第46話「新しい弓-1」
「……」
フラッシュピーコックに遭遇し、俺が獣に堕ちかけ、メルトレスによって助けられてから二日。
用務員小屋の中ではカリカリと言う羊皮紙にインクの付いたペンをこすり付けて文字を書く音が響き、ペンを動かす音が途絶えれば、本をめくる音か、茶を啜る音が鳴っていた。
そう、昨日一日休んで復調したので、俺は仕事に復帰したのである。
「調子はどうっすか?ティタン」
「……。見ての通りです。苦戦してますよ」
ただし、仕事の内容は狩猟用務員らしいオース山の中に入ってする仕事ではなく、用務員小屋の中での地味な書類仕事だが。
「きゅっきゅっきゅっ、そうっすかー大変でやんすねぇ。でも、上が納得する書類の書き方は早めに覚えておいた方がいいでやんすよー」
「はい……」
そんなわけで、俺の前には複数の羊皮紙に暖かい茶、そして分厚い辞書にインクが入った壺が並んでいた。
そのため、書類を書き終わるまで、机から離れる事は出来なさそうな状態になっていた。
で、こうなっている理由は幾つかある。
「それにしても何で十年前の事まで……」
一つ目にして最大の理由は今書いている書類の内容が内容だから。
と言うのも、今俺が書かされている書類は、一昨日のメルトレスたちと共にオース山の中に入り、フラッシュピーコックに遭遇した一件と、十年前の忌まわしい出来事……俺と爺ちゃんが黒いドラゴンこと闇天竜ディンプルドラゴンに遭遇し、死にかけた一件についての二件である。
前者については本来ならば、昨日の時点で書くべき代物であるため、特に思う所はない。
報告書や貴族特有の独特な言い回しや、話せても書けない単語を調べる為に辞書は手放せないが、それだけである。
問題は後者だ。
何故今更自分で書かなければならないのだろうか?
闇天竜などと言う個体名まで付けられているのだから、黒い……ディンプルドラゴンについては国の方がよほどよく分かっていると思うのだが。
謎である。
「そこら辺は上の事情ってやつでやんすよ。ほら、頑張って昼までに終わらせるでやんすよ。気を紛らわせるための雑談なら付き合うっすから」
「はい」
二つ目の理由は明日の検査が終わるまでの間、紋章魔法の使用の禁止。
これは学園長から言い渡された事で、明日『破壊者』によって俺にかけられた正体不明の魔法を検査するべく、検査の邪魔になりかねない要素を排除するためだそうだ。
なんでもかなり繊細な魔法だそうで、準備にも丸一日かかるらしい。
「と、そう言えばティタン。ティタンはどうして自分の弓がフラッシュピーコックの攻撃によって折れたと思うでやんすか?」
「どうしてと言われても……当たり所が悪かったとしか思えませんよ。フラッシュピーコックの攻撃は金属片を飛ばす物だったんで、弓に当たれば傷がつくのは当然でしょうし」
「ふむふむ」
「まあ、そうだとしても、あれだけ頑丈に作った弓が一撃で折れたのには驚かされましたけどね」
三つ目の理由は武器が無いから。
一昨日の一件で、フラッシュピーコックに俺の弓は折られてしまった。
弓が無くても獲物を狩れない事もないが……大きな危険を伴う事は間違いないだろう。
なので、新しい弓を作るか、買うかして、手に入れなければならない状況に今の俺はあった。
「あ、ティタンの弓って自作だったんすか」
「そりゃあ自作ですよ。コンドラ山の辺りには王都みたいに弓を売ってくれる店なんてありませんし、爺ちゃんの教えで、弓と矢を作るのと整備するのぐらいは自分で出来なければ話にならないって散々言われましたから」
「ほー、流石はティタンのお祖父さんでやんすねぇ」
そこで今朝になって言われたのだが、今日は午後からソウソーさんと一緒に学園の外に出て、ソウソーさん馴染みの店に行くことになっている。
自分の命を預ける弓を店で買う。
爺ちゃんの教えに反するかもしれないが、爺ちゃんの教えはコンドラ山で生きていくための物であって、狩猟用務員として働くためのものではない。
いずれはオース山の中で適当な素材を見つけて、弓を自作するつもりではあるが、今はこれ以上ゴーリ班長たちに迷惑を掛けない為にも、繋ぎの物でいいから弓を手に入れるべきだろう。
そう考え、俺はソウソーさんの提案を受け入れたのだった。
「でもいいんですか?」
「何がでやんすか?」
「いや、午後から俺はソウソーさんに付き添ってもらう事になりますけど、それってソウソーさんの迷惑になるんじゃないかと……」
と、此処で俺はソウソーさんの机を見る。
そこには、オース山への立ち入り申請を求める書類が並んでいた。
明らかに俺の数倍は大変そうである。
「ああ、その事っすか。それなら杞憂でやんす」
「杞憂?」
「きゅっきゅっきゅー、今日はティタンを店に案内して、弓を買わせたら、それで仕事を上がっていいと言われているでやんすからねぇ。そんなわけで、あっしは早く家に帰って家族三人でゆっくり過ごせる機会が与えられているんでやんすよ。その事を考えたら……この程度の書類仕事、昼までに終わらせるぐらいわけないっす」
「な、なるほど……」
が、どうやら俺の心配は必要ない物だったらしい。
家族を思う力なのだろう、ソウソーさんの前に積まれた書類は凄まじい速さで処理されていく。
ゴーリ班長とクリムさんもそうだが、結婚すればそれだけで人は強くなるのだろうか?
「さあティタンも頑張るっすよ!あっしの家族団欒の為に!!」
「あ、はい!」
と言うか、油断していると俺の方が書類仕事が終わるのが遅そうな速さだった。
ソウソーさんに迷惑はかけられない。
そう判断した俺は、それまで以上に必死になって書類を書くのだった。
02/09誤字訂正