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「フビラ・イェーバはどうだ?」

「彼は先代聖女派ではありますが、当主となった兄が先代聖女派だったがゆえで本人は違います。ハルグーフ・ウルバは如何でしょう」

「なるほどな。ああ、ウルバが度々行方を眩ませるのは糞詰まりによる腹痛だ。腹通しのよい薬でも恵んでやれ。そういえばトファの名があったな。あやつは先祖が聖女だろう」

「トファ家の令嬢は選定の儀に参加しておりますが、トファ家は代々騎士を輩出してきた家でもあります」

「不満があるなら真っ向から来るだろうな。あの家の面子は固くて堪らん」


 作戦会議が始まった途端、死んだ目をする係は私が引き継いだ。誰がどれで何だって?



 お互い手持ちの怪しい人リストを擦り合わせているのだろうが、私だけが蚊帳の外だ。ぴんと来るのはトファ家の先代当主だけだ。

 聖女となって四年ほど経った頃だろうか。どこかの家が開いた何かのパーティーで会った。背筋がぴんと伸びた小柄なお爺ちゃんで、私の行儀の悪さはぷりぷり怒っていたのに、聖女の仕事をサボりまくっている件に関しては怒らなかった。今回の聖女は外れ聖女だと会場中の人が言っていたのに、その人だけが。

 そういえば、その後二度とその家には行っていない。庭に当主の巨大な銅像がある特徴的な家だったから、よく覚えているのだ。


「まあ、この程度の面子はとっくに調査済みだろうな。当代聖女、そなたこそ心当たりはないのか?」


 話を振ってもらったところ大変申し訳ないが、私は完全なる役立たずです。


「聖女の子孫が試練に参加していたことすら知りませんでした!」

「桃色の髪をした、十七歳の令嬢だ」


 エーレがくれた情報を頼りに、記憶を辿る。参加者が三十人切っているからできることだ。お茶会の面子を思い出し、該当者は一人だけだった。


「私を浮かせたご令嬢ですね」

「……トファ家令嬢の神力は金だったか?」

「ああ、いえ、こう胸倉掴んでひょいっと」


 物理的に強化されていたのは、彼女の肉体か神力かの判別はつけられなかった。

 脳天かち割り拳を繰り出してきたときと同じ速度でエーレの手が伸びてきた。そして私の胸倉を掴むと、一瞬でボタンを外して襟を開いた。


「…………半日目を離しただけで、何があった」

「痣にでもなっています? 痛くはないんですが」

「説明を誤魔化すのはやめろ」

「こめかみ掘削拳の用意するのもやめません!? 神官はそっちで情報共有しますよね!?」

「それとこれとは話が別だ!」

「よそはよそうちはうちです!」

「使い方が違う!」

「知りませんよ使い方なんて!」


 余所様のお宅どころか、うちと呼ばれる我が家も普通とされる家庭環境も知らないので正式な使い方など学びようがない。勉強は嫌いなんだけどするべきか。しかしこういったことはどこで学べばいいのかと心の中でぼやいていると、何故かはっとした顔を浮かべたエーレが体勢を整えた。


「失礼しました、王子」


 そういえば放置していた。王子を見れば、片肘を立てた膝に乗せ、まじまじとこっちを観察していた。二人で抜け出した際に、流行の観劇から閑古鳥が鳴いている観劇まで、気が向くままに見てきたので分かる。どちらかというと、観劇を面白がって見ている目に近い。


「いや、構わんぞ。新鮮で面白い。特にエーレ、そなたの怒鳴り声など幻の生物ツチノルコと同じほど稀少ではないか?」

「エーレ、私別に稀少生物蒐集に興味はないので、もうちょっと希少性保ってもらって構いませんか?」

「毎日傷を増やす聖女ほどの希少性はない」


 そうは言っても。


「生きていれば傷つくものでしょう?」


 この世に存在すれば傷がつく。それは物も者も同じだ。

 それなのに、エーレは最近、妙な顔をする。死んだ目でも怒りですらないその目の意味が分からず、どうしたものかと困っていると王子が両手を叩いた。


「おい、流石に余はこれ以上サボれないんだぞ。昼食も食いっぱぐれた。そなた達くらいだぞ。飯も食わさず引き留めた王子を放置する不敬者共は」

「申し訳ございません」

「あ、申し訳ありません」


 エーレは浅く頭を下げ、私は軽く手を上げて謝った。王子は昼食を食いっぱぐれた腹を抱え、声を出して笑う。


「よい、許す! 最近とみに退屈しておったのだ。しかしそなた、本当に軽いな。――さて、時間も然程ないことだ。手短に行くぞ。聖女、そなたは何をおいても試練を超えろ。当代聖女が試練に落ちれば、余とて援護しようがないぞ」


 確かに。こればっかりは誰の援護も望めない。目下の課題は、生涯一度を二度咲かせる方法である。任せてほしい。もう詰んだ。

 べしょりと床に崩れ落ちた私を、エーレが冷たい目で見ている。春の若草の透明度を極限まで上げ、さらに磨き上げたような髪をしているくせに、その心は真冬だというのか。


「だから昨日のうちに考えておけと言っただろ」

「これ一晩考えた程度で答えが出る問題だと思います!?」

「思わん」


 そんな殺生な。じゃあ、昨夜はぐっすり寝ておくのが正解だったのではなかろうか。寝不足は思考の敵だ。そして体力気力の敵で、ついでに逃げるときの足腰も鈍るので、全方位敵だらけとなる。百害あって一利なし。とりあえずみんな寝ておいたほうがいい。

 私も追加で寝ておけばいい案が浮かぶのでは? そう思い、いそいそと眠る体勢に入ったらどうなるか。簡単である。脳天かち割り拳がこめかみに振る。そんな亜種拳いらない。

 こめかみを押さえて転がり回る私を無視し、王子とエーレは話を進めていく。


「まさか神殿の鬼と呼ばれたそなたが、聖女がいると全く話が進まないとは思わなんだ……。まあよいわ。黒幕の目星捜索は余が引き受けよう。どうせ神殿側はそなたが調べ尽くしたのであろう。現時点で明確な尻尾を掴めんというなら、調査場所を変えるしかあるまい」

「……現在行方をくらませている前神官長が、出入りをしていたと思わしき屋敷があります」


 ここには私達だけしかいないと分かっているはずのエーレが、声を抑え告げた言葉に、私は起き上がり、王子は若干前のめりとなった。


「ここまで黙っていたとなると、余には言いづらい内容か」

「……はい。ですが、王子でなければ難しい案件でもあります」

「構わん。言え」


 あっさり告げられ、エーレは小さく息を吐いた。しかし視線は揺らがず、真っ直ぐに王子を見ている。


「サロスン家です」

「――なんと、まあ」


 王子は目を丸くし、苦笑した。


「母上のご実家か。それはまあ、言いづらかろう。よかろう、その件は余が受け持つ。エーレ、そなたはしばし引け。リシュタークとサロスンが争うと、国が揺らぐぞ」

「王子、大丈夫ですか?」


 黙っていようと思ったが、流石に口を挟む。王子はがりがり頭を掻きながら、深い溜息を吐いた。


「先代聖女が政にあれだけ幅を効かせたのだ。次代王である余を案じ、という名目でいろいろやらかす可能性が否定できん。そうであった場合、さぞや潤沢な資金と場が提供されたことであろう」

「王子、まだそうと決まったわけではありませんよ」

「そうは申してもなぁ。余は余の血族の倫理道徳を全く以て期待しておらんのでな。まあ、それは余も同じであるが。……エーレよ、サロスンが先代聖女派と組んだ可能性はあるか」

「恐れながら、あり得る話かと。サロスンの息がかかった聖女が現れれば、それだけで有益となりますゆえ」

「そうか。分かった」


 今日味方に加わったばかりだというのに、場の仕切りは完全に王子のものだ。流石王子、指揮も命令も手慣れたものだ。これだけでも味方に引き入れた甲斐がある。

 王子は曲げた人差し指で己の唇を押しながら、少し考えた。さっきの話題を考え込んでいるのかと思ったが、恐らく違う。まだ考えるべき件があるのに、今すぐ解決できない議題を引き摺ったりしない人だ。

 そう思ったとおり、唇から指を離した王子が告げた内容は、私達に関するものだった。




「駄目だな。やはり余には見当もつかん。エーレ、そなたは当代聖女の記憶が残る二人の共通点を調べろ」


 すっぱり諦め思考を渡してきた王子に、私とエーレは顔を見合わせた。

 私が当代聖女だと覚えているのはエーレだけだ。二人の共通点など調べようがない。もう一人はどこにいるのだ。

 首を傾げた私と、表情を動かさないまでも疑問が溢れる沈黙を向けたエーレに、王子は「何だ、そなたら気づいていなかったのか」と、驚いた顔をした。

 剣を握ることに慣れた、節が目立つ王子の長い指がくるくると円を描くように宙を彷徨い、ぴたりと止まった。

 その爪先は、私に向いていた。


「マリヴェルと言ったな。そなた、自身が当代聖女であると覚えておろう」


 息が止まったのは、私だったのかエーレだったのか。

 だが、確かに私達は息が止まるほどの衝撃を受けた。頭が真っ白になった。こんな衝撃、神官長が養子の話をしてくれた時以来だ。皆に忘れられたときは心が追いつかず、ゆっくり、ゆっくりと砕けていったから。

 驚きのあまり、わざわざ過去の傷を抉り返してしまった。それでも衝撃は和らぐことはない。エーレの顔は青褪め、いっそ透明だ。血管すら見えそうなほど白くなっていた。


「聖女の力を奪われて尚、その記憶は揺るいでいない。ならば二人だ。一人ならば偶然でも片がつく。だが、同じ所属に二人でた。共通点を探さない理由はないであろう」


 今度はゆっくりと緩慢に、けれど滑らかさなど欠片もない動きで、再びエーレと顔を見合わせる。大きく見開かれた紫がかった青色の瞳に、呆け面の私が映っていた。きっと私の瞳にもエーレが映っているのだろう。呆け面の私とは違い、愕然としてなお人形のように美しい。

 私が当代聖女であると覚えている人は、もう彼だけしかいないと思っていた。あの日々を知る人は、彼以外の誰もいないのだと。だが、そうだ。私は覚えている。私が、覚えている。私は当代聖女であると、神殿と王城で過ごした日々を、覚えているのだ。

 あの日私は、一人になったと思った。けれど本当は二人で。ずっと、二人ぼっちで。でも、もしかすると、エーレが一人になっていた可能性もあったのだろうか。そのもしもを想像し、ぞっとした。私だけが覚えているもしもより、ずっと。

 呆然と向かい合っている私達に呆れた目を向けた王子は、やれやれと肩を竦めながら立ち上がった。


「そやつが聖女であると覚えているがゆえの弊害だな。とかくアデウスは、あらゆる事象から聖女を省いて考えがちだ。そしてエーレよ、共通点を探すついでにそやつの世話でも焼いてやれ。そやつ、一人にしておくとろくでもない類いだ」

「……そのように手配しております。此度の選定の儀、常と同様にはいかぬと神殿側も把握しておりますので。聖女候補に護衛の神官をつけることが決まっております。そして、サヴァス第二隊長が取り逃がした問題児へつけられる神官は限られます。恐らく、王城から私が呼び戻される形となるでしょう」


 知らない間に、ちゃくちゃくと話し合いが進められていく。エーレはさっさと平常を取り戻していた。でも、そうか。今日振り切らなければずっとサヴァスが私についていたのか。地面に寝そべり、肩車で遊びと、ずっとけらけら笑い転げる関係ではなくなったサヴァスとずっと一緒にいるのは、きっと寂しかっただろう。


「ほお? 王国騎士団を打ちのめしたサヴァスをか? それは見事だ。その様子から見るに運動が得意ではないと思ったが、読み違えたか?」

「ちょっとしたコツがありまして」

「コツ?」

「はい。サヴァスは確かに腕もよく反射に長け体格にも恵まれた人ですが、意識して二つを同時に考えるのが苦手なのです。戦闘中は無意識にこなしていますし、殺気が飛べば反射で反応しますが、平時ですと動きがあるほうへ無意識に意識が移るんです。ですので、石でも投げ、サヴァスの視線を余所へ逸らした隙に隠れてしまえば、わりと簡単に逃亡できます」


 どこかに僅かでも殺気が漂っていればこの状態にはならないので、平時にしか使えない技だ。本人は私のことを「妹みたいなもんだ」と言っては私の頭を撫で回し、ぐしゃぐしゃにしては他の神官に怒られていた。だがその神官達曰く、兄妹の関係というよりは「近所の悪童と野良犬」だそうだ。どっちがどっちでも悲しい二つ名なので、どちらかは改善してほしい。

 そして、私は何か、王子に対して忘れている気がする。一通り用件を話し終わったからか、不意にそんな気持ちが蘇ってきた。何だったか。何か、急ぎで重要な用件を伝えなければならなかったような気がする……も何も、ならなかったのだ!


「王子!」


 思い至った途端、私は弾かれたように王子の胸倉を掴んだ。咄嗟にだろう。王子の手が己の剣にかかり、エーレの手が炎を纏う。いつもなら私の行動で王子の手が剣にかかることはないのだが、記憶のない今は仕様がない。場を混乱させて申し訳なかったが、今はそれどころではない!


「西方向昼寝上位地点が切り落とされますよ!」

「な、に……何ぃ!?」


 今度は王子が私の胸倉を掴む番だった。


「いま西に新しい宮建てているでしょう!? そこからの景観問題で何本か枝を切り落とすのだそうです! その一振りがお昼寝地点です!」

「馬鹿な! あれほどに座りやすく眠りやすい枝振りも、適度な木漏れ日具合も、二度と生まれぬぞ!? あれは自然の奇跡だ! いつだ! いつ切り落とすと言った!?」


 私をがくがく揺さぶる王子を止めようとエーレが手を彷徨わせている。これが暴漢ならば即座に撃退態勢に入っているだろうが、相手は王子で、やらかしたのは私も一緒だ。


「一ヶ月後に切り落とすと聞いたのですが、多少の誤差があるはずです! まだお昼寝地点は無事ですか!? どうですか!?」

「最近行けておらぬわ! ええい貴様、何故早く知らせに来なかった!」

「叩き出されましたからね! 約一ヶ月前に、神殿からも王城からも!」

「黒幕め、よくも当代聖女を失わせたな! 絶対に許さんぞ!」


 エーレの迷いを余所に、私と王子は胸倉をつかみ合ったまま額をぶつけた。


「他に何か忘れておらぬな!?」

「忘れられてはいますね! あなたに!」

「気にするな!」


 流石にする。

 思わず真顔になってしまったが、既に王子はいなかった。凄まじい勢いで枝を救うべく走り去ったのだ。敷いていたマントも忘れている。何もない床にへたりと横たわったマントがどことなく寂しげだ。

 よっこいしょと腰を屈め、広がったマントの真ん中辺りをむんずと掴む。そのまま持ち上げ、さてどうしたものかと考えながら隣に広がっていた上着も拾い上げる。こっちはエーレのだ。マントと上着が、横から伸びてきた上着の主によって回収されていく。引き留める理由もないので、お礼を言って渡す。マントは丁寧に汚れと皺が取られ、きちりと畳まれる。そして、それよりは雑だが私から見れば充分丁寧な過程を得て整えられた上着が、元の位置に戻った。

 上着を羽織り、さらに外套も羽織り直したエーレは、額を押さえて俯いた。頭でも痛いのだろうかと覗き込んだら、眉間にそれは見事な山脈ができている。触らぬが幸いだと判断し、そぉっと去ろうとしたら腕を掴まれた。俯いたまま。


「……どこへ行く」

「お昼を食べに戻ろうかと。エーレも食べてきたほうがいいですよ。聖女候補は基本的にいつでも出してもらえますけど、エーレは食べる暇ありますか? なくても時間を作って食べたほうがいいですよ。食べられるときに食べておかないと、人間いつ食べられなくなるか分かりませんからね」


 状況でも肉体でも、食べられなくなる理由なんてそこら中に転がっている。後で食べればいいやは、今が揺らがないと確信を持てる贅沢者の発言だ。

 じゃあそういうことでと自由な片手を上げたが、自由じゃない片手がびくともしない。こんなところで火事場の馬鹿力を発揮しなくていいと思うのだ。


「言いたいことは、多々、あるが……」

「一文に纏めると?」


 地の底から這い出る亡者の如き低き声に、私の足は勝手に離れていく。しかし掴まれた手がどうしようもない。やけに静かな話し方は、嵐の前の静けさに他ならない。度胸試しじゃあるまいし、この危機感をはらはら楽しむ趣味は私にはなかった。どうにかして距離を取れないものかと考えている間に、臨界点を突破していたらしい。額を押さえていた手が外され、ぐわっと顎が開き、私は逃げ遅れた事実を悟った。


「昼より共通点と種を咲かせる方法を見つけるほうが優先だ!」

「どっちも見つからないまま六時になるのがオチですよ!」


 言うと思いましたよ、贅沢者!

 今から数時間後の未来を憂い、私は絶叫した。


「あと、今日この部屋からの出入りを確認されている可能性があるのはエーレと王子だけですから、誰かに見られていた場合絶対噂されますが元気出してくださいね!」

「何てことをしてくれたんだお前はっ!」

「これに関しては私無罪ではありませんか!?」


 ついでにエーレも絶叫した。王子のマントも持っているのがさらにまずさを際立たせているが、頑張ってほしい。









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