16聖
「あ、いま青緑色の綺麗な鳥が飛んでいきましたね! 今度私と一緒にあの鳥を追いかけてみませんか?」
沈黙を返答とかえさせて頂かれた。
「では、あの鳥を語り合いながらお茶など如何です?」
右に同じく。
「美しい黒髪のお嬢さん、この試練が終わったら一緒におやつ食べません?」
右に同じく。
時刻は既に夕方へ差し掛かっていた。時計がなくとも、暮れゆく空を見ていれば大まかな予想くらいはつけられる。その間、私はずっとココを口説いていた。すげなく断られるのも、ココには申し訳ないが楽しい。久しぶりに友達と話せたのだ。嬉しくないわけがない。
「美しいお嬢さん、せめてお名前だけでも」
右に同じく。
いつもは読んだ本とか食べたおやつとか、天気の話とか天気の話とか天気の話とかで盛り上がるのだが、親しくないと話は続かない。そもそもこれ、会話なのだろうか。
会話未遂を延々と繰り返していたら、ココから初めて反応が返った。
「美しいというのなら、どこを気に入ったか具体的に述べて。三秒以内に」
「出すのを忘れていたクッキーみたいな黒髪も、固めた蜂蜜みたいな瞳も、溶けかけた苺飴みたいな唇も、まだ一度も使ってないおしろいみたいな肌もすべてが美しいと思います」
三秒もいらない。即座にココの美しさを褒め称えたら、ここまで一度たりとも緩まなかった口元が僅かに解けた。
「……今のはちょっと面白かった」
「私の口説き文句は友達のお墨付きなんですよ!」
だから人を口説くのはちょっとした自信があるのだ。ちなみに褒めてくれたのはココである。
選定の儀は事細かに規約が決まっているが、そこに神官と仲良くなってはいけないとは書かれていない。何せ選ぶのは神だ。そのために運を味方につけてでも聖女にしてくれる。神官に気に入られようが気に入られまいが関係ないので、ココに話しかけるのは問題ない。
そのはずなのだが、さっきから柱の周りを通り過ぎていく神官の数が多い。ひっきりなしだ。脱走秒読み状態でさえここまでじゃなかった。私が何かやらかすと思われているのだろうか。安心してほしい。今日は特にやらかす予定はない。明日はある。
人が動く気配を感じて後ろを見れば、一人の女性が青い顔で出ていくところだった。これでこの柱の中にいる聖女候補は、私と俯いている赤髪の少女以外誰もいなくなっていた。ぼさぼさになった髪の隙間から恨めしげな瞳が私を睨みつけていて、思わずココとの間を隔ている神力の壁にへばりついてしまった。
少女は私を睨みつけたまま、ぶつぶつと何かを呟いている。恐る恐る耳を澄ませてみた。
「死ね」
物騒である。
「死ねシね死ね死ね死ねシネ死ねしネ死ねしね死ネシねしね死ね死ねシネシネ死ネ死ねシネ死ね死ねシね」
物騒竜巻である。
そして、先程から気になっていた臭いが一段と強くなった。やはり、おかしい。ここでこんな臭いするはずがないのに。
「神官さん、この柱ですが何か香でも焚いていますか?」
「何も」
「凄く、変な臭いがするのですが」
「……臭い?」
ココは初めて眉根を動かした。そして、外側にある神力の壁にこつんと指を当てた。外を回っていた神官がすぐに駆け寄り、何かを話している。外の神官は頷き、駆け出していった。遠巻きに立っている神官と何事かを確認し、また小走りで戻ってくる。
何事かを話した後、ココはこっちを向き直した。
「この柱は外部からの影響を一切受けない」
「じゃあ、私か彼女が発しているんですか?」
「そうなる。でも、退出した女性の誰も臭いなどしていなかったと」
ココも軽く鼻を動かしたが、神力の壁を隔てているので気づかないのだろうか。何にせよ、おかしいのだ。こんな臭い、柱の中は勿論、神殿でも王城でも、まして普通の人がいる場所でするはずがないのだ。
「どんな臭い?」
ココの声は淡々としていて、いつだって涼しげだ。こんな臭いの中でも、森の水辺を思い出す。
スラムじゃなくて。
「人が、腐った臭い」
また一つ、嗅ぎ慣れた臭いが強くなった。
その瞬間、俯いていた赤毛の少女が勢いよく首を上げた。跳ね上げられた髪で一面が赤く染まって見える。その下から現れた顔を見て、息を呑む。少女の顔は、半分が崩れ落ちていた。
事態が飲み込めず、動きも思考も止めた私の前で、少女の顔から影が滑り落ちていく。ぼたりと床に飛び散ったそれが腐り落ちた肉片だと気付くまでに、一拍を要した。
「………………は?」
声を出すと同時に、少女の身体ががくんと傾く。
「い、や、いやいやいやいやいやいやいやいや!」
どう考えてもおかしい。だってさっきまで生きて、私に恨み辛みをぶつけていたではないか。どうしていきなり死んでいるのだ。それも昨日今日の話ではない。何日も何日もその辺に放置されていた死体そのものだ。ついさっきまで私に物騒竜巻をぶつけてきたのは一体なんだったのだ。
「私、死体は見慣れてますけど動くのは初めてなんですが!?」
「たぶん、初めてじゃない人間のほうが少ないわよ」
少しでも距離を取ろうと、ココのいる場所にべたりと張りついたまま足を滑らせる。駄目だ、これ以上進めない。
「神官さん! これ、異常事態で外に出て大丈夫ですか!?」
「………………駄目よ」
「嘘ぉ!?」
「如何なる事態が起ころうと、神力の壁より出でたるもの聖女の資格なし、と」
そう、記されているのだ。何百年も脈々と続く神殿の石版に。
その石版を記した者は、絶対こんな事態を想定していないだろうけど!
「聖女選定の儀に腐った死体が出てくるのおかしくないですか!? この選定呪われてますって!」
「正門前で当代聖女宣言する奴も現れるし、同感」
ご尤も!
がくんがくんと、少女だった身体が軋む。動く度に肉片は散り落ち、骨が見える。どう見ても死んでいる。死んでいるのに動いている。空っぽの眼孔が、私を見ている。
嫌な予感しかしない。
柱の周りには、異常事態に気付いた神官が泡を食って集まっている。だが、手立てがない。柱の中に入れる神官は柱を維持する神官のみ。その神官も、柱内で起こった出来事に関与はできない。そういう規則だ。だって聖女となるべき聖女候補は、何があっても死なないのだから。
外を動き回る神官の中には、エーレもいた。険しい顔でこっちを睨んでいる。あまり動揺すると私と繋がっていることがばれてしまうので、もう少し飄々としていてほしい。
私もあまり見つめては駄目だと視線を外す。外した先では、別の柱にいた聖女候補達がうっとりした顔でエーレを見つめていた。その人は確かに顔が物凄くよくて儚げに脳天かちわり拳繰り出してくるけど、ここに命の危機に陥った哀れな聖女候補仲間がいると思い出して頂けると幸いです!
どんな状況でも、乙女心は強し。ちなみに私には実装されていない。
「…………逃げることを、おすすめは、する」
流石のココも表情を変えていた。悪くなった顔色で、私達以外の女性が出ていった柱の隙間を見ている。
「あんたが出たら隙間を閉じるから。外の神官に保護してもらって」
「……でもそれ、不合格なんですよね?」
がちりと鳴った歯の音は、私やココが発した恐れではなく、目の前の死体が発していた。がくんがくんと、力を入れる方向を少し間違えば折れてしまいそうな歪さで死体が体勢を変えていく。どう見てもこっちにくる準備運動である。整える筋肉もないのに何を準備しているのだ。
「死ぬよりはましでしょう」
ゆっくりと諭してくれるココに、冷や汗を掻きながら視線を向ける。私が飛び出したら、すぐに隙間を閉じられるよう集中しているのだろう。ココの瞳は私を向かない。だが、ココを見続ける私の視線を受けて、ちらりと瞳が動いた。固めた蜂蜜みたいに贅沢な綺麗さを讃えた瞳が、少し見開かれる。
「そうでも、ないんですよねぇ」
死のうが選定の儀を下ろされようがすべてを失うのだから、たぶん死んだほうが「まし」なのだ。物作りが好きなあなたが縫ってくれた、様々な趣向が凝らされた寝間着を着る夜がもう二度と来ないほうが、死ぬよりよっぽど。
「神官さん、一つだけお願いしても構いませんか?」
「……選定の儀に関わらない内容なら、聞くだけは」
さっき倒してしまった椅子を、軽く膝を折った体勢でゆっくり掴み取る。死体の首ががくんと反対側に傾く。右足の裏が浮き、靴と肉を置き去りにして一歩進んだ。深く踏み込まれた足を追い、弾かれたように動き出した死体へ向けて椅子を振りかぶりながら、片目を瞑る。
「この試練越えられたら、名前、教えてくださいね!」
「嫌よ」
「えぇー!?」
流石ココ。それはそれ、これはこれの精神が強固すぎる。そういうところも好き!
横殴りの椅子が直撃し、吹っ飛んだ死体と肉片を前に、私は友への愛を再確認した。
しかし、決死の思いで死体を殴り飛ばした私を「うわぁー……」という顔で見ているエーレにはお話があります。後で神殿裏に面貸せください。