79聖
今回の聖女選定の儀、もう波乱どころじゃないと思う。
「男が交ざってるの珍しくないですか?」
「……………………過去にも女と偽り潜り込んできた事例がなかったわけではない、が、大抵初期の段階で落ちている」
「でしょうね。今回の選定での脱落率を考えると、かなりの強者ですよこれ」
アーシン・グクッキー。
本名フェリス・モール、十三歳。
若き天才として王立研究所に属している研究員であるが、若すぎる彼を守るためもあり、あまり公の場に出されてこなかった。
それは正しい判断だと思う。思うのだが、あまり顔を知られていない上に、まだ身体が出来上がっていないからと、聖女選定の儀に紛れ込ませてくるのはどうかと思うのだ。
基本的に選定の儀の通過は神が定めるため、資格がないと見做されるや否やさっさと落ちていく。だから身元は重要視されず、調査もあまり許されない。そういう制度になっていることが、完全に裏目に出まくっている。
誰だ、この制度決めたの。
初代聖女だ。
「……アイシング・クッキーのような名だとは、思ったのだ」
それはそう。
神官長の静かな呟きは、満場一致の頷きにより可決された。
「まさかエーレみたいなのが他にもいると思わないじゃない……」
それもそう。
ぐったり俯いたココの呟きも、エーレ以外の深い頷きにより可決された。
ココはアーシン・グクッキーについていた上に、神具についての会話も結構弾んでいたらしいので、衝撃は一際だろう。
エーレは若干憮然としていたので、やーいやーいとちょっかい出してみたら後頭部鷲掴みにされた上に噛みつかれた。
そういうことは二人の時にしろとカグマが呆れながら言ったので、その通りだと深く納得する。エーレはカグマに叱られるんだろうなと思っていたら、何故か皆出て行ってしまった。
忙しいのだろう。それは分かっている。今日も明日も明後日も、たぶん全員徹夜だ。
でも置いていかないでほしい。
いくら私の両足が死んで右腕が死んで左腕がかろうじてくっついているだけであっても、死にかけた虫のようにごそがさ這っていくから、置いていかないでほしい。
二人になったら、急に部屋が静かになった。元々私の所為で騒がしかったので、私が黙れば静かになる。世の摂理だ。
でも折角二人にしてくれたのだ。一つ用事があったので丁度いいと思おう。
「エーレ」
「何だ」
「えーとですね、私頑張って私という個が続くように努力しようとは思うんですが、それはそれとして、やっぱりエーレの生を私に固定するのはエーレ含めて色んな人と国と世界の損失だと思うので、とりあえず交際解除しときませんか?」
「却下」
訴えは即時棄却された。呼吸分くらいは考えてほしい。
「えぇー……一回交際解除して、全部終わった後に私が残ってたら改めてこの話するとかでも駄目な感じですか?」
「ありとあらゆる意味で、検討する必要性すら微塵も感じない」
駄目らしい。
困ったなと思いつつ、ふと気付く。駄目なときは大体この辺りで怒り出すのに、エーレには特に変化がない。今日は機嫌がいいのだろうか。
首を傾げていると、神官長達を見送るために立っていたエーレが、私の横に座り直した。エーレの体重でベッドが揺れる。
「それとお前、口頭で俺と別れられると思っているのか?」
「え?」
私の横に座ったエーレは、懐から何かの書類を取り出した。
「何ですか?」
「戸籍」
「私のですか? あ、忘却されている関係で何かありました?」
当然ながらなかった私の戸籍は、神官長が私を拾ってくれたときに作ってくれた。忘却中どういう扱いになっていたかは分からないけれど、まあ忘れられていたなら誰も触らないだろうし、放置されていただけだろうと特に確認はしていなかった。
とりあえず目を通そうとしたが、それは私が思っていたものではなかった。
いろいろと。
まず最初に、私が持っている戸籍はエーレの物だった。ついでに写しだったが、それは想定内だ。
想定内だったのはそれだけだ。
「………………………………………………………………エーレ、いつ結婚したんですか?」
「さっき受理された」
「へぇー………………ちょっとよく見えないということにするんですが、エーレ婿入りしたらしいんですけど、配偶者に姓がないように見えるんですよね」
「最終的には神官長の姓になる予定だな。流石にリシュタークの姓は残す条件だったから残したが、別に姓なしになってもそれはそれで構わないぞ。だがお前は、神官長の姓を名乗りたいだろう?」
「ちょっと何言ってるか分からないということにしたいんですがっ……!」
いくら神殿内が治外法権になっているとはいえ。なっているとは、いえ。
何度見ても、エーレの配偶者欄に私の名前があるのはどういうことなのだ。
書類とエーレの顔を何度見ても書類の内容は変わらないし、エーレの顔も変わらない。今日も見事な美しさだ。リシュターク及びアデウスの秘宝だ。
それはともかくどういうことなのだ!
「私、婚姻の誓約書とか書きましたっけ!?」
いくら何でも書類一枚で収まる話ではない。
そもそも私は当代聖女な上に存在が忘却されていて、ついでに姓もない。
何を取ってもすんなり通る話ではないし、すんなり通るような人達の婚姻であっても手続きは煩雑なはずだ。
私は結婚をしたことがないから詳細は知らないけれど、結婚する神官達が「もう面倒すぎて結婚やめよっかなって思うときがあるの」と、私の部屋で愚痴を零していくほどなのだから、相当なのだろうとは思っている。
「関係書類にも全部署名済みだ」
「何故に!?」
忘却事件がまさかこんな所にも影響を及ぼしているというのだろうか。
だが、おかしいではないか。
私とエーレの忘却はもう解けた。解けたからこの事態に陥っているわけだし、どう見ても今回の事件で忘却しているのは私だけだ。
エーレは再び懐から書類を取り出した。嫌な予感しかしないが、一応受け取る。持つ場所が悪かったせいでぺろりと折れ曲がり、内容が読めない。
文字通りエーレの手を借りて元の位置に戻った書類に目を通す。
何ということでしょう。これは婚姻誓約書の写しだが、しっかり私の名が入っている。ついでにエーレの名前もばっちり完備だ。いつも通り達筆である。
「誓約書の写しですね」
「そうだな」
「誰ですかね、ここに私の名前書いたの」
「お前だな」
「そうですねぇ…………なんで?」
「お前の意識がカグマとココに向いている間、他の書類の流れで書かせた。安心しろ、他の書類はちゃんと目を通した上で名を入れていた。この関係書類だけを流れで書かせただけだ」
「それは安心ですね……安心…………」
安心という単語を辞書で引きたい。とりあえず、心安まる要素が欠片もない事態なのだが、どうすればいいのだ。
「駄目じゃないですか!? 大体、もし、もし全部上手くいったとして! その上で私が神官長の姓を名乗ることを許されたらどうするんですか!? また煩雑な手続きするんですか!? そもそもこんな状況下で、こんな特例中の特例みたいな婚姻が成り立つ訳ないじゃないですか!」
「偶然にも俺は、アデウス国第一王子の友人という称号を頂いていてだな」
「ここでルウィ投入してくるのは流石にどうなんですか!?」
「ここで他の男の愛称出してくるのは流石にどうなんだ」
とりあえず追加で念入りに噛みつかれたわけだけど、これいいのだろうか。
駄目な気がするのだ。駄目な気がするのだ。物凄くするのだ。
私はエーレが好きで、エーレもそう言ってくれるけれど。過去に何度も婚約したけれど。
だが駄目な気がするのだ。
駄目な気がするのだ!
息継ぎしながら全力でエーレを見るも、エーレの反応は特に変わらない。しれっとすらしていない、全くの平常運行だ。
「父親の欄に神官長の名を書くため、後で改めて作成し直す許可もあるから安心しろ」
「私に常識を説かれるのは人としてどうなんでしょうか!」
「終わっているな」
「ですよね!」
「俺は、お前のことに関しては何をしでかすか自分でも分からない自覚と自信がある。だから、しっかり見張っていろ」
「神官長神官長神官長――!」
私では手に負えないと判断し、急遽神官長を呼び戻してもらった。
忙しいところ私事で手間をかけさせるのは本当に申し訳ないと思う。思うのだが、どうしたらいいか全く分からないのだ。
正直、全員から忘却されたときと同じくらい途方に暮れている自信がある。
しかし、事情を聞いて飛んで戻ってきてくれた神官長は、エーレによる「再び私達の忘却が起こった際、絶対に消えない確固たる物的証拠を手元に置いておきたい」というそれらしい言い分により、頭を抱えた。
ココは式の衣装の有無を気にし、カグマは状況的に避妊だけはしっかりするようにとのお達しを出し、サヴァスは祝いの熊を狩ってくると張り切っていたし、ヴァレトリは別件で留守だった。
そしてこの件、見事に暗礁へと乗り上げた。
リシュタークの兄二人が許可を出していたので尚更である。暗礁へは見事な錨が打ち込まれていた。大惨事この上ない。
結婚とは人生の墓場だと、冗談交じりに肩を竦める人は見たことがある。だが、エーレの人生が暗礁に乗り上げる惨事を指すとは知らなかった。
………………当代聖女陣営、手詰まりです!