22聖
「噂では存じておりましたけれど、本当にこんな美しい石が花を芽吹かせるのでしょうか」
「どんな土でもいいとは本当なのでしょうか。やはり、栄養のある土が宜しいのでは?」
貴族のご令嬢方は、悩ましげに頬に手を当てた。
「凄いわねぇ。こんな綺麗な石、初めて見たよ」
「ほんとほんと。夫の給料何年分かしら」
恐らく庶民のご婦人方は、破片でいいから持ち帰れないか検討している。そして、どこに植えればいいか、日当たりのいい場所はどこだろうと話し合っていた。
誰もが隣に座っている人と二人で話している。場所によっては四人で話しているが、覚えているだろうか。第三の試練に残っている聖女候補、その数二十九名。偶数で集まると、一人余る。
堂々と余っている私は、冷たい机に頬を引っつけたまま、目の前に転がっている種を恨めしげに睨んでいた。指でつっついても、ごろんと転がるだけで反応はない。
「さっき神官様に聞いたんだけど、夕方の鐘が鳴る直前に植えても、鐘が鳴ると同時に芽吹いて咲くんだって!」
「え!? 凄い! やっぱり不思議な種なのね!」
楽しげに話している若い二人は、嬉しそうに種を眺めている。
咲くよ。どこに植えても何に植えても咲くし、何なら神力を注いだだけで咲く人は咲く。神がこの人を通すと決めたなら、多分クッキー屑に埋めても咲く。だからある意味とても簡単な試練なのだ。
問題は、一生に一度しか咲かせられないところにある。
十二の試練すべてを通過し聖女となった私は、当然この試練も通過しているのだ。
つまり、一生に一度はもう、咲かせた後である。
宝石のようにしか見えないこの石は、正午の鐘と同時に、親指の爪ほどの大きさとなる。形状も今のような石ではなく、丸みを帯びた植物の種となるのだ。
原理? 知らない。
どうしたものか。机で頬を潰したまま、視線を回す。壁際に立っていた神官の数は、神官長の退出と共に数を減らしている。エーレも既にいない。ココもだ。エーレは基本的に王城が仕事場であるし、ココも神殿随一の聖水の作り手である。色々やることがあるだろう。神力を使ったものも含め、物作りが好きで得意なココは、いつだって引っ張りだこだ。
当代聖女も引っ張りだこだった。おもに頬が。何故みんな、私の頬を引っ張るのか。
悩んでいても仕方がない。いまは聖女候補全員が一つの部屋に集まっている上に、自由に会話できるのだ。この機を逃すのは勿体ない。
身体を起こし、片手を上げる。わざと音を立てて椅子を引いたので、立ち上がらなくても部屋中の視線を集められた。
「神官さん、すみません。お茶を頂けませんか? できればお菓子などもあれば嬉しいんですが。私、寝坊して朝食抜きなんですよ」
今から昼の時間まで、お茶一つ与えられず放置されるはずもない。だが、予定があろうがなかろうが、まだ用意されていない現状では言った者勝ちである。
「よければ皆様も一緒に如何です? 机だって引っつけてしまえば皆で座れますし。ね?」
視線は全員を撫でた後、四人で固まっている貴族他薦枠に固定した。私の視線を辿り、他の視線もそこに集まる。
四人の中心となっているのは、フェニラ・マレイン伯のご令嬢、ベルナディア・マレイン。年は十八歳。エーレからもらった紙に書かれてあったとおりの外見だ。
薄い金色の髪がよく似合う、儚い顔つきの美しい娘だ。
成程なと思う。先代聖女も儚げな雰囲気の美しい女性だった。先代聖女派がベルナディアを打ち出してきた理由がよく分かる。先代聖女派はとにかく先代聖女の模倣に心血注いでいるのだから、外見が似ているベルナディアが選ばれた。納得だ。
だが、エーレからもらった紙が読み終わった途端燃えだしたのは全く納得できない。証拠を残さないよう術をかけたのは分かるが、せめてその術の存在を知らせておいてほしかった。そして一度読んだら覚える自分の頭と他人を一緒にしないでほしい。五回読んでも最初の三行くらいが精一杯な当代聖女の頭を考慮するべきだ。その三行も、紙が燃えた驚きで散った。
ベルナディアと一緒にいた他の三人は、控えめにベルナディアへ視線を向けている。誰も口を開かない様子を見るに、決定権はベルナディアが持っているらしい。そう見たから、私もベルナディアへ視線を固定したのだ。
部屋中の視線を受けたベルナディアは、自分に集まった視線をゆっくりと見つめ返した。部屋を一周し、また私へ視線を戻す。そして、はんなりと微笑みながら両手をふわりと合わせた。
「まあ、素敵」
鈴が転がるような声で、嬉しそうに微笑む。
「わたくし、皆様ともっとたくさんお話ししてみたいと思っていたの。だって、こんな機会滅多にないでしょう? 素敵、素敵だわ」
そうして、とろけるような髪を肩に滑り落としながら立ち上がる。
「おまえ、そう、おまえ。ごめんなさい、名前が分からないの。でもおまえ、とてもいいことを言ったわ。素敵だわ。褒めてあげましょう。さあ、おいでなさい。ご褒美をあげましょうね。何が欲しい? 何でもいいわ。何でもあげる。さあ、欲しいものを言って?」
踊るように歩み寄るベルナディアを、周りの三人組が慌てて制止した。
当たり前だ。私は当代聖女宣言した上に、傀儡術によって操られた哀れな死体を椅子で殴り飛ばす女である。迂闊に近づくと大事なご主人が火傷じゃ済まない怪我を負うぞー。
どう見ても同等な立場ではなく、三人が仕えていると一目で分かる。先代聖女派の家名すべてを覚えていないので確信を持てなかったが、この四人組は先代聖女派と見るべきだろう。
「ベルナディア様、あなたはこのような下賤な者とはお立場が違われます」
「こ、このような場でなければ、同じ部屋にいる事すら許されぬのです!」
「お前、身分を弁えなさい。何を勘違いしているかは知りませんが、お前とこの方は、身分が違うのです」
ベルナディアに仕る立場の娘を三人も通過させているのは流石といえる。聖女の素質がある人間をこの短期間でこれだけ集めてきたのか。それとも、最初から用意していたのか。何にせよ、これからも残れるかは神のみぞ知る。
こほんと咳払いし、大仰な動作で胸に手を置き、身体を捻ってみせる。気分は舞台女優だ。
「まあまあ、そんな堅苦しいこと仰らず。聖女は神が定めるもの。ゆえに人間として優れている必要は全くありませんが、やはり人々は聖女に幻想を抱くものです。あまりつれないことを仰ると、人々の支持が遠のき、ひいては神もお考えを改めてしまわれるやもしれませんよ」
「お前っ!」
かっと顔を赤くした橙色の髪をした女を、濃い金髪の女が宥めている。茶髪の女はおろおろとベルナディアと他二人を見ていた。ベルナディアは、きょとんと首を傾げる。
「お茶、飲まないの?」
「飲みますよー。そうでなければ、私正午まで何も食べられないことになっちゃいますし。皆様も、それで宜しいですか?」
くるりと他の聖女候補を振り向けば、意外にも頷きだけでなく声に出しての賛同が上がった。おもに平民が力強く賛同してくれた。どうやら、三人組の言葉がかんに障ったようだ。率先して立ち上がり、神官の手も借りず机と椅子を移動させていく。
「いいじゃないか。そこの高貴な御方も仰っているとおり、こんな機会滅多にないんだ。それに、ここにいる間だけは身分も何もあったもんじゃない。みーんな聖女候補で立場は一緒。うるさいことも面倒なことも、ここでは通用しない。ここでの遺恨は、金輪際外には出さない。それが暗黙の了解ってもんだ」
たっぷりとした青い髪を払い、豊満な体つきをした女がにやりと笑う。
「そんなことすら守れない奴を、神様がお選びになるかねぇ」
先程顔を真っ赤にした女の額に青筋が走る。どうやら、あの中で一番血の気が多いのは彼女のようだ。
「はいはいはい! 当代聖女は私なので、どうせ皆様選ばれません!」
「あんたどっちの味方だい」
呆れたように腕を組む女に、へらりと笑って返す。
「……当代聖女って、神様の味方って分類ですかね?」
「……そう、なるのかね? でもあんた、そこで悩むとは意外と真っ当な思考してるね」
「え!? 初めて言われました!」
「そりゃそうだろうね。あんた、相当おかしいし」
「意見翻すの早くないですか!?」
おかしいのか真っ当なのかどっちなんだ。まあどっちでもいいか。
二十代半ばから後半くらいの年齢だろうか。女は私を見て大声で笑う。そして、片手を差し出してきた。
「あたしはポリアナ・キャメラ。あんた面白い奴だね」
「はあ、妙な奴だとはよく言われます。マリヴェルです、よろしくお願いします」
握手をしながら名乗ると、ポリアナは首を傾げた。
「ここまできて家名は内緒って、あんたけっこう遣り手だね」
「いやぁ、私はスラム出身なので名字がないのですよ」
頭を掻きながら笑えば、ポリアナは素早く一度瞬きした。わずかに動いた口は、口内を舌でなぞったのだろう。言葉を選んだ様が見て取れる。
「そいつはまた……よく来ようと思ったね」
「何せ当代聖女なもので、来ないわけにも」
「ほんと、そこは一貫してるんだねぇ」
「いやぁ、事実なもので」
特に気にした風でもなくからから笑うポリアナに笑い返しながら、彼女の肩越しにベルナディアを見る。外敵から守るように立っている三人組は、忌々しげに、射殺さんばかりに、おろおろと私を見ていた。とうのベルナディアはにこにこと笑っている。そして、運ばれてきたお茶とお菓子に目を輝かせた。
ぐるりと他の聖女候補を見ても、反応は様々だ。私を嫌そうに見ている者、怪訝そうに見ている者、お菓子を見ている者、面白そうに見ている者。所在なげにしている者、がちがちに緊張している者、眠たそうにしている者、顔のいい神官に頬を赤らめている者。
一際目についたのは、神官長に質問した銀髪の少女だ。私をじっと食い入るように見ている。その視線は、睨んでいるというより凝視に近い。
参った。誰も彼もが怪しく見えるし、誰も彼もが無関係に見える。誰が敵か味方ではなく、敵か敵じゃない人間かの区別だけで生きていた時代を思い出す。
まあ、何はともあれ楽しいお茶会の始まりだ。目一杯楽しもう。種? 後で考える。
支度を手伝いながら、先程の自己紹介を思い出す。
マリヴェルという音を聞く機会は、随分減った。それでも、長く聞いていないとは思わなかった。思わずいられたのは、やけくそのように飛んできたおやすみと私の名前を昨夜も聞いたからだ。名前は自分以外の音が紡いでくれてこそだなと、小さく笑う。
以前はそんなに他者の名を呼ぶ人ではなかった。仕事中だったからかもしれないが、いつ聞いても役職名ばかりで呼んでいた。それなのに、今はしょっちゅう名を呼ばれる。意図的に増やされたのだと、馬鹿でも気づく。
エーレのような優しさを持った人に愛される存在は、きっととても幸せだ。