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 選定の儀の内容について、聖女候補から問い合わせがあれば応じぬわけにもいかないのがつらいところ。神官、それも神官長であれば断われぬだろうとの目論みは成功した。

 私の前には神官長が座っている。場所は狭間の庭にある東屋だ。どこからでも見られる場所にある東屋は、何もやましいことはありませんよと宣言する話し合いでよく使われている。後は、仲良くやってますよと賓客同士がきゃっきゃうふふして見せるときにも使われる。大使とか大使とか大使とか。

 使節団が来ているときは近づかないに限る。猛吹雪の中、無理矢理飾り立てられた春を見る羽目になる。この春、仲の悪い国同士がかち合った場合、春夏秋冬いつでも見られる。そして聖女だとバレたら巻き込まれる。

 皆様、他国の城で死闘を繰り広げろとは言いませんが、無理に仲良くしなくていいんですよ? そして聖女を巻き込まないで頂きたい。アデウスの聖女は昼寝する場所を探していただけなんです。



 目の前にお茶を運んできてくれたのはココだった。要注意人物へ近づけられる神官は限られる。最初から私についていたサヴァスが淹れないのは、ひとえに彼が淹れるお茶の味が壊滅的だからだ。正確には、お茶を淹れたらどす黒い色をしたへどろが出てくる。しかもたまに燃えている。

 わーい、ココだー!と手をぶんぶん振ったら、地面に転がっている小石にさえもっと注意を払うくらい華麗に無視された。透明人間にお茶を出してくれるココは最高にいい人だ。大好き!

 お茶には手をつけず、神官長は口を開いた。


「選定の儀について、私に問いがあると聞いたのだが」


 もう三十分もしないうちに、この試練は終わりを告げる。現に咲かせた聖女候補達はその花を持って、朝に集まった部屋へ向かい、もうこの庭には人がいない。部屋に集まっていないのは未だ咲かせられなかった聖女候補と、それに付いた神官だけだ。その聖女候補達も、諦めた者は与えられた自室に、諦めきれなかった者は妙案を求め、神殿内を彷徨っている。

 時間になれば、神官長は聖女候補達が咲かせた花の検分をして、咲かせられなかった聖女候補を確認してと忙しくなる。だから、この時間に問い合わせをしてくる私は厄介者でしかない。私もわざわざ神官長に出てきてもらわなくても、誰かを通して質問すればよかった。それこそサヴァスに言えば、神官長まで通るだろう。


「はい!」


 でも、会いたかったのだ。会って、話して、あわよくば一緒にお茶でもして。ついでに聞かねばならぬことも聞くのだ。

 全部叶った。これが趣味と実益である。




 用意されたお茶は灰青色。市中で一般的に飲まれているお茶は茶色の物が多い。しかし神殿ではこちらのお茶が好まれていた。花から作るこのお茶は、香り高く仄かに甘い。私はこのお茶が一等好きだ。味も香りも、何よりお父さんの瞳と同じ色をしたこのお茶が、何よりも。

 再会した際にエーレが出してくれたお茶がこれだったのは、私への配慮だったのだろうか。

 柔らかな湯気を立てているカップの隣に、芽吹く気配のない種を置く。神官長はほんの僅かに目を細めた。あれだけ堂々と当代聖女宣言しておきながら、土に埋めた形跡すらない種は綺麗なものだ。


「この種は、聖女候補が生涯ただ一度咲かせることが可能な種と神官長は仰いました」

「如何にも」

「ただ一度とは、身体にかかっているのでしょうか、それともこの肉を命としている精神や魂といった目に見えない部分にかかっているのでしょうか」

「……どういう意味かね?」


 いつもなら、一緒にお茶を飲むのに理由なんていらなかった。今日何があったかを話したし、何もなくても話したし、何も話さなくてもよかった。ちゃんとできたら褒めてくれた。ちゃんとできなくても笑ってくれた。やらなかったら叱ってくれた。怪我をしたら怒ってくれた。心配、してくれた。

 でも、今の私は、理由がなければ姿を見ることすら叶わない。


「生涯ただ一度としても、もし私が花を咲かせて死に、死んだ記憶そのままに次の生へ移り変わったとします。その場合、花は咲かせられるのでしょうか。私の魂は一度花を咲かせた記憶と事実を所持しておりますが、その身体はまだ花を咲かせた事実がありません。または、花を咲かせた事実のある私の身体に、全く別人の魂が入ったとします。その場合、魂は花を咲かせておりませんが、私の身体は花を咲かせた事実があります。この場合、どういう扱いにあるのでしょうか」

「ふむ……」


 初めて、ここに来て初めて、神官長として以外のディーク・クラウディオーツその人の興味が動いた気がした。学者でもある人なので、神官長としての職務を忘れはしないまでも個人的な探究心がうずいたのだろう。


「それは初めて浮上した疑問だ。なるほど、確かに咲かない理由を通過不可以外に見出そうとしたことはなかった。君はどう考えているのかね?」

「はい。魂の在処を追尾した研究は勿論、明確に魂を観測した研究結果は出ておりませんのでどこまでも仮説の域から出ませんが、咲いた事実は身体へ刻まれるのではと考えております。そうでなければ、歴代聖女が必ず咲かせられるとは限りませんので」

「確かに、歴代の聖女が花を咲かせられなかった例は存在しない。魂が同一だと仮定した場合、身体は入れ替わっている。それでも咲かせられるのならば、花を咲かせた事実は魂ではなく身体に刻まれると考えても不都合はない。魂に刻まれていた場合、聖女の魂が二度とアデウスの国民に生まれ変わらない確証がなければどこかで再び聖女となる可能性は残る。その場合、花を咲かせられない。神の不都合となる仕組みは避けられるはずだ。魂も身体も同一ではなかった場合はこの限りではないが、その場合花を一度しか咲かせられない説明がつけられない」


 よかった。木にぶら下がりながら考えていた甲斐があった。


「この仮説、証明のすべはありませんが、明確な否定要素もありませんか? 仮説として、成り立っているでしょうか」


 私に都合のいい部分だけで構成していないだろうか。無意識に不安要素を省いていないだろうか。身体の癖や反射もそうだが、思考の無意識が一番厄介だ。こればっかりは他人に判断してもらわないと、自分では確認することすら難しい。

 種を両手で握りしめ、神官長をじっと見つめる。神官長は何かを言おうと薄ら開けた唇を一度閉ざし、静かに頷いた。


「今のところはだが、成り立っていると私は判断している」


 肺を膨らませたまま固定していた息を吐き出す。頭を下げ、ゆっくりと全て吐ききり、お茶に映った自分の顔を見て苦笑する。俯いていてよかった。こんな顔、神官長には見せられない。

 神官長、ねえ、神官長。私、ちゃんとこの花咲かせてみせるから、だから、そうしたら。

 褒めて、なんて、どの面下げて願うのだ。頭なんて、撫でてくれるはずもないのに。

 個人としての興味で会話をしてくれただけで満足すればいいのに、ぽっかり空いた虚無に私の何かがわめき叫ぶ。足りない? 違う。

 ぐっと噛みしめた唇は、顔を上げると同時に大きく開く。


「あー、よかった! これですっきりしました! じゃあ、ちゃっちゃと第三の試練越えちゃいますね!」


 開けた大口に種を放り込む。そして、神官長達が止めるのを待たず、ココが淹れてくれたお茶を一気に飲み干した。





 喉を、温かなお茶と共に固い塊が通過していく。熱が喉を焼いていく。胃の中に落ちた熱は、お茶の温度を遙かに通り越していた。


「何をしているんだ! 吐き出しなさい! 早く!」


 大きな影が落ちる。ただの椅子に座っていたのならきっと蹴倒していたであろう勢いで神官長が身を乗り出しているからだ。私は両手で自分の口を塞いだまま背を丸める。間違っても吐き出させられないよう、腕と肘で胸の前を塞ぐ。これで背後から抱えられても、私の腕が邪魔で吐き出させようと突き上げることはできないだろう。


「この種は複数の神官が神力を籠めて作っている! そんな物を飲みこめば君自身と反発するだけでは済まない! 内から焼け落ちる! 吐き出しなさい!」


 知っている。エーレから聞いた。高位の神官が幾日もかけて神力を籠め、日と月の光を当て、そうして作り出された結晶だ。そこから何故花が咲くのかは誰にも分からない。けれど聖女候補達は花を咲かせる。とても美しい、花を咲かせるのだ。

 胸が熱い。ぐずぐずに焼きついて張りつくような痛みは、まるで内から腐り落ちているかのようだ。治癒術でさえぶつかり合い、体内で望まぬ暴挙を為す。それなのに、複数人の神力の結晶とも呼べる種を飲みこめばどうなるか。いくら神力が計測できないほど低い私でもただでは済まないだろう。

 それでも私は当代聖女なのだ。聖女は花を咲かせて聖女となる。


「おい、手を離せ! くそっ! お前身体鈍ってんじゃねぇのかよ!」

「レノーテルとリシュタークを呼びなさい!」

「そうかエーレ、エーレなら内の種を焼き消せる! 誰かカグマを! 私はエーレを呼んでくる!」


 聞き慣れた人達の声がうわずっているのは酷く焦っているからだ。死体に慣れている人々は、別に慣れたくて慣れたわけではないし、それを望んでいるわけでもない。

 ココが走り去っていく音を聞きながら、苦笑する。ココ、エーレは呼ばないでほしい。エーレはたぶん、間に合っても私を止められない。だって私はそう命じていない。神官長の命を聞かず立っているだけになるだろうから、呼ばないで。

 テーブルの模様を凝視できるほど近づいていた私の視界に大きな両手が差し出された。誰の手かなんて考えなくても分かる。そんな意図で差し出されたのではないと分かっているのに、何度も撫でてもらったその手に額を擦りつける。それを苦しみから悶えていると思ったのだろう。片手が引き抜かれ、私の背に触れた。

 苦しいのは確かだ。痛くて、苦しくて、熱くて、何かがぐずぐずに溶けて焼け落ちていく。

 ごぼりと喉奥から熱が競り上がり、抑えきれなかった手の隙間から溢れ出す。テーブルにぶちまけられた赤い海に、飲まれた息の音がやけにはっきり聞こえた。


「君は死ぬつもりか! 早く吐き出しなさい!」


 それでも、痛みより、苦しみより、寂しさが勝るのだ。


 お父さん。ねえ、お父さん。

 寂しい。私もうずっと、寂しいの。

 どこにも行けないのに、どこにも行きたくないの。あなたがいるここ以外で、いきたくないな。


 自分の血で溺れそうだ。けれど自分の弱さでならずっと溺れている。粘着質で重たくて冷たくて、鬱陶しいほどに居心地のいいその海に比べたら、赤い海のほうがどれだけいいだろう。


「エーレ、あそこ!」


 ココの声がする。どこからか悲鳴のように引き攣った声もした。騒ぎに気づいて人が集まってきたのだろう。指示が飛び交っているので、聖女候補ではなさそうだ。よかった。こんなやり方、広めるわけにはいかないのだ。

 私の名はどこからも聞こえない。当たり前だ。私はただの聖女候補の一人で、エーレはここで私の名を呼べない。お父さんがつけてくれた名前は、お父さん自身からも呼ばれないまま、私と一緒に血の海で溺れる。


「種を燃やして! あの中にはエーレの神力も籠もってる! 位置は追えるはずよ! 早く、エーレっ!」


 片手を声のするほうへ向ける。言葉で制すことができれば一番よかったが、ごぼりと溢れ出した血がそれを邪魔した。臓腑が焼ける。怒りでも絶望でもなく、なんのことはない、私を守ってきてくれた神官達の神力で。

 だが、それが何だというのだ。

 これ以上神官長の手を汚したくなくて、身を捩らせて下がり、口の中に溜まった血を全部吐き捨てる。そして、未だ吐かせようとしてくるサヴァスの手を押しのけて、顔を上げた。

 青褪めた神官長の顔が真っ先に視界へ入る。そんな顔をしなくていい。しないでほしい。困った顔をしないで、神官長。悲しい顔をしないで、お父さん。

 だって私は当代聖女なのです。この程度できずして、どうしてそうと名乗れるでしょう。

 赤が舞っているように思える息を吐き、視線をエーレへ流す。エーレもココも、私が上げた手を見て静止していた。よかった。血まみれの手は静止効果抜群だったようだ。


「神官、が、選定の、儀を、妨害する、など、許され、ません」


 溢れ出した血をもう一度吐き捨て、口元を拭う。拭った傍から溢れ出す。体中の血がもう失われていても不思議ではないと思えるほどに、止まらない。それでも、言葉を紡がなければ。


「まだ、鐘は、鳴っ、て、いません。ならばまだ、手段は、私の手に、ある、はずで、す」


 だから、手を出さないで。視線でエーレへ訴える。エーレはぐっと何かを飲みこみ、一歩下がった。ココも、サヴァスも。神官長も。それ以上、何も言わない。言えないように、言葉を選んだ。鐘が鳴るまで、試練にどう立ち向かうかは聖女候補の領分だ。

 熱い。寒い。痛い。身体の中に手を突っ込んで、ぐずぐずになった内部を掻き回したい。どうにも不快感が強い。


 それでもお前が種ならば、咲かなければならない。

 だって聖女は花を咲かすのだ。咲かせたから聖女なのだ。この身は既に花を咲かせている。聖女は花を咲かせるもので、私は聖女で。

 ならばこの種は、私の身の内に入った時点で、咲いたのだ。


 これが聖女の種である限り、聖女が花を咲かせなければならない存在である限り、この身が聖女である限り、種は芽吹かなければならない。そうでなければならない。


 そう、神が定めたのだから。










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