になりました。私が滞在していた間の費用をお支払い致します」


 強引に話を逸らし、戻した。所長はそれに付き合ってくれた。


「それはとんでもないことでしょう。貴方が聖女候補である限り、国民は貴方を補佐する義務がある。そして貴方もまた未成年だ。ならば、我々は機関の職員として大人として、貴方を保護する義務がありますので」


 話題替えには付き合ってくれたのに、それ以外は一歩も譲る気がないこの笑顔。法案を通すときは大変頼もしかったのに、目の前に立ちはだかると絶望しかない。

 所長を決める際、ありとあらゆる人を検討した。新しい法、巨大な機関。金がかかり、莫大な時間が懸かるのに結果が見えにくい。そんな制度を、誰も踏みならしていない歴史に投入する始まりを担ってくれる人。

 重要視したのは、広い人脈があり、人望があり、多方面から圧力を受けにくく、横槍を避けて切り返し、足を引っ張る手を踏みつけ、火をつけようとする輩に油をぶっかけて当人を燃やす勢いを持った人、である。

 まさか、大臣が職を辞して手を上げてくれるとは思わなかった。さらに、生まれも育ちも伯爵位。法案に行き詰まる度、「よーし、爺溜め込んだ権力使っちゃうぞ」と片目を瞑った姿を見た。物凄く見た。強い味方過ぎた。


 そういう人なので、口先三寸、小手先の言い訳で引いてくれるわけがない。どうしようかなと頬をかこうとした指がガーゼに触れて、溜息を吐く。掻くのも言い訳も諦める。

 そも、残念聖女と名高いこの私。得意なのは口先三寸、口八丁。そこを封じられては正攻法しか残らない。


「諸事情によりこちらでお世話になる気はありません。割り札の権限も使用しません。ですので、私の手持ちからお支払いさせて頂きます。これは決定事項であり、変更はありません。本当は目覚めてすぐお暇するつもりでしたが、追われても困りますのでお話に応じただけです」

「諸事情とは?」


 所長はにこやかな笑顔を崩さない。それより幾分か胡散臭い笑みを浮かべる。彼を参考にして練習したのに、私が浮かべると胡散臭いのなんで?


「私にも、敵はおりますので」


 私にも、あなたにも、敵はいる。命を身体を立場を損ねろと、それが己の利益になるからと、益はないが損をさせたいからと。そんな理由はあちこちに転がっている。それを私より知っているはずの人は、やはり笑みを浮かべたままだった。


「私はその敵を、この場に持ち込むつもりはありません。ここは、子どもが明日を信じるための砦です」


 そのために聖女の権限を全稼働して作った法であり、機関だ。

 機関だけを作るならそこまで権力を振りかざす必要はなかった。だが、法律の有無は大きい。個人がやりたいことを、皆がやらねばならぬことへ変化させる。

 それが法律。それが義務。法律は、その国で生きる人間との約束だ。



 人々から当代聖女の記憶は失われた。それでも私は当代聖女だ。

 人々から私の記憶を奪った何か。それの狙いはどこにあるのか。私への攻撃か。何せ、私だけが国から失われたのだ。

 だからここにだけは近寄らないつもりだった。私が聖女として残した実績など、ここしかない。敵が私を追ってくる可能性が否定できない以上、絶対近寄らない。どこか適当な場所に潜り込んでも、どこにも辿り着けずスラムへ流れても、ここにだけは絶対に。神力が揺れているなど前代未聞の事態が起こっているなら尚更だ。

 私は、ここにだけは来たくなかった。足の皮が剥がれても、爪が剥がれても、文字通り汚泥を啜ろうと。絶対に。絶対に。

 たとえ私が死んだって。


 得体の知れないそれを、この砦にだけは、絶対に連れてきてはなるものかと。

 ふっと小さく笑う。それでもぶっ倒れてこのざまだ。話があるという職員を振り払って出ていかなかったのは、さっき言った言葉の通り。私の保護に彼らが乗り出さないようにだ。

 懐から財布を取り出し、金貨を五枚置いていく。金ならある。保護は必要ない。財布を仕舞う工程で、割り札も覗かせる。聖女の試練もまだ残っている。保護は必要ない。名もある。保護は必要ない。名を与えてくれた存在もいる。


「保護は、必要ありません」


 私はもう、あなたの名前を呼べずとも。




 立ち上がり、彼が立ち上がる時間を待たず歩き出す。足の悪い人を置き去りにする性根の悪さは、なるほど、聖女に相応しくない。けれど選ばれた。神は私を選んだ。

 そして、私の大切な人達が私を聖女と呼んだ。ならば私は戻らなければならない。聖女の不在は国を荒らし、人に死を纏わせる。だから何が何でも戻るのだ。

 だってここは、あの人達が生きる国なのだから。


「マリヴェルさん」


 呼び掛けられる声に振り向かない。しかし続く声は苛立ちや悲しみを浮かべることなく、ずっと穏やかだった。


「今度はお茶をご一緒して頂けませんか。わたしはこう見えて甘党で、それは美味しい菓子をたくさん知っているのですよ」


 思わず笑ってしまう。知っている。

 やあ盟友、元気かい。ええ盟友、元気ですよ。やあ盟友、お菓子あるよ。ええ盟友、こっちにもありますよ。

 知っているのに忘れられた事実がここにあるのに、変わらないものまでここにある。それは随分温かで、奇妙に寒々しく、痛いくらいに幸いが満ちていた。


「マリとヴェルに、どうぞよろしくお伝えください」


 私の名を、まるで宝物のように教えてくれた子どもに言づてを一つ残し、私は走り出した。目指すは階段、正確にはその踊り場にある窓である。開いている窓に向けて勢いを殺さず走り切り、窓枠に手をかけて飛び出した。下から上がってきていた職員と目が合ったので、片手を上げてかっこよく挨拶しておいた。


「お世話になりました!」


 そして、片手を支えに使わなかった私は見事に体勢を崩した。爽やかな笑顔で派手な音を立て落ちていく私が最後に見たのは、「えぇー……」という顔をした職員の皆々様であった。








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