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 日が傾き始め、昼間より更に風が冷たくなってきた。そんな中、神殿と王族含む限られた上級貴族達と政務官、そして彼らが率いる兵士は、ぞろぞろと外へと集まっている。

 王城側の武装解除は求めなかった。神殿も神兵を並べてはいるが、王城側との兵力数の差は、単純に計算しても十分の一以下だ。

 しかし引き換えに協議場所は神殿が指定し、王城側はこれを受けた。神殿が提示した場所は、神殿と王城の狭間にある狭間の間にある狭間の庭。

 場所としては無難だろう。だが、狭間の間という建物があるのにあえて狭間の庭を選んだ理由はただ一つ。

 狭間の間は、わりと全壊に近いからである。


 賓客出迎える場所でもある常に美しく整えられていた庭、歴史ある建物。それらは最早見る影もない。

 これでも被害を食い止められたほうだ。何せ王城側への被害はほとんど皆無である。それを自分の目で見てもらおうというのも、場所を決めた理由の一つにはなっていた。

 さすがに地面くらいは均しているが、後はもう悲惨な状態だ。瓦礫の撤去は間に合わず、かつて美しかった庭を押し潰しながらそこら中に散乱している。辺り中掘り起こされた土や削り飛ばされた土ででこぼこだ。

 だからこそ、この場に現れた人間達は状況を肌で感じやすいだろう。過去最大兵力と呼ばれている今代の神殿が、総兵力を上げてもここまでの被害を出したのだと。

 報告書では感じづらい焦燥を少しでも抱いてくれるのなら、この場を指定した甲斐もあったというものだ。


 この場に現れた王城側は、少々動揺を見せた。狙い通り、場の被害状況を目の当たりにしたことも理由の一つではあるだろう。

 彼らを出迎えた神殿側の異様さがとどめを刺したのだとしても。


 未だあちこちの傷跡を残す地面の一部を均しただけである剥き出しの土の上に、椅子と机が配置されている。王城側と対峙する位置には、既に神殿側の面子が着席している。

 白い服を着た、頭から長い白のベールを被った存在を中心に、神殿は座っていた。

 このベール、特殊な製法で作られているので内からはそれなりに外が見えるが、外から中は見えないようになっている。

 ベールは腰を越える長さだが、私の髪はそれ以上の長さなのでベールでは覆い切れていない。白のベールと白の服の間で、赤紫色の髪がやけに目立つも、別に髪を隠すために被っているわけではないので特に問題はなかった。

 しかし、おそらく王城を怯ませたいよう差はそれではないだろう。

 神殿は、そんな存在を中央に据え、その前後左右……前は机なので後左右にいる神官の服を着ている面子は神官神兵などの役職に限らず、神官長に至るまで全員が、黒に染められてはいるものの同じ布で作成された覆いを顔面に着用していた。

 眼だけはかろうじて露出しているが、顔の半分以上は布によって遮られ、その表情を伺うことはできない。

 異様な光景に、王城側の足は完全に止まってしまった。よって、ここは聖女の仕事だろうと口を開く。


「場を整えきれなかった点につきましては謝罪をいたします。ですが現状を鑑み、ご容赦いただけるものと思っております」


 本来王より先に発言を許される存在など先触れくらいだ。しかし、アデウスの聖女には適用されない慣習であり、権利だ。

 アデウスの法は神殿に、そして聖女に関与できない。この強い権限もまた、歴代聖女達の企みであったのだろうが。

 第一王子、第二王子を左右に連れた王は、十代で第一王子をもうけているのでまだ年若い。厳ついとも柔和とも呼べない、王子と似ているような全く似ていないような、整っているようなそうでもないような、特に印象に残らない顔として有名だ。

 ヴァレトリが物凄く羨ましがっている顔をしている王は、髭をもごりと動かした。普通に口を動かしたのだろうが、充分すぎるほど距離を取った位置で立ち止まっているため、髭が動いたようにしか見えない。


「神殿側の異様な姿を説明せよ」


 だろうなぁと思う。私も、王族を出迎えるにはちょっと野性味溢れる場だなぁとは思うものの、それに対して王城側が動揺しているのではないことくらいは分かっている。

 彼らの動揺の在処は、誰がどう見ても異様な神殿側の姿だ。しかし異様と素直に口を出してしまう辺りで分かるだろうが、この王、総体的には特に可もなく不可もない王との評価がついている。

 ちなみに私評ではなく第一子評である。まあ、いつもの王子である。


「事前にご連絡差し上げた通り、聖女たる私の顔に罅が入っておりますので。神官達はそれに殉じております。神官の忠誠心を、今更あなた方に説くべきとも思いませんが」


 先代聖女率いる率いる神殿に、散々苦労させられた記憶は未だ鮮明だろう。むしろ当代聖女時代の記憶が一切のないのであれば、それだけが彼らの経験した神殿なのだ。

 私の言葉に返事はなかった。これ以降、王の発言は止まるだろうとの予感がある。基本的にこの王は、積極的に口を出す類いではない。最初と最後の締めに言葉を発することが多いのだ。

 政務官達も慣れたもので、粛々とその後を継ぐ。


「王の許可なく座するとは何事か」


 まあ始まるのは攻撃か嫌味か不満か、なんかそういうのなのだが。

 そして今回は、王城側の不満が正しい。何せ椅子に座っているのは聖女だけではなく、発言権を持っている神官全てが既に着席済みなのである。

 私の左右に神官達六名が着席済みだ。勿論神官長とエーレもいる。エーレは私の隣、神官長はその向こうで少し遠い。

 地面に直接置くことを想定されていない巨大な長机の向こう側、王城側は神殿側より多目に椅子を用意している。主要貴族達の中には見慣れた顔ぶれも交ざっている。

 サロスンとかリシュタークとかリシュタークとか。この辺りを主要貴族と数えなければ、どの貴族もこの場に参加はできないだろう。

 ……サロスンの三男が出てきたのは、ちょっとかなりとても意外だったが、致し方ない。あそこはあそこで今は家の損害を最小限にとどめようと必死で、人手が足りないのだろう。



「今は一秒を争う事態である。それが神殿の判断です。あなた方の判断をお聞かせいただきたいとは思いますが、立ち話も如何かと。――着席なさいませんか?」


 神殿側は、私以外誰も言葉を発しない。そして私も含め、誰一人として身動ぎ一つしない。これは立ち話で済むような話ではないし、王族を立たせっぱなしにするのは王城側としても避けたいはずだ。

 だが、神殿の言いなりも腹が立つ。そんなところだろう。

 私は視線を僅かに政務官から逸らし、王子へ向けた。王子は瞳だけで面白がっていた光を瞬き一つで散らせ、気負いは欠片も持たず一歩踏み出した。


「ではそうしよう」


 王子より一歩半遅れ、第二王子も足を踏み出した。そして、ゆっくりとした動作で分かりづらくはなっているが、明らかに躊躇の見えた王の足が進んだ。

 その後を、不満を浮かべていたりそうでなかったりしている面々が続く。

 王族が着席すると、他の誰より早くリシュターク家が席に着いた。早い。場合によると王族と同時だった可能性すらある。

 いつもだったらちらりとエーレを見るところだけれど、この場ではそうもいかない。私は視線を固定したまま、着席が済むのを待った。

 王城側の着席を待つ間、足音と衣擦れの音、そして風に擦られた草木の音が響く。虫の声も水の音も鳥の声もする、なんとも忙しない協議会場だ。

 掘り返された土の匂いは、噎せ返る水の匂いの中でことさら際立つなと思っている間に、王城側の着席者は全て位置についたようだ。

 兵士やその家の当主以外で帯同が許されている面子は全て立っているが、そこは許してほしい。何せ野外だ。座ってもらってもいいが、瓦礫や地べたになるので、嫌な人は立っていてもらうしかない。


「それでは、始めよう。これはアデウスの明日を決める協議である」


 王城側である王子が始まりの声を上げる。そこで少し、王城側の溜飲は下がるはずだ。

 こんな事態でとの憤りはない。先代聖女により長年作り上げられてきた不信感と腹立たしさと呼ぶのも憚られる憤りを、王城側こそが持っている。

 だから神殿は、彼らの怒りを否定しない。正当な嫌悪と憎悪は、彼らの権利だ。それを踏まえた上で、浅く静かな礼にて開始の言葉を受け取った。





 

 そんなこんなで話し合いが始まったのだが、当代聖女忘却事件と私が当代聖女であること自体は、わりとすんなり受け入れられていたことが確認できた。

 それは王子のおかげだろう。まあ、意識の端から外されていただけで、十三代聖女がいた物理的な証拠はわんさかあるはずなので、そこは想定内だ。

 国民も、多大な混乱はあれどそこは問題ないと思われるという意見で一致した。

 しかし先代聖女……もうどう呼べばいいのか分からないが、先代聖女の罪をどこまで周知するかは、荒れている。当代聖女忘却事件及び神力喪失事件の主犯である旨は、周知せねばどうしようもない。ここを秘してしまえば、疑念は当代聖女陣営と王城へ向いてしまう。

 当代聖女陣営と王城は、この事件に関してはここまで功績と呼べるものがないので、できる限り批判対象は排除しておきたい。

 事件を事件として発覚させたことは、民にとって大した功績には成り得ない。解決。それが全てだ。

 議論は現在行き詰まっている。

 初代聖女から先代聖女に至るまで全ての聖女が同一人物である可能性も、その女が神殺しであり神喰らいである確信に等しい可能性も。どこまで、周知すべきか。そもそもが、周知していいものなのかどうかすら、誰にも分からない。


 これは、人の身が耐えうる絶望なのか。

 そう、思う。視線の先で、不信感を隠しきれない王城側の面々ですら、恐怖と絶望を浮かべている姿を見て、更に。

 視線だけを流し、神官達を見る。顔の覆いにより表情が分かりづらい。この覆いは、王城側に告げた意味合い以外にもいくつか理由がある。

 その一つが、これだ。

 動揺を、絶望を悟らせない。混乱は混乱を呼ぶ。この件で、少なくとも神殿が王城の絶望を助長させる行動は避けたかった。


 今この場に着席している面々は、選択し続けねばならぬ人々だ。誰かに決断を委ねることはできない。沈黙を続けることも、誰かが下してくれた決断に乗っかり、それらの粗を見つける行為を自身の意見に見せかけることも許されない。

 勿論、他の人間達もそうだ。誰だってそうなのだ。けれどこの人達は、誰より先に、大勢の人々の元へ認識が届く前に、その決断を下さなければならない人々なのだ。

 問題は、今の王城がどこまで現在の神殿を信じられるか。そして、神殿もまた同様に。


「そもそもがおかしな話だ。神殿の言い分が真実であるというのなら、全ては神殿の不始末。全ての責は神殿が負うべきであろう。それなのに何故、その犠牲を我々が支払わねばならぬと言うのだ」


 中年の当主が言う。


「ははは、始まりに責を求めるのであれば、そもそもが神殿の設立を許した余ら王家の罪であろうな」


 青年の王子が言う。


「それらの問答は既に済ませたはずだが」


 青年の当主が言う。


「相も変わらず、リシュタークは神殿贔屓が過ぎるようですな」


 老年の当主が言う。


「弟贔屓と言う意味であれば、我らサロスンも身に覚えがありますとも。しかし、ラブル殿。今は我らが割れる時間も惜しいのでは?」


 青年の当主代理が言う。


 会話から察するまでもなく、この問答は城で散々行われているのだろう。王城はこれを機に神殿を叩き潰したいはずだ。

 この事件の発覚が神殿側からの共有でなければ、確実にそうなっていただろう。

 この件に関して王城は、神殿の報告まで事件に気付かなかった負い目がある。その負い目を抱えたまま、全国民が神力を持ち、尚且つ他国では百年に一度の逸材と呼ばれるほどの神力持ちがごろごろ存在するという強みが失われる可能性を抱えきれるか否か。

 数百年間変わらなかったアデウスという国の国力が揺らぐ今この時、その意図はどうであれ、アデウスを支えてきた二本の柱の片割れである神殿を切り捨てて、アデウスが保つか。否か。

 王城はずっと、揺れている。

 仇敵である神殿を前にして尚、内輪もめとも呼べる問答が起こってしまうほどに。

 しかしこれは、これまでアデウスが平和だった証だ。

 アデウスはずっと無敵だった。それほどに神力の存在は大きかったのだ。

 王城の敵は他国との小競り合い以外は何もなかった。先代聖女エイネ・ロイアーが顕著な牙を王城へ向けるまでは、ずっと。

 アデウスは、平和だったのだ。

 豊かな資源に豊富な神力。資源と人材が潤沢に溢れかえるこの国は、ただひたすらに平和で在り続けた。

 この時代、他国との戦争を視野に入れ、自国の強度を上げようと大規模改革を仕掛けていたルウィード王子のような存在が生まれていたのは、神の差配か。はたまた運命という名の偶然か。


「十三代聖女、まず一点問いたい」


 これまで沈黙を保っていた政務官の一人が手を上げた。政務官達は主流貴族に場を譲っていたというより、状況を見ていたように思える。これまでただの一人も発言していない。


「お答えいたしましょう」

「此度の協議、聖女であると仮定される貴殿及び神官長が出席している以上、神殿代表は貴殿らであると理解はする。だが、これまでこのような協議の場に必ず出席していたエーレ・リシュターク一級神官は如何した。貴殿が引き連れた神官達の中には姿が見えないようだが。彼が貴殿を聖女として認知していないのであれば、我々も考えを改めねばならぬ。聖女候補達の中に当代聖女がいない証明を、貴殿は差し出せるのだろうか」


 彼の言葉を聞き、私は覆いで表情が見えないことを分かってはいるが、ゆっくりと微笑む。


「我々もあなた方同様に、時間の猶予がありません。できうる限り、要件は一つに纏めたいところなのです」


 政務官達の眉間に皺が寄った。気分を害させて申し訳ないとは思う。私とて彼らをおちょくるつもりは欠片もないし、煙に巻きたいわけでもない。


「聖女候補達の中に当代聖女がいるのであれば、彼女達が関わらず、ここまで事態が進むとは到底思えません。現状事件の軸になってきたのは私である事実が何よりの証左かと」


 むしろ私が聖女選定の儀から外れている状態になっている。それでも何も変わらない。聖女候補達はずっと事態に関わらず、被害者にも加害者にもならずただそこにいるだけだ。


「既に済ませた問答はご遠慮願います。今ここで、神殿と王城が争う理由はありません。敵はただ一人。全ての元凶であり、最大の害悪。初代聖女であり先代聖女エイネ・ロイアーのみであると判断しております。我々が争っていては、小賢しい彼女の思い通りになってしまいます。それは双方、望まぬ結果を生むかと」

「……貴殿が先代聖女と同様の理念を持っていないと、どう証明する」

「問いに問いで返す行為をお許し願いたいのですが、あなた方は如何なるものを証明となさるのでしょうか。私に証明を求めるのであれば、あなた方はご自身の納得する基準を持っていらっしゃることが前提となります。失礼ですが、そのご準備ができていらっしゃるとは思えません」


 私は不自然にならない程度に大きく息を吸った。


「十三代聖女及び現神殿は、王城との諍いを望みません。我々には王城への敵意を向ける理由が無いのですから。我々が望むはアデウスの平穏であり民の安寧です。それらを乱す行為でしかない愚行は、先代聖女であるエイネ・ロイアーだけが目論んだもの。当代は一切関与しておりません。十二代聖女エイネ・ロイアーは、高い残虐性を持つ、強かで卑劣で下劣な女です。そんなものと我々を同一視しないでいただきたいのです。それはアデウスにおける最大の侮辱となるでしょう」


 私の顔は政務官達を向いているけれど、視線はそこを通り過ぎている。巡らせて確認することはできないが、私以外の神官達もそうだろう。


「胡乱な物言いは好みません。よって申し上げますが、十二代聖女エイネ・ロイアーは、この世で最も価値のない塵屑で」


 最後まで言い切る前に、政務官達の背後が動いた。正確には、彼らが従えてきた兵士の一人が動いたのだ。




 上級貴族であっても参加できない家がほとんどであるこの協議。限られた護衛以外こちらの会話は届かない仕様が場に施されている。

 そのはずだった兵士から放たれた攻撃に、王城側は驚愕の視線を向けた。王も、第二王子も。このとき私を見ていたのは王子だけだった。


 鬼気迫る顔で振りかぶられた腕の先から、凄まじい神力が一直線に投げ飛ばされた。鍛えられた戦闘職から放たれたそれはただでさえ脅威だというのに、そこにあの悍ましい呪いの気配が混ざっているのだからとんでもないことだ。

 私以外の眼にも見えるほどなのだから、その濃度は口にするまでもなかった。

 そんなものが一拍も開けず、眼前に迫る。

 そうして私は、ほっと息を吐いた。

 釣れてよかった。




 私の安堵と同時に、凄まじい炎が噴き上がる。私達がつけている覆いが炎の勢いに煽られ、激しくはためく。

 白のベールへ向け一直線に飛ばされた脅威は、白のベールに届くことなく焼き切れていく。当然だ。

 その呪いを纏った神力はエイネ・ロイアーから付与されたものだろうが、こちらは神の寵愛を受けた上でそのエイネ・ロイアーを焼いた男の炎である。

 その存在を捉えたのであれば負けるはずがない。本体でないのなら尚のこと。



 白のベールを大きくはためかせながら立ち上がるものだから、私の髪色と白のベールが交互に私の視界を塞ぐ。交互に塞がれる視界の隙間から、か細い糸のような残滓すらも燃え尽き、無と消えた様が見えた。


「現神殿とエイネ・ロイアーの共謀を疑う前に、自らの足元を顧みていただこう」


 流石ともいえる反応を見せた兵士達に抑え込まれた男は、自身の届かなかった攻撃の先を見て、目を見開く。

 まあ、聖女と思っていた白のベールの下から美しい人が出てきたら誰だった驚くだろうとは思うのである。


 私の髪を模した鬘を被り、白の衣装を身に纏ったエーレは、邪魔そうに剥ぎ取った白のベールを私の前に置いた。自分の前に置いてほしい。


「その鬘、なんかずっとエーレ専用ですね」

「うるさい」


 小声で会話を交わしながら、エーレの手を借りて立ち上がる。同時に、神官長達とお揃いの覆いを外す。

 聖女が黒を纏ってはならぬという法はなく、また聖女の許可を得た神官が白を纏ってはならぬという法もない。元より神殿は法の範疇外ではあるが。

 エーレは私を支えながら、私の頭に乗っていた茶色の鬘を外した後、自身の鬘も外した。


「あなた方は忘れてしまっておりますが、リシュターク特級神官が先代聖女派による刺客に対し、当代聖女の影となっていたことは周知の事実でした」


 まさか今でも影として立って……座ってもらうことになるとは思っていなかったが。

 いやでも、私が知らないところで囮の任はしていたと言っていた。エーレならいつまでも聖女の影を務められる気もするが、当代聖女の囮なら当代聖女を使えば早いのに、本当に律儀な人である。

 神官長の手も借り、エーレと場所を入れ替わった。これで名実と共に聖女が中心となった神殿の出来上がりだ。


「あなた方が私を忘れてくださっていて助かりました――おかげで、先代聖女派の一人を炙り出せました」


 神殿側が覆い着用で現れた最大の理由はこれである。

 理由ならいくらでもつけられた。ちょうど顔に罅が入っていて助かった。いい理由付けができたものだ。


「前神官長フガル・ウディーペンは我々が確保し、エイネ・ロイアーは未だ民の前に姿を現わさず。……そろそろ、焦れてくれると思っていたのです。王城側には今一度、人員の洗い流しを要請いたします。先代聖女派はどこにでも潜り込む。何せ派閥を増やす方法が思考なのです。思考の感染は外から見えづらく、隠蔽しやすい。我々も、非常に苦労しました」


 主に神官長がだが。私は命を狙われていただけである。



 先代聖女派は、何の躊躇もなく命を狙ってきた。それは先代聖女の狙いと矛盾する。

 先代聖女が自身の計画をどこまで明かし、忘却させていたのかは分からない。だが、妄信と呼べるほどの執着心で結束していた先代聖女派の乱れは、彼女が企てた狙いが狂っていた証左だ。


「実際に見ていただいたほうがよろしいかと思い勝手をいたしましたが、お分かりいただけたかと。あれが、彼女の力をほんの僅かに譲渡されただけの威力です。あれを身に宿した人間が、あなた方の内に潜んでいるのだとご理解ください」


 ずっと、厄介なまでに堅固だった先代聖女派の足並みは、彼女の不在後すぐに乱れ始めていたのだ。絶対的な求心力を持った当主が不在のままなのだから、その妄信が彷徨わぬはずがない。

 さらにフガルの例もある。先代聖女派は、短絡的であり、感情的になりやすい。だからちょっとした煽りで我を忘れ、姿を現わしてしまう。思慮深い御仁だったと神官長が評した人間でさえそうだった。為人ががらりと変わってしまったのは、単純な加齢による衰えなのか。そうは、思えなかった。

 先代聖女は、人を壊すのだ。


「神が愛した人の子らよ。警戒心を抱き直しなさい。先代聖女派は言わずもがな、彼女を妄信する先代聖女派に守る人の道理はありません。……神喰らいが率いる集団なのだと、どうか、どうかもう一度深く、その恐怖を抱き直してください」


 これは皮肉でもなければ忠告ですらない。

 欠陥品から人の子へ紡ぐ、ただの懇願だ。

 お願い。私など信用しなくていい。私など認めなくていい。だけど、けれど、お願いだから。


「これ以上、彼女を起点とした禍に生を奪われないでください。お願いします。どうかもう、誰も殺されないでください。誰も、誰一人として――もう二度と」


 私は人としても人形としても不完全な、中途半端な欠陥品と成り果てた。それでも願いは変わらない。神はその悲劇を回避する盾として、私をこの国に配置した。けれど出来損ないの私では、神の命を遂行しきれていない。

 私は彼らに禍を届かせてしまう不良品だ。

 私の欠陥の結果を人の子らに押し付ける罪を、彼らは許してはならない。だが私の無価値さを理由に警戒を強めてくれるのであれば、それは喜ばしい結果だった。


「この件は始まりから既に、利権や身分など問題にならぬほどに狂気の沙汰なのです。その生で築いた立場どころかあなた方の人としての尊厳、生まれそして今日この日まで紡いできた成り立ちによる有り様全てを壊されるどころか、そもそも国として、人間として在り続けられるかすら定かではないほどに」


 あれが過去に人であったとして、未だ人の枠から外れきっていないというのなら。ここで食い止めねば全てが終わるほどに、あれは災厄そのものに等しい。そこまで行き着いてしまった存在だ。


「……これは最早、生存競争に近いとお考えください。そう承知した上で、改めて協議に臨んでいただけないでしょうか。神殿と王城を隔てた亀裂でさえ、先代聖女が作り上げたもの。我々は本来、争う理由などどこにもないのです。アデウスに生きる命が、色鮮やかな豊かさの中、穏やかな幸と生を紡げるために、我々はあるのではないのですか。私達が異なる立ち位置なのは、手を取り合うためではなかったのですか。協力するために、違う組織としてあるのだと。少なくとも十三代聖女である私は、そう理解していました」


 王城側からは、未だ神殿への疑念は取り除かれていない。猜疑心はそこかしこに漂っている。

 それでも、そこに切迫した危機感が増した。それが恐怖心から生まれたものであっても、生存本能がうずくほどの危機を感じたのであれば、正解だ。


「先に共有した情報の通り、始まりから仕組まれていたのであれば、聖女選定の儀は彼女が喰らった神の力を自身に馴染ませる儀式であった可能性があります。彼女が喰らった神の数は十二。彼女はもう、十二神の力を手に入れる用意ができているはずです。けれどまだそうなっていないということは、最後の鍵を回収できていないのでしょう。最後の鍵は恐らく、本来存在するはずのなかった十三代聖女、私の中にあると思われます」


 そうでなければ、とうの昔に。

 終わっていた。


「お願いします。私は彼女の企みを真にするわけにはいかないのです。彼女を祈りの先にするわけには――あれを、あの狂気を、あなた方の神とするわけには、決して」


 私達は、初代聖女を人の枠組みに止め続けなければならない。そうでなければもう手の施しようがなくなってしまう。敵が作り上げた分裂の中で争っている場合ではない。

 長らく平穏だったアデウスはこれから、全てが一丸となっても足りないかもしれない時間と戦力で立ち向かわなければならないのだ。


 押し止めなければならない。

 あの禍が、神に到達する前に。


 何を擲っても戦わなければならない。

 何も喪わないために抗わなければならない。




 人の子が、人の子のまま、その命を紡ぎ続けるために。

 






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