21聖
一日の始まりを、人はどんな言葉で迎えるだろう。愛しい人が隣にいれば愛の言葉だろうか。それとも愛を込めた挨拶だろうか。天気を告げるだろうか。それとも。
「うわ遅刻しいったぁ!」
告げられていた集合時間二分前に目覚めベッドから転がり落ちた私は、ベッドの足にしこたま小指をぶつけ、服を着るのもそこそこに駆け出した。
朝一番の言葉? 悲鳴だ。
朝食を食べ損ねた事実を嘆き悲しみながら滑り込んだ小広間には、私以外すべての聖女候補が揃っていた。私が文字通り滑り込むと同時に鐘が鳴る。ぎりぎり間に合った。絶望から始まった朝でも、時間以外の全てを捨てればわりと何とかなるものである。
幾つか並んだ長方形のテーブル。それらを囲む椅子に行儀よく座る聖女候補達。さらにそれらを囲んで壁際に立つ神官。昨日までの人数ならば大広間が使われていただろうが、ここまで減ると小広間で充分だったようだ。
「席に着いて、身なりを整えなさい」
静かな神官長の声に、姿勢を正して頭を下げる。
「はい、神官長様」
顔を上げ、にかりと笑う。
「そして、おはようございます!」
「おはよう。そして、神官長と」
淡々とした低い声は心地いい。そこに感情が乗っていなくとも。
空いている席は一つだけだったので、いそいそ座る。座って、改めて自分の格好を見下ろす。ボタンが派手にずれ、上着がスカートの中に入り混み、ブーツの紐は垂れたままだし、髪は縦横無尽に宙を駆ける。他にも色々無惨な惨状が繰り広げられているが、朝食を食べ損ねた以上の悲劇ではないのでよしとする。
ボタンを留めながら周りを見回す。エーレとは目が合わなかったが、ココとは合った。どうでもよさそうに視線は外れていったものの、目が合うとは思っていなかったので何だか得した気分だ。今日はいい日になりそうだ。
寝癖を撫でつけ、手で梳いていると、神官達が動き始めた。どうやら何かが配られるようだ。そういえば、今日の試練は何なのだろう。選定の儀は初代聖女によりそれはもう細かく決められているので、変更ができない。そして、だからこそそれを受けた人数も多くなる。
世間では、「聖女選定の儀参考書」「聖女選定の儀解体新書」「これさえできればあなたも聖女!」なる指南書も出回っているらしい。一度受けているものの遊び倒した記憶しかない私も、一冊買い求めたい気分だ。「馬鹿でも分かる聖女選定の儀」とかないですか? 馬鹿はなれない? 現実逃避はやめたほうがいい。私はここにいます。
……分かった。妥協しよう。「五分で分かる聖女選定の儀」のほうをください。
神官長が立っている側から配られ始めた謎の物体が、一番扉に近い位置に座る私の元へ辿り着いたのは最後だった。机の上へ静かに置かれた物体は、掌より少し小さい、それは美しい石だった。透明度は高いが無色で、宝石のように形が整えられている。両端が尖った楕円形の石は、手に取るとガラスより軽かった。
何だこれ。
両手の親指と人差し指で、石の形に添って囲う。目線の高さに持ち上げ、まじまじと眺めているとなんとなく視線を感じた。あからさまに見ないよう注意しつつ、ちらりと視線を向けた先で、エーレの口端がひくりと動いた。まずい。何も考えてなかったことがバレた。
長年繰り返されてきた試練であっても、その都度説明はある。ひとまず説明を待とう。居住まいを正せば、ちょうど神官長が口を開いたところだった。
「配られた石は、神力により形作られた種である」
種? それにしてはやけに豪勢な種だ。首を傾げたのは、私を含めて数人だった。他の人々はこれが種だと知っていたらしい。さては皆様、予習復習をするという都市伝説体現者?
しかし種……種、種!?
「正午の鐘が鳴るまで、各々肌身離さず所持した上」
「あぁ!」
思わず叫び声を上げていた。聖女候補達からはびっくり、神官達からぎろり、神官長からはするりとした視線が集まる。
「すみません、虫が、いたもので」
謝り、話を続けてもらう。しかし私の心中は大雨暴風落雷竜巻高潮警報だ。虫? 本当にいたら平手で叩き潰して終わりだ。
しまった、思い出した。ちらりとエーレを見たら、だから言っただろうどうするんだ本当にどうするんだと、瞳が語っているように見えた。こっちを見ていないが分かる。だってさっきから一度も瞬きをしていない。
「正午より夕刻の鐘が鳴る六時間を期限とし、種を芽吹かせ、開花させる。以上が第三の試練となる。質問は」
僅かな沈黙の後、まっすぐな銀髪を持った少女が手を上げた。年の頃は十代半ばだろうか。この年頃の女が、参加者の割合で一番多い。何かに挑戦しやすい年代なのだろう。
「鉢や土など、芽吹かせるのに必要な道具は提供して頂けるのでしょうか」
「無論だ」
宿泊用の荷に、鉢や土を用意している人は少ないだろう。ちなみに私は手ぶらで選定の儀に来た女なので、着替えも含め必要な物はすべて用意してもらっている。それでも、与えられている部屋の中に鉢や土はなかった。神殿は、彼女達が望む物を用意するだろう。
だが、問題はそこではない。どんな高級な土でも、聖なる霊峰から汲んできた水でも、どうにもならない問題がある。それは。
「質問は以上かね。――では聖女候補が生涯ただ一度咲かせる花を、各自自由な手法で芽吹かせてくれたまえ」
もう咲かせた人間はどうしたらいいんでしょうね!?
聖女候補達が丁寧な礼をもって返答とする中、ただ一人私だけが派手に額を打ちつけた音を響かせたのである。