あなたに会うために
リエゾンは口と目を閉ざしていた。目の前で話を聞いていたテラロッサも同様に灰色の瞳を閉ざして沈黙していた。誰も、何も言わなかった。ロードは口元を押さえ、カルナは渋い顔で白んでいく空を見つめている。コスタは鎧を震わせながら足を一歩後ろに下げており、シエラに至っては声を上げずに泣いていた。メラルテンバルはテラロッサと同じく瞳を閉ざして沈黙していた。
俺は自分が何をするべきか、どう声を掛けていいのかさっぱりだった。何もできず、何も考えられず、ただ過去を……彼にとっての全てを語り終えたリエゾンを見つめていた。
彼が鎧を着た俺やコスタを嫌うのも当然だ。なんなら、最初に出会った時の敵意に満ちた視線の意味だって、今なら分かる。こうして俺と行動を共にしていること自体が彼の心の傷に塩を塗っているのだと、俺は初めて気がついた。
今この瞬間にリエゾンが俺に襲い掛かってきても、何も不思議ではない。大切な……心から愛していた相手を殺されたのとほとんど変わらない『白い鎧』を着た俺がいるのだ。むしろ、これまで理性を保っていてくれたことに感謝すべきだろう。
(もし、ロードがリアンさんと同じく無惨に殺されたら)
ああ、想像もしたくない。考えたくない。そんなのは絶対にお断りだ。もし、仮に……そんなことが起きたとしたら。
――例えゲームだろうと、理性を保てる自信が無い。
それだというのにリエゾンは、俺という存在に助けられ、気遣われ、果てには目の前で嫌っている理由すら話した。これがどれだけの屈辱に値するというのだろうか。
拳をぎゅっと握りしめた俺の耳に、遠くから宴狂いの調子外れな祭り囃子が聞こえてきた。しばらくの沈黙を経て、ゆっくりとテラロッサが重い唇を開く。
「『彼』も……間違いを犯すことがあるのね……」
その声はとてもか細く、先程までの彼女とは打って変わった臆病な声だった。しかしどうしてか、俺にはその声こそが彼女の地声のように感じられたのだ。テラロッサの言葉にリエゾンが口を開こうとするのを、彼女自身が手で制した。
「話は分かったわ。ええ、ええ……いいでしょう。約束は守らないといけないものね。私は、あなた達を助けるわ」
テラロッサはそう言うなり、空に向けて手を掲げ、ぱちんと指を鳴らした。この場の全員の視線がそれに集まったとき、彼女は黒髪を揺らしながら言葉を紡いだ。
「……『世界権限』よ。嫌とは言わせないわ。さっさと切符を切りなさい」
【……】
【審議中――】
【世界権限の行使を承認しました】
凛としたその言葉に呼応して、電子音が俺の頭に響き渡る。それと同時に、視界一杯にメニューが開かれた。……これは、クエスト画面?
【通知:クエストが発生しました】
【クエスト名:『微かな希望、絶海の花。あるいは、破滅の腹の底』】
【通知:世界権限が介入しました】
【クエスト内容を変更します】
【クエスト名:『悠久を越えて、それは不滅へと至るのか』】
【クエスト達成条件:『北の不滅』×1の入手】
【クエスト失敗条件:リエゾン・フラグメントの死亡、『北の不滅』の入手が不可能になる】
【推奨レベル:1】
【報酬:EXP、『不滅』の加護、リエゾン・フラグメントの感謝、不滅の愛】
【クエスト内容:北の砂漠の中から『北の不滅』を発見しよう。
いつの日か彼女がくれた全てを、遠き日の果てで彼は返せるのだろうか】
「な……ワールドオーダー?」
「『発行元』に口出しして、クエスト内容を変更して、新しく切り直しただけよ。……元のクエスト内容だと、間違いなくあの子を倒すことがクエスト達成条件になるもの」
どうやらわざわざクエストの難易度を下げるために世界権限というものを使ってくれたらしい。お陰で推奨レベルは驚異の1だ。テラロッサが介入してくれなかった場合は……考えるのも恐ろしい。到底俺達に攻略できる案件ではなくなっていたな。大人数の助けが間違いなく必要になるが……問題は砂漠の性質だ。確実に全員削り取られてリスポーンする羽目になるだろう。
テラロッサがクエスト内容を設定してくれたことなどから、察するに……どうやら、お伽噺等ではなく本当に北の不滅は存在するらしい。目を丸くする俺に、リエゾンがちらりと視線を寄越した。ロードやメラルテンバルも興味深そうにこちらを見つめている。そうか、彼らにはクエストメニューが見えていないのか。
他にクエスト内容が見えているカルナやコスタもその事に気がついたようでハッとした様子を見せている。シエラは……未だにリエゾンの話のショックから立ち直れていないらしく、泣き顔のままぼやけているであろうクエストメニューを見つめている。
「朗報だ」
「北の不滅は……確かにあるわね」
「本当ですか!?良かったですね、リエゾンさん!」
「……そうか」
俺とカルナの報告にロードは喜び、リエゾンに向けて笑顔を向けた。当のリエゾンはあまり大きなリアクションは無いが、心の奥で僅かに負担が軽くなっている事を祈ろう。
その様子を無言で見つめていたテラロッサは、さて、と大きく俺達に呼び掛けた。
「そのクエストは切符よ。それがあれば余程のことがない限り、そこの彼……リエゾンに邪魔は入らないわ。……道中現れるクエスト用のモンスターとクエストのボスを除いて、ね。それがこの世界における『クエスト』よ」
「クエスト用のモンスター……」
テラロッサの言い分は良く分かる。クエストが設定され、それを俺達が受注すれば……『ゲーム的な観点』からクエストに邪魔は入らないだろう。ムービーシーンでランダムエンカウントが起きないのと同じだ。その理論は非常に分かりやすいのだが……だからこそ、違和感があるのだ。
このゲームにおいて、NPCは基本的に俺達が見ているクエストメニューについてや、リスポーンについて、それからもちろんクエストについて知覚することも無ければ知っていることもない。彼らにとってこの世界が全てであって、『クエスト』や『リスポーン』などの言葉は聞き覚えが無い筈だ。
それだというのに、このテラロッサという人物はそれについて知っている。いや、知っているどころの話ではない。その仕様を作った存在について知っているし、俺達についても知っているのだろう。それがワールドボスとやらの特権だとしたら、特徴だとしたならば――
ここが、ゲームの世界だということも……きっと知っているはずだ。
答えを求めてテラロッサの無表情を見つめるが、端正な顔立ちは特にヒントになりそうな色を映さない。俺の気持ちを知ってか知らずか、テラロッサは何事もないように話を続ける。
「ボスについても、逃げれば問題はないわ。だって、今回のクエスト目標はあくまで『北の不滅』の入手だもの。最悪なのは『あの子』が全部の花を枯らしてしまうこと。……あの子はあたしが大っ嫌いだから、あたしの名前がついた花は見つけた端から踏み潰すわ。全ての花が消されてしまわない内に行動すべきね」
「……それについては理解しました。では、肝心の移動手段についてはどうすればいいんでしょうか」
テラロッサに解説に、コスタが丁寧に切り込んだ。確かに今の彼女の説明では、最も重要な部分である移動についてが欠けている。目的と切符を手に入れても、肝心の電車が来なければ話にならないのだ。
コスタの質問を受けたテラロッサは一度軽く頷いて、回答を述べた。
「それについては安心して。あの子の砂漠なんて比にならないくらいの――『不滅の加護』をあなた達に与えるから。絶対に、砂粒程度じゃあたしの加護は貫けないもの。安心して進みなさい」
けれど、とテラロッサは続けた。綺麗な指先がロードを指差し、続けてメラルテンバルを指差した。
「あなた達二人は諦めて頂戴」
『僕達だけ……ですか』
「え……そ、そんな!僕たちだって……その、リエゾンさんを助けたいと――」
「無理なものは、無理なのよ」
テラロッサが沈痛な面持ちを浮かべた。どうしてだ、と俺も食いかかろうとしたが、それよりも速くテラロッサの胸元の刺青が白く煌めいた。煌めいた刺青は光の粒子を放出し、それらはロードたちに近づいて……白い壁に弾かれた。
それと同時にテラロッサの首もとに先程より大きな二重の輪が生まれ、テラロッサが苦しげな表情を浮かべる。
「クエストの……範囲を越えた加護の使用は、出来ないのよ。……リエゾンは勿論クエストのNPCとして定義されているから大丈夫だけど……それ以外は……はぁ、あたしじゃどうにもならないわ……っ」
今回のクエストに参加するメンバーはシステム的に見て俺、カルナ、シエラ、コスタ、リエゾンの五人だろう。それ以外のロードとメラルテンバルははっきりいってしまえば着いてきただけだ。それを無理やりクエストに組み込むことは勿論、加護を与えることも不可能ということか。
小さくロードの顔を見るために振り返ると、彼女はやるせないような顔をしつつも、目の前で光の輪に喉をきつく締め上げられているテラロッサを見て、悲しい顔をしていた。
テラロッサは暫くの間苦しみに喘ぎながら苦悶の声を漏らしていたが、光の輪が消えると深く息を吸って気持ちを落ち着かせていた。
「……わかって、もらえたかしら」
「……はい」
「……ごめんなさい。あたしに、力が無くて。……結局あたしはどう呼ばれようと、世界の操り人形よ……こうして困っているあなた達二人を助けることすら出来ないんだもの。笑ってしまうわよね」
「……」
首をさすりながら言うテラロッサの言葉に、ロードが尚更悲しい顔をして俯く。テラロッサはその様子を自嘲を込めて鼻で笑って、俺達に向き直った。
「あたしに出来るのは、檻の中から囁くこと位よ。だから、檻の外のあなた達は……せめて一人の魔物の手くらい、とってみせなさい」
「……任せてくれ」
俺がテラロッサに向かってそう言うと、彼女は疲れた顔に柔らかく笑みを浮かべて俺達に向けて指先を向けた。黒いドレスの奥底で、炎の刺青が白く輝いた。さながら白い火の粉となった粒子が宙を舞い、リエゾンを含めた俺達の体に触れた。
【『不滅の加護』を入手しました】
【環境ダメージ、状態異常ダメージ、最大HPの一割以下のダメージの全てが無効化されます】
「嘘だろ……めちゃくちゃ強くないか?」
「あり得ない位強いわね。特にライチに対する恩恵が大きすぎるわ」
「炎の刺青が……」
「え?……えーと、お話聞いてなかったんだけど……何なの、これ」
「……『不滅の加護』だ」
リエゾンの雑な解説を受けたシエラが成る程、と納得した。……いや、こっそりコスタに聞き直してるな。加護を受けたらしい俺の鎧の右腕部分に、白い炎の刺青が刻まれている。元々が銀の鎧だからかなり見辛いのでは、と思ったが、刺青の部分だけは切り抜いたような圧倒的な白さで覆われていたので、そんなことはなかった。
それにしても、加護の内容がえげつない。俺ならば大体百ダメージまでは全てノーダメージという狂った性能をしている。元々状態異常は効かないが、炎や吹雪……果てには落石等の環境ダメージを全て無効化してくれている。勿論、環境ダメージの中には『死の砂』によるダメージも含まれているだろう。
つまり、だ。地獄も温いと思わせる北の砂漠を、俺達は堂々と闊歩できるのだ。そうとなれば、あとは花を探すだけ。どれだけ広いかは知らないが、あそこでまともな生物が生きていられるとも思えない以上、ここからは完全に探索となるだろう。
ダメージが無いとはいえ、砂が舞い続ける砂漠を探索し続けていられる時間は、早々無い。鎧装備である俺やコスタは勿論、コープスパーティーの面々は砂漠を歩いた経験など無い。なんだかカルナならばあるわよ、と言ってきそうだが、流石に地球の砂漠よりは過酷な環境に違いない。
様々な思考を巡らせる俺に、テラロッサが目を細めて口を開いた。
「あたしから出来ることはこれだけよ。後はあなた達に託すわ。散々偉そうなことを言っておいて、結局この椅子に座りっぱなしなのは、少し癪なのだけれど……精々私は、ここからあなた達の事を眺めさせてもらうわ」
テラロッサが腰掛けていた仰々しい椅子の背もたれに体重を預け、だらりと力を抜く。それだけ見れば少しだらしないような仕草なのに、彼女が纏う雰囲気がそうさせるのか、どうにも深い気品を感じてしまう。
背もたれの調子を確かめるように首を傾けたテラロッサが、「ああ」と思い出したように言った。
「一言お節介な言葉を残しておくのを忘れるところだったわ」
そう言いつつ、テラロッサがふふ、と笑って、視線を俺に向けた。その美しい目が見ているのは、確かに俺一人だ。細められた瞳といたずらっぽい笑みを浮かべる口元に、心臓が跳ね上がる。小悪魔の三文字が似合いすぎる笑みを放つ彼女は、囁くようにこう言った。
「この先、どんなことがあろうとも……道は、あなたが切り開きなさい。そうじゃないと、つまらないわ」
テラロッサの言葉に既視感を覚えた時、彼女は笑みを崩さず指を鳴らして、その音と共に消えてしまった。まるで初めからそこに居なかったかのように……魔法のように消えてしまったのだ。俺の目の前に残されているのは、空っぽの椅子だけ。
誰かが漏らした驚きの声に阻まれて、俺は結局彼女の言葉を思い出すことは出来なかった。
『発行元』はゲーム内に居ます。