前へ次へ
74/185

第74話「プレート作成-4」

「「「……」」」

 カリカリあるいはコリコリとでも称すべき音が部屋中から聞こえてくる。

 何の音かは言うまでもない。

 原盤を彫刻刀を初めとした各種刃物で削る音だ。


「此処はもう少し……」

「なるほど……」

 会話が無いわけではない。

 生徒たちの間を回っているセイゾー先生による助言も行われているし、集中をいったん止めて、身体を少しほぐす時などには小さ目の声で会話もされている。


「「……」」

 が、俺とハーアルターが居る席に限っては、原盤を彫る前のペンで何処を彫るか記す時点から会話は一切無く、他の人が立ち入れないような空気の中、二人とも集中してただひたすらに原盤を彫り続けていた。

 黙々と、淡々と、彫るべき部分へと正確に彫刻刀を入れ、原盤から切り離し、複雑な紋章を象っていた。

 ここにだけ会話が無い理由は色々とある。

 歳が離れているとか、学生と狩猟用務員だからとか、この場で話すような話題が無いとか、会話に興じる性格でないとか、ハーアルターが俺に対して何かしらの悪感情を持っているからなど、本当に理由は色々だ。

 そもそも、会話をする必要性を感じていないというのも、あるのかもしれないが。


「ふむ、二人とも中々いい手付きだ」

「……」

「ありがとうございます」

 俺はセイゾー先生の言葉に軽く頭を下げる。

 だが、ハーアルターは、よほど集中しているのか、セイゾー先生が近くに来ている事にも気付いていないようだった。


「……。あ、セイゾー先生、どうしたんですか?」

「……。ハーアルター、集中するのは良いが、程々にな。一度身体をほぐすといい」

「あ、はい」

 と、此処でようやくハーアルターはセイゾー先生に気付き、その言葉に従って彫刻刀を手放すと、身体を少し楽にし始める。

 そして、身体を楽にし始めたハーアルターが何となくと言った様子で俺の方に目を向けた時だった。

 ハーアルターの目つきが途端に険しくする。


「用務員。お前なんでそんなにもう進んでいるんだ?削り始めたのは同じぐらいだったはずだろう」

「……」

 指摘された俺はハーアルターの削っている原盤を見る。

 俺の原盤は既に半分ほど削り終ったところだが、ハーアルターの方はまだ多く見積もって三分の一と言う所だった。

 そして、他の生徒の彫り具合も進んでいる生徒でハーアルターと同じくらいだった。

 なるほど確かに俺の方が彫りは進んでいるようだった。

 だが、差が開いている理由となると……俺に思いつくのは一つくらいだ。


「たぶん、この彫刻刀を使い慣れているかどうかの差だと思います」

「使い慣れているだと?」

「ええ」

 俺は彫刻刀を一度置き、身体を伸ばすと、休憩も兼ねてハーアルターの質問に答えることにする。


「俺は元々弓も矢も自作していましたから。それらを作る内に、それなりにですが刃物を扱う事に慣れたんです」

「弓どころか矢すら買う金が無かったと言う事か」

「いえ、弓と矢を買う程度の金はありましたよ」

「何?ならなんで買わずに自分で作る必要がある?」

 俺の言葉に納得がいかないのか、ハーアルターの表情が険しくなる。

 だが現実として、俺はコンドラ山に居た頃から弓と矢を買う事はほぼ無かった。

 と言うのもだ。


「簡単に言ってしまえば質の問題です」

「質だと?」

「ええ。俺が前の山に居た頃、行商人から他の人が作った弓と矢を買う機会はありました。ですが、そのどれもが俺の納得する品質に至っていなかったんです」

「だから、自分で作った……と?」

「ええそうです」

 ハーアルターが何処か呆れた様子を見せている。

 まあ、ハーアルターからしてみれば、俺の自分で作ると言う行動は理解しづらいものなのだろう。

 俺が見る限りハーアルターは生粋の貴族であるようだし、それならば必要な道具がある時には周りの人間に作らせるか集めさせるのが普通の筈であり、弓も矢も専門の職人が作るものと言う認識の筈だから。


「こう言っては何ですが、狩りの場で最後に頼みに出来るのは自分の腕と装備品、つまりは日々の修練と事前の準備です。偶然や閃きなんてものは頼りにするべきではないんです」

「……」

「だから俺は弓と矢については妥協するつもりはありません。それを妥協するのは、自分の命を危険に晒すだけですから」

「なるほどな。そこは同じと言う事か」

 だが、俺がその後に続けた言葉については納得してもらえたのか、何かを考え込むような様子を見せつつも、肯定の感情を込めた声で何かを呟く。


「とまあ、俺が彫刻刀に慣れている理由はそんな所です」

「納得はいった。理解はしがたいがな」

 俺の回答が終わったところで、俺とハーアルターは作業に戻り始める。

 つまり彫刻刀で原盤を削り、ある程度削ったら出てきた粉を彫り間違えた時の補修材として使えるように専用の枠の中に集める形で払い落とし、再び原盤を削ると言う地味で地道な作業にだ。


「俺からも少しいいですか?」

「何だ?僕の質問にお前が答えた分だけなら、答えてやる」

 ただ、先程よりも少し空気は和らいでいる。

 と言う事で、俺は原盤を削りつつ、ハーアルターに質問をしてみることにする。


「さっきセイゾー先生が言っていた三分の一だけ彫るのが一番釣り合いが取れていると言うのはどういう事ですか?」

 そうして俺が質問を投げかけた瞬間……。


「はぁ……」

 溜め息を吐いたハーアルターが凄く残念そうな物を見るような目を俺に向けてきた。

前へ次へ目次