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「どうぞ、楽しい夜を過ごされますことを」


 その言葉を最後に、つらつら流れていた当たり障りのない、サロスン家当主デオーロ・サロスンの挨拶が締められる。

 それを合図に音楽が変わった。それまで衣擦れのようだった音楽が存在感を現わす。されど会話を邪魔するほどでもない。ダンスが始まればまた変わるのだが、始まったばかりの今は穏やかで伸びやかな音楽が心地よい音量で流れている。

 そんな中、参加者達は思い思いの時間を過ごし始めていた。高位になればなるほど、こういう場において思い思いとは楽しんでいるという意味ではない。思い思いの用事を済ませているといっても過言ではない。


 あちこちで始まる、挨拶と情報収集と確認と確認と確認と確認。

 時勢の確認、立場の確認、流行りの確認、関係性の確認、手持ち情報の確認。探り合いも、ある程度の確信がなければ始まらない。ようは互いの手札の確認だ。

 音楽に合わせ、あちこちで行われる確認作業。その隙間に滑り込みたい、繋がりを求める者。締め上げすぎたドレスで早速顔を青ざめさせている者。お目当てのお相手を目で追いかけている者。

 それぞれの目的に合わせ、人の塊ができていく。それぞれの中心には、集まっている人々の目的である家、または人がいる。




 人々の視線をある程度は感じながら、何を見るでもない風を装い、サロスン家の塊へ視線を向ける。

 塊の内訳は、当主デオロス、長男パザルドとその妻、次男マルクスとその婚約者、そして三男ケインだ。三兄弟の母は、ケイン出産時に亡くなっている。

 私達の標的はフガル・ウディーペンであるが、当主デオロスも標的の一人だ。

 デオロスは身体の弱い両親に代わり、早くから当主を務めていた。そして、突出した評判もなければ非難もないが、存在が消えるほどでもない立ち位置を維持している。情勢を読むのがうまい男なのだ。

 屋敷を掌握しているのは彼だ。当主であっても、代替わりをしたばかりや当主以外に高い人望を持つ関係者がいる場合などは、使用人の掌握ができていない場合もある。だが、彼の場合それは該当しない。

 王妃の弟であるデオロスは、強大な権力と資産を持つサロスン家を、平坦に維持している。新たに莫大な利益を得る出来事はなかったが、資産も評判も落とすことなく維持できるのであれば、サロスン家の資産は富んでいく。それだけの基盤が既にあるのだ。

 そんな中、他家から必要以上の賞賛も恨みも買わぬよう、平坦に維持するのは至難の業だ。若い頃からそれをやってのけたデオロスは、油断のならない男である。

 まあ、王子の叔父なのだ。油断ならなくて順当といったところだ。

 そんな当主が、屋敷を出入りしていたフガル・ウディーペンの存在を知らないとは思えない。落とすならまずはここからだ。



 当主一家の塊を、人の群れが囲む。

 これを機にサロスン家に顔を覚えてもらいたい、あわよくば繋がりをほしい、せめて一言だけでも言葉を交わしたい。そんな切なる欲を抱えた人集りが、主催者であるサロスン一家に詰めかけている。

 詰めかけているといっても、優雅で優美に、まるで舞う蝶のように蛾のように、ついでにいうと蚊のように、虎視眈々と取り囲む。


 今日は、数年ぶり、もしくは十年の大台ぶりかもしれない当主家三男が出てきているので、熱意も一入だ。取り囲む集団の意気込みが違う。何せ、長男は結婚しており、次男も婚約している。残っている独身枠はただ一つ。

 いつの時代も、婚姻による繋がりは強固と見なされる。付随する権限も、生じる義務を考えると桁違いだ。よって、繋がりがほしい人々にとって、その空き枠への熱意は桁違いである。

 標的であるケインは、視線を曖昧な位置に固定し、曖昧な笑顔で応対していた。手慣れた人間でもあの集団をさばくには手こずるだろうに、慣れていないのなら余計に時間がかかるだろう。会場を去るまでさばき切れない可能性も出てきた。

 あの様子を見るに、しばらくこっちには来られないだろう。


 ひとまずは大丈夫と判断し、次の塊に視線を向ける。

 こっちの塊は、サロスン家を元に発生する塊の周辺を手慣れた様子で気ままに遊泳している王子に合わせ、ぞろーりと移動していた。

 人の波を伴い、のんびり遊泳を続けている王子の群れが、私の属する外周枠前を通り過ぎていく。その際に、王子の手がのんびり動いた。

 素早く動かせば何らかの合図を送っているとの想像を生む。だが、襟を触ったり、袖の具合を確かめるように引っ張ったり。そんな何気ない動作に組み込まれた暗号は、のんびりしているからこそ安全なのだ。

 何せ、そこに意味を見出されにくい。


 王子曰く、一時間後に人目を集めろとのことだ。了解との合図を頭の動きと首の角度で返し、さてと考える。

 一時間の余裕ができた。律儀に会場内にいる必要もないので、休憩室に退避していてもいいのだが、どうしたものか。

 美しい方は人目を引くし人を惹く。エーレの体力は貴重なので、ここで削りたくはない。エーレに声をかけようと振り向く。

 しかし、時は既に遅かった。


「美しい方、我が家には珍しい花の咲く庭園があるのです」

「美しい方、二人っきりで話しませんか?」

「美しい、嗚呼本当に、美しい」


 美しい方、美しすぎて忙しい。

 優秀すぎて忙しいし、美しすぎて忙しいし、ついでに私の神官である事実だけでもう忙しい。

 忙しい星の下に生まれたエーレに幸あれ。現状は幸荒れで涙を禁じ得ない。

 振り向いた先で構成されつつある塊に、エーレの美しさを改めて知る。比率で言えば男が多いとはいえ、男も女もごっちゃまぜになっているのは流石だ。


「あ、の、美しい方、ど、うか、一曲」


 エーレの塊に弾かれたか、到達できなかったのか。ついでのように私にも声がかかる。

 私の周りでも、これから荒れた海にでも飛び込むのか、それとも荒れた雪山に踏み込むのかといった顔をしている人々が塊を構成しつつある。

 ほぅっと感嘆の息を吐いている人々に囲まれているエーレとは違い、私の周りにいる人は命でも懸けるのかと言わんばかりの決死の覚悟が透けて見えた。

 理由は分かっている。

 私を起点にお姉様と繋がりたいのだ。

 既に塊から弾かれているので、私の塊から弾かれればもう後がない。それは必死になろうというものだ。

 だがどうか安心してほしい。私もお姉様を取り囲む塊から弾かれ仲間である。中心点に到達できる気がしない。

 私とエーレをそれぞれ取り囲む人波のせいで、私達の距離は空いていく一方である。

 遠ざかっていくエーレと、不意に目が合った。頑張れ美しい方との思いを込めて、熱い声援を心の中から送ったら、永久凍土を思い出す視線が返ってきた。

 心理的にも距離が空いていく気がしてならない。


「ありがとうございます。けれど、どうぞご容赦を。わたくし、あまり上手に踊れませんの。それに作法が拙く、きっと失礼をしてしまいますわ」


 はんなり笑いながら言えば、声をかけてくる人はぐんっと減った。そういえば聖女認知あり時代から、私の周りにいる塊は私が話すまであまり話しかけてこない。だが囲む。何故だ。

 もしかすると、私の顔は親しみやすさが足りないのだろうか。だから、喋って中身が分かるまであまり話しかけてこないのかもしれない。

 喋って中身が転がり出た瞬間、扱いが適宜適当になるのを親しみと呼んでいいのかは分からないが、今は喋っても親しみやすさがないので遠巻きにされてしまうのだろうか。

 そこまで考えるが、美しい方の方角を見て矛盾を感じた。

 冷たい視線と態度から氷の精との異名を持つエーレはいつも言い寄られている。何故だ。

 死んだ目をしていたほうが親しみやすいのか。そういえば、同じ虫でも死んでひっくり返った虫は怖くないけど、生きて飛んでくる虫は怖いと神兵のおじさんが言っていた。

 私の活きがいいから、人々は近寄ってこないのか。

 確かに私は、目標を見つけたらぶいーんと飛んでくる虫の如き勢いを有している。私の記憶が失われている現状、ぶいーんの記憶も消失しているはずだが、それでも遠巻きに見られている。つまり、内面から虫の如き勢いが滲み出しているということだ。

 ならばエーレも、ぶいーんと飛んでくる勢いを得られたら死んだ目になる現状から解放されるということだ。今度提案してみよう。

 心の中でうんうん頷いていると、想定外の出来事が起こった。


「美しい方。どうか私と踊って頂けませんか」


 それまでは互いに牽制し合っていた男達の中から、するりと抜け出してきた一人の男が、美しい方にダンスを申し込んだ。美しい方は後腐れないよう、正確にいえば誰も後に続かないよう、恥じらうような微笑みで断ろうと口を開くはずだ。

 ここまでは想定内だった。


「――はい、喜んで」


 なんと美しい方、その申し出を受けた。想定外の出来事を身内が起こさないでほしい。

 とろけるような笑顔で紡がれた承諾に、男は当然の如くとろけた。私が呆然と見つめている中、美しい方は名も知らぬ……私が知らないだけで美しい方は知っていそうだが、男とダンスが披露されている会場の中心へと進んでいく。

 端から見れば、穏やかに微笑んでいるように見えるその横顔から、死への覚悟を滲ませて。






「無事ですか?」

「死ぬ」


 穏やかな笑みを浮かべながら安否を問えば、同じ笑みを浮かべているエーレから簡潔な死が告げられた。


「そりゃあ動き続けてますからね」


 予想外の出来事を起こしただけでなく、その後も起こし続け、つまりはダンスの誘いを受け続けたエーレの体力は、暖炉前に置かれた一掬いの雪より早くとろけた。

 覚悟を滲ませ予告していた死は、滞りなく訪れたのである。


 私は、五人目の男と踊り終えた後、膝が笑うどころではなく血の気が引いた顔色のエーレを連れ、料理が並べられた一角へと移動した。ここの前にいる人間には、元から連れ立っている存在以外は話しかけない。それが暗黙の規則だ。避難場にはもってこいなのである。

 ここに立つ面目が必要なので、お皿に料理を載せ私だけ食べていく。飲み物だけを片手に立つエーレは、表情には出していないだけで息も絶え絶えだ。

 ちなみにエーレが五人の男と踊る間、私も五人と踊った。一人で取り残されると、美しい方の周りにいた塊が後で取り次いでもらおうと、こっちに丸ごと移動してくるのだ。


 あ、このお肉おいしい。もっぐもぐ食べながら、飲み物すらまともに飲めないエーレを見る。


「あなたなら揉め事を起こさず断れるでしょうに、どうして律儀に踊ったんですか?」

「…………諸事情だ。そして吐きそうだ」

「緊急度は? まずそうでしたらスカート広げますけど。表だと目立つんで裏にお願いします」

「……切羽詰まっては、いない」

「おお。快挙ですね」

「かろうじて」

「スカート広げる時間はくださいね?」


 そりゃあエーレの体力では、着替えのために王子の寝室まで移動しただけで一週間分の体力と筋力を使ったようなものだ。そこから更に五人と立て続けに踊ったのだ。彼の体力と筋力は、一ヶ月分以上前借りされたのではなかろうか。

 むしろよく吐かずに済んでいる。

 ぴりっとはっきりした味を食べた後に、味も舌触りもまろやかな料理を口に運ぶ。詰め込まないよう気をつけながら、飲みこんで口内を空にする。

 どうにも、久しぶりに食に困る生活に戻ってしまったせいか、食べられる物があると取られないよう詰め込む癖が再発してしまった。聖女としての業務に戻る前に直しておかないといけない。


「人に触られるのあんまり好きじゃないのにどうしたんですか?」

「……少し、試したいことがあったんだ」

「聞いても大丈夫ですか?」

「駄目だ」

「了解しました」


 じゃあ話題を変えよう。

 エーレは、自身が踊った男達にさっと視線を巡らせたが、すぐに散らせていた。興味はなさそうなので、どうやら用事は終わったようだ。


「じゃあ話を変えますけど、お兄様方は大丈夫なんですか? なんか、猛禽類でももう少し隙があるだろうと思える勢いでこっち凝視してますけど」


 会場内でサロスン家と同等の塊を作りだしているリシュターク家の二人は、塊の中心から人の頭を縫いながらエーレを凝視している。ダンスをしている時など、エーレに穴が空くのではと若干心配したほどだ。

 長兄の当主ラーシュは、薄青の髪の長身に恵まれた端正な顔つきの父親似。次兄である薄桃色の髪をしたコーレはエーレ同様母親似。しかしそれなりの長身だ。

 外見としての統一感があるのはコーレとエーレだが、やはり血縁だからか、三人ともどことなく雰囲気が似ている。雰囲気もそうだが、エーレ同様、仮面を被るのがお得意な三兄弟だからだろう。

 よって、穴が空きそうなほどこっちを凝視していても周囲からは気付かれていない。何せ話している相手に顔も視線も向けているのに、いつ如何なる時も視界の端にこっちが入っている。


「珍しくダンスの誘いを受けるから余計目立ちましたね」

「話題が戻ったぞ」

「どうもすみません。えーと一応聞きますが、お兄様方、美しい方に一目惚れして凝視してる危険性は?」

「俺とは違い母上と面識があった兄上達がこの顔に惚れたら、俺はリシュタークの名を捨てる。そもそもコーレ兄上に至っては自分も似たような顔だろ」


 それもそうだ。エーレほどではないにしても、コーレ・リシュタークもそれなりに儚げだ。長兄ラーシュ・リシュタークが弟二人と連れ立つと、両手に花と評されるほどである。

 あと一口食べたら私のお皿が空になり、むりやり飲みこんだらしいエーレの手元の果実水も枯れ果てる。手元が空になればここにいる理由が失せてしまう。

 そうなるとこの、本題が始まる前に体力が尽きた哀れなエーレを狼の群れへ投入することになってしまう。

 予想される惨事としては、哀れな氷の精が狼の群れに溶かされるか、我慢の限界に達した氷の精に狼の群れが熔かされるかが上げられる。ここに平穏はない。 


「まだ二十分はあるな」

「思ったより稼げましたけど、中途半端に余りましたね」


 前触れもなく告げられた言葉に首を傾げる必要はない。常に穏やかな笑みを浮かべつつさりげなく口元を隠し、会話を読まれないようにしているが念には念を入れるに越したことはない。

 お互い、万が一聞き取られても問題ないよう主語を外す会話は慣れている。長い付き合いだ。そのくらい、合図がなくとも呼吸を合わせられる。

 さて、王子の指示まで残り時間をどう過ごすべきか。


「のんびりしていると美しい方への襲来が来そうですしね」

「同じ台詞を顔面に叩きつけてやろうか」

「愛の劇場開幕されたこともない相手を、自分と同じ舞台に引っ張り上げようとするのやめません?」

「神殿の苦労を思い知れ。ところで、山盛りでもう一皿食べる予定はないか」

「立食で二十分稼ぐの難しくないですか?」

「お前が延々と食べ続けていれば大丈夫だ」

「私の胃袋破裂を予定に入れて話進めるのもやめません?」


 そんな恐ろしい計画、聖女に辿り着く前に破棄されることを祈るのみだが、現在は聖女まで直通なので破棄される気配がどこにもない。もっとも、この状況下ではなくてもエーレからならばほぼ直通なので、どちらにせよ自分で頑張るしかないのだが。

 私は私の胃袋を守るため、正々堂々抗戦するか、正々堂々暗躍するかの二択を迫られている。しかし現実問題として、暗躍するには時間も準備も仲間も足りない。何せこの計画立案者は、目の前にいる唯一の仲間である。

 正々堂々詰んでいる。ならば私の選択は決まっていた。

 さようなら、私の胃袋。









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