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 一通り話し終えるまで、王子は大人しく聞いていた。立っているのは私を信用していないからだろう。最初は興味深げに、次第につまらなそうになっていたことだけが問題である。


「以上です」

「終わったか? じゃあとっとと戻れ。聞いて損したわ」

「そうでしょうか」


 信じるとは思わなかったので、別に驚きも落胆もしない。彼は面白い物好きで夢見がちでいつだって退屈した、かなり根深い現実主義者である。


「そなたは既に十三代聖女に就任しており、余を含めた国中の人間がそれを忘れたなど荒唐無稽な話を、なんと大変だと聞ける人間がいるならば目通り願いたいな。それならば、そなたに手を貸すも吝かではないぞ」

「では、お目にかけましょう」

「は?」


 もう完全に興味を失い、空の雲を眺め始めた王子の意識と瞳が、再び私を向いた。私は痺れた足を解き、足先をぐるぐる回しながら王子を見る。


「そなた、不敬が過ぎない?」

「痺れたのですよ。話し終えるまで屋根の上で正座していた私を褒めて頂けると幸いです。話を戻しますが、今から私が言う神官を呼んで頂けますか? 彼は、私が語った日々を覚えている唯一の人間です」


 そして、私の唯一の懐刀だ。



 王子は興味を持ちきれない様子で、話半分に私の言葉を聞いていた。私をおかしな人間とし、話をまともに聞く価値なしと判定するのは別に構わない。だが、この名を聞いてそう言っていられるだろうか。

 生まれ、神力、持ち得る全ての力を私利私欲には使わぬ、王城において絶対的に揺るがぬ神殿の猛犬として名を馳せるくそ真面目な氷の神官。

 私は、懐刀の威を借り、不敵に笑った。


「エーレ・リシュタークを、この場に呼んで頂きたい」


 王子は、欠伸をしようと開けた口から盛大な息を吹き出した。







 

「ルウィード殿下、エーレ・リシュタークにございます。お呼びと伺い参上致しました」

「おお、待っていたぞ。入れ」


 入出の許可と共にエーレが入った部屋は、私と王子がいた屋根に張り出している部屋の片方である。元々は何かに使われていた部屋が物置となり、物置にも勝手が悪いからと物も置かれなくなり、そうして使われなくなっていった部屋だ。今ではどこかの部屋を開けなくてはならなくなった際、臨時でその部屋の代わりを果たす空き部屋となっている。

 しかし不思議と結構な頻度で掃除が入り綺麗に保たれているのは、逢い引きでよく使われているからだ。勝手に掃除してくれるので、逢い引きは見て見ぬ振りをされているのが現状である。

 そんな場所に呼び出されたエーレは、神より浅い礼を王子へ向けた。王城で過ごす時間が多い神官の礼服は、政務官より装飾品が多く、裾が長い。動きより威厳を重視した意匠は、感情を覗かせない姿を保つことでより強大に見える。

 華奢で非力なエーレでも、なんだか強く見える。対する王子は動きやすいように簡素な格好だ。しかしこの王子、神力が高くない代わりに身体能力が獣である。普通に強い。あと、服装は簡素でも存在は極上の傲慢だ。だって王子だ。


「急な召喚で悪いな。許せ」

「とんでもないことにございます。ご用件を伺っても宜しいでしょうか」

「そなたはいつでも堅苦しいな。ここには他の目はない上に長い付き合いだ。もう少し気を解いてもよかろうに」


 呆れた風に、いつも通りに。笑った王子はそれ以上動きも言葉もないエーレを見て、さっさと話を進める方向に決めたらしい。


「他の目はないと言っても、実は一人いるんだがな。そやつがそなたを呼べと申すのだ。そなたがそやつを知り合いと認めるならば、余はそやつの言を信じねばならぬ上に、手を貸すと言ってしまったわ。おい、でてまいれ」

「はいはいはーい! おはようございます、エーレ! もうお昼ですけど!」


 覗いていた窓の外から、挙手をしながら顔を出す。エーレからも王子からも、反応がない。よいしょと窓枠をよじ登り、部屋の中に入り込む。それでもエーレから反応がない。


「どうだ、エーレ。こやつはそなたの知り合いか?」

「……エーレ?」


 目の前まで歩いていったのに、エーレは反応を示さない。さぁっと失せていく血の気の音を、確かに聞いた。身体の奥に氷が生まれる。そこから溢れ出した冷気が、あっという間に身体と思考の熱を奪っていく。

 喜怒哀楽をほとんど浮かべない、王城の神官が、そこにいた


「嘘でしょあなた! 忘れないための対策してるって言ったじゃないですか!」

「どうしてたった半日で傷を大幅に増やすんだお前は!」

「いひゃいいひゃいいひゃいいひゃいいひゃい」


 わけではなかった。

 突如跳ね上がったエーレの左手が私の頬を抓り上げる。何故彼の利き手である右側は無事だったのだろうと思ったら、そういえばそっちは弾けた枝が直撃していたのだった。痣になったか切れたか、まあどっちでもいいや。身体のほうがもっと酷いし、どれもそんなに痛くない。


「怪我をするなと俺は言ったな? 言ったな? 言ったな? その相手が、犬に与えられたシーツの如き傷み方をしていたら、動きの一つや二つ止まるだろう!」

「ふひゃひょーりょふへふ」

「不可抗力というのは努力をした末の言葉で、最初から努力を放棄した事柄には使用できない」


 少し緩まった指から頬を回収すれば、ようやっとまともに喋れた。


「警備態勢も変わっていますし、何より使っている筋肉が違うのか、この一ヶ月で随分身体が鈍ったんです。見つからないよう来るためには、怪我への配慮に回す余裕がありませんでした」


 十三歳の子ども一人を立ち上がらせるのもギリギリだという割に、私へ下される鉄槌が猛烈に痛いのは何故?


「エーレ・リシュターク……」


 呆然とした声に振り向けば、王子が真っ青な顔で壁に背を預けていた。そして、ぶるぶる震える手で己の顔面を押さえる。


「そなた正気か!?」


 まあ、そうなるだろう。信じ難いものを見る目で、まさしく信じ難いのだろうが、自分を見る王子をちらりと見たエーレは改めて私を向き直った。

 そして、神より浅く、王より深く、頭を下げた。


「この方こそが当代聖女である第十三代聖女であり、我が聖女マリヴェルにございます」


 神官がこの礼を取るのは、聖女にだけだ。まかり間違っても聖女候補になど行わない。当たり前だ。アデウスの国民でありながら王にさえ下げぬ角度を神官が持つのは、彼らの主が聖女であり神だからだ。

 今更だが、王子に向き合い直す前に軽く身なりを整える。スカートの中から虫が出てきた。無言で払っておく。そして、にっと笑う。


「王子、御身が当代聖女と交わした誓約、よもや違えるなどと仰るまいな?」


 こんな気持ちでいれば、あえて表情を作らずとも笑みは勝手に不敵となる。そんな私の前で王子は、今世紀一楽しみにしていた本の発売日が決まった読書家の顔をしていた。


「うむ! 最近暇をしていてな!」


 わくわくしすぎである。








 物置にもなれなかった空き部屋で、アデウス国王城一の問題児第一王子、アデウス国神殿一の秘蔵っこ神官、アデウス国神殿一の問題児聖女(認知消失)が、床に座って話し合う。何せこの部屋、椅子すらないのだ。いや、若干二名は床に寝そべっているので座ってすらいない。三名中二名が寝そべったことにより、座っているエーレが少数派となった。

 誰が見ても卒倒する光景だ。もしもここに誰かが来たら、まず私が叩き出されるか牢獄に叩き込まれるか命が叩き潰されるだろう。世は無常である。



「信じられん話をしているのに、嘘を言っているとは思えん所が面白くて笑えるな」

「そもそも王子に嘘は通用しないではありませんか」


 王子は野生の勘に優れている。あまり多くない神力がそちら方面に割かれている可能性が高い。神力は純度が高いだけでも、量が多いだけでも駄目なのだ。発揮できる方向性を見つけねば意味がない。

 神力が向かう方向は観測できないので、結局は現れた能力で判断するしかないのだ。ココも、今でこそエーレと同じ一級神官の位を持っているが、神具に興味を持つまでは五級神官に留まっていた。今では神具開発の才を遺憾なく発揮し、あっという間に一級神官だ。

 そんな中、王子は己の能力を秘匿している。嘘を判別できる力など知られぬに限るからだ。知られてしまえば警戒心を強めるだけであり、厄介者として、王子としてだけではない理由で命を狙われる。

 王子はひょいっと片眉を上げた。


「当人が嘘と思っておらねば、事実として判定してしまうがな」


 自らの頭を指さしにぃっと笑ったが、その目は笑っていない。


「何にせよ、それは余にとって虎の子であり、重要機密であり秘密だ。さてそなた、どこで知った?」

「王子がご自身で仰ったのですよ。『実は余な、嘘が分かるのだ。これが便利でならん! 疑心暗鬼はいつの時代も為政者に付きまとっておったが、余はその心配がいらんので楽でなぁ。だが、基本的に全員嘘をついておるのであんまり役に立っておらん!』と」

「うむ! 余が言いそうであるな! 秘密を知った人間は生かしておけんと思ったが、余がばらしたのであればやむなし!」

「自分でばらしておいて理不尽この上なし! あと、エーレは除外してくださいね。ばらしたのは私とあなたですし」


 気配を消したまま、静かに座っているエーレに視線が集中する。エーレは微動だにせず、唇だけを器用に動かした。


「わたしは壁ですのでお気になさらず」

「いや壁だったら困りますよ。事情の説明、私だけでしていいんですか?」

「俺が受け持つ」

「神官からの信頼がぶ厚い」


 おもに、ろくでもない方向への信頼が。


「安心しろ、エーレ。そなたを殺しはせぬさ。そなたは余が真っ当と認識する数少ない人間ゆえにな」

「有り難きお言葉、感謝致します」


 不正や自己保身による無意味な罪を犯さぬ人間を、王子は殊の外好む。ようは、倫理と道徳を兼ね備えた真っ当な人間が好きなのだ。これが存外見つけづらいので尚更である。

 自己の恥を隠そうと吐いた小さな嘘。そんな罪を負わぬ人間はいないだろう。エーレはそこで恥を恥とできる。しかし神殿のためならば大嘘をしれっと吐ける。嘘を罪と認識した上で嘘を吐ける人間を、王子はかなり好むのだ。

 ちなみに私はその枠組みに入っていない。私達は似たもの同士として屯していただけである。




 そうしてエーレの補足という名の本体を、王子はマントをシーツ代わりにし、自分の腕を枕にして聞いた。サボり場所で考え事をする際、よくしている格好だ。

 私達しかいないとはいえ、大丈夫なのだろうか。同じ格好で寝転がっている私は聖女の認知が消失しているからいいけども。ちなみに私の下に敷かれているのはエーレの外套だ。そのまま寝そべったら、頭引っぱたかれた後、敷いてくれた。断ったら二発目が来たので渋々礼を言って借りた。おかげで、引っぱたかれて礼を言う変な人になった。


「にわかには信じ難いが、大体の事情は把握したぞ。それに信じ難くとも信じられる要素を、余も持っておることだしな」

「そうなんですか!?」


 びっくりして跳ね起きてしまった。エーレが無言で上着を脱ぎ、私の下半身にかけた。私が動く度、エーレが薄着になっていく。膝も見えていないはずですが、ひとまずお手数をおかけして申し訳ありません。勢いをつけて跳ね起きる際は気をつけるよう、足には言っておきます。


「さっすが王子! 催眠系の術を軒並み跳ね飛ばす鈍感系神力の持ち主!」


 催眠で一夜の情けとついでに子どもと婚約者の地位をもぎ取ろうとした欲張り3セットご令嬢の術に対し、鼻が痒いからそなたの背で余を隠せと私にひそひそ言ってきただけある。

 何故、毎度毎度私を修羅場に巻き込む? 

 私の後ろで鼻をほじってないで、柱の陰にでも行ってほしい。術に気づかないのは仕様がないが、令嬢の矛先が私に向くのは全く仕様がなくないのである。


 あの後、令嬢がけしかけてきた男達が私の昼寝場所に忍び込んできて、神官総出の大掃除になったのはご存じでしょうか。おかげでしばらくの間、神官長と一緒に眠れて嬉しかった十歳の日々でした。どうもありがとうございました。

 それにしてもあのご令嬢はおませがすぎるし催眠の能力高すぎるし、王城は修羅の世界すぎるし、私は本当に何も関係なさすぎるし、どうすればよかったのだろう。



 そんな私の気持ちは余所に、王子は一人背筋を伸ばし、足を畳んで座っているエーレを見上げた。王子を見下ろす不敬ではあるが、王子が寝転がっているので仕様がない。王子は私をちょっと指さした。


「なあ、エーレよ。余これ、不敬適応してよくない?」

「よろしいかと。ですが、罰をお与えになろうと為さった場合は、わたしが持ち得る全てを懸けて抗いましょう」

「お、色恋沙汰か?」

「聖女の敵は排除するが神官の務めですので」

「何だ、つまらん。それに、そなたと殺し合いは最後の手段としたいものだ。王城が溶けるからな。修繕費も馬鹿にならん」


 王子は一度欠伸をした。いつもこの時間はお昼寝中ですものね。


「王子とエーレの仲がよくて意外でした」

「よくはないぞ? 余は面白い奴だと思っておるので声をかけるのだが、全く以て堅苦しい態度を崩さんのだ。余が一方的に気に入っておるのが現状だな。未だ遊戯一つ付き合わんのだ。だがこやつは、表情筋を動かしたのはこの世に生まれ落ちた瞬間だけだとまことしやかに囁かれ、頑固冷徹生真面目冷酷の極みと噂されと、中々面白くてな。噂がどこまで膨れ上がるか、聞いていて飽きん」

「エーレあなたお友だちいます? 大丈夫ですか?」

「余計な世話だ」


 思わず心配したら、心底鬱陶しそうに返された。そして噂作成者に言いたいが、この人めちゃくちゃ怒りますよ。冷徹な人間は、脳天かちわり拳など生み出すまい。

 散々言われているらしい噂の言葉を淀みなく言い切った王子は、今度はからから笑い始める。


「それがなぁ、そなた相手には開口一番怒鳴るものだから面白くてな! そなたどんな手を使ったのだ?」

「えー……何でしょう。長い付き合いではありますが、私的な用件で話しかけられたことは皆無ですし、手を使われているのはおもに私かと」

「お前に話しかける用事がない上に、口で言っても全く聞かないだろう」

「手で言っても聞いた覚えはありませんが!」

「聞け!」

「いったぁ!」


 脳天かち割り拳が目にもとまらぬ早さで落ちてきて星が散った。夜でもないのに星を散らすのはよしてほしい。散らされるような真似をしでかす私はもっとよしてほしい。

 両手で脳天を押さえ、悶え苦しむ。そんな私を見て、王子は寂しげな顔で溜息を吐いた。


「余を置き去りに楽しそうなことだ」

「巻き込まれないよう自分から見送ったじゃないですか……」

「お、分かったか?」


 分からいでか。

 意図的に自分をのけ者にされても全く気にせずぐいぐい進む人間が、口を挟まず態度にも表さず静かにしているのだ。彼自身の意思でなくて何だというのか。頭を押さえて悶える私をおかしそうに見ながら、王子はひょいっと起き上がる。そして、興味深げにまじまじと覗き込んだ。


「余とも付き合いが長いと申したが、まあ、それなりに納得がいく」

「そうですか?」


 今までの会話で彼に気に入られる要素は、エーレが私に繰り出した脳天かち割り拳しかなかった気がする。首を傾げた私を見下ろしていた王子は、ふんっと鼻を鳴らした。


「ここのところ、手狭だったはずの自由時間がやけに広くてな」


 どういう意味だと問い返す前に、王子はその話題を終わらせていた。ぱんっと膝を叩き、にっと笑う。メイド服を着て外に抜け出す計画を立てたときもこんな顔をしていたなぁと、懐かしく思う。やるからには楽しむ気満々だ。


「さて、作戦会議だ!」


 生き生きと宣言した王子に合わせ、私ものっそり起き上がる。そして心の中でそっと告げた。

 王子、エーレはとっくに作戦会議始まったつもりだったみたいなので、いまその宣言を聞いて死んだ目をしていますよ、と。








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