41聖
「あらぁー」
「ど、ういう、反応だ」
「びっくり仰天、ですかね」
「だったらそういう反応をしろ……」
「痛くないからいいかなと」
花を鷲掴みにして左右に揺らしてみる。揺れはするが、引っこ抜けそうかというととんでもない。恐らく引っこ抜けば大惨事になるだろう。
「うーん、しぶとい」
「抜くな触るなカグマを呼んでくる」
「こんな時間ですし明日にしましょう。カグマも寝ているかもしれませんし」
「寝ていると思うか?」
「全く思いませんね。でも後にしてください。今の状況だと、私の精神安定を兼ねて眠らされる可能性が高いので。痛みもありませんし、根が伸びたのはさっきの一瞬だけで現在は止まっています。もう少し話したいこともありますし」
渋々体勢を戻したエーレに、私もよいせと体勢を戻す。
「白い世界で言われた十三番目の聖女はあり得なかったってあれ、どう思います?」
「……あり得ないだろう」
「十三番目の聖女が!?」
「あり得ないことがだ!」
何だ、びっくりした。
私も私が聖女だなんてあり得ないと思うが、あり得てしまってもう何年も経つのであり得ないと断言されて驚いたがあり得ないことがあり得ないと言われたわけではなくあり得ないと言われたことがあり得なかったのであり得なかったわけではないと分かってほっとした。……何がどうで何だって? 私はちょっと落ち着いてほしい。
「そもそも選定の儀が行われている以上、お前は聖女だ。選定の儀は神殿が用意しているが、第三の試練然り第四の試練然り、神官にとっても理解の範疇を超えた結果となる。明らかに神の関与によって成り立っている選定を越えたお前が、聖女でないはずがない」
「それはそうなんですが、私が聖女だなんてあり得ない、じゃなくて、十三番目の聖女があり得ないって言われたことが気になってるんですよね……聖女は十二人だなんて規定ありませんでしたよね?」
「ない」
「ですよねー」
ありんこほどの大きさの文字がぎっちぎちに詰められた初代聖女の項目を流し読む。何枚捲っても、そんな規定は書かれていない。
その昔、まだアデウス国が今ほど統一感を持っていなかった頃の話だ。ざっと五百年から六百年ほど昔になる。
その頃、アデウスは荒れていた。何せ、国が急速に巨大化していた時期だったのだ。アデウスに限らず、大陸中が同じであった。ありとあらゆる国が興り、滅び、膨れ、萎み、潰え、永らえた。そんな時代だった。
周辺国を統一したアデウスには様々な場所から人が集まり、ますます栄える様相を見せていたアデウスを、ありとあらゆる災厄が襲った。疫病、干魃、洪水、地震、津波、山津波、凶作、戦争、台風、飢饉。それはもう、思いつく限りの全てと言われるほどの災厄が降った数年間があった。
それらを救ったのが初代聖女アリアドナ。アリアドナはアデウスが統一した全ての国にいた神々の力を借り、アデウスを襲った災厄を退けた。神々はアリアドナを深く愛し、彼女の精神を継ぐ聖女がいる限りこの地を守護すると約束した。アデウスは神々を讃え、アリアドナを守るために神殿を作り、今日まで神々とアデウスを繋いできた。
その後アデウスは大きな災厄に見舞われることなく、豊穣に恵まれ、民はアデウス国民の血を引く限り神力を持って生まれてくるという、他国からすれば喉から手が出るほど欲しい恵まれた国となったのである。
初代聖女の名前にちなみ、アデウス国は女児にアのつく名前をつける場合が多かった。流石にアのつく名前が飽和し、一時期アがつかない名前が流行り、またアがつく名前が流行りと、歴史はずっと繰り返してきた。最近はまた減ってきた頃合いだと聞く。つまりこの二十年は流行っていた期間なので、聖女候補だけでも結構な人数の名前にアがついていた。
ざっと二十枚ほど読んでみたが、聖女は十二人までという記載はない。そもそもそんな記述があったのなら、先代聖女の代で次の聖女はどうするのか、胃を掴み出したくなる緊迫感で会議が連日行われていただろう。しかしそんな事実はなく、先代聖女が死去した日も、アデウスは神殿も王城も民も、ただ大人気の先代聖女が亡くなってしまった悲嘆に暮れたのみだった。
「十三番目があり得ない……その言を信じるとするならば、括りは十二だったということか?」
「十二……十二ねぇ……時間、暦、星座……そういえばエーレの星座ってなんですか?」
「水青座だ」
「へぇー。初月生まれなんですねー、へー」
「……興味がないなら何故聞いたんだ」
「星座で思いついて何となく。私は生まれ月知らないので星座も知りませんけど、神官長は陽隣月なので竜火座です! ……なんだかエーレと神官長、使う術だけ見ると逆ですね」
「まあ、そうだな」
ちなみにココは光豊月の双兎座だ。その昔、仲のいい双子兎の片割れが狩人に狩られ食われてしまったので、残った兎が狩人を食い殺して片割れを取り戻し、化け物として人間達に殺された後、哀れに思った神様によって宙に召し上げられ星座になったという、なかなか強力な逸話を元に描かれている。
個人的にはそこで同情するなら片割れを食い殺される前に助けてあげたほうがよかったと思うが、神様はそこまできっちり見ていないはずなので、丁度目にしたのがその場面だったのだろう。
それはともかく、十二って何だ?
「……おいおい考えていくしかなさそうですね。すぐに答えが出る問題とは思えませんし」
「俺のほうでも……考えておく」
エーレは私をちらりと見たが、それ以上何も言わなかった。少し妙な態度が引っかかるが、聖印の関係もあるので彼が口にしないのであれば追求しないほうがいいだろう。
「今は明日のサロスン家でフガル・ウディーペンを見つけるのが先決です」
実は私、前神官長には一度しか会ったことがない。私が神官長に拾ってもらった頃には、既に彼は神殿を追われていた。神官長はその代の聖女が死去すれば神殿を去る決まりなのだが、フガル・ウディーペンはそれを大層嫌がったそうだ。それを、史上最年少で神官長に任命された神官長が叩き出したのだ。ついでに先代聖女派もできる限り叩き出したのだから凄い。当時の苦労が忍ばれる。
その時と私が来てから、どっちが大変だったか聞いたら答えてくれなかったのは何故ですかお父さん。
「……そういえば私、一度だけ会ったとき彼から妙なことを言われたんでした」
「妙なこと?」
「『それが聖女であるはずがない。どうやって真理を歪めた、背徳者め』、でした。いま思えば、少々妙かなと」
私は神官長が上着の下に入れて隠してくれたのが大事にされているようで嬉しくて、それ扱いも背徳者扱いも言いがかりもどうでもよかったのだが、あんなに怒った神官長を見たのは初めてだったので覚えている。一言一句違えずに。
「いつもと同じスラムのガキに聖女の任は相応しくない論の物申してやるぜ系かなーと今までは思ってたんですが、もしかすると違うかもしれません」
「真理を、歪めた……?」
眉を寄せて考え込んでいたエーレの目がぱっと動き、はっと私を見た。
「そう言えば、フガル・ウディーペンが老け込んだのはここ一年ほどだったはずだ」
「あ、それは本当に老け込んでたんですね」
隠居する口実かと思ったら、本当に老け込むとは。神官長に神殿を追われ、といっても正規の規則であるのだが、神殿から出た後に老け込んだのならばまだ分かる。だが、それから何年も経ってから急速に老け込んだのならば明らかにおかしい。大きな病か、大きな環境の変化か。それとも。
先程エーレが思い至ったらしい推測に、私も辿り着く。
「神力を極限まで持っていかれるとどうなりますかね」
「それほど例があるわけではないが、炎の術者であれば稀に神力を持っていかれすぎた症例がある。寿命を削り取られたかのように老け込んだそうだ」
これは、当たりだろうか。
「現在、神力を失ったという他の人はどうなっていますか?」
「老け込んではいないが……これは神力の移動に同意があるかないかの違いじゃないか?」
「成程。強奪と譲渡の違いですか」
物品であれば譲渡のほうがすんなりいくはずだが、神力ともなると譲渡のほうが拒絶がなく際限なく渡せてしまうのかもしれない。何にせよ、少し光明が見えてきた。
本当に先代聖女が犯人だったとした場合の対処は何一つとして思い浮かばないが、少なくともそろそろ憶測ではない手がかりがほしい。
「じゃあ、明日は張り切ってサロスン家を家捜ししましょう。脱税の証拠とか出てきたらどうしましょう」
「それはそれで王子が喜びそうだな」
「王子、人の弱み握るの大好きですもんね」
身内の弱みなら尚更だ。泣き所になる前に知れたら、それはもううきうきで見せに来るだろう。いつも思うのだが、王子は何故戦利品を私に見せに来るのだろう。……友達がいないからだな。
「燃やしていいなら楽なんだがな」
エーレも大分疲れている。当たり前だ。両手に額をつけ、丸めた背は随分くったりしている。今日はもう、明日に備えてさっさと休んだほうがよさそうだ。
私も、少し眠い。もうカグマを呼んできてもらって、さっさと寝てしまおう。
伝えると、エーレもゆっくり顔を上げた。動きがのっそりしてきているから、かなり限界のようだ。
「何はともあれ、お互い無事でよかったです」
「お前は無事じゃない」
互いの無事を喜んで締めようとしたら、すっぱり突き放された。
「無事の範疇じゃないですか」
「どう考えても圧倒的に重症の範疇だ」
「えぇー……」
どう考えても圧倒的に無傷の範疇で締めたのに、なんたる認識の違いだ。
「どう考えてもエーレのほうが重症ですよ。後で聖水にお茶っ葉ぶち込んだものでも飲んで寝てくださいね」
欠伸をしつつ、エーレからもらった書類を一旦布団の中に隠す。カグマを呼んでくるなら出しっぱなしにしておく訳にもいかない。ごそごそ丁度いい位置を探している間に、エーレも口元を隠しつつ欠伸をした。目が合うと私も途端に欠伸がこみ上げてきた。
結局二人揃って欠伸をし、認知消失当代聖女と特級寸前神官の緊急会議は終わりを告げた。
しかしまさか、エーレに呼ばれて部屋を訪れたカグマが、異性に脅えるかもしれない患者を考慮した優しい心で邂逅一番に眠らせてくるとは思いもよらず。
カグマの姿を見たと思ったら朝だった。
全然寝た気がしない。