30聖
癒術を使ってもらっても、失われた血が一晩で戻るわけではない。
それなのにどうして。
「あなたに決闘を申し込むわ!」
「へぶっ!」
次の日に決闘を申し込まれなければいけないのだ。
熱い思いの丈を受け止めた顔面から、ハンカチがぽそりと落ちる。開けた視界には、桃色の髪を猛らせ、肩を怒らせた少女がいた。
現在、第三の試練を終えた翌日であり第四の試練真っ只中であるが、これまでのような緊張感は見られない。此度の試練、今までとは少し趣向が違うのだ。一番の特徴は、期間が長いのだ。
第三の試練で咲かせた花に聖女候補が自身の神力を注ぎ込み、一週間以内にうまく混ぜ込むことができれば、花にこめられた神官の神力と共に聖女候補の中に収まる。その際、額には小さな光が灯る。その確認を以て、第四の試練は終了となる。光と花は、第四の試練通過と同時に消える。
それが、第四の試練一連の流れだ。
第四の試練はどんな実力者でもここで落ちていく。癒術でさえも反発し合う神力だ。そんなものを自身の神力で上書きし、尚且つその身に吸収する。
それは奇跡に該当する。
私が血をぶちまけた事からも分かるとおり、そんな秘術は存在せず、また不可能とされてきた。アデウスに限らず、世界中でもだ。それなのに、アデウス国聖女選定の儀においてのみ、この奇跡は度々起こる。だからこそ、アデウスの聖女は他国と一線を画すのだ。
ただ、先代聖女は他者の神力をその身に借り受ける金型の術に長けていたので、これからは分からない。聖女に発現した術はそこから広がるからだ。先代聖女は他者の力を借りて自身の力として使えただけだが、どこかに変異が起これば、他者の力を取り入れる術も現れるかもしれない。
それはともかく、お分かり頂けただろうか。
私は第四の試練を既に越えている。想定されている越え方では全くないが、他者の神力の塊は既にこの身へ宿していた。おかげで大惨事である。
神官長から第四の試練についての説明がされたと同時に、私の割り札には四つ目の花が刻まれた。咲かせた花は私の身体に形として残ったまま消えていないが、どうやらこれでもいいらしい。その身に花を咲かせた場合、第四の試練がどうなるか前例がないため、今の今まで確かめようがなかったのだ。
第三の試練、第四の試練を同時に越えたからあの惨事だったのかとしみじみ思いながら、割り札と光った額をそっと隠した。ついでに、事情を知っている神官達は私からさりげなく視線を外した。溜息を隠し切れていないから、是非とも頑張ってほしい。
第四の試練には十日間の猶予が与えられている。その間、時間は自由に使っていい。
与えられた自室に籠もる聖女候補もいれば、他の聖女候補と交流を図る聖女候補もいるし、この機会にと普段は開放されていない区画を見物する聖女候補もいる。
神力を混ぜ込むと言っても、これもまた神の采配。ぎゅうぎゅう押しこめばいいというものでもないし、根を詰めればいいという話でもない。それぞれ自身の神力の限界もある。それに、種と同じで、越えられる人はほんの僅かな神力で越えられるし、駄目な人はどれだけやっても駄目だ。
一応、通過者が成功させた事例が夜に月夜の下で行った時が多いとされているらしく、夜に試す予定であろう聖女候補達は、昼間はのんびり過ごす人間が多いようだ。
この十日間は、皆それぞれの具合を確かめつつ、わりと休暇のようにのんびり過ごすのが定番でもあった。
私も昨日の今日だしのんびりしようかとも思ったが、医務室でのんびりしているのも落ち着かず、点滴が外れたので退院してきた。カグマが換えの点滴を取りに隣の部屋へ行った隙に出てきたともいう。寝ている間に血管がずれたので、針を刺し直さなければならなくなったのが猛烈に嫌だったともいう。
せっかく自主退院してきたので他の聖女候補の様子を探ってみようと、集会所代わりになっている部屋へ顔を出した。この部屋は、いくつもの椅子とテーブルが備えられ、壁際には本棚が並んでいる。人気のある場所で一人本を読むもよし、居合わせた人とお喋りするもよし、お茶を飲むもよし。自由に使える。
まさかそんな平和の象徴のような部屋に一歩足を踏み入れると同時に、決闘を申し込まれるとは思いもよらなかったが。
顔面に叩きつけられたハンカチは、レースがあしらわれていて高そうだし美しいし、どう見ても繊細な逸品だ。しかし、書類の束が顔面に叩きつけられた如く威力があった。何故だ。あ、鼻血出た。
「…………思っていたより威力が出てしまいましたわ。宜しければそのハンカチ、お使いになって」
「あ、どうも」
落ちたハンカチをいそいそ拾い、鼻に当てる。
「拾ったわね」
「ん?」
すすっちゃ駄目と分かっているが、思わずすすってしまった。そんな私に、びしっと指が突きつけられた。指は指でも全部綺麗に揃えられているところに、彼女の育ちの良さが出ている。
「あなたはいま、決闘を承諾したのよ!」
「あ、はい」
決闘申し込みと共に投げられた物を、申し込まれた側が拾うと成立する。決闘の規則は確かに果たされた。なるほどなーと思いつつ、鼻に当てていたハンカチをちらっと見る。まだ止まっていない。昨日派手にぶちまけたので、できるだけ血は温存しておきたいところである。
少女はぴんと伸ばした背筋のまま、胸を張った。その様堂々としたものだが、決闘成立に至るまでの過程は当たり屋のそれだった。
堂々としたせこさ、見事なり。
うむと頷きながら、ハンカチをちらっと見る。止まっていない。せっかくなので借りたまま、ぎゅうぎゅう鼻を押さえつける。
「あなたはこれより、このわたくしアーティ・トファと決闘して頂くわ!」
確か第七代聖女を先祖に持つ、トファ家のご令嬢から当たり屋をされてしまった。トファ家はお堅いと聞いていたが、私が知っているお堅さとはちょっと違うようだ。
「あ、私はマリヴェルです! 一つ質問宜しいですか!」
名乗られたならば名乗り返すのが礼儀だ。挙手と共に名乗りを上げ、質問の許可も取る。
「当然、よくってよ」
気前のいい人だ。許可をもらったので、早々に気になっていた問いに移った。
「あの、私はどうして決闘を申し込まれているのでしょうか」
「白々しい態度は取らなくて結構よ。分からないとは言わせないわ!」
「言っちゃ駄目なの!? はい! 質問を封じられた場合はどうすればいいのでしょうか!」
「自分で考えれば如何?」
つんっとそっぽを向かれ、途方に暮れる。そうか……自分で考えなければならないのか。昨日のやらかしはと、一から辿る。
寝坊し、護衛兼見張りでつけられた神兵を撒き、王城に侵入し、王子に不敬を働き、エーレをあらぬ噂の渦中に立たせ、サヴァスを撒き、林檎を頂戴し、サヴァスを撒き、神官長の貴重な時間を使って血をぶちまけたくらいだ。
私は正直に白状した。
「すみません、どれのことでしょう」
「そんなに心当たりがありますの!?」
心当たりしかないとも言う。アーティは驚愕に震えていたかと思うと、次第に別の震えで肩を揺らした。どう見ても怒りである。
「こんな、こんな馬鹿げた話があると言うの。神聖な聖女選定の儀において、これほどまでに堂々と不正が行われるなんて!」
「不正?」
その心当たりだけはなかった。
「待ってください。どういうことでしょうか」
それは流石に聞き捨てならない。笑いを消した私の問いを、アーティは鼻で笑って見せた。
「第三の試練、あなたは通過しましたの?」
「はい。何せ私は当代聖女ですので」
「そう、わたくしもよ。ここにいる皆様も通過しましたの。皆様、それは美しい花を咲かせたわ」
ぐるりと示された部屋の中には、昨日より若干数を減らした聖女候補達がいる。昨日の朝、私と話した面子は大体が残っている。ベルナディアもその周りを囲む三人娘もだ。
彼女達に付いている神兵は、壁際に並んでいた。中には神官もいるので、神兵だけが付くわけではなさそうだ。それならエーレが私に付くという話も通りそうだ。しかしここにエーレはいない。私に付くのは誰になったのだろう。ココはいる。なんて羨ましいのだ。ココが付いてくれる恵まれた聖女候補は一体誰なのだろう。
「けれど、あなたは違う」
回ってきた手が私を示す。部屋中の視線も私に集まる。
「私も咲かせましたよ」
「ええ、神官達はそう言った。けれど誰も、あなたの花を見せてはくれないの。あなた自身も、昨日わたくし達が花を持ち寄った部屋には現れなかった。あなたが咲かせた花を、わたくし達は誰も見てはいないのに、どうしてあなたは通過していると信じられましょう。どうしてわたくし達は、あなたの花を見られないのかしら」
それはね、不正では決してないけれど、正規の方法で咲かせたわけではないからです。
そういうことかと、ようやく事態を察する。
私は花を咲かせた。けれど一度咲かせた事実を無理矢理種に押しつけて咲かせたので、他の人にはできないだろう。そしてしないほうが絶対いい。花が咲く可能性より命が散る可能性のほうが高い。
だから、咲かせた方法は秘密厳守となった。花自体も私の身体に直接咲いているので、見られたら咲かせた方法が知られてしまう。だから花自体も秘匿するよう神殿側で決定している。私も異論はない。
聖女候補達に他言無用を敷いても、人の口に戸は立てられぬ。今日明日は秘匿されても、一年後、十年後、五十年後。ずっと続く秘密はないのだ。そしてこの国が続いていく限り、聖女が現れる限り、選定の儀は行われる。こんな馬鹿げた原因で死ぬ女が現れたら、私はその人にも彼女を慈しむ人々にも申し訳が立たない。
これは、当代聖女だから可能となった最終手段だ。それ以外の人間が行えば犬死となる。
「おかしいのではなくて? 通過した聖女候補は様々な場所で咲かせたけれど、その後鉢に移し替えてそれぞれの部屋に置いているわ。それなのに、どうしてあなたの花はどこにもないのかしら」
「いまのお言葉は、あなたが私の部屋に許可なく入ったと判断しても宜しいのでしょうか?」
「そうとって頂いても結構よ。昨夜あなたのお部屋を訪ねた際、扉が開いていたの。だから中が見えてしまったの。だからお部屋には入っていないのだけれど、その後も見ないよう視線を逸らすでもなく、花を探してしまったのだから同じことだわ。あなた、部屋の鍵も扉も、閉めたほうがよいのではなくって?」
寝坊して飛び出した際、閉め忘れた可能性はある。別に取られて困る物も無い。エーレから渡されていたお金は、一旦返している。エーレは渋ったがあんな大金を持ったまま何かあれば、盗んだと疑われても冤罪を晴らすすべがないのだ。
部屋の件は別にいい。私のずぼらが招いたことであればだが。私の通過に疑念を抱く。それもいい。私は彼女達に提示できる花を持ち合わせていないのだから。
だが。
「あなた、もしかして神官長の弱みでも握っていまして? 神殿も落ちたものね。聖なる儀式を、我欲で穢すなんて。それにあなた、昨夜はどこでお休みに? どなたかいい方が神殿内にいらっしゃるのかしら。その方が、今までの試練を通過させてくださったの?」
残りはすべて、聞き捨てならない。