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39聖





 ゆらりと揺れる光がよく見えるのは、周囲から陽光が消えているからだ。私達が神殿から着せ失せていた時間に日は沈み、世界は夜を迎えようとしていた。そこから色々していれば、あっという間にとっぷり暮れる。当たり前だ、時間は有限で平等なのだ。


 順調に人の気配が薄くなり、物音は遠くなり、空気は澄んで重くなる。眠りが漂う夜の気配に誘われ、人々は自信がまだ眠る時間でなくとも息を潜め、声を落とす。他を抑圧するためか、感情だけを高めていくのは人の業なのかも知れない。




 夜の中、一際潜められている気配を部屋の外に感じながら、読み終わった手紙を封筒に戻す。さらに配達人になってくれた人へと戻した。配達人エーレの手に戻るや否や、手紙は塵も残さず燃え尽きる。


「王子は何と?」

「明日、サロスン家で夜会があるそうでご招待くださいました。出席の意思があるならば、二時までに王子の寝室へと。私は出席しますが、エーレはどうします? 高位の貴族ばかりが集まる場ですので、止めといたほうが無難かと思いますが」

「同席する。ここを空にする間、誰も立ち入らないよう手配しておく」

「お願いします」


 意外と久しぶりになる王子の寝室への道程を頭の中で確認する。先日の警備体制を見るに、恐らく何箇所かは使えなくなっているはずだ。エーレを連れて移動できる道程は数少ない。


「……エーレ」

「何だ」

「真っ正面から王子の寝室訪ねて大丈夫ですか? ちなみに、一人で」

「…………………………その手段は最後にする。特に、今は」

「了解しました。じゃあ険しい道程になりますが、城登り楽しみましょうね」

「山登りみたいに言うな……」


 噂が、立ってしまったのだろうな。

 死にそうな顔と声のエーレを見て、しんみりした気持ちになる。

 哀れみと悲しみの気持ちで視線を向ける。最近エーレはよく死ぬなぁと思うが、よく考えれば最近でなくてもよく死んでいたのでいつものことだと思い直す。




「何だか最近、エーレとばかり話している気がします」

「お前はそうだろうな」


 エーレは現在通常の業務から外れてるとはいえ、全く関わらないでいられるほどその立場は狭くない。また、通常業務から外れてついているのは聖女選定の儀。まして規定外の事件が多々起こっている状態なので、報告も含め他の人との会話は増えているのだろう。

 それはとても大変そうで頑張れという気持ちと、羨ましいなと思う気持ちがひっそり浮かぶ。

 同時に、少し笑ってしまう。思わず笑った私に、エーレは不思議そうな顔をした。


「長い付き合いにもかかわらず、ろくに話したことがなかった今までを思えば、ちょっと変な気持ちですね」

「ああ……確かにな。だが、お前と業務外の会話をする必要性を全く感じなかった」

「それココも言ってたんですよねぇ……」


 切ない。私の私語に全く意味がないのは同意なのが一番どうしようもない。

 そして意味のない会話をにこにこ聞いていながら、その実そこに必要性を全く感じておらず、ついでに内容もまともに聞いていないのが一番隊隊長のヴァレトリだ。

 一番無駄話をしていたが、神官長の犬と自他共に認めてられている人であり、腕を組んで笑い合えるようになるまで一番時間を要したのは彼だろう。

 スラムで生き延びられるような、ずる賢く貪欲な子どもが、優しく真面目な神官長に取り入った事実は、神官長に忠義を尽くすと決めた彼には耐え難い事実だったはずだ。私が神官長を利用しようと一度でも考えていれば、きっとこの首は極秘裏に飛んでいた。

 だが安心してほしい。私だって神官長を利用しようとする人間がいれば悪霊となり、そして怪談騒動が巻き起こっただろう。当時の私の髪の長さは膝裏を超えていた。悪霊になるにはもってこいだったのだ。

 今では私とヴァレトリは、神官長大好き人間としての互いを最も信頼する間柄だ。だった。



「ところで、もしかして私の部屋ってここになっていません?」

「実はそれも検討されている」

「医務室に住み込むなんてカグマじゃあるまいし……もしかして、これが世に言う同棲というものですか?」

「お前は何を言っているんだ」


 確かに私は何を言っているのだろう。医務室から逃げ出し決闘を決め医務室に連行され、医務室から出て決闘し顔を燃やされ、聖女の私室から医務室に連行されたことで少々混乱しているらしい。……前半はともかく、後半は何故連行なのだろう。医務室に運び込んでくれるだけで良かったのでは?

 そうは思うけれど、おそらくこれが信頼というものだ。私は自らの所業を顧みて納得した。

 ちなみにここも訪れ慣れた医務室の一角ではあるが、個室である。本来同室者がいるだけで負担になる体調の人間が使う部屋だ。設備も質も段違いによくなり、そして快適である。この部屋を使わせてもらうような怪我はしていないが、神官長が静かな場所をと計らってくれたのだ。

 寝慣れた医務室の寝台ではあるが、この部屋の寝台だけはそうそう利用しなかったので少し不思議な気持ちだ。天井と壁は医務室のものと変わらないけれど。



 慣れない部屋で見慣れた天井を見つめていた視線を横に向ける。そこには、私服になった風呂上がりのエーレが座っていた。付き合いは長いものの、仕事以外で真っ当に関わるのは最近になってからである人の私服を最近よく見るなぁと思う。スラムから回収された後お世話になった家で着ていた服より、洒落っ気と高級感と中性感が増している。似合っているが、似合いすぎているともいう。

 エーレはあまり、自分を飾り立てる服を選ばないので珍しい。


「エーレ」

「何だ」

「その服選んだの誰ですか?」

「…………何故だ」


 何故か警戒されてしまった。いや、これは触れられたくない話題に触れられた人間の顔だ。人間、何に触れられたくないか分からないものである。


「以前見たときと傾向が違うなと思っただけで特に意味はなかったんですが、なんかすみませんでした」


 よっこいしょと身体を起こしながら頭を下げると、深い嘆息が降ってきた。


「………………神殿の自室にある服を選定したのは兄上達だ」

「成程理解しました」


 本がひしめき合っていた家で着ていたのは、生地と仕立てからは高級感が溢れ出すものの、無駄なく上品で動きやすい物が多かった。それなのに全く趣味が違うなと思ったのだ。

 自宅と神殿では、いくら私服といえど着る物に差が出るのは理解できるが、趣味嗜好まで変わるとは考えがたい。選んだ人間が違うなら納得だ。どちらも似合うが、飾り立てる気があるのとないのとでは差は歴然だった。

 エーレは兄達から大切にされている。猛烈に可愛がられている。ご両親が早くに亡くなっているのも影響しているのだろう。とかく、末っ子とは可愛いものらしい。

 兄弟という感覚は、私には理解できないが。



 まじまじと眺めていると、心の底から嫌そうな顔をされた。湯上がりなのに冷たい視線と空気を纏わないでほしい。


「見世物にしているわけではなくて、残滓が残っていないかもう一度確認しているだけです」

「自分を確認しろ」

「私は問題ありません」


 ついでにいうと私もお風呂に入っている。聖水をこれでもかとぶちこんだ清め風呂だ。いつもであれば霊峰から流れ出る滝を浴びるところだが、今は神殿から出る許可が出なかった。

 エーレは身につけていた全ての物を己の炎で燃やし、その灰を清水で溶かし霊峰へ納めている。しかし、私がいつの間にか身につけていた白い服は誰の術を以てしてもその形を失うことはなかったそうだ。仕様がないのでそのまま箱に入れて霊峰に納めたそうである。



 私達と一緒にあの地に堕とされた男達も、一応この地へ戻ってきている。だが、軒並み壊れていた。あれはもう、臓腑が動いているだけの肉塊だ。人としての言葉や文明はもちろん、動物としても機能しない。生を保とうとする生物としての本能ごと壊されている。

 あんなものの残滓を持ち込むわけにはいかない。見逃しがないか視認を終え、はたと気付く。ちょいちょい手招きし、後ろを向いてもらう。素直に従ったエーレの後ろ髪を掻き上げ、項を確認する。次いで耳を引っ張り隣に座ってもらった。

 歯で舌に傷をつけ、血を滲ませた吐息を耳に吹き入れる。耳を押さえ、ぱっと立ち上がったエーレが私を睨む。


「お前いま血を使っただろう」

「左耳を」


 狂乱を音により注ぎ込まれた耳は脳に近い。念には念を入れるに越したことはないだろう。僅かな残滓でも抱いたままにさせるわけにはいかないのだ。本当は記憶から消し去りたいくらいなのに、そんな術は持ち得ない。


「エーレ」


 これは譲らないと視線に籠めれば、渋々座り直した。その左耳を引っ張り、同様に息を吹き込む。私に残った聖女の力。血に滲んだ微かな力。それでも役には立つのである。

 最後にもう一度全身を確認し、寝台に倒れ直す。






「はぁー……疲れた……」

「同感だ」


 ぐったりうつ伏せになる横で、エーレも座ったままぐったり沈み込んでいる。こちらは寝台に沈み込んでいるというよりは自分の身体に沈んでいた。エーレが折り畳まれている。


「エーレはまだ勤務中で大変ですね。今晩私に付く人はどうなるんですか?」


 流石に今日は、このままエーレが続投するわけではないはずだ。現在の私は、顔を焼かれ、暴漢に襲われかけた哀れな少女だ。それらの恐怖に縮こまり、医務室の一角を与えてもらったのをいいことに、守ってくれた神官以外は誰も入らないでほしいと『恐怖から』籠城した、可哀想な、その実特に傷ついていない私である。


「女性神官と女性神兵が扉の前で待機する」

「成程。……ココとか!?」

「彼女はアーシン・グクッキーについている」

「羨ましい!」

「アーシン・グクッキーは神具作りに造詣が深いらしく、珍しくココが会話を弾ませていた」

「私だってココの実験台になれるのに!」


 私もココと一緒に神具作りの会話を弾ませられる。主に、ココの試作品とか失敗作とか気晴らしの神具使用先として。

 ココが意図した展開でも、全く意図していない展開でも、どれも予想がつかなくて、それは楽しかった。空飛ぶ荷運び人形第七号試作機が、高笑いしながら分裂を繰り返して増幅し、聖女の私室内を飛び回っているのは微妙に怖かった。だが、それを見ていたココが珍しく困った顔で収拾のつかなくなった部屋を眺めていたのは可愛かった。私の部屋は死んだ。




「でも今は、そのほうがいいんでしょうね」


 一度瞼を閉ざし、今では遙か遠くなってしまった過去も一緒に閉じる。そして思考を戻す。

 顔は私を器として使った何かが勝手に直してくれた。襲われたのも未遂だし、後は適当に小突かれただけで骨も筋も無事である。この世に持ち込んではならない場所からの気配は、聖水ぶち込み風呂で流したし、特別室を使ってもらうような傷は一切持ち得ない。

 けれど、エーレと話をしやすいとの理由で、様々な傷を案じてくれた優しい神官長からこの部屋をまんまとせしめた大悪党はこの私である。

 深い溜息を吐きながら、両手で顔を覆う。


「神官長を騙したんですよねぇー……誰か私を呪ってください……」


 ただし、当代聖女忘却事件の犯人以外で。


「捜し物を増やすのは止めろ」


 短い言葉で告げられた言葉を理解し、瞬き一つで起き上がる。今は誰も彼もが忙しい。仕様がないので後で自分で呪おう。


「動かせましたか」


 エーレの顔に仮面がかけられた。意図して作られた無表情に少し考える。


「……縛られている範囲は喋れますか?」

「会話という相互理解の手段を捨てぬ限り、道は開けましょう」


 エーレが突然、他国では一般的な神官みたいなこと言い出した。


「成程……会話をしている内に、偶然疑問を解消する答えと取れる内容になってしまうのは致し方ないというものですね」

「全くだ」


 できる限り聖印、誓約の単語を使わず素早く情報の遣り取りを済ませた。喋っている時間の制限は恐らくないだろうが、手短に済ませない理由もない。

 聖印は結界に長けた神官長が金型の術者達と作った、アデウスで最も新しい術だ。基本的に聖女には適用されないが、それでも概要なら聞いている。現在エーレにかかっている聖印は、かなり厳しいものだろう。だがあまりに厳しく制限しすぎれば、突き詰めれば喋れなくなり、身振り手振りであっても相手に伝える動作すらままならなくなる。そうなれば、日常生活すら送れない。


「不法投棄は困りますよね」

「全くだ。おかげで徹夜する神兵が出る」

「ところで、私の先輩はお変わりありませんでしたか?」

「変わりなく恙なくお過ごしだった。……だが寝床にまで持っていった装飾品をつけていらっしゃらなかった。紛失したのか、盗難に遭ったのか」

「それはまた……災難ですね。捜し物が増えるばかりだなんて」

「全くだ」


 エーレ、会話の締め方雑じゃないですか? それでも王城の腹黒古狸達と渡り合ってきた敏腕神官ですか!

 ……単に私との会話が雑なだけだな、これ。









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