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13聖






 翌朝、治療を受けた顔はつるんと治り、何故か肌に髪にと磨き上げられ、ちゃっかり服を替えられた私は、ホテルの顔を背負ったやたら豪勢な馬車に揺られていた。

 恐ろしいほど揺れの少ない馬車の中、背筋を正し、指先まできちんと揃えた手を膝の上に置く。静かに目蓋を閉ざし、到着を待っている私は薄く笑みを浮かべていた。

 なんだ、これ。


 寝起きの頭でぼんやりしていたはずの自分が何故、やんわり強制的に強固なまでに身なりを整えられているのか。そして歩くかその辺の辻馬車を使うからといったにもかかわらず、何故やんわりと押しこまれたホテルの馬車に揺られているのか。「選定の儀へ向かわれるお客様をお見送りできますなど、当ホテルの誉れにございます」総支配人の笑顔は麗しく、重みがあった。人はその重みを強制と呼ぶ。

 ちなみに、いま私が着ている貴族御用達の店でもしれっと入れるこの服は誰の指示でしょうか。とある神官の家で見せられた物にうり二つなんですがその辺りどうなっていますか。

 当の本人はさっさと神殿に戻ったのだろう。今日も朝から仕事だろうから致し方ないが、疲れは取れただろうか。いい夢は見れただろうか。ちなみに私は、神殿の皆が笑顔で新技を繰り出して追いかけてくる夢を見た。あれは幸福な夢だったのか悪夢だったのか。結論は出ない。



 そうこうしているうちに、馬車は止まっていた。ノックに返事を返せば、扉が開いていく。外からの風を感じながらふっと短く息を吐き、目蓋を開く。


「ありがとうございました。帰る予定はありませんので、迎えは結構です」

「畏まりましてございます」


 扉を開けてくれた男に礼を言い、差し出された手は取らず馬車から飛びおりる。馬車の昇降口は意外と高い位置にある。裾のあるスカートでは昇降しにくいが、聖女の服であれこれ飛び跳ねていた私に不可能はない。そのおかげで転ばず飛びおりられた。勢いだけはすぐに止まらず、跳ねるように数歩進む。体勢が落ち着くと同時に振り向き、送ってくれた馬車と人に片手を上げて礼を言う。御者と付き人は、丁寧に頭を下げて見送ってくれた。


「さて、と」


 ぐるりと周りを見渡せば、突如現れた高級馬車にぽかんとしてた人々の視線が集まっていた。その高級馬車から女が飛び出してきたのだから、さらに目立つのは必然である。


 ここは王城正門前。内ではない。外だ。聖女候補は例外としても、その連れとしてここまで見送りに来た面子を王城内に入れるわけにはいかないからだ。彼らは王城内に入る立場にない。この先にあるのは、アデウス国中枢を一手に担う政の場であり王族が住まう王城。国教の総本山である神殿。そして国で一番の高さと歴史を誇る霊峰だ。そう易々と常人が入り込める場ではない。


 水の音が聞こえるのは、川と滝が近いからだ。

 遠目からは、長い歴史を持つ巨大な建物が二つ見える。手前に王城、奥に神殿。その間に実は一つの建物がある。王城と神殿を繋いで作られた狭間の建物は、賓客を迎え入れる場として使われている。そこから川を挟んだ向こうに神殿があった。そしてそれらとは比べものにならぬほどの時間、この地に在り続けた霊峰。

 巨大な山の麓に建物が収まっているが、麓といっても、まるで山が大口を開けたかのような裂け目に当たる部分に、三つの建物が詰まっているのだ。神殿は、左右も背後も山と接しているほどだ。霊峰から流れ出る水は川となり、建物を縫って走っていく。夏は涼しいが冬は寒い。国の中枢は、そんな場所だ。アデウスの王都は水の都でもある。だが残念ながらスラムはその恩恵にあずかれない。立地が悪いのだ。そこしか場所が残っていなかったともいう。


 遠くからでも見て取れるアデウスの中心が遠いと感じたのは、この一ヶ月が初めてだった。それまでは己と無縁の地だから、遠く思うことすらなかった。次は中にいたので遠いも近いもなかった。今は、大きいなと、思う。

 そこに入り込んだ人間として叩き出され、早一ヶ月弱。アデウスよ、神よ、私は帰ってきた! ただいま言う相手はいないけど! あ、エーレはいるわ!

 それに、今はいないけど前にはいたし、後には言えるかもしれないのだ。

 なんだか随分久しぶりに思える景色を見上げる。聖女候補は、今日から残りの試練が終わるまでここで過ごすのだ。そうはいっても通過できなかった者は去ることになるので、第十二の試練まで残る者は片手で足りる程度だろう。

 私が特に動きを見せなかったからか、周囲の視線は散り始めた。それぞれ自分の用事に向けた人々を、今度は暇になった私が見る。




「身体には気をつけて。先月事故に遭ったばっかりなんだから、気をつけるのよ」


 恐らくは両親と来ていると思わしき十代半ばほどの赤髪の娘が、母親に抱きしめられていた。


「家の名に恥じぬよう、立派に勤め上げろ」


 こちらも両親のようだが、十代半ばほどの金髪の娘を見下ろす夫妻の顔は険しい。


「いい? 絶対聖女になるのよ。そうしたら家族みんなお腹いっぱい食べられるんだから。全部あんたにかかってるのよ!」


 こちらは母親と兄だろうか。まだ十に満たないであろう少女に怖い顔で言い聞かせている。


「週に一度は布団を干して、毎日野菜を食べさせて、マーサの屋台のお菓子毎日食べさせたら駄目よ。あ、あなたのお酒は週に三回までですからね」


 こっちはどうやら見送られる側が母親だ。四十代だろうか。

 送り出す女の身を案じる者、激励する者、叱咤する者、からかう者。様々な声がする。家族、友人。中には連れがいない女もいた。

 連れがいようがいまいが、老いも若きも関係ない女達は、今日からここで選定の儀を越えていく。他薦枠で通過した女達は既に神殿で待機している。だからここにいるのは通過者八十七名中六十八名の自薦枠。そのうち一名が当代聖女ですので、皆々様お帰りくださっても結構ですよ!

  だが現在は通知されていた集合時間の三十分前。増えることはあっても減ることはないだろう。



 門の前で騒がしくすれば、本来なら注意が入る。だが、今はすべてに見て見ぬ振りをされ、門番達は静かに務めを果たしている。これから住み慣れぬ場で試練を受けに行く女達が惜しむしばしの別れに水を差すのは無粋だ。

 早く中に入りたくてそわそわしている私も、無粋にならない心配りができる女である。さっさと裏に回って木に登り、枝を数本飛び移り、太い枝を揺らしそのしなりを利用して塀に飛び移り、王子と共に隠している縄をつたって中に入りたいなんてちょっとしか思っていない。


 連れがいない女達は、示し合わせたわけでもないのに後ろで固まっていた。門の前は連れがいる女達が別れを惜しむ場になっている。せっかくなので一番後方まで下がり、聖女候補を見回す。服装や髪型からざっと判断してだが、貴族が一割、平民が七割、判別不能が二割といったところだ。貴族の多くは他薦枠を利用するので、こんなものだ。私も不明枠となる。

 貴族と平民が同じ空間にいるが、平民は貴族に気後れしているようには見えない。人数に差があるのも大きいが、先代聖女は貴族と平民の差をなくそうと尽力したと聞くのでその結果だろう。

 いいか悪いか? 貴族でも平民でもない私に聞かないでほしい。私は貴族には石ころより意識されず、平民には見下される出身ですよ!




 そうこうしている内に、定められた時間になった。周りの声が波打つざわめきと変わっていく。緊張と不安、そして期待の高揚が伴う声だ。

 同時に、門が開いていく。重々しい音を立てて開いていく門の向こうには、多くの人間がいた。兵士、政務官、王族。そして神官達だ。王城関係者も神殿関係者も、勿論全員が出てきたわけではない。

 見よ、懐かしの我が友第一王子を。鮮やかな紺色の髪は丁寧に梳られているというのに、金色の瞳はついさっきまで眠っていたのを叩き起こされたかの如きとろけ具合だ。一見乙女の心を総取りにしそうな爽やかな美貌だが、見慣れた人間なら分かる。これは七割寝ている。彼は記憶があろうがなかろうが、私との再会が昨日ぶりであろうが三年ぶりであろうが寝ているだろう。見ている間に、一つの瞬きが行われた。そして八割となった。


 王城関係者は、この中に聖女がいると決まったわけでもないのにわざわざ朝早く出迎えるのも面倒だけど、出ないわけにもいかないので暇な奴行っての人選で選ばれている。

 だが神殿は違う。王を出迎えるときでもここまではしないほどの人間が揃っていた。

 ここ半月ほどで随分見慣れた光放つ薄緑色の髪を見て、僅かに笑う。そうして観念し、ずっと視界の端に映り続けた人へと視線を向ける。

 先頭に立っている人を見て、胸に滲み出す感情が喜びなのか痛みなのか、今の私には分からない。ただ、ああ、お父さんだと思った。私を知らないお父さんだと、思った。

 薄墨色の髪はいつも通りきっちり纏められ、灰青色の瞳はいつも通り真っ直ぐに前を見る。いつも通りぴしりと伸びた背、いつも通りよれ一つ見つけられない最高位の神官服。いつも通り大きな背、大きな手。

 そして、いつもと違う、私を知らない人。



「神官長の位を戴いているディーク・クラウディオーツと申す。十三代聖女候補となられた皆様方には、本日より神殿及び王城において神の選定を受けて頂く。神より神託を賜るその日まで、どうぞご精進あれ」


 何十人もいる聖女候補。さらにいつの間にか移動し周囲を固めているその連れ。それらの視線を一身に受けている神官長が、私一人の視線に気づくはずがない。

 ねえ、お父さん。あの日ダンゴムシとドングリを詰め込んだポケットが、こんなにも遠いの。




 神より浅く、王より浅く、頷きより浅く下げられた頭。第一王子は下げない。そんな礼を受けた。聖女候補達も頭を下げる。深さはばらばらだ。貴族は浅く、平民のほとんどは深く、彼女達の連れも同様で。身分とは糸のようだと思う。だから同じ身分の人間が頭を下げれば、それと繋がっている相手も同じように動く。

 ただ一人微動だにしなかった私の頭だけが、集団の中に取り残される。第一王子と目が合った。眠気にとろけていた目が僅かに見開かれる。周囲から驚愕の空気が溢れ出し、その人々が作り出した空気が全体に広がっていく。感情とは身分の糸を切り、違う糸で集団を作り上げる。

 王城と神殿関係者は、皆、既に顔を上げていた。聖女候補とその連れは、上げていいものか悩んだのだろう。中途半端に上げきれぬ頭は、なんだか同じ重りを乗せているようだった。


 皆の視線が私に集中する。さて、この場に相応しい顔は何だろう。

 そんなの考える前から勝手に口角が上がっていた。

 悪戯が見つかったわけじゃない。サボりがばれたわけじゃない。逃亡が捕まったわけじゃない。私は戻ってきただけだ。生きて、帰ってきた。ならば誇らしく胸を張り、笑うだけである。


「おはようございます! 聖女の帰還にふさわしい朝ですね!」


 にっと笑った私に、静かなるどよめきが広がっていく。驚愕と動揺、そして、何だこいつお近づきになりたくないわの気持ちが籠もった視線が一身に集まる。

 どよめきの後は、誰もが他者の反応を気にし、静寂が広がっていく。そんな中、私と同じ年齢ほどの少女の目が限界まで見開かれた。少女は飛び跳ねるように顔を上げ、私を指さし金切り声を上げる。









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