『不滅』と『不滅』
向かい合う不滅と破滅が視線を交錯させていた。レグルは相変わらず刺すような目付きで、テラロッサはそんなレグルを哀れむような目で互いを見つめている。
俺を摘まんでいた砂の腕がさらりと崩れ、離れたところで砂に体を拘束されていたカルナ達も同時に自由の身になっていた。リエゾンを含めた全員……勿論俺も、突然すぎるテラロッサの参入に驚きを隠せなかった。
それはレグルも同じなようで、憎々しげにテラロッサへ向けて声を放つ。
「……どうしてアナタが自分のフィールドを抜けているのかしら。
「そうね、確かにあたしはあの会場から出ることは許されていないわ。けれど……ええ、呼ばれたのよ、あたしは」
「……誰にってわざわざアタシに言わせる気かしら?」
「簡単な話よ。この子達はアタシが創ったクエストを受けているの。そして、クエストの難易度は『レベル1』よ。……さて、どうして貴方がそんなクエストに存在してるのかしらね?」
そこまで言われて、どうしてテラロッサがここまで来れたのかが分かった。俺が分かるのだから、レグルにも当然その理由はわかっているだろう。凄まじい形相でそれを見つめ、俺の体の奥底まで解析するような目を向けた。暫く俺を見つめていたレグルは、成る程、考えたじゃない、と低い声で言った。
「クエストの難易度は絶対よ。『レベル1』のクエストにワールドボスであるあなたが参入したら、釣り合いを取るためにあたしが参入するのは当然よね?」
「本当に……悪知恵だけは働くのね」
「言い方が悪いわね。賢いと素直に言っても良いのよ?」
「……」
テラロッサが世界権限を使って発注したクエストの難易度は『1』。これが絶対的かつ普遍的ならば、クエストに介入したレグルによりクエスト難易度が上がることを調整するために、何らかの存在が俺達の味方をしてクエスト難易度を下げてくれるはずだ。
「あなたは絶対に彼らに手を出すと思ったわ。保険を掛けていて正解ね」
「出来ればもっと早めに助けに来てくれれば助かったんだがな……」
「遠いもの。しょうがないわ」
なんとか助かりそうか?若干空いた心の余裕をボロボロの体から吐き出すと、テラロッサは困った顔で俺を見た。確かに遠いが、途中で俺達が死んだらどうするんだか……。取り敢えずレグルがテラロッサに気を取られている内に体を起こして、カルナたちの居る方へと合流した。
彼女らの体は満身創痍といった様子で、特にリエゾンのダメージが酷いが、どうやら俺の体の方が手酷くやられているようでカルナやシエラが驚いた顔をしている。
「……ライチあなた、よく生きてるわね」
「よ、鎧がズタズタだよ?」
「え……?」
慌てて自分の体を見下ろすと、全身にくまなく小さな穴が空いており、関節部分は抉れ、盾は凹み放題で戦争で死んだ騎士の悪霊の様な見た目になっていた。これは絶対に修理確定だ、と思うのと同時にテラロッサがレグルから目を逸らさずに声を発した。
「あなた達、あたしがこの子を抑えるわ。その間に逃げなさい」
「な……アタシがこの砂漠から逃がすと思ってるのかしら?」
「あなたさえ抑えれば、十分可能よ。何より……あたしが相手で、あなたが勝ったことは一度だって無いでしょ? それでよく他人に気を配る余裕があるわね」
「……アナタ……ッ!」
テラロッサの挑発に、レグルは白い肌を真っ赤にした。世界の始まりから続く戦いは、全てテラロッサの白星に終わっていたらしい。怒髪天をついているレグルの隙をついて、テラロッサが俺たちを囲む壁の一ヶ所に手を向けた。向けられた方の壁は力を失ったようにドロリと溶解し、何人か並んで通れるほどの穴が空いた。
「そっちへ進めば墓地に出る筈よ」
「助かる……!」
「勝手なことをしないでくれるかしら?」
レグルは勿論俺達を逃がす気など更々ないようで、額に青筋を浮かべながら俺たちに向けて幾つもの腕をけしかけた。舌打ちを一つしてそれらに向けて盾を構えたが、腕が俺たちに害を加える前に動きを止めて地面に落ちた。さながら氷が溶けるように消え去った腕に俺達が呆然としていると、テラロッサがレグルを見つめながらハエを払うような仕草をした。さっさと行け、ということか。
「彼らに手を出させはしないわ。不滅の名に懸けて、ね」
「……よりにも、よりにもよってアナタが不滅を騙るのね。……何一つ守れずに、壊れた後に戻ってきたアナタが……!」
「……ええ、そうよ。それでもあたしは、不滅なの」
その言葉を聞いたレグルは鬼のような形相を見せて、テラロッサに向けて攻撃を放った。完全に俺達を意識の外に追い出しているな。怒りで我を失っているようだ。降って湧いた最後のチャンス……見逃すわけにはいかない。この場所にいては、二人の戦闘に巻き込まれて死にかねない。
戦いに負けて逃げ去るのは個人的に気分が良くないが、勝つだけが戦いではないはずだ。
生き残り、学習しなければその先に待つのは死。情けなかろうが、惨めだろうが、リエゾンの為にも俺たちは生き残らねばならない。レグルのすべての攻撃を無効化していくテラロッサに小さく一礼をして、空いた壁の穴へ向けて走り出した。
―――――――
ライチたちが自分の作った穴へと走り出すのを確認したテラロッサは、目の前に居る自分の妹に意識を集中させた。白い肌、白い髪、赤い瞳。どれを取っても彼女は自分に似ていない。殆ど時を同じくして生まれた双子だというのに、どうして彼女がここまで自分とかけ離れてしまったのか。その理由をテラロッサは知っている。
レグルは白い肌を紅潮させながらテラロッサへ向けて苛烈な攻撃を仕掛けるが、そのことごとくが無効化され、万が一通っても瞬きの間には傷が完治していた。テラロッサはレグルに対して一切の攻撃を加えることなく、ひたすらに防御に専念している。
その態度ですらレグルを大いに苛立たせている材料にしかならないが、テラロッサがレグルに攻撃を加えるつもりは一切無い。
砂がその姿を槍に変え、剣に変え、更には大蛇や巨人の姿を取ってもテラロッサが怯むことはない。彼女は『不滅』なのだ。どんなに攻撃を仕掛けようと、どれだけ彼女を痛め付けようと、テラロッサがその呼吸を止めることはない。
『不滅』のテラロッサ・レトリックだけが持つ彼女の権能が、すべての事象を『ループ』させるからだ。
彼女が触れるもの、見つめるものの全ては等しく『不滅』になり、決して破壊されたり損傷することはない。メタ的に言えば、彼女の周りではすべての物のHPが『循環』するのだ。割れたグラスは完全に割れる寸前で元の状態に再生するし、傷ついた手のひらは何事もなかったかのように巻き戻る。
この能力が発動している間は、どんなものであろうとHPが0になることはあり得ず、永遠に1と最大値の間を循環し続ける。
それこそが『不滅』を不滅足らしめる理由であり、世界が終わらない理由でもあるのだ。
彼女がいる限り、世界が終わることはない。どれだけ傷つこうと、滅ぶ寸前であろうと、次の瞬間には全てが元に戻る。無限に世界は朝と夜を迎え、環となって巡り続ける。
それを知っている筈のレグルは、されども諦めずにテラロッサに攻撃を続けていた。憎々しげに歪む唇から、暗い声が漏れて揺れる。
「アタシが世界を終わらせるのよ……! 全部全部、終わらせて、こんな間違った場所をぶち壊すの!」
「レグル……」
「アタシの名前を気安く呼ばないで頂戴!」
テラロッサ・レトリックは知っている。自分へ向けて本気の攻撃を続ける妹の心の中核を。彼女が本当は、世界を何よりも愛していたことを知っている。自分なんかよりも、世界と人々の為にも生きていた過去を知っている。
――それは千年近くも昔の話のことだ。
『ねぇ、お姉ちゃん。人間を助けてあげたら、こんなにお礼が来ちゃった……ただ通りすがりに助けただけなのに、不思議よね?』
『お姉ちゃん! 今日は人間とお話ししてきたよ! アイツらアタシのことを女神様だってー! 面白いよね、助けたのなんて気まぐれなのに』
『お姉ちゃん、人間って見てて飽きないよね? ちょっと手を貸してあげるだけで喜んじゃうし、可愛いなぁ』
テラロッサは知っているのだ。彼女が昔、人間達に『女神様』と呼ばれていたことを。満更でもなさそうに彼女が彼らを守っていたことを。
そして人間達に――『不滅』のレグル・レトリックと呼ばれていた、過去を。
『不滅』『堕落』『厭世』『郷愁』『不滅』。これが、本来のワールドボスの並びだったのだ。そこに破滅は存在しない。不滅の双子として、レグルとテラロッサは二人で世界を守護していた。向かい合うことなく、明日を守り、人を守る為に手を取り合う。二人はそうやって本当の双子のように歩んでいたのだ。
そんな『不滅』の二人を、世界を産み出した『彼』はこう呼んだ。
『失敗作』と。
彼が求めていたのは、優しい不滅ではなかった。もっと残虐で退廃的な破滅の化身だった。故にこそ、彼は世界に干渉する。要らぬ失敗作を修正するために。
修正は至って順調に行われ、成功した。彼にとって簡単な事だったのだ。人間を愛する無垢な少女を破滅に落とす事など。狙いは精神的な年齢の低く精神構造の弱いレグルに定められた。
彼女を破滅に落とす為に、どうすればいいのか。解答は単純だ。彼女が大切に思っている全てを、目の前で徹底的に破壊すればいい。そして、それを行った世界に憎悪と復讐心を持たせればいいのだ。そのために邪魔なテラロッサは無理やりレグルから引き離され、彼の計画通りレグルは目の前で愛した人々を容易く蹂躙された。必死の抵抗も虚しく、彼が産み出した漆黒の巨人の手によって守るべき人は全て血飛沫に変わり、国は白い灰となった。頃合いを見て彼はテラロッサを解放し、灰となった国に転送した。
灰となった国に転送されたテラロッサは、さぞ驚愕しただろう。心から大切に思っていた全てが、ある日突然全て灰に変わったのだから。だだっ広い灰の海で膝をつくレグルに、テラロッサは大慌てで駆け寄った。
『これは……! レグル、いったい何が起きたの!?』
『…………の?』
『何?何て言った――』
『いまさら、何しに来たの?』
レグルにとって、テラロッサは全てが終わる瞬間に何処かで遊び呆けて、いまさら帰ってきた怠惰そのものに思えたのだ。どんなに理由を説明しようが『謎の力で閉じ込められていた』では説明にならない。
レグルにとってテラロッサは尊敬する姉
――ふざけるな。
何のための不滅だ。アタシ達は何のために今日まで生きてきたんだ。今までの全てが無駄ならば……不滅であろうと全てが壊れることが避けられないのならば……ああ、ならいっそこの下らない世界ごと消してしまおう。レグルの全てを奪った黒い巨人は最後にこう言い残して消えていた。
『これが、【世界】の意思だ』
世界? 世界……世界が、滅びろと命じたのか? 守ってきた世界が? そのちんけな命令一つで全てが簡単に終わってしまうなら、不滅を名乗りながら何も出来ない怠惰がそこに居るのなら。
ああ、それならば――
――『世界は絶対に、終わるべきよ』
無限につづく世界に明日は要らない。箱庭で笑う命など虚しいだけだ。ならば自分が消してやろう。終わらせてやろう。幕を引いて、破滅してしまえ。
そして世界に反逆する『破滅』が生まれた。月に呪いを掛け、不滅の権能を反転させて世界を蝕む敵が生まれた。世界を恨む度、世界の真理を知る度に破滅の破壊欲は高まり、尚更全てを憎悪していく。けれど、彼女の心の奥底にほんの少しだけ残った
この世界に生きている人間を全て殺してでも平穏を生むべきなのか。醜く生き長らえている欺瞞に満ち溢れた世界を破壊すべきか。
ライチとの邂逅を経て気持ちに踏ん切りが付いたと思いきや、久しぶりに触れ合えた誰かに愛着を持ってしまって殺すにも殺せない。中途半端なのだ、彼女は。
壊したいし、守りたい。好きだけど嫌いだ。
どっち付かずな彼女が本当の答えを出すとき……それが世界の命運を分けることになるのだろう。けれど、それが決まるのはきっとまだ先の話。
一人は己の曖昧な感情を振り切るために。もう一人はそんな妹を優しく見守るように、謝るように……長い長い時間、一方的な感情のキャッチボールが続いた。
「みんな、みんな消えてしまえば……こんなふざけた世界から出られるのに……!」
「…………」
「アナタを見ていると益々イライラするわ……! さっさと消えなさいよ!」
「…………」
同意もしなければ否定もしない。あたかも、妹の愚痴に付き合うように、テラロッサは無言だった。それが不器用で口下手な、彼女なりの優しさであり甘さなのだ。
そんな一方的な憂さ晴らしの音は、太陽が落ちるまで止むことはなかった。
彼にとって明るい感情は必要ではなかった。
必要なのは『自分』。
故にこそその真逆を行く『失敗作』など、この世界には要らないのだ。