24聖
正午を待たず石が割れたことで、神殿側は慌ただしくなってしまった。本来開始時と終了時しか現れないはずの神官長まで出てくる始末だ。だが、割れてしまったものは仕様がない。それも神の裁量だと受け入れるしかないのだ。こと聖女に関しては、神の采配に委ねるより他ないのである。
種を手にした聖女候補達は、お茶会の余韻もなんのその、思い思いの場所へ散っていった。一人につき一人の神兵を伴って。
みんなどこに埋めるのだろう。定石は土だ。しかし土といっても色々ある。畑の土、道端の土、湖の底を作っている土。泥だって土だ。水で育つ植物だってある。しかしこの種、神力でだって咲くし、たぶんその人がこの試練を通過できるのなら光合成でも咲くんじゃなかろうか。
種を指で挟み、天に透かす。それは美しい花が咲くのだ。宝石のような花弁を持つ、まるで命を咲かせたかのような美しい花が。
「咲くのでしょうかねぇ」
もう咲いたんだよなぁ。
うーんと唸りながら、ポケットに種をしまい直す。無造作に突っ込んだからか、隣を歩いていた神兵が苦い顔をしたのが見えた。
「もうちっと大事に扱えよ。それ、神官が七日七晩不寝にこしらえた種なんだから」
両手で後頭部を押さえたまま見下ろしてくるのは、今回の試練で聖女候補につけられた神兵だ。種を植える方法を探し、あちこち動き回るので当然の処置である。
神兵とは、その名の通り戦闘能力に長けた面子で構成された神官だ。その中で、彼を私につけた采配は見事だ。私が神殿側から物凄く危険視されていることがよく分かる。この見事な采配っぷり、さては神官長だな! 流石神官長!
私がエーレを肩車すればようやく同等の高さになれるであろう体格に恵まれた神兵の名は、サヴァス・ドレン。鮮血のサヴァスの二つ名を持つ、神兵隊二番隊隊長である。
今年二十四歳。正確にいえば、二ヶ月前に二十四歳になった。誕生日のお祝いを聞かれ、熊肉を所望し、皆と料理長の頭を抱えさせた強者である。神官を総動員した熊狩りが決行され、何故か天幕で待っていた私の元に追われていた個体とは違う熊が飛び込んでくる大騒ぎとなった。
言いつけを守って大人しくしていたのが敗因だった。次からは皆と並んで山に突撃するつもりである。
負傷者? 熊が倒された後、よじ登っていた天幕から下りようと落下した私の顔面だけです。そしてそれを王城の朝議でネタにされたエーレ含む王城の神官達には大変申し訳なかったと思っている。
「大事にしているつもりですが、もっと大事にすれば咲きますかね」
「さぁてな。俺は難しいことは分からねぇが、あんたが聖女候補ねぇ。神様の趣味は分かんねぇもんだ」
「同感ですが、この試練も私は通過が確定しておりますのでどうぞ諦めてください!」
咲かせる方法? 知らない。
サヴァスは素直にうへぇと顔を歪めた。分かりやすいのは彼の美点であり欠点だと、神官長が頭を抱えていたのでどうにかしたほうがいいとは思う。
どうにかしたほうがいいことはあちこちに転がっているけれど、私が今すぐどうにかしなければならないのは、中庭を無意味にうろついている現状である。
神殿と王城の狭間にあるこの建物は、狭間の間と呼ばれている。そのまんまである。その狭間の間にある中庭は、狭間の庭。そのまんまである。お役所やお堅い神殿に奇抜で感性高い名付けなど期待しないでもらいたい。
名付けの感性はいまいちでも、国の顔である建物の一部。歴史ある建造物の一角を構成する庭は、今日も美しく保たれている。他国の賓客を出迎える場所でもあるので、手を抜くわけにはいかない。広さに限界があるので広大な湖などは作れないが、澄んだ池も色とりどりの花も、生命力溢れる様々な色をした緑も、大抵揃っている。霊峰から流れ出る川も通っているので、涼しく澄んだ水の香りが満ちていた。
そんな庭に、今日はいつもと違う装飾品が加わっていた。あっちの花壇の前に、そっちの植木の下に、向こうの木の下に、神兵をつれた色とりどりの聖女候補が揺れている。鉢をもらいにいった聖女候補もいれば、池を覗き込む聖女候補もいるし、家から必要な道具一式を持ち込んだ聖女候補もいる。
現在聖女候補の立ち入りが許されている範囲で、もっとも土がある場所がここだ。だから、結構な数の聖女候補が庭に集まっていた。
皆、思い思いの方法で種を咲かせようと頑張っている。どんな手を考えても、咲かない人は咲かないし、咲く人は咲く。それでも頑張っていれば神様の気が向くかもしれないし、向かないかもしれない。神様を経由すると、強固な誓約でもない限り、大抵不確かで不安定だ。絶対の象徴が神様なのに、なんともままならないものである。
「あんたは何もしねぇのか? 俺は楽だからいいけどよ」
「あー、そうですね。しませんしません。部屋に戻って、のんびりしてます。何故なら私は当代聖女! 何もしなくても咲きますから!」
えへんと胸を張って答えれば、またしてもうへぇと顔を歪められた。一緒に神殿の庭を這いずり回った相手にそんな顔をされると少々傷つくが、今はどんどん嫌がってもらったほうがいい。何せ私はできるだけ早く王城へ行かなければならないのだ。今日は、不測の事態が起きない限り王子のサボり日なのである。
せっかく、予定外の事態とはいえ正午より早く外に出られたのだ。これを利用しない手はない。サボり場所はその日の気分で循環しているが、今日の天気は晴れ、風は肌寒いまではいかないが心地よい涼しさ。となると、寝転がっても眩しくない場所で風の通り道。大体絞れる。
このひと月で、私と王子のサボり拠点が悉く潰されるか、王子の好みが劇的に変化してない限り。
「おい、本当に何もしねぇのか?」
「はい! 部屋で時間までお昼寝してますので、もうお帰り頂いて結構ですよ!」
「そうはいくか。俺は仕事だ」
まあそうはいかないだろうから、部屋の前で待っているのだろう。仕事は大変だ。だったら窓から抜けだそうと算段をつける。
「部屋の中で待たせてもらうっておい待てこらぁ!」
部屋の中で待たれる事実を理解した瞬間、私は全速力で駆け出していた。そんなことをされたら抜け出せなくなる。
私は王子を味方につけなければならないのだ。いくらエーレでも王城すべてを把握などできない。また、神官に把握されては王城の立場がない。だからこそ、何が何でも王子に話を通さなければならないのだ。そしてそれは極秘に限る。
突然命を懸けているほどの勢いで走り出した私と、突然吠えるように怒鳴って追いかけ始めたサヴァスに、庭にいた人間すべての視線が集まる。
「隊長!?」
「くっそ! こいつ本当に問題児だぞ!」
驚いた神兵に、サヴァスはがなるように怒鳴った。普段から林檎を素手で握り潰すわ、加減無しに踏み込んだ床はへこますわと、怪力話には事欠かないサヴァスが怒鳴ると空気がビリビリ振動する。隣に立たずとも腹の底が揺さぶられるほどだ。
「聖女候補が神殿で問題起こすなんざ、聞いたことねぇぞ!」
「初体験おめでとうございまーす!」
「あ、てめぇ!」
焦った声が聞こえたが、もう遅い。拾っておいた石を左方向へ向け投擲し、満面の笑みで丁寧に刈り込まれた植木に滑り込んだ私は、即座に這いつくばって場所を変えていく。この植木、所々隙間が空いているのだ。賓客からは勿論、普段出入りしている人間ですら気づかないよう工夫されているが。こういう箇所に作業道具を置いて、見苦しくない程度に作業しやすくしているのだ。当然作業が終われば道具は片付けられるので、その隙間は隠れ放題だ。
「てめぇ、どこ行きやがった!」
思っていたより声が近くて、這いずる速度を速める。深い植木はいくらサヴァスでも飛び越えられまいと思っていたら、普通に飛び越えたようだ。サヴァス今だけ転職しない? 鹿とか。
目の前をサヴァスの足が通り過ぎていってひやりとする。サヴァスがこっちを見ていない隙に、隣の植木の下に移動し、その下に沿って進んでいく。すぐに辿り着いたのは、建物の外壁だ。
何の変哲もない外壁の足元部分に手を這わせ、音を立てないよう一部を外す。すると小さな隙間ができるのだ。頭さえ入れば後は何とでもなる。よいしょと身体をねじ込み、狭い空間で身体を回す。入れはするが、人が一人入れるかどうかの隙間しかない。移動距離も、正門から見て建物の右手側から裏側へ回れるだけだ。
当たり前だ。ひょいひょい奥まで移動できては、神殿と王城の防犯意識に問題がある。それでも、外を移動するより人目につかないのは確かだ。
「何で俺よりここに詳しいんだよ!」
遠吠えのようなサヴァスの声を聞きながら、入ってきた隙間から手を伸ばして石をはめ直す。内からだと綺麗に嵌めきれないが、まあ大丈夫だろう。
サヴァスの問いには、神官長の言いつけをきっちり守って私を逃がさないようにするあなたとの攻防戦に勝利しようと、私も腕を磨いたからですと答えよう。心の中でそっと答えた私は、いそいそと庭を離れた。
そこからは簡単だ。壁をよじ登り、天井に潜り込み、壁を滑り落ち、床を這いずり。屋根を飛び、落ち、地面を這いずり、窓枠をよじ登り、屋根を這い、滑り落ち。見つかりかけて溝に落ち、隠れようと木から落ち、距離を取ろうと階段から落ち。
華麗なる紆余曲折の末、私は懐かしの王城に立っていた。
眼前に広がる王都は、霊峰より溢れ出した冷気を纏う風と川と滝がもたらす水飛沫で、少し白っぽく見える。レース越しに見る世界のようで、驚くほど尊く見えると評判だ。あと涼しい。
「どうもルウィード第一王子、ご機嫌麗しゅう」
寝転がっていた王子を枕元から覗き込む。瞳が見開かれるのと跳ね起きた身体が剣に手をやったのは同時だった。警戒心が膨れ上げるより早く殺気を募らせた王子の反射は、おそらく獣に近い。
斬られても困るので、両手を顔の横に上げたまま三歩下がる。王子も飛び退いたので、私達の間には五歩分の距離ができた。これ以上は距離が取れない。何故なら、それしか足場がないからだ。
ここは、増築された建物の張り出し部分が重なった一角だ。張り出し部分とその下にある屋根との間にできた隙間。ここは日が直接当たらず、壁は左右にしかないので風通しがいい。同じ高さに建物もないので誰にも見つからず、王都を見晴らせる。つまりは、昼寝に丁度いいのである。
私の目の前にいるのは、改めて警戒心を膨れ上げさせていくアデウス国の第一王子、十九歳。誕生日に盛大な催しが開かれるのは当然だが、自分だけがその被害に遭うのは腹立たしいと、その悉くに私を帯同した人。
……何故私を巻き込んだ?
腹立たしいも何も、自分の誕生日である。
私の十六歳(推定)の誕生日(指定)には、同じように巻き込んでやろうと画策していたのに、その年まで生きていられるかどうかも分からなくなってしまった。
王子は、下手に巻き込めば死なせてしまうかもしれない不安を推してでも味方に巻き込みたい人材だ。そして、黒幕ではないと確信している人でもある。王子が私に攻撃を仕掛ける理由は全くないのだ。大体、悪友と言って憚らない相手を殺しにかかってきたら、この人の休憩時間とサボり時間の遊び相手がいなくなる。そして、婚約者回避同盟も崩壊である。
「……そなた、どうした?」
「え?」
剣に手をやったままではあるが、怪訝な顔をされた。私がここにいる事実ではなく、私の状態を疑問に思ったらしい問いに首を傾げる。鞘を握っているほうの手が私を指さす。その視線辿って自分の状態を見下ろし、納得した。
泥に蜘蛛の巣にあちこち引っかけたほつれにと、まるで戦場を駆け抜けてきた戦士のような有様だ。枝に引っかけてあちこち傷を作ったが、血は止まっているのでよしとしよう。
諸々の隠密過程、ちょっと鈍った身体では追っつかなかった。それと、選定の儀の影響か兵の配置や人々の動きが普段とだいぶ勝手が違ったのである。
「まあお気になさらず。それより私、不躾ながら王子にお話がございまして。こうして会いに来てしまいました。どうぞお許しを」
「嫌だが?」
分かる。私もそう答える。だが、それでは困るのだ。
「そなた、聖女候補だな?」
「覚えていてくださいましたか」
「あの状況下であの宣言は、そうそう忘れられまい」
警戒は解かないまでもひょいっと肩を竦めた王子は、ひらひらと手を振った。あっち行けの合図である。
「どうやってここまで来たかは知らんが、今ならまだ見逃してやろう。余も今は神殿と事を荒立てたくはない。今すぐ帰り、二度と来るな。それで許してやろう。さあ、さっさと行け」
取り付く島もないが、譲歩されたほうだろう。たとえ黙って返してくれた後、しばらくの間こっそり王子付きの監視が入っても、かなり譲歩されている。だがそれでは駄目なのだ。
「そうは参りません。お話があると申し上げました。そしてこれは、聞かねば国が揺るぎましょう。ですので、私も無理を押して参りました」
つまらなさそうな態度を浮かべていた王子の目に、くるりと光が躍った。
「ほぉ? 国が揺るぐとな? 随分大きく出たではないか」
「実は、だいぶ控えめに申し上げました。正確に申し上げれば、もう揺らいでおります」
正直に告げれば、王子は声を上げて笑い出した。大きく出すぎだ。人が来る。
「王子、王子しー! この上の二部屋、滅多に使われていないとはいえ、たまに逢瀬場所に使う人がいるんですから!」
「詳しいな、そなた」
「その理由も今からお話ししますから、とりあえず声を抑えて!」
声を下げろと両手をぱたぱたさせて要求すれば、王子はようやく笑いを収めてくれた。私はとりあえず、勢いで手を下げたついでに座ってしまう。私はあなたに敵意を持たないとの表明でもある。足を折畳み、すぐに飛びかかれない体勢を取れば、王子は少し警戒を解いた。
「よし、そなたの話とやらを申してみよ。余が聞いてやろうではないか!」
「だから王子、声が大きい」
「そなたは態度が大きいな。まあよい、そら申せ」
「王子はもっと大きいですけどね」
「何せ王子だからな」
それはそうだ。彼は大きな態度を取っていいし、取らなければならない立場だ。それを時々面倒だとぼやいているのも知っているが、告げる必要はない。
「ああ、言っておくが」
「王子に催眠などの術は効かないですよね。存じ上げております」
王子は神力自体は高くない。だが、神力に対する耐性が高い。アデウスの王族はそういう体質の人間が多い。それでも現在かかっているのだから、この国を覆った術は恐ろしいのだ。とんでもないのは規模だけではなく、精度も純度も桁違いである。そうでなければ、歴代一の結界能力を持った神官長が私を忘れるわけがないのだ。
言葉を遮る不敬を侵して答えた私を、王子は咎めることなく驚愕に開きかけた瞳をわずかに歪めた。
「面白い。そなたの話、さらに興味が湧いたぞ。そら、早く申してみよ」
「私は勿体ぶってないんですけども。とりあえず、口を挟まず最後まで聞いてくださいね。質問は最後に纏めてお願いします」
「そなた本当に不敬よな。だがまあよい。許す。そら、さっさと始めろ」
今更ですよ、ルウィ。