騎士は空を飛ぶには重すぎる
こちらに接近してくる飛竜達に向けて、全員が戦闘態勢を取った。唯一俺達を乗せているせいで下手に動けないメラルテンバルが、飛竜達に向かって鋭い声を向ける。
『君達、僕が何者か分かっていて近寄ってきてるのかい?』
『グォォ!!』
『いいかい、僕は白竜メラル――』
『ググルゥァ!』
『……』
努めて冷静に警告を発したメラルテンバルに対して、飛竜達は嘲笑うかのようにくるくるとその場で回り、大きく嘶いた。彼らが発した言葉は俺達に欠片ほども伝わることがないが、同族であるメラルテンバルは違う。嘶きを耳に入れたメラルテンバルは、これまで見たことが無いほど冷たく残虐な視線を飛竜達に向けた。
『……分をわきまえて話しなよ、雑種が。君達みたいな白痴の愚図どもが自分達の国を滅ぼしたんだって事が、どうして分からないんだ』
地獄の底から漏れたようなメラルテンバルの低い声に、俺達を含めた全員が固まった。ロードすらも驚きで目を見開いている。それを見たメラルテンバルはハッとしたように表情を改め、小さく呟いた。
『お見苦しい場面を見せてしまってすみません、ロード様。……昔を思い出してしまいました』
「大丈夫ですよ。少しビックリしましたけど、メラルテンバルさんはメラルテンバルさんです」
『……ありがとうございます』
どうやらメラルテンバルはワイバーンと一昔前に色々あったらしいな。……国と言っていたから、メラルテンバル達のような竜の住む国にメラルテンバルが住んでいた時、何かがあったのだろう。少なくともその出来事が明るいことではないということは、無差別的な憎悪を放っていたメラルテンバルからして明らかだろう。
さて、と雰囲気を明るくしたメラルテンバルが俺達に語りかけた。
『本来ならブレスを撃ち込むなりして僕も加勢するところなんだけど……今は君達が居るからね。尻尾を動かすくらいしか出来ないよ』
「だから、ワイバーンは任せたってことね?」
「敵は全員ワイバーンだよ、カルナ……」
「全員引き受けるってことじゃないか?」
「……言葉の綾よ!」
すねるカルナだが、武器と視線だけは常に敵に固定されている。そういう節々の仕草が完全に戦闘に特化しているなぁ、と改めて思った。敵であるワイバーンの数は大体四十匹くらいか。
鑑定してみたところ状態異常は効く個体と効かない個体があり、全員が魔力を持っているらしい。多分ブレス用のだな。
レベルはそれぞれ十台後半だ。普段ならコープスパーティーの面々の敵ではないが……主戦力のカルナが射程的な問題で動けない。リエゾンも素手ではきつそうだ。
ロードの魔法はアンデッド特効を抜いたダメージが分からないが、きっとダメージにはなるだろうから戦力に数えるとして……まともに戦えそうなのはシエラ、コスタ、俺、ロードか。
とはいえ、コスタは元々MAGにはそれほど振っていないらしいし、MPが切れたら何も出来ないだろう。シエラもメラルテンバルの背中の上ではブリンクが出来ない筈だ。
かくいう俺も足が震えている。この状態で飛竜の一撃から全員を守って、尚且つ戦闘をしろと……カバー使った瞬間振り落とされそうだ。
『流石の僕も君達が落ちたら救えないから、そこは気を付けるんだよ。……特にライチ、勿論の事だけど、ロード様にあの雑種の爪先でも触れさせないようにね』
「わ、分かった……」
「本当に大丈夫ですかね……敵が来ます。先制撃ち込んでいいですか?」
「俺は大丈夫だ。任せたぞ、コスタ」
心配そうに槍を構えながらこちらを見るコスタに親指を立てた。虚勢だが、張っておいてそんなに損は無い筈だ。俺の言葉に頷いたコスタは、ゆっくりと青白く空に透き通った槍の先を迫り来るワイバーン達に向けた。その格好は様になっており、どこか手慣れているようにすら見えた。
ワイバーン達は既に遠かった距離を詰めて俺達に接近しており、お喋りや作戦を立てる暇は無さそうだ。
さて、ここからはどうにか勇気を振り絞って戦うことにしよう。初めての空中戦だ。ゆっくりとコスタが息を吸い込んだ。それと同時に一番こちらに接近していた赤いワイバーンが大きく口を開く。
「すぅ……ハッ!」
スキルを一切介さないコスタの槍が放たれ、一直線に空を穿って先頭のワイバーンの頭蓋骨を綺麗に貫通した。相変わらず凄まじい精度だ。リエゾンも思わず目を見開いている。頭を破壊されたワイバーンは翼から力を抜き、緑の絨毯に墜ちていった。
『ヒュー、やるね君』
「槍なら誰にも負ける気がしません……という気概でやってますから」
「後でレオニダスに差し出しておきましょう」
「間違いなくずたぼろにされるぞ……さあ、開戦だ」
味方のワイバーンが堕ちたことで一瞬驚いたような表情を浮かべたワイバーン達は、されども目の前の俺達に向けて牙を剥いてきた。
「左右に別れて……成る程、囲み打ちか。すまんが俺はロードとリエゾンに集中するから、ある程度は自分で防いでくれ!」
「了解っ!いくよー、『ダークボール』!」
「……」
全員に声を掛けながら前へ歩み出て、先陣を切ってきた緑のワイバーンの体当たりを盾で受けた。ダメージは百以下なようで、HPバーに変動は見られない。取り敢えず盾の上から受ければ無効に出来るようだな。
「うぉっ……!……『ダークアロー』!」
とはいえ、衝撃は普通に通る。体の大きなワイバーンの体当たりを流石に微動だにしないレベルで受けることは出来ないな。それよりも最悪なのは、ワイバーンが普通に戦うより落とした所を狩る方が楽だと考えている点だ。ワイバーンの狙いは主にリエゾンとロード……特にロードだ。体重が軽いから簡単に落とせると思っているのだろう。面倒なことに、しっかりと考えて動いてるな。
若干ふらついた俺の背後からシエラの魔法が炸裂する音とカルナの唸り声が聞こえてきた。ロードとリエゾンの配置を確認しながらちらりと振り返ってみると、野球のバットを振りかぶったような体勢のカルナと、体に大穴を空けられてぶっ飛ぶワイバーンが見えた。
相変わらず派手だな、と思いつつ目の前に視線を寄越せばロードに向かって飛びかかるワイバーン……。
「させねえよ……っと!」
正面から受けるとかなり体がふわっとするので受け流す。ディフェンススタンスやその他のバフをつけなくても、レベルの差があるのでそうそうダメージにはならない。
「ありがとうございます!」
「敵は俺に任せてロードは魔法を頼む」
「勿論です!」
何だかロードのテンションが高い。かなり危うい状況の筈なんだがな……。でも、ロードからすればこれが最後に貢献できるチャンス。張り切るのも当然だよな。
俺が居ようともお構いなしに突っ込んで来るワイバーン達を盾でいなす。時折、さまざまな属性のブレスが飛んでくるので、それだけは絶対に盾で受ける。流石にワンパンは無いだろうが、HPは全損しそうだ。
「っ……!……左右からブレスは止めろよ!」
「眠れ……『墓守の歌』!」
「ナイス!助かる!」
前、左、右、上……極偶に下からのブレスや体当たり、爪での斬撃を盾でなんとか散らして、尚且つランパートと魔法を駆使してカルナ達の援護をする。時折リエゾンの方にも視線を送ってみるが、彼は高い身体能力を活かしてワイバーンの攻撃を全て避けている。……よくこの場所でジャンプとか出来るな。少なくとも俺は怖すぎて無理だ。
ロードの魔法がワイバーンの一匹を綺麗に捉え、その体を消失させた。相手がアンデッドで無くても、綺麗にヒットすれば流石の火力は健在といったところだな。
ちらりとシエラの方を見てみると、真後ろから緑の火炎が飛んでいた。
『シエラ!』
「『ランパート』!」
「うひゃっ……!あ、ありがとう二人とも――」
「余所見してちゃ駄目だ!」
「え?」
メラルテンバルの言葉に硬直してしまったシエラをランパートで守ったが、律儀に礼を言っていたシエラの頭上から火炎が迫っていた。ランパートのリキャストは勿論残っているし、下手にカバーを使ったらここから振り落とされそうだ。それでもどうにか使おうとしたが、それを邪魔するように俺にもブレスが迫る。
数の暴力に対して質で抵抗する以上、手数の問題は避けられない。こちらが一歩進み、一回剣を振る間に、相手方は同じことをしつつ俺の背後に回ったりできる。
常に全ての行動が後手に回るのだ。レベル差とかそういうものは環境が悪いせいで殆ど意味をなしていない。相変わらずカルナとコスタは無双しているが、シエラに気を配れていない辺り、二人も精一杯なのだろう。
ここは仕方ないからダメージ覚悟で移動するしか……と覚悟を決めた瞬間、シエラの姿が消えた。ブリンクか。
ワイバーンのブレスはメラルテンバルの白い背中にぶつかり、僅かにその鱗を焦がした。
恐らくシエラは一か八かで取り敢えずブリンクによる回避を行ったのだろう。よい判断だ、と心の中でシエラを褒めた。……が、その直後に俺の後方から飛び飛びの絶叫が聞こえた。
「キャァァァ!死にたくないっ!死にたくないっ!私は生き延びるっ!」
「ちょっ!?」
「シエラ!?」
『あちゃー……戻ってこれるかな?ゆっくりスピードは落とすけど、急には止まれないよ』
「シエラさん!?」
振り返った俺の視界には、空中に投げ出されたシエラがブリンクを繰り返してどうにか空中を移動している姿が映っていた。まるで程度の低い回線でオンラインゲームをプレイしたかのようなロールバックを繰り返しつつ滞空するシエラの姿は、はっきりいってかなり滑稽だ。とはいえ、なにもしていなければ確実に地面に落ちて……多分死ぬだろう。なのでシエラの生にしがみついている行為は何も間違っていないのだが、いかんせんバカらしく見える。
ワイバーン達も困惑した様子でシエラを見つめており、攻撃の手が緩くなっていた。シエラの一か八かのブリンクは、速さを優先したこともあったのだろう、完全に飛ぶ位置を間違えて空に放り出されていた。
「取り敢えずシエラが脱落したな……」
「ちょ!まだ!落ちて!無いっ!」
「半分は片付けたから、多分そんなに問題は無いわ」
体に幾つかの傷を負っているカルナが武器を構えながら言った。出来れば俺たちも助けたいが、まず触れないから無理だ。悲しいが彼女は放置ということになる。態勢を立て直して戻ってこれるまでに、一応の援護はしておこう。
何より、現在進行形で戦闘は続いているのだ。シエラに心配そうな視線を送っている間にも、ロードにブレスが迫り、リエゾンにワイバーンの顎が接近する。
「くぅ……」
「眠れ!『墓守の歌』!……やっぱり当てづらいです」
ロードの魔法が空を真っ二つに切り裂くが、ワイバーンは巧みな移動でそれを避けた。俺が呪術で援護すればもっと状況は良くなるのだろうが、流石にロードを全面から守りつつ全員に気を配って魔法を撃ち、更にはシエラの援護をしている状態では手が足りない。
とはいえ、現在のところこちらが押しているようにも見える。接近すればカルナが一撃で敵を打ち倒し、離れてもコスタが槍を確実に当てていく。ブレスも俺が確実に防いでいるので意味をなしていない。唯一の心配材料となっているのはシエラとリエゾンだったが、シエラは中々空の移動に慣れてきたらしくブレスを避けながら魔法を放つ余裕を見せている。
リエゾンの方もかすり傷一つ負わずにカウンターでワイバーンを傷つけている。
敵の数も十を下回りそうだ。取り敢えずこのイベント戦は乗り切れそうだな。
ロードが魔法を放ち、避けたワイバーンがメラルテンバルの尻尾に打ち据えられて地面に落下していった。ナイスと叫ぼうとしたが、それよりも若干ふらついた地面にヒヤッとしてしまった。
盾を構えながら敵の動きを確認すると、八匹の内三匹がリエゾンを狙って進んでいた。敵も全滅手前となり、せめて一人でも持っていくつもりなのか。
ロードに向かって噛みつくワイバーンを盾の側面で殴り付けてリエゾンを見つめる。ワイバーンの噛み付きをギリギリで避け、尖った爪を頭部に突き刺した。その隙を狙うワイバーンが体当たりを敢行するが、リエゾンは先程までと同じく右側に転がって避けた。
恐らく彼の利き手は右なのだろう。この戦闘中で右にローリングする事が多かったからな。ワイバーンとの戦闘中に癖を見せてしまうことは、相手にそれを利用されるということを考えなくてはならない。
戦闘中に幾度となく見せたその動作の先に、先陣を切った二匹のワイバーンの影に隠れていたワイバーンが、全力のブレスを放った。タイミングは最悪なことにドンピシャ。
煌々と燃える火球が目を見開くリエゾンに当たる――手前に、青いガラスにぶつかって弾けた。俺のランパートだ。どうにかリエゾンの危機を救えたが……俺を無言で見つめる彼の目は複雑そうだが、助け無いわけにもいかないのだ。せめて彼に気を使わせないようにと考えて言葉を発した。
「……」
「……礼は要らない」
わざわざありがとうと言うべきか言うまいかを彼の中で考えさせる訳にはいかないので、言葉は簡潔に済ませる。俺の言葉に彼はこくりと頷いた。と同時に、俺の後ろを見つめる。
ロードが焦ったように叫んだ。
「ライチさん!後ろです!」
「え?後ろ――」
振り返った俺の視界に映るのは、激怒の相を浮かべながら翼と一体の腕を振りかぶるワイバーンだった。盾を構える暇など勿論無い。さっきブレスを防がれたワイバーンが捨て身で突っ込んできやがったのか。それを頭で理解した瞬間、久方ぶりの強い衝撃を受けて、体がくの字に折れ曲がる。
咄嗟に踏ん張りは利かせたが、ここは元より不安定な地形。完全に耐えきることは出来ず、体が大きく仰け反った。
ぐわりと衝撃が俺の体を吹き飛ばさんとして、俺はなんとかそれに耐えきった。あっぶねぇ、と声が飛び出す前に俺は風に煽られた。忘れる筈もない、ここはメラルテンバルの背の上だ。幾らかメラルテンバルが加減しているとはいえ、凄まじい風圧は言うまでもない。
俺は無理矢理に踏ん張ろうとして――利き手に握っていた盾が、ふわりと手を離れた。
衝撃への備え、体勢への意識が脳のリソースを食って、本来ならば固く握っていた筈の指先から意識が逸れたのだ。
あ、そんな間抜けな声が反射的に出て……俺は思わず、盾に向かって手を伸ばしてしまった。そうしなければ、まず間違いなく体勢を戻せたというのに、わざわざそれを崩してしまった。
空で失った盾が戻ってくるのだろうか。いや、戻ってこないだろう、と短い問答が脳裏にあって、だからこその行動だった。そしてそれは、間違いなく悪手だ。俺の手が盾を掴むのと同時に、体が大空を舞う。
メラルテンバルから離れていく視界と、叫ぶようなロードとシエラの声。浮遊感と遅れ馳せに飛竜に打たれた痛みが脳に伝わってくる。
俺はゆったりとした時間で、どうにかできないかと考えた。どう考えても無理だろ、と分かりつつも、いつも通り足掻いた。けれども数瞬前の決断があまりにも致命的で、覆らない。
メラルテンバルへ無意識に伸びた指先が力を失って、『リスポーン』の文字で脳が埋まった。これは……ロードに怒られるな、とどこか諦めのような感情があって、大きな浮遊感にゆっくりと目を閉じた直後――俺が伸ばした右手が誰かに捕まれた。
「なっ……!」
「この、馬鹿が……! 周りくらい……ちゃんと見ておけっ」
驚きに目を見開くと、リエゾンがメラルテンバルから完全に身を乗り出して俺の手を掴んでいた。彼自身の体も空に浮いており、左手一本で俺と自分の体重を支えていた。
しかし、流石に全身大鎧の俺を支えるのは辛そうだ。それでも彼は歯を食い縛り、額に血管を浮かべながら俺を引き上げようとしている。
「お前が……死んだらっ……あの子が悲しむだろうが! ……大切に思ってくれてる奴を置いて、簡単に死ぬんじゃねえ……!」
「……!」
かつて、一人取り残されたリエゾンだからこそ重みのある言葉に思わず息を飲んだ。凄まじい意志を彼から感じる。決してこの手を離さない、という固い意思を。リエゾンの言葉に合わせて、俺の体が勢い良く上に放り投げられた。受け身もとれずに地面を転がった俺に、誰かが抱き付いてきた。
「ら、ライチさん……! 本当に、本当に……やめてくださいよ。心配、したんですからぁ……!」
誰かの正体は涙声のロードだった。慌ててその頭を撫でて宥めていると、呆れた顔のカルナと心配そうな表情をしたコスタがこちらを見ていた。……どうやら敵は全員片付けたらしい。
「最後の最後にやらかしたわね」
「俺も心配しました。盾を持ってるので仕方ないかもしれないですけど、気をつけて下さい」
「ご、ごめんなさい……」
ひたすらに謝った。やっぱり技量自体はそんなに無い俺では、不意打ちに勘で対応したりは出来ない。だが、にしたってミスをした場所が悪かった。ロードを宥めながら、メラルテンバルに這い上ってくるリエゾンを見て、礼を言おうとした。
「えーと……その、あ――」
「礼は、要らない」
礼を言うより先に、リエゾンに先程の言葉を返されてしまった。リエゾンは荒い息を整えながら、俺にしがみついて泣き出すロードを見つめて、満足そうな顔をした。
『まったく……ロード様を泣かせるとはね。これは後で岩盤浴の刑だ』
「か、勘弁してくれ……」
事が一段落した時を見計らって、メラルテンバルが言った。冗談めかしてはいるが、実際やられたら確実に死にそうなので遠慮しておく。相変わらず泣き続けるロードに、ごめんな、と囁く。空にもう敵はいない。だからこそ強く残る失敗感に、俺は大きくため息を吐いた。