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52聖






 可憐で儚げな震える唇が形作るにはあんまりな台詞ではあるが、理解しているのは私しかいないので問題はないだろう。

 私は、美しく靡くよう計算されたドレスの裾が絡まらないよう、流れるような動作で優雅で華麗に、よっこらせと一歩を踏み出した。


「お姉様、あちらにとても美味しそうなお料理がありましたの。一緒に召し上がりません?」


 腕どころか身体に絡まるよう抱きつけば、エーレは分かりやすく驚いた顔をして見せた。


「まあ、アレンカさんったら。驚いてしまったわ」

「ふふ、楽しくて、はしゃいでしまいましたの。――あら? どなたかしら?」


 熱に浮かされた瞳で愛を乞うたままの男に、いま気付きましたと視線を向ける。


「わたくし、アレンカと申します」

「あ」


 男は、そこでようやく自身が名乗っていないと気付いたのだろう。慌てて姿勢を正し、自身の胸元にそっと揃えた指を当てた。


「サロスン家三男、ケインと申します」


 やってしまった。

 私はいま、心の中で天を仰いでいるであろうエーレと同じ反応に至った。心の中で、後ろにひっくり返るほどに天を仰ぐ。

 私とエーレは、場合によってはサロスン家邸宅を更地にするのも厭わないが、全てが元通りになった後に禍根を残さないよう解決したいとは思っているのだ。

 それを基本的方針として掲げているのだから、サロスン家三男の心を奪ってはまずい。対象がエーレなのはまずさの二乗である。


 後でエーレの正体を明かしたところで解決になるかどうか、微妙なところだ。

 何せ、跡継ぎに困っていない貴族ならば、同性間の恋愛など大した問題ではないのだ。むしろ厄介な跡継ぎ問題に発展しなくてよかったと思う家さえある。骨肉の争いで親族を減らしてきた家ならば尚更そう思うだろう。

 リシュタークとサロスンは、互いに資産にも跡継ぎにも困っていない三男同士。このケインという男が本気ならば、厄介どころでは済まない話になる。

 ただでさえ、歴史ある旧家であり王妃の実家であるサロスン家三男の恋路に、国内で最も経済力のあるリシュターク家が盛大に立ちはだかるのだ。大惨事以外の何物でもない。一番困るのはアデウスなのが一番困る。

 人の恋路に興味はないが、大惨事の前触れには興味がありすぎる。


 思考を外に出さないよう取り繕いながら向けている視線の先で、ケインは熱を籠めまくった視線でエーレしか見ていない。エーレは何も見ていない。目も心も死んでいる。頑張って現実を見てほしい。あと、抱きついた身体が冷え切っているので、炎使いの代名詞として温かな体温を取り戻すために早く蘇生してほしい。


 サロスン家の三男は、ほとんど屋敷から出ないと聞いたことがある。幼い頃から人と関わることがあまり得意ではないらしく、社交には当然のように出席せず、遊戯の場にも姿を現わさないそうだ。

 確かに、太陽に当たる機会の少ない人間特有の青白い肌をしている。日傘や長袖で日除け対応しているのとは訳が違う。まるで病み上がりの、赤を失った青さだ。これは噂通り、ほとんど屋敷から出ていないのだろう。

 私も顔を見るのは初めてである。エーレ辺りならば会ったことがあるのではと思っていたが、この反応を見るに知らなかったようだ。知っていれば、熱がこもった視線を向けて近寄ってくるケインがエーレの元に辿り着く前に、さっさととんずらしていたはずである。



 私達は、絡ませていた身体を解き、少し慌てるように礼の姿勢を取った。周りの人々も大慌てで頭を下げる。何せ主催者の息子が突然現れたのだ。礼を尽くさぬ理由がない。

 エーレを見たらまだ死んでいる。死にながら演技をして礼をこなす様は、歴戦の勇者のようであった。

 頭を下げながらさりげなく肘で突っついたら、骨で脇腹を抉り返された。蘇生したようで何よりである。痛い。

 すっと小さく息を吸ったエーレは、視線を床に固定した。


「この度は、このような名誉ある場にお招きいただきましたこと」

「あ、あ、待って。そんな礼をもらいたいわけではないんだ」


 礼を述べている途中で遮られた。並んで頭を下げているエーレが小さく舌打ちしたのが聞こえる。当たり障りのない形式的な挨拶を述べた後、流れでさりげなく去るつもりだったのだ。ケインにそんなつもりはなかったのだろうが、彼の一言で私達の逃亡経路が一つ断たれた。そんなつもりがあったのなら、かなりの遣り手である。

 だが、エーレもこの手の話題ならばかなりの遣り手なのだ。

 ぱっと顔を上げ、両手で口元を覆う。その様は、この世の花が咲き乱れかと思えるほど可憐だ。


「どうしましょう、アレンカさん。サロスン家の方とお話をしてしまったわ。こんな素敵なことがあるのね」


 この世の春を象徴するかのような愛らしい様子で、頬を染めた美少女がしっかり私を巻き込む。

 勿論同じ目的を持つ者として協力は惜しまないが、流れるように巻き込む手腕は、これからも巻き込み事故が発生するとの確信を生んだ。

 私も跳ねるように顔を上げ、絡まるようにお姉様へと抱きつく。


「そうね、凄いわ、お姉様! お父様とお母様に素敵なお土産ができて嬉しいです! 雲の上の方とお話ができるだなんて、本当にこの夜会へ来てよかった。ね、あなたもそう思いませんこと?」


 その勢いのまま、隣の人を巻き込む。巻き込みは、重複すればするほど一人一人への負担が少なくなるのだ。よくも悪くも。

 巻き込まれた人の名前は知らないが、最近息子が生まれたばかりでと照れくさそうに笑っていた若い男は跳ねるように起き上がり、興奮を隠せない様子で瞳をきらきらと輝かせた。


「ああ……ああ、もちろん、本当に、なんと光栄なことか。なあ!」


 男性に話しかけられた隣の女性は、彼の妻だ。


「ええ、本当ですね、あなた! 将来きっと、大きくなった息子に話してあげるわ」

「それはいい。たくさん話してあげなさいな」


 妻の隣にいた年配の女性がゆっくりと顔を上げながら微笑む。その頃には、周り中の人々が顔を上げていた。まさしく雲の上である身分の貴族が、手に届く位置にいるのだ。野心はなくとも興味が沸くのは人情というものである。普通に野心を抱いている人もいると考えれば、どうなるかなど分かりきっていた。

 あっという間に、世界は自己紹介の場と化した。ケインは自身へ詰め寄ってくる、野心と純粋な好奇心に囲まれ為す術もない。元から人付き合いが苦手で、邸宅の奥か、別荘へ籠もるような性質を持っているのだ。これだけの人数に囲まれて、するりと抜け出す技術はついていないだろう。

 こういうのは場数をこなすことが大事だ。囲まれ慣れ、尚且つ抜け出し慣れている私とエーレは、今や会場内全ての下級貴族が集まった塊からぬるりと抜け出した。

 まだ夜会は始まったと言えないのに、充分疲れた。帰って寝たいけど、帰る場所がない。

 悲しいね!





 壁際を陣取り、二人で壁の花となる。一人は花だが、私は葉っぱだ。いいじゃないか、葉っぱ。毛虫だって葉っぱをもしゃもしゃ食べる。何せ花より量がある。

 私とエーレは、お喋りに花を咲かせるようにふわりと微笑んだ。互いに身体を揺らしながら笑う。端から見れば、楽しげにはしゃぐ姉妹の出来上がりだ。


「美しい人、大丈夫ですかいでででででででで」


 本日二回目の脇腹抉り事件発生。犯人は、かっとなってないがとりあえずやった、後悔はしていないし、むしろさせたかったと供述しています。

 夢のような出来事があったばかりで紅潮した頬、まだ興奮冷めやらぬ中、薄く開いた薔薇色の唇、きらきら輝いた死んだ瞳で、お姉様が私の脇腹を抉り続ける。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


 どうやらエーレは、こめかみだけでなく私の脇まで掘削するつもりだ。勘弁してください。


「あの、無言で抉り続けるの止めてもらっていいですか?」


 せめて何か言ってほしい。

 端からは嬉しそうに微笑んでいるように見える顔で、黙々と私の脇腹を抉らないでほしい。そこに埋蔵金は埋まっていない。あるのは特に珍しくもない臓物だけである。


「この件に関してはわたし無罪では?」


 現在、裁判もなくいきなり極刑をくらっている身としては、早いとこ冤罪認定してほしい。

 エーレは、堂々と言い放った。


「八つ当りに決まっているだろう」

「成程理不尽」


 額に青筋を走らせながら私に八つ当りしている美しい人は、胸が膨らむほど限界まで息を吸い、今度は肺を空っぽにするほど吐ききった。


「収穫は」


 無理矢理話題を切り替えてきた。同時に八つ当りも切り上げてくれたので、何の変哲もない臓物を披露する事態は避けられた。


「大規模に小規模な神力徴収の気配がちらほら」

「気のせいだと思いたいな」

「往々にして、そういうものほど気のせいじゃないんですよねぇ」


 さっきから代わる代わる近寄ってくる飲み物を持った給仕から、笑顔で距離を取る。私とエーレの胃はそれぞれ一つずつしかないので、そんなに何杯も飲めない。


 結局、バルコニーに落ち着いてしまった。奥の手摺りには近づかず、バルコニーに出てすぐ横へずれ、壁際に寄る。ここなら、地上からも室内からも見えにくい。

 こういう場所は、人目を避けて一時の逢瀬を楽しむために使われることが多い。度々、睦み合っている人々を見かける。

 私とエーレは、ドレスの端が影から出ないよう、押し合い圧し合いその空間に収まろうと努力する。影から出ると、地上からはともかく室内からは見つけやすくなってしまう。

 窓の角度が微妙で、どうにもスカートの裾が光に入ってしまう。ごそごそ位置調整して、互いに収まりのいい場所を探す。


「お姉様の収穫は?」

「張り倒すぞ」

「設定を忠実に守ってるのに!?」

「八つ当りだ」

「エーレの精神が既にだいぶ摩耗したのは分かりました」


 さっきからやけに素直な様子に、エーレの傷の深さを見た。

 確かに、何が何でもここで解決の糸口を見つけるぞと意気込み特攻をしかけたのに、まだ対象が来てもいない段階から求愛を受けたのだ。こんなに悲しいことがあるだろうか。

 あまりに哀れだったので、室内から見つかったら真っ先に目に入る位置には私が立とう。

 闇が深い位置にエーレを押しこみ、私が光の手前に立つ。壁に肩をつけ、手摺りとの間にエーレを匿う。


「いっ、だ!」


 頭突きをされた。何故!?

 痛みもさることながら、化粧が擦れていないかと心配になる。いや、この痛みなら擦れたなんて甘い物じゃない。きっと抉れている。

 痛みを堪えながらエーレの額を見るも、綺麗なものだ。擦れた痕さえ見つけられない。器用な人である。まあ、化粧が抉れていたとしても直すのはエーレなので、そこの辺りは調整して頭突きしたのだろう。

 ……調整しているはずなのにかなり痛かったのは何故だろう。


「こちらも得られた情報はお前と大差ない。ただ、この数日で神力を大幅に失った人間も急速に増えているようだ。最近までは、ここのようにお抱えの術者の調子が崩れた場合、隠されていてもそれなりに掴めていたが、最近は把握しきれなくなっている。……増えすぎて、手が足りない」

「どこもかしこも人手不足でしょうね」


 選定の儀で大幅に人を取られているのが痛い。こんな大事件、神殿総出でも人手が足りないだろうに。なんともままならないものだ。

 私とエーレは溜息を吐いた。私より長い溜息を吐ききったエーレは、さりげなく自身の額を押さえた。さては、さっきの頭突きがまだ痛いと見た。そして化粧は擦れていないから安心してほしい。


「聖女不在が痛いな」

「そうですか?」


 私は行事本番以外はそこまで戦力になっていないはずだ。

 そう思っていると、エーレは真顔で真っ直ぐに私を見た。


「苦情を押し付ける先がない」


 それは確かに。

 苦情の引受先がないと、あっちでもこっちでも余計な時間と気力と体力と精神力と手間が取られる。その点、私は苦情の引き取り手に向いているのだ。

 何せ、アデウスにおいて聖女の立ち位置は王と優劣をつけられない。だから、基本的にはどんな人間も強く出られず、精々些細な嫌みを連ねるのが関の山だ。

 その上、私は話の9・7割を聞いていない。下手すると、最初の「聖女様、お話がありま」くらいから既に最後まで聞いていない。

 これほどに向いている立場があろうか。


 今はその負担が神官長にのし掛かっていると思うと、気が重くなる。

 エーレは視線をすっと流し、改めて周囲に人がいないこと確認した。


「神力減少及び喪失現象は、近いうちに発表される」


 それしかないだろう。まだ軽い世間話の段階で、これだけの事例が出てきているのだ。専門家でなくとも、すぐに関連付ける人が出てくるだろう。

 そうなると市井の噂など貴族の比ではない。あっという間に憶測と主観が大幅に混ざったものが、誰かが紡いだ事実として流れ始める。そこに更なる憶測と願望を足した大仰な記事が出回る前に、正式に発表したほうが混乱は少ない。


「選定の儀、残りをずらせたらいいんですが」

「できるわけがない」

「分かっています」


 早めるなり遅らせるなりして、問題ごと一つ一つに集中できたらいいが、そうもいかない。神に関するその全て、人間の事情で変えられるわけがない。

 どこまでが偶然で、どこからがこちら側の失態で、どれが敵の策略なのだろう。

 かつりと小さな音が鳴る。身体の向きを変えたエーレが爪で手摺りを叩く音だ。かつり、かつり、小さいがはっきりとした苛立ちがそこにある。


 私も身体の向きを変え、エーレに背中からもたれ掛かる。香水の隙間を縫って、柔らかな粉の香りが届く。どこかくすぐったく温かみのある甘い化粧の香りだ。いつもの紙とインクと香の匂いがしないのは、少しだけ寂しい。

 背もたれにされたエーレから、おいと不機嫌な声で咎められたが、そのまま会場から溢れ出る光に視線を向けた。

 エーレは諦めたのか、大人しく私と手摺りの間で潰れた。


 人手が足りないのはこちらも同じだ。王子と、エーレと、私。この三人で出来ることは数多く、そして限られている。

 いい加減、目的ぐらいは掴みたい。その為に、この夜会では、何が何でも私達にとっての成功を収めなくてはならないのだ。

 不意に背後から手が回ってきて、胸元の生地の流れと襟を調整して戻っていく。ぼんやりその手を見送っていると、会場内から漏れ出す影の動きが変わった。多くの人間が位置を変えているのだ。


「そろそろ始まるようですね」


 最初に会場へ入った下流貴族達は、上流貴族達を出迎える必要がある。長々と読み上げられる名前と共に入場してくる貴族達に頭を下げ続けるのだ。わりと疲れるし、かなり暇だが仕様がない。

 中をこそりと確認すると、ケインは既に立ち去っているようだ。

 きっちりとした列ではないにしても、人々は整列を思い起こさせる並びを展開し、上流貴族達の入場に備えようとしている。


 私とエーレもそっと会場内に戻り、扉からは一番遠い壁際に並んだ。赤の他人とは数歩の距離を、共に会場を訪れた相手とは半歩から一歩の距離を取り、人々が頭を垂れる。

 執事が読み上げる口上が終わると大きな扉は開かれ、上流貴族達の入場が始まる。そうはいってもまずは中流貴族からだ。中流貴族達は入場すればすぐに私達へ背を向け、上流貴族の入場を待つ。

 流石サロスンの夜会。まるで王城で開かれる夜会のような顔ぶれだ。


 延々と入場を待っている間、暇だったのでちらりと隣のエーレを見た。同じ時、死んだ目が私を見た。はくりとエーレの唇が動く。

 つかれた。

 音もなく紡がれた言葉に同意を示す。スカートを持ち上げている腕が若干つらい。私でさえそうなのだから、エーレともなるとどれほどの疲労か。

 退屈とエーレの体力、両方の観点からも早く参加者全員の入場が終わってほしいと祈る。そんなこと祈られても神様はきっと困るだろうが。



 ようやく、国内有数の、つまりは上がほとんど存在しない貴族の名前が呼ばれ始めた。最後は王子だろう。それが終われば、主催者であるサロスン当主が挨拶をし、ようやく正式に開始の運びとなる。

 早く本格的に動き出したい。あらゆる意味で。

 溜まりに溜まった鬱憤で、サロスン家当主を問い詰めにいきたい気持ちを堪えていると、ここまでの間でだいぶ聞き慣れてしまった執事の声量が一段高くなった気がした。


「リシュターク家当主ラーシュ・リシュターク様、ならびにコーレ・リシュターク様、ご入来」


 この夜会、本題とは全く関係ないところでエーレに異様に厳しいのは何故?










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