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88聖





 殺してやる。殺さねば。死んでしまえ。殺してやる。

 許さない。許せない。許されない。

 ああ、でもやっぱり、許さない。


 私を砕く憎悪が沸き上がる。地の底から、天の内から、怒りが、憎悪が、止まらない。

 内から溢れ出る力に私の身体は耐えられない。肉は砕け、皮膚は散る。けれど血が流れることはない。私の身体を流れるものは最早人に似せられた何かですらなかった。

 砕けた私が巻き散らすものは、人形の残骸と憎悪だけだ。世界を穢す害悪しか、もう何も。

 命のためにあれと神より授けられた力全てが裏返っても、何とも思えない。私の全てがあの存在を排するために使われても後悔など浮かばない。その為の燃料でこの身が使われるのなら、本望だと思った思考すらとうの昔に散り失せた。


「ああアアあああああああアあああああああああああああああああああああああああああ阿あああああああああああああア嗚呼あ亜吾亞ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 命への害悪を排除する意思などない。願いなどない。意志など浮かばない。

 ただ、他者を害する憎悪を振りまく厄災と成り果てた私には、それしかないのだ。

 それしか有り得ない。それだけが私の存在価値だ。それだけが私という個を保つ唯一だ。

 エーレ。エーレ。エーレ。

  廃棄されることが務めである人形が、人の子に生まれたかったなどと分不相応な憧憬を持った報いが、これなのか。

 私が人となる代償がエーレの死なのだとしたら、私の報いをエーレが受けたのだとしたら。

 あなたのいない世界で息をしたことのない私が、あなたのいない世界を作り出した。

 私が殺した。

 世界の宝を、神の愛し子を、時代の申し子を、アデウスの要を。リシュタークの愛子を。

 私の夢を。

 私が殺したのだ。


 分からない。私の罪だ。分からない。贖い方が。分からない。分かったところで、それが何だというのだ。罪が、償いが。憎悪が、罰が。何だというのだ。

 だって罰が堕ちようが償いが覆おうが。


 えーれはかえってこないのに。


 神の憎悪を一人の女がねじ伏せたがゆえの大樹が砕けていく。私の憎悪が侵食していく。大樹の世界への侵食速度と私の憎悪。どちらかが早かろうが関係ない。最終的に、あの女を殺せればそれでいい。

 女の姿を大樹が飲みこむ。大樹を盾にしたところで私の侵食は止まらない。神の憎悪を纏った女より余程穢らわしく悍ましい侵食で崩れ落ちた先から、新たな根が増え、枝を張る。


「自壊とはかくも見苦しい。それでも私の大願が叶う前座としてならば、こんなにも愉快で美しい!」


 アイしている。愛していた。あいしている。

 こいしい。恋しい。コイシイ。

 あなたが、あなたたちが。

 わからない。とまらない。ゆるせない。ゆるさない。


 エーレ。 エ・レ。 :ーレ ー|・


 ―――

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 憎悪の厄災はまるで光のような色を伴い、女を追う。

 だが私には全てが無音だ。それらを認識する器官全てを砕き放つのだから当然の末路だ。

 それなのに、音がするのだ。

 音が


 ―――――

 ―――――

 ―――ェ―

 ―――ェル

 ―リ―ェル

 ―リヴェル

 マリヴェル

 マリヴェル

 マリヴェルっ――!


 音が、声が。

 やまない。やまない。

 それらがわたしをかためようとしている。

 くだけちったわたしを、個におしとどめようと。

 わたしにつながったくさりが、重いのです。

 わたしを個に固めようとするくさりが、あたたかいのです。

 やまない。やまないのです。

 温もりが

 止まないのです






 暗殺者に突き落とされた水面から力尽くで引き上げられたときと同じように。


「マリヴェル!」


 私という個が、世界に浮上し、固定された。

 目の前にあったのは、血みどろの人だ。いつもきちんと整えられていた髪は乱れ切れ、帽子は少し離れた場所で八つ裂きになっている。

 傷だらけだと、そう認識するより早く、反射のように癒やそうとして上がった手を、大きな手が包み込むように握りしめた。


「マリヴェル」

「――――――――――――――――――――――――――――!」


 だからわたしは、わたしのてがあることをおもいだした。


「マリヴェル」

「――――――――――――――――――――――――――――!」


 だからわたしは、わたしのおとがあることをおもいだした。

 だからわたしは、わたしがあることを。


「マリヴェル」


 このひとのおんどがわたしの。


「マリヴェルっ」


 わたしの、ゆめ、だと。

 おもいだしてしまった。





 砕け散った私という個を、その大きな身体で包み込むように抱きしめた神官長の力が、体温が、私という個をこの世に固定している。夢から覚めるように世界を認識し、夢の中に帰ってきたかのようだった。


「マリヴェル、すまない、マリヴェル。マリヴェルっ」


 その声に熱がある。その瞳に情がある。その熱に郷愁がある。

 ここに、私が知り得た全てがある。

 ともすれば瞬時に砕け散りそうな思考が、身体が、その人の声と熱によって固定されている。その背後では、神官が放てる全ての神力が解き放たれ、大樹に抗っている。衝撃と轟音と怒号と、泣き叫ぶかのような絶叫と。


「―――――、――――――――――――」

「っ……アデウス十三代聖女、マリヴェル」


 それら全てが飛び交っている世界の中で、その人の静かな声と熱は、鮮やかな柔らかさで私に届く。

 応えなければ。応えなければ。応えなければ。

 どこからが夢でどこからが現実なのか、そもそも私に夢見ることは許されていたのかすら曖昧だけれど。

 この人の声に、言葉に、その全てに。私は応えたかったのだと、思い出してしまった。思い出してしまえばもう、私の心という名の反射は既に応えていた。


「――はい」


 神官長は一度固く目蓋を閉ざし、しっかりと開いた。

 いつか、いつかこの人達が私を思い出してくれたなら、どれほどの喜びだろうと思った。その瞬間砕け散ってしまいそうなほどの幸福で、私は消滅できるだろうと。

 そう思ったのに。いま、何を思えばいいのか、分からない。何を想っているのかも、何も。


「神官長として、撤退を進言する。この状況では神殿に勝ち目はない。我々が時間を稼ぐ。その時間を使い、君は王子と逃げ延びなさい」


 神官長の視線の先を、無意識に追う。そこには王子がいた。いつの間にここに来たのか分からない。あれからどれだけ時間が経ったのか、全ての意識が曖昧だ。

 王子が連れている部下は少なく、王子を含め無傷とは到底言えない。その後ろで、大樹が世界を飲みこんでいく。私達がいる場所は、かろうじて残された地面だ。見慣れた人々も、一人たりとも傷を負っていない人間はいない。それでも誰一人として大樹との戦闘を止めてはいなかった。

 否、一人だけ。一人だけ、その命を失った人だけが。皆の中心で、静かに横たわっている。


「仮令我々が壊滅しようが、君達は生きてこの場から落ち延びる必要がある。その責がある。――君には、分かるはずだ、マリヴェル。私は君に、その責を教えたのだから」


 どう、して。

 私の感情は、そう言葉を紡ぎたかった。けれど掠れた吐息しか世界に音を放てない。


「……覚えているよ、当然だ。無くすものか。お前との記憶を、思い出を。どれだけ覆われてしまおうと、決して失くしてしまうものか」


 それなのに神官長は、私の言葉を見つけてくれる。いつも、そうだった。そのいつもがここにあることがおかしいのに、神官長はいつもの神官長だった。

 神官長の視線が初めて私から逸れた。その先には物言わぬ屍が横たわっている。神官長の瞳が震えるように歪められ、すぐに開かれる。


「此度の件で、我々神殿が自らへ施した聖印は右腕にある。無論エーレにも存在している」


 えーれ。

 えーれ、えーれ、えーれ。

 エーレ。

 私の夢。私の今日。私の明日。私の昨日。私の熱。

 人形としての私を遠ざけた私の歪み。私の罪。私の、私の、私の。


 私の、命。



「……だが、エーレの身体には我々の知らない印があった」


 その言葉を聞いた瞬間、唐突に、理解してしまった。既に砕けたはずの世界が再び千切れ堕ちた気がした。

 呪いが神殿を襲った日。私とエーレの忘却が解けてしまった日。私は違和感を覚えた。だって神殿が刻んだ聖印は、皆の右腕からその気配を発していた。だがそれより前に、私を使った神は言った。


『その胸にある刻印は、人が考え出した力の一つか。成程。面白いことを思いつく』


 神は言った。


「エーレの胸元に掘られた入れ墨は、聖印を原型とした新たな術だ。術式を起点とした印と共に、お前の名と、お前だけが自身の主だと刻んであった」


 戦慄く唇よりゆっくりと、されど小刻みに。首を振ることしかできない。そこに私の意思はない。そこにあるのは恐怖なのか、叫び出したいほどの絶望なのか、私にも分からなかった。


「……あれは、自身が死亡した際発動する術式だった。自身が持つお前に関するあらゆる情報を敷き詰めた術式を、他者に触れることで広めていく――まるで呪いのような術式を、自らに刻んでいた」


 親しい人以外の体温を、肌を、酷く嫌う人だったのに。サロスン家の夜会で、男達の誘いを断らなかった。あのときからおかしいと、分かっていたのに。


『気付いておるか、人の子よ。それは呪に等しいぞ?』


 神はそう、言ったのに。私は深く思考しなかった。他にも考えなければならないことが沢山あるからと、違和感を追いかけず、いつか考えようと。

 私が殺したのだ。私がエーレを殺した。私がアデウスから、リシュタークから、この人達から、世界から。あの人を、あの命を、あの愛子を。

 あの愛の申し子のような人を、奪ったのだ。

 激しい絶望と虚無が私の中で点滅する。


「罰を、受けなければ」


 どんな罰を受けたところで、贖える償いなどどこにも存在しない。それでも、それ以外、何も思い浮かばない。エーレに報えるものを、私は何一つとして持っていないというのに、償いを探すことすら許されなくてもそれしか、私にはそれしかなくて。

 神官長は崩れかけた私を包み込むように抱きしめた。


「マリヴェル、エーレはお前の死も罰も望んでなどいない。ただただお前の幸いを願った。そしてそれは私達とて同様だ。行きなさい、マリヴェル。必ず、生きなさい」

「――っ、あなた達は、私などを知るべきではなかった! 私という存在を認識することなく、その生を正しく穏やかに全うすべきだったのに! ……それが叶わぬならばせめて、せめて思い出すべきではなかった。私は歪みだ。あなた達の生の、歪みなのです」

「人がここにだけは触れてくれるなと定めた場所を、その主導権を知らぬ間に書き換えられる。それは不快感どころでは収まらない怒りの対象だ。……マリヴェル、お前は私達の願いなのだ。お前の幸いがあることこそが、私達の幸いの前提だ。何を擲ってでもお前の無事を祈るほどに、お前が大切なんだ」

「私にあなた達を欠けさせるような価値などありませんっ!」

「逆だ。逆なのだよ、マリヴェル」


 神官長の声は、私に絵本を読み聞かせてくれたものによく似ていた。


「我々が、我々こそが、君を捧げてもらえるような人間なのか、国なのか。常に詮議され、その採決を越えられる存在であらんと務め続けなければならないのだ」

「お父さんっ……」


 私の無意識が放った言葉は、最早絶叫だった。非難ですらあったのかもしれない。

 それなのに、神官長は笑うのだ。


「そう、呼んでくれるのかね」


 この世の幸いに触れたと言わんばかりの顔で、そう言うのだ。


「お前を傷つけたこの身をそうと呼んでくれるのなら、私はこの生の全てが報われたと思えるよ」

「あ、なたは、何も、何も悪くは」

「……すまないね、マリヴェル。こんな私を父と呼んでくれたお前の涙を、ずっと拭ってやりたかったのだけれど、私が泣かせてしまうとは不甲斐ない」


 神官長の大きな手が私の目元に触れて、自分が泣いているのだと知った。知った瞬間、嫌悪感が湧き上がる。だって、エーレ。エーレの死で涙を流しはしなかったのに、自分のためには流すのか。私は本当に、塵屑だ。こんな塵屑のために、役目を果たさず何の役にも立たないまま崩壊したがらくたのために、あの人は、命を、失ったのか。


「神官長、そろそろ」


 抉れた右肩を歩きながらカグマに治療してもらっているヴァレトリが、神官長に耳打ちをする。神官長は小さく頷いた。


「王子、我らが聖女をお願い申し上げます」

「謹んで承ろう。聖女の御身、必ずや。そして――王族として、神殿に敬意を」


 胸に手を当てた王子に、神官長は美しい礼を返した。

 身を起こした後、脱いだ上着で私を包む。そのまま回した腕でもう一度抱きしめ、額に唇を落とす。


「マリヴェル、愛している。お前の父になれて、光栄だ」

「まっ、て」

「元気で」

「いや、嫌です、やだ、お父さんっ!」


 その腕を離した神官長は立ち上がり、私に背を向けた。

 癒さなければ。皆を癒さなければ。そう思うのに、私は何の力も発することはできなかった。

 これが憎悪の代償だ。そしてこれが、罰なのか。誰より、何より、傷ついてほしくなかった人達を癒す術を失うことが、私に下された罰なのか。

 神の器。その表皮でしかなかった人形が神の器を穢した代償を、私の大切な人達が払うことが。


「聖女、抱えるぞ」

「待ってください! 離してっ!」

「よいせっと」

「ルウィ!」


 王子によって抱え上げられたことで視線が高くなり、見えるものが多くなった。皆の傷が、終わりが、広く、鮮明に。

 大樹はもはや神殿全てを飲みこみ、王城にまでその枝葉を伸ばそうとしている。アデウス中から回収されていく神力が、それらを可能としていた。

 しかし、それらを神殿と王城の兵が押さえ込もうとしている。何故、どうやって。

 聖女の目だからこそ見える神力の流れを把握し、息を呑む。神官長達が、一度引きずり出された神力を奪い返している。回収されたとて、生まれてから今までその身に馴染んだ神力を、己の気配を頼りに発見し、周囲の神力ごと強引に奪い返しているのだ。そしてその神力を、他者にも分配している。


「駄目、駄目です! そんなことしたら!」


 叫んだ瞬間、神官長が大量の血を吐き出した。

 当たり前だ。医術以外、他者の神力は人の身体には害でしかない。そんなものを身の内に取り込めばどうなるか。私が試練の最中に、実行したではないか。

 他の人間も多かれ少なかれ血を吐き、膝をつく。

 嫌だ、こんなのは、嫌だ。

 先代聖女が壊した神殿と王城の関係を正すことが、当代の責務だと思った。アデウスの安寧のため、手と手を取り同じ敵に立ち向かえる関係へと戻すことが、願いだった。

 だが、こんなことは望んでいない。


「ヴァレトリ! 神官長が死んでしまいます! 止めて! ヴァレトリぃ――!」

「悪いな、マリヴェル! 僕は神官長の命令しか聞かないんでね!」


 手と手を取り、死地に向かってほしいだなんて、一度も。


「あと、忘れて悪かった! じゃあな!」


 そう言って駆け出したヴァレトリの姿は、凄まじい速度で伸びてきた人より大きな根に阻まれ見えなくなった。カグマの声も聞こえない。あんなに大きなサヴァスの声も。

 横たわる、エーレの姿も、どこにも。


「王子、お伴できるのはここまでのようです」

「うむ。大義であった」

「光栄です。では、おさらばです!」


 短い言葉を交わし、王子が連れていた兵達も散っていく。

 私達がいた平面も、もう平面と呼べないほどに波打っている。地の底を根が侵食している。ここもすぐに、堕ちるだろう。


「余の手は埋まった。そなたらは自力でついてこい。歩けるな、マレイン嬢」

「――ええ」


 ふわりふわりと漂うような声。そんな声しか知らなかった少女が発したとは思えない声がした。ふわりと揺れる金の髪はそのままで、その身も傷一つない。その少女の横にぺたりと座り込んでいる少女、ドロータも無事だ。

 しかし、様子がおかしい。虚ろな瞳は虚空を見つめ、薄く開かれた唇からは何の音も発せられない。あれだけ激しく言葉を紡いでいた少女はいま、人形のように座り込んでいる。

 ふわりと金の髪を揺らしたベルナディアは、座り込んでいるドロータの腕を掴むと、自らの肩に回して立ち上がった。


「ドロータ、さあ、ドロータ。立って」


 立ち上がったドロータの頭がかくりと倒れる。それを、背を支えていたベルナディアの手が直し、自らの頭が支えとなるよう傾けた。


「ドロータ、大丈夫、大丈夫よ、ドロータ。わたしがいるわ。歩きましょう。大丈夫、歩けるわ。あなたは強い子だもの。まるで乳母のような、ドロータ。乳母のように、あなたのお母様にそっくりな、優しいあなた。約束したでしょう? あの日、乳母がお父様に殺されたあの日、いつか二人で逃げましょうって。ねえ、ドロータ。大丈夫よ……わたしがいるわ。わたしが、いるから。ね? だから、平気よ。歩けるわ」


 ベルナディアは微笑む。重たいものを持ち慣れていないと一目で分かるほどよろめきながら、力を入れ慣れていない足で、ドロータを支えたまま歩き始める。

 その後ろでまた一つ、誰かの血が飛び散った。王子が歩き始める。神官長が遠くなる。


「神様!」


 手足が動かない。身体が機能していない。もうどこからどこまで砕けて、何が稼働できるかすら分からない。指一本も動かせず、私に残るのはこの首だけだ。


「神様! お救いください! 神様、お願いします、神様!」


 神は私の願いなど聞き届けてはくださらない。分かっている。だが私に出来ることは祈りしかなく、そして神は言ったのだ。人の手に余ると願えば、手を貸してくださると。

 私は器としての機能を果たせなくなった。だが、残骸ならばまだ使えるかもしれない。


「神官長! 神へ、ハデルイ神へ祈りを! 私の残骸を使えば、神の降臨が叶うかもしれません! だから、お願いします神官長! どうか、神に祈りを! 世界はあなた達を愛しているんです!」


 ここは美しい場所だった。美しい、国だった。塵として終わる人形でさえ、人を夢見るほどに。優しい時間が流れる、世界だった。

 再度大きく吐血した神官長が、振り向いた。


「私達はお前を愛しているよ」


 そう言って、笑うのだ。魂を削りながら、お父さんの顔で。


「あなた達がいない場所で、私は稼働できません!」

「やれなくてもやりなさい。命を諦めないことは人の義務だ。そして生を諦めないことは、お前を愛する私達への救いだ。――お前を忘れた私達を恨んでいるのならば、この場に留まりなさい。それが私達への罰だというのなら、私達はそれを受け入れるよりない。私は自らを呪い、何も為せなかった絶望を抱き死んでいこう」


 そんな、馬鹿げた、ことを、言うのだ。

 私はきっと、酷い顔をしたのだろう。神官長は私を見て苦笑した。


「いきなさい、マリヴェル」


 巨大な根が神官長を飲みこんだと同時に、私を片手に持ち直し、反対の手でドロータの腕を掴んだ王子が走り出す。

 私はたぶん、絶叫した。喉が砕けるほどに、何かを叫んだ。何かを撒き散らした。けれどそれら全てに意味はない。私という存在は、何一つとして救えはしない。何の意味もない。何も為せなかった、唯一為せる術すら投げ出した、最早聖女でも人形でもない何かなのだから。

 そんなものを守ろうと、世界の愛し子達が呑まれていく。優しい人達が、死んでいく。

 神官長と歩いた道が、ココとお喋りした東屋が、サヴァスと遊んだ木が、カグマと夜食を食べた部屋が、王子と昼寝した屋根が。皆と過ごした全てが。

 エーレと、笑った、全てが。

 大樹に薙ぎ倒され、飲みこまれ、失われていく。それら全てをちらりとも見ず、王子は半ばドロータも抱え込みながら駆け抜けていく。その王子の服の端を握りしめ、ベルナディアも懸命に駆けている。

 私だけが何も、何一つ。泣き叫ぶことしかできない役立たず。誰かを癒すことも、守ることも、戦うことも、祈ることも、救うこともできない。神を迎えることすらできなくなった、無能な塵屑。

 空に到達した大樹は日の光を遮っていく。アデウスは永劫の夜を迎えようとしていた。

 世界の終わりが体現されていく中、けたたましく笑う女の声だけが響き渡っていた。







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