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極夜の大宴会

 鎧の兜に風を感じている。世界が高速で後ろに流れていき、爽やかな疾走感が胸の奥で吹き抜けている。左に視線を向ければ樹木の地平線、更に後ろに視界を傾ければ墓地と小さく砂漠のようなものが見える。そこだけ色素を失ったかのようなモノクロの大地。あれが白い砂漠か……。

 現在はレオニダスとメルトリアス、オルゲスが留守を勤める墓地に向けて、白い砂漠は手を伸ばしているようにも見える。それだけではない。樹海も、王都の辺りにある小さな森林にも、破滅は手を伸ばそうとしていた。その様子に底知れぬ恐ろしさを感じていると、それと反比例するかのような底抜けに楽しそうな声が聞こえた。


「コスタコスタ!空だよ!ドラゴンライディングだよ!キャー、ロマンだぁ!このゲームやってて良かったっ!」


「ちょ、シエラ……落ち着いてよ。ほら、リエゾ……あの人も変な目で見てるから……」


「オレは別に……」


『ちょっと、はしゃぎすぎて落ちたりなんてしたら助けられないよ?』


「私とコスタが気を付けているから大丈夫よ、メラルテンバル」


『それなら良いけどさぁ……まあいいや、そろそろ慣れただろうし飛ばすよ。彼女の宴が()()()()()()しまうまでには辿り着かないと、最悪彼女に会うまでに宴のメインディッシュにされてしまうからね』


 そう言うなりメラルテンバルが真っ白な翼を大きくはためかせ、大気の流れがより一層激しくなった。景色がぐんぐんと後ろに流れていく。シエラが甲高くサイコー!と叫んだ。俺はジェットコースターとかは楽しめないタイプの人間なので、羨ましいと思いつつガッツリスキル補正を効かせながらメラルテンバルの体にしがみついていた。……二度目とはいえ、怖いものは怖いのだ。

 確実に時速二百キロは出ているであろうこの飛行は、シートベルトやエアバッグ殴り捨てのクレイジーなものだ。


 メラルテンバルの背中にある跳ねた鱗に両手をがっしりと固定し、両足でメラルテンバルの体を挟んだ俺に、カルナが何か言いたげな視線を向けた。


「……どうした?」  


「堅すぎよ。もっと全身から力を抜いて、風に逆らわないように……ほら、ロードだってきょとんとしているじゃない」


「はい、特に緊張はしてませんね。メラルテンバルさんを信じているので」  


「その言い方だと俺がメラルテンバルを信じてないみたいじゃ――うぉっ、ちょ!揺らすな!」


『すまないね、乱気流さ』


 絶対嘘だ。高笑いするメラルテンバルにそう思った。ロードとカルナは自然体でメラルテンバルの背中に乗っているが、俺には到底出来そうではない。というかカルナ、ロードはともかくお前はどうしてそんなに慣れた感じで落ち着いてられるんだ。メラルテンバルの体にしがみつきながらそう聞くと、何でもないようにカルナから答えが帰ってきた。


「乗馬は得意だもの。じゃじゃ馬でも乗りこなせると自負しているわ」


「一般家庭で乗馬を習う機会はそれほどないと思うんだがな……」


「……取り敢えず、ライチさんは肩から力を抜きましょう。目的地の世界樹まで体力が持ちませんよ」


 ロードの言葉ならば、とちょっとだけ肩から力を抜いた。カルナがため息と共に額を押さえたが、俺にとってこの弛緩は勇気ある一歩なのだ。むしろ褒めてほしい。またもや空の雲の流れる早さに叫ぶシエラに釣られて後ろを振り向くと、頭を抱えながらシエラの体を押さえようとして貫通しているコスタと、無言で砂漠を見つめるリエゾンの姿があった。


 黒い尻尾を靡かせ、進路方向と殆ど反対の方角を向いたリエゾンの表情は心ここに在らず、といった様子だ。そんな様子を見て、俺の中で小さな勇気が沸き上がった。掴んでいた鱗から両手を離し、メラルテンバルの体表をにじりよるようにしてリエゾンに近づく。不格好だが、体を反転するときの勇気と移動という大仕事をする勇気は、俺の中でも貴重な物なのだ。

 近づく俺にリエゾンは鋭い目を向けるが、最早この空の大移動の恐怖が彼への恐怖を完全に上回っているので、全く怖くない。


 というか、ここから後ろに下がったり止まったりはもう無理だ。消耗品である勇気が尽きてしまう。擬似的な背水の陣を築いて、リエゾンにそこそこの距離まで近づいた。煩わしそうにリエゾンが口を開く。


「……何の用だ」


「特に用らしい用はないよ」


「ならさっさとオレから離れろ。不快だ」


 リエゾンが深紅の瞳を細めた。吐き捨てるように言われた言葉に、ロードが身を乗り出そうとしたのをカルナが止めた。シエラ達は自分達の大声で気付いていないし、メラルテンバルも聞こえていないようだ。

 流石にここまで嫌悪感を露にされると困るなぁ、と内心思って苦笑いで頬を掻いた。けれども、リエゾンの態度に俺は全く頭に来ないのだ。なんというか、俺でない誰かが俺の側で罵られているのを聞いているような、そんな気分だった。リエゾンの罵倒は、俺に向けて放たれている物ではない。


 少し前に空の向こうを見つめたように、ロードの後ろを見つめる淡い瞳のように、彼が今見つめているのはきっと過去の誰かなのだ。今にいて、今に居ない。そんな様子のリエゾンに小さくため息を吐いて、俺は聞いた。


「……鎧は、嫌いか?」


 彼は驚いたようにびくりと瞳を揺らし、漸く『俺』を見てくれた。その後少しの間を置いて、リエゾンは俺を見たまま絞り出すように言った。


「…………ああ、嫌いだ。大っ嫌いだよ」


「……理由を聞いても、良いか?」


 リエゾンの言葉からは、刺々しい憎悪が消えていた。代わりに困惑が大きく内に秘められている。慎重に、鎧が嫌いな理由をリエゾンに聞いてみた。彼は俺の言葉に眉を潜めると、小さく鼻から息を吐いて目を閉じた。


「……悪いが、言えねえよ」


「そっか。……悪いな」


「気にするなよ。アンタは……ライチは悪くねえ。オレが悪いんだ」


「……」


 初めて俺の名前を呼び、小さく笑ったリエゾンに、俺はどう返して良いか分からなかった。ただ無言で彼の笑顔を見つめるだけだった。一つだけわかることがあるとすれば、きっと彼は悪い人間ではないということだ。何か、暗い物を抱えた不器用な青年なのだろう。


 会話の止まった俺達に、メラルテンバルが声を掛けてきた。声色は真剣そのもの。


『君達、覚悟は良いかい?もうすぐ到着だ。……世界が変わるよ』


「……?もう到着か?」


 もう一度なけなしの勇気を振り絞って後ろを振り返ってみても、正面には何もない。ただの樹海が果てしなく広がっているだけだ。辺りを見回しても殆ど同じ景色。緑の砂漠という言葉が似合うくらい殺風景で味気ない景色だ。空も雲ひとつなく晴れ渡り、雨の心配はしなくて良さそうだと思える。

 つまり、世界樹なんて呼ばれるような神秘的な物は視界に映っていないのだ。……というか、世界樹がどんな樹かすら、俺たちは分からなかったな。皆の困惑を代表して、俺がメラルテンバルに口を開く。


「メラルテンバル……世界樹ってのはどんな様子なんだ?」


『そうだね……巨大すぎる、かな。正直、この世界で一番大きい物が何かと問われれば間違いなく世界樹と答えるよ。僕が初めて世界樹を目にしたときは若かったことを差し引いても、驚きすぎて声が出なかったね』


「そんなにか……でも、この辺りにそんなものは見えないぞ?そんなにでかいなら、今からでも見えて可笑しくないか?そもそも、墓地からでも見えてもおかしくないだろう?」


 俺の質問に、メラルテンバルは黙りこくり……そして、笑った。それは無邪気に、楽しそうに。笑うメラルテンバルに困惑していると、笑い声の後にメラルテンバルが言った。

 それはもう、楽しみだと期待を込めたような声で。


『ねぇ、ライチ。今、おかしいことがもう起きてるって知ってるかい?』


「……何の話だ?」


『空を見てみなよ。それですべてが分かるよ』  


 言われた通りに空を見上げたが、何もない。リエゾンを含めた他のメンバーも同じく空を見上げているが、分からないようだ。メラルテンバルにもう一度問いただそうとしたとき、コスタとシエラが同時に『あ』と声を漏らした。


「雲が一切無い。それと……」


「太陽が――無いよ」


「……え?」


 見上げた空は一面の青。青、青、青。雲は一切見当たらない。それがおかしいかどうかは微妙だが、それよりも大きな問題があった。……太陽が、空に浮かんでいない。それなのに空は青々としているし、大地の樹木は緑に萌えている。おかしいどころの話じゃないぞ?何が起こっているんだ?

 全員が違和感に気が付き、大きく慌て出した時……メラルテンバルが小さく笑って、さながら道先案内人のように言った。


『はは、その表情を絵画に残してあげたいね。……さて君達、覚悟は良いね?ここから先は正真正銘宴の会場。極夜、不滅の大宴会(パレード)だ。気をしっかり持っていてくれよ』


 メラルテンバルが頭だけをこちらに向けて、白い牙を剥いて笑顔を作った。温い風が俺の頬を切る。……何処からか祭り囃子と、アルコールの匂いがする。空気が粘つき、謎の高揚感が俺の体を駆け巡り始めた。


『紳士淑女の皆さん、パーティーへようこそ』


 メラルテンバルの言葉を最後に、俺は……いや、俺達の思考は完全に停止した。気絶したとか、そういうものではない。そんな物理的な問題ではないのだ。かといって状態異常や精神状態の影響ということでもない。それは単純な――飽和だ。

 情報が飽和している。何が起きているのかさっぱりわからない。それがなんなのかが理解できても、あまりの情報量に脳が白旗を上げて目をつむっている。


「こ……れ、は……」


「……夜だ」


「酒臭い」


「騒々しい……!」


「成る程……本当に、そっくりそのまま大宴会(パレード)なのね」


 世界が一気に音もなく変化した。空は黒く、大地は行灯(あんどん)の淡い光と蠢く黒い何か。先程までの爽快な空気は粘度が高く温い物に変わっており、加えていくつもの食事とアルコール……有り体に言えば酒の香りが折り重なっている。騒々しい叫び声、歌い声、笑い声が絶え間なく悪趣味な空気を伝わって俺達の耳朶を打った。樹海は切り開かれ、縁日の屋台のようなものや巨大なテーブル、クリスマスツリー?にピラミッド、大きな積み木の集まり……整合性が一切取れないカオスが広がっていた。


 情報量が多すぎる。視界を少し動かすだけでとんでもないものがいくらでも浮かび上がり、継ぎ接ぎな世界は相変わらず極彩を放ちつつ大声で宴を叫ぶ。すべての色、すべての時間、すべての場所をバケツにかき集めてぐるぐるとかき混ぜて、適当にぶちまけたような滅茶苦茶さが真下の世界で広がっていた。


 空は真っ暗。夜かと思えば何か違う。祭りの明かりが照らす空は真っ黒で、けれども何処か隙間が空いている。空いた隙間から差し込む光と月明かり……なんだ?


 まさか……ッ!?


 衝撃的な結論に至った俺に、メラルテンバルがため息と共に言う。


『すごいだろう?……見上げるどころじゃすまない。それこそ、空と一体化した大きさの……世界樹だ。普段は不滅が結界を張って隠しているよ』


「結界の中には夜と宴と世界樹が閉じ込められている、といった感じか……」


『そうだよ、リエゾン君。ここは永遠に終わらない宴の会場。文字通り下の彼らは世界が終わるか、彼らが死ぬまで永遠に夜を楽しむ。普通は『不滅の眷属』とでも言うべきなんだろうけど、彼女はその呼び方が嫌いでね……『パーティージャンキー(宴狂い)』ども、って言ってるよ』


 眼下の宴狂いたちは俺達の存在に気がついたらしく、なにやら大きく歓声を上げている。咆哮を上げ、跳び跳ね……一見歓迎されているのかと思いきや、俺達に向けてゴミや椅子を投げてくる連中もいた。

 そんな奴を殴った宴狂いと殴られた宴狂いが取っ組み合いとなり、彼らは酒を呷りながらそれを楽しんでいる。……なんだ、こいつらは。


「ちょ、ゴミ投げないでよ!」


「何でしょう……あの人達、手足が十本あったり、逆に無かったり……失礼かもしれないですけど、怖いです」


「品が無いわね……信じられないわ」


「ケダモノと何が違うと言うんだ。気持ちの悪い連中め」


「間違ってもあの中には入りたくないぞ……間違いなくとんでもないことになる」


 口々に宴狂いを詰る俺達に、メラルテンバルは大きく頷いて笑った。君達にここのルールを教えておこうか、とひとつ前置きを置いて、メラルテンバルは口を開く。


『ここでのルールは……好き勝手暴れること!存分、好きにしていいよ。君達がどれだけ好き勝手暴れようとも、それこそ今から武器をもって宴狂いと取っ組み合いをしても、野次を空から飛ばそうとも、彼らを見下しながら唾を吐こうったって誰も止めないから』


「文字通り何でもありって感じですか……」


『それがここ……極夜の大宴会(ブラックパレード)のルールだよ。僕たちは不滅に会いにここに来たけれど、私用でここに来ることがあったら是非とも気をつけてほしいね。宴狂い達だって好き勝手やっているんだから、いきなり殴られて唾を吐かれ、鱗を蹴り飛ばされようとも、誰も助けてはくれないよ……』


「完全に後半はメラルテンバルの実体験ね……」


『本当に、初めてここにたどり着いた時は最悪だったよ……偶々『好き勝手に助けてくれる』宴狂いが居なかったら、どうなってたか。それなのに、主催者の彼女はゲラゲラ笑ってるんだから、趣味が悪いよ』


 はあ、とメラルテンバルはため息を吐いた。相変わらず酒臭く、何処か焦げ臭い独特の空気が肺の隅に染みる。……さっきまでの空気がどれだけ美味しかったか、今頃気がついてしまった。

 メラルテンバルは首を振りながら世界樹の根本を目指して飛行している。そこには幾つものばかでかい『根っこ』が点在しており、なんと宴狂いはこの中をくり貫いて酒場にしているようだ。真っ黒の根っこの横に取り付けられた窓から光が漏れている……あ、宴狂いが窓から放り出された。


「うっそだろ!?あいつ手に持ってる酒瓶に火を着けて酒場に放り込みやがった!」


「うぅ……引火して大爆発ですね……」


『おー、音に釣られてジャンキーな奴らが集まってきたね。怖い怖い』


 本当にカオスな場所だ。視線をそらせば何処かで爆発していたり、殴りあっていたり、大人数で肩を組んでいたと思いきや殴りあっていたり……ここの様子を見つめているだけで、余裕で時間が消えるだろう。

 騒音に巻かれながら、俺達は宴の様子を見つめていた。


『さて、もうそろそろ世界樹の根本に着くよ。司会者の『不滅』とご対面だ』


 慌てて進路方向に戻した視線の先……何十人も同時に掛けられる縦長の机の最長端に、一人の女が頬杖をついていた。肩までの真っ直ぐな黒髪で、瞳は銀色……のように見える。健康そうな小麦色の肌と、真っ黒な薔薇の装飾のドレスを纏った女は、端正な顔立ちに氷を連想させる無表情を貼り付けて、じっとこちらを見つめていた。その様子は文字通り凍りつくほど美しく、絵になっていた。

 あれが……『不滅』か。玉座にも似た派手な椅子に腰掛けている女は、こちらをじーっと凝視して頬杖を解いた。心なしか、その視線の先に居るのが俺だという予感がする。


 早速猛烈な不安に襲われる俺の前で、不滅がゆっくりと凍りついた無表情を溶かし、アルカイックスマイルを浮かべた。

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