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「他の方も、そう思っているという認識で宜しいでしょうか」


 視線を向けた先で、ポリアナが困った顔をしていた。


「そうは思っちゃいないよ。神殿側がその方法を知らせないほうがいいって判断することだってあるさ。まあ、気にはなるけどね」


 他の面子も困った顔を崩さない。中にはあからさまに侮蔑の視線を向けている人もいたが、大半は判断しかねて困っていた。そんな周りを見て、アノンは泣き出しそうな顔となった。


「そんな……不正なんて、きっと誤解です。だって不正なんて通らないから選定の儀なんですよ!?」

「アノンさんと仰ったわね。わたくしもそう思っていたわ。けれど、現状を説明できないなどおかしいでしょう。後ろめたいことがないのなら、何故説明を頂けないのかしら」

「それは……きっと何か事情がおありなのでしょう。私達に理解ができないもの全てが不正であるだなんて、傲慢です」

「説明されて尚理解ができないのであれば、それはわたくしの問題。わたくしの至らなさが原因となりましょう。ですが、情報が秘匿されたがゆえに理解不能であるならば、不正を疑う心は罪ではないでしょう?」


 アノンはぐっと詰まり、私を見た。私は壁際に控える神兵と神官を、ゆっくり振り向く。誰も表情を変えていない。皆は仕事中だ。皆の仕事は聖女候補を護衛し、見張ること。そこに個人の感情は交えない。この言葉に覚えた怒りを表に出す私が、この場で一番の未熟者だったというだけの話である。


「どなたか、刃物を貸していただけますか」

「あなた、決闘の仕方も知りませんの? 決闘方法は互いで決定するのよ。一人で決めてしまうなんて、それこそ野蛮なけだものよ」

「あなたが語るは事実ではなく、憶測であり妄想です。あなたは自身の妄想を根拠に他者を罵るのですか。野蛮なけだものとどう違うのか、私には分かりかねます」


 かっと頬を染めたその赤が、羞恥であれ憤怒であれ構うものか。

 さっと視線を走らせ、一番近くにいた神兵に片手を差し出す。


「小剣で結構です。貸してください」

「選定の儀に無関係な諍いはご遠慮願いたい」

「彼女に向ける刃ではありません。出してください」


 神兵はしばし無言を続けた後、小剣を手渡してくれた。しかしその視線は小剣から外れない。何かあればすぐに取り上げるつもりなのだろう。神官と神兵には昨日の顛末が共有されているはずだ。そこにやましいものは何もないと知っているからこそ、不正の疑いをかけられた私の望みを叶えてくれた。その気遣いを無為にするつもりはない。

 ゆっくりと、剣を鞘から抜く。よく手入れされた美しい刃がぬらりと現れる。そこに映り込んだ自分の顔は、酷いものだった。怒りを糧に行動しないと心がけているのに、飲みこみきれない怒りが滾っている。

 髪を掴み、そこに当てた剣を力任せに引く。元より売った髪だ。大した長さにはならない髪を鷲掴みにし、アーティに向けてその手を開く。ぱらぱらと落ちていく私の髪を、アーティは頬を引き攣らせながら見た。


「決闘を申し込みます。私が負ければ花をご覧に入れましょう。ただしあなたが負ければ、あなたが言われ無き罪で侮辱した神殿と神官長に謝罪を。必ず、誠意を持って、心から」


 床に落ちた髪からゆっくりと視線を上げたアーティは、同じほど緩慢に口角を吊り上げた。


「望むところですわ」

「あ、まずはその髪拾ってください。決闘の流儀は守らなければなりませんので」


 吊り上がった口角が引き攣った。拾いづらそうで申し訳ないが、私は持ち物どころか身につけている全てが私の物ではないのだ。私の物は、この身一つしかない。

 剣を鞘にしまい、神兵に礼を言って返す。微妙な顔で受け取ってくれた。


「勝負の方法はどうします?」


 髪を集めるためしゃがみ込んだアーティを見下ろす。律儀な人だなと思う。足で掻き集めようが、誰かが集めたものを受け取ろうが成立するのに。


「あなたの得意分野で構わなくってよ。あなたはスラムで育ったと言ったわね。わたくしは貴族ですの。ですから、わたくしは思いもよらない形で優位に立っている場合もあるでしょう。ですから、あなたの好きにしなさいな」

「では、決闘の定番星落としと参りましょう」


 アデウスにおいて、決闘を行うのは基本的に貴族だけだ。平民が行えばただの喧嘩と銘打たれる。貴族の決闘は家の名誉も背負うものとなり、流血沙汰は見苦しいとされる。他国では剣を使った一騎打ちが主流のようだが、アデウスでは星落としと呼ばれる盤上遊戯が定番だ。決闘で定番なのは、これもおもに貴族が行う遊戯であるからだ。

 アーティは不愉快そうに眉を寄せた。


「あなた、わたくしの話を聞いていないのかしら。そもそもあなた、星落としのルールを知っていて?」

「聞いておりますし、知っております」

「貴族にとって、星落としは嗜みの一つ。あなたとでも使ってきた時間が違うわ。わたくし、正々堂々と勝負をしたいの」

「私もです。そうでなければ決闘など何の意味も持ちません」


 だったら。苛立ちと共に続けられた言葉を遮る。


「私も少々故あって、星落としは得意なのです。それに相手より優位であろうが、正々堂々たりえます。平等とする為にその力を削ぐならば、いつもと同じ調子で戦えない人が不利となりえましょう。元々の状態で戦える人間が絶対的に有利です。あなたが生まれ持った素質、家名、財産、あなたを培ってきた環境すべて。何を使おうがそれは卑劣な手段ではありません。それを私が持ち得ずとも、あなたが剥ぎ取ったわけではないのですから」


 私は彼女と討論がしたいわけではない。私の意見を納得させたいわけでもない。けれど彼女が納得しなければ話が先に進まないというのなら、言葉を惜しむ理由もなかった。


「自分の持つ全力を出し切ることは、卑怯でも卑劣でもありません。費やしてきた時間も同様に。正々堂々とは、相手と同等になるという意味ではありません」

「それは、そうだけれども……そんなことを言われたのは初めてだわ」


 気まずげにも不審げにも見えるその顔を見て、不意に懐かしさが蘇った。いつだったか、彼女と同じ言葉を私に返した人がいた気がする。あれはいつだったか。確かに聞いたのによく思い出せない。驚きと悲しみと憤りに満ちた瞳が、確かに私を見ていたのに。瞳がほろりと解けた瞬間は刻みついたように覚えているのに。あれはいつだったのだろう。あれは誰だったのだろう。どうして、覚えていないのだろう。

 辿っていた記憶は、凛とした声で遮られた。ぷつりと途切れた記憶の糸はもはや掴めず、大人しく見送った。


「分かりました。では、伝統ある決闘方式を採用しましょう。神殿側への要請はわたくしが行います。それで宜しいかしら」

「ええ、お任せします。あなたが納得できる形でお願いします。敗者である事実が納得いかないとゆめ仰らぬよう。二度の決闘は御免被りたいので」

「……当然よ。あなたこそ、屁理屈をこねないことね」


 そんなことするはずがない。かかっているのは神殿と、何より神官長の名誉だ。あの人が、堅物と嘲笑さえされるほどの生真面目さを持って神殿に仕え続けてきた人が、軽はずみな侮辱にあった。


「では、決闘は規則に則り午後からでよろしくて?」

「お任せします」


 神官長の名誉がかかっているのに、私が無様な真似できるはずもない。真っ当に受けて立つ。




「まあ、まあまあまあ。喧嘩をしているの?」


 静まりかえった部屋に、場違いな声が響いた。ふわりと浮かぶ花びらのような声を出したベルナディアは、両手を軽く合わせ、首を傾げた。


「ベルナディア様! 下賤な者共に関わってはなりませんと申し上げているではないですか!」

「まあ、ドロータったら。アーティ様は下賤なご身分ではないでしょう? だって、聖女様のご血統ですもの」

「それは、そうですが……」


 歌うように、踊るように、ベルナディアは歩み寄る。決して素早い動きではなく、どちらかといえば緩慢な動作であるというのに、お付きの三人組は彼女を止められない。春風のように柔らかな自然さだ。舞い散る花弁のようにふわりとスカートを広げ、アーティに頭を下げる。


「アーティ様、ご機嫌麗しゅうございます」

「……ベルナディア様も、麗しゅう」


 機敏さが勝る動きであったが、アーティも同じ動作を返す。次にベルナディアは、揺れるような動作で私を向いた。


「おまえの周り、いつも賑やかね。とてもうらやましいわ。素敵ね」

「お褒めにあずかり光栄です。では、私はこれで失礼します。アーティさん、また午後に」


 それだけを告げ、背を向ける。三人組、中でもドロータは怒りをそのまま破裂させた声で私を呼び止めたが、そのまま扉へ向かう。取っ手に視線を固定し、扉を開けた。怒りのまま何かを言わないで済むようさっさと閉じた先は、静かな廊下が広がっていた。

 わけではなかった。


 俯いた視線の中には靴があった。ついでに足があった。思わず視線を上げれば、見慣れた顔もあった。カグマだ。思わず仰け反る。


「決闘なんざくだらんものがしたければ好きにしろ。だがな、まずは医務室に戻れ! お前は点滴の途中だ! 何を勝手に退出している!」

「うわ!」


 鼓膜がぐわんと揺れ、慌てて耳を押さえる。


「もうげーんーきーでーすぅー!」

「どれだけ喚こうが必要な治療は変わらんぞ! さっさとベッドに戻れ!」

「いーやーでーすー!」 

「エーレ」


 さっきまでの大音量がすっと鳴りを潜め、平坦な声となったカグマに呼ばれたエーレは、無言で一歩進み出た。


「いつからそこにいらっしゃったのか、五文字以内でお願いしていいですか!?」

「最初からだ」

「最初っていつ!?」


 私を捕獲の態勢に入っているエーレに後退りする。しかし後ろは壁だ。だが私は知っている。この男、神力はともかく筋力は絶望的に低いのだ。私を担いで連行できるはずもない。だから、私捕獲作戦にはいつも参加していなかった。そもそも王城がおもな活動地点だ。

 早々捕まることもないだろうとたかをくくり、逃走の用意を始める。軽く膝を回せば、ぱきっと鳴った。まだちょっとふらつくが、どんな暴漢からも盗人からも酔っ払いからも暗殺者からも神官からも神兵からも逃げ切った足だろう。ほら頑張れ。それ頑張れ。当代聖女が応援しています。

 足の応援も終わったので、いざ走り出そうとしたらなんか熱かった。顔を上げれば、周囲が燃えていた。そりゃ熱いはずだ。


「ちょっと!?」


 私を囲む炎の檻は、絶妙に浮いているので床を焦しはしていない。しかし私を焦す気はわりとあるらしく、髪がちりちりしてきた。


「これ洒落にならず燃えますよ!?」

「燃えたくなければ医務室に戻れ」

「もう元気になりましたから必要ありません! 治療ありがとうございました!」

「戻れ」

「燃えそうどころか燃えましたが!?」


 炎が燃え移った服の裾を慌ててはたく。周り囲む炎は消えるどころか勢いを増している。どうせ治療するから燃やしてもいいと!?

 私は毎度燃やされても平気で復活するサヴァスではない。


「分かりました戻ります戻りますから!」


 身体を反らせ炎から逃げている私を、カグマはまったく配慮しない。燃やしているのは明らかにエーレなのだが、エーレはカグマの頼みを速やかに実行しているので説得するならカグマに尽きる。


「点滴も受けろ、ぼけなす」

「受けますけどぼけなす!?」

「治療者の目を盗んで逃げ出す阿呆はぼけなすで充分だ」

「返す言葉もございません」


 本当に申し訳ございませんでした。注射と点滴と棘が大の苦手です。そしてぼけなす呼びをしてくるということは、実はあなた記憶戻っていません? いませんね。失礼しました。

 観念して両手を上げれば、解けた炎の檻が両手に絡みついた。思わず身を引くがびくともしない。しかし、その炎は熱さを感じなかった。しかも固い。どういう原理で作り出しているか分からず、目線の高さまで持ち上げてまじまじ見つめる。


「行くぞ。エーレ、その阿呆を絶対に逃がすな」

「分かった」

「どう見ても連行されていく犯人な私は全然分からないのですけども?」


 いくらなんでもあんまりな扱いでは?

 しかしやらかしたのは私であるので、とぼとぼ連行されるしかない。


「決闘なんざ暇人の所業をしたけりゃ好きにしろ。だがな、医務室を預かる神官、つまりは僕の許可が出てからだ。それが守れないなら頭ぶん殴って寝かしつけた上ベッドに縛りつけるぞ」

「もうすでに縛られているのですが」


 もう逃げないので解いてくださいと要求するも、まったく聞き入れてもらえない。エーレなど私の存在を完全に無視している。縛った先を持った張本人なのに。私は、まるで売られていく仔牛の如き悲しき目をしているだろう。

 医務室までその状況だった為、私は収監される罪人のように医務室へ連行された。ちなみに会話は一切なかった。私は喋っていたが二人とも返してくれなかったので、全部私の独り言と成り果てたのである。







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