眠れる騎士と墓守の歌
連続して鳴り響く通知と、その圧倒的な情報量に口を開く前に、度重なるダメージの蓄積が、俺の体を蝕んでいた。ステータスを開けば、職業レベルが1上がった以外に色々とあったが、視界が殆ど真っ暗で、音も聞こえない。
不思議に静かな世界で固い……石の床? の上で、寝そべっている。HPの表示は真っ赤な0。MPの値は20。本当の本当にギリギリだった。あと一回、余計に魔法や呪術を使っていたら、空中で弾け飛んでいただろう。
「――ん! ――な、――て!」
死ぬほど体が
さっきの状況でよく生き延びられたものだ。絶対死ぬタイプのイベントだと思ってヒヤヒヤした。
「……」
MPの回復を取り敢えず待つか、と五感の殆どが欠損した世界で思っていると、不意に顔に何かが触れたのを感じた。暖かく、柔らかい何か。それと同時に流れたシステムメッセージで、俺の意識は急速に覚醒した。
【一定条件を満たしたので『死神の祝福』を獲得しました。以降、デスペナルティが半分になります】
「ん!?」
世界に彩が戻る。めくるめく光が、揺らめく音が、俺の中を乱反射して突き抜けていった。
「な……一体……?」
「ら、ライチ……さん。よかった、上手くいったんですね」
あの感触のあと、急に体が軽くなって視界も普通になった。何故か兜が脱げていたので被り直す。
試しにステータスを開くと、名前の横に『死神の祝福』の文字と、全快したHP、MP……。
「おぉ……? 何が起きたんだ?」
「レベルが上がって覚えたんです……
声に反応して振り返ってみれば、唇に手を当ててぺたんと女の子座りをしたロードの姿。所々に傷はあるが、取り敢えず五体満足で無事なようだ。助かった。ほう、と心の奥底からのため息を吐く。
「よかった。あの状況じゃ、何が起きてもおかしくなかったからな……」
「本当ですよ……僕も、どうして自分がまだ生きてるのかがまったくわかりません」
同じくため息を吐くロード。取り敢えず落ち着いた状況に、ようやく周囲の状況に気がつく。ここは……。
「遺跡……?」
「正確には、ここも墓地なんです」
ゆっくりと立ち上がったロードに倣って立ち上がろうとするが、上手く立ち上がれない。よく見れば、身体中の鎧には穴や傷跡が大量についており、状態が『破損』になっていた。あれだけの修羅場を乗り越えたのなら、仕方のないことだが、若干愛着が湧いていたから、悲しい。
割れた腰当てから、黒い靄のようなものが垣間見える。俺の体だ。崩れかけの鎧に上手く体を埋めて、なんとか立ちあがる。後ろから、微かに音が聞こえて振り返った。なんか……戦闘音?
「外はまだ戦闘が続いてますよ。ここは墓守の結界に守られているので、大丈夫ですけど、外に出たら本当に一瞬と持たないと思います」
「……ちょっと見てみたい」
「余波で死んでも知りませんよ……?」
間違いなく余波だけで、いや、余波の余波で死ねるな。……にしても、中々すごい場所に居るな。
「床は……大理石か?」
「天井も、壁もですよ」
「そんなに豪華なのに明かりが全く無いのか……」
「ここは、
入り口から振り返ると、明かりひとつない通路がある。床と天井、壁はベージュで、天井には何やら文様が刻まれている。が、松明の一つすらないので、少ししてしまえば影に隠されて見えなくなってしまう。
狭くもなく、広くもない通路の真ん中に立ってみると、自分が世界に一人だけ取り残されたような気分になる。
「……ロードの方も、雰囲気変わってないか?」
「……緊張してるんですよ」
「緊張?」
上目遣いにこちらをみたロードの顔は、緊張というより、不機嫌といった顔だった。
その原因は大体想像がつく。
「その……すまん」
「……何がですか?」
「シールドバッシュかましたの」
「そっちですか!?」
え、そっち?どっちだよ。明らかに機嫌悪かったし、絶対根に持ってるわ。やはり虫の居所が悪いのか、ロードは下を向いてプルプルと震えている。そして、本格的に切れたのか、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「ロード……その……休憩してもいいか?」
「……いいですよ」
あ、一応返事は普通にしてくれるのか。一安心して、ステータスを開く。
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ライチ 男 『死神の加護』
シャドウスピリット族 種族Lv9 呪術騎士 職業Lv9
HP 330/330 MP 580/580
STR 1
VIT 170
AGI 1
DEX 10
MAG 270
MAGD 210
ステータスポイント50
【スキル】 SP4
「初級盾術6」「初級呪術5」「見切り2」「持久4」「詠唱加速2」「詠唱保持-」「体幹強化2」「鑑定3」「呪術理解1」「状態異常効果上昇:小」『生存本能』
【固有スキル】【種族特性】
「物理半無効」「魔法耐性脆弱:致命」「詠唱成功率最高」「浄化耐性脆弱:大」「魔法威力上昇:中」「MP回復速度上昇:中」「HP自動回復:小」「中級闇魔法2」「変形」「精神体」「影に生きるもの」
【装備】
左手
右手
頭 騎士の兜《破損》
胴 騎士の鉄鎧
腕 騎士の籠手《破損》
指
腰 騎士の腰鎧《破損》
足 騎士の足鎧《破損》
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そ、装備が……仕方ないか。
ステータスに表示されている装備は胴体以外破損か消失している。剣も盾も、さっきの戦闘で落とすなり溶かされるなりしていて、絶賛今の俺は素手だ。何か武器……でなくても取り敢えず盾が欲しい。鍋の蓋レベルのものでいいから、どうにか盾を……。
周りを見回してみるが、大理石の床と壁の光沢を脳に刻み込むだけとなった。
にしても、戦闘から逃亡すると種族経験値入らないのか……まあ、ロードの魔法以外ではほぼ倒せてなかったから別に痛くはないんだけどさ。
ひとつ段階の進んだこのクエスト、そして隠しダンジョンたる『墓守の眠る場所』を素手で攻略できるとは思っていない。しかも、進化もしていない、一次職のゲーム初心者だ。人外なPSがある訳でも、振り切れたリアルラックがある訳でも……。
そっと、今の状況を整理してみる。結構恵まれている……? 数分前の戦場が思い浮かぶ。
四面楚歌、絶体絶命の地獄絵図。始めて二日の俺の周りを囲むのは20はレベルの離れたエリアボスたち。
「6対4で不幸だろ……」
しかもあそこリスポーン地点だからな。あそこで死んだらもう一度同じ状況に裸で放り込まれる訳だ。クソすぎる。取り敢えずスキル整理……盾の効果範囲を広げるやつと、ようやくヘイト集められるスキルか……あと、吸収。これ一番大事だわ。
盾を構えて、後衛を守り、ドレインでしぶとく残って状態異常で極限まで邪魔をしまくる。完璧じゃないか。MP75で相手のHPとMPをMAG依存分吸収……時間は相手のMAGD参照か。
あと、問題の『ユニークスキル』
「『生存本能』……」
スキルの説明に、取得条件が出てこない。完全にではなくても、擬似的にさっきの状況を再現しなきゃ取れないって事か? そもそもユニークスキルってなんだそら。と、ぶつくさ脳内で文句を言いながら、性能を見てみる。
『1秒に1パーセントHPとMPを回復する』
……え、強すぎか?
百秒で全快だと……? SP使ってまで取ったHP自動回復の立場よ。軽く十倍近い差がある。VIT低くてもこれと吸収があればいい線いけるだろこれ。これで粘る盾の最低条件は達成できたんじゃないか? ……盾自体がないっていうイレギュラーを抜きにすれば。武器……あと盾……仕方ないか。
取り敢えずステータスポイントをVITとMAGDに半分ずつ振ってみる。次はちょっとだけMAGに振ろう。主にドレイン目的で。
次はスキル……ぶっちゃけ結構ビルドの基盤が出来上がってるから、これをこのまま上げられるスキルが欲しい。主にしぶとさ狙いで。
……取り敢えず『HP自動回復:中』取っといて……あとは、なんだ?
取り敢えず素体はできたから、ここから強化……素直に特性系とか固有スキルの効果を上げるか。状態異常効果上昇:小を、中に格上げする。
『状態異常効果上昇:大』……SP2使うのか……『MP自動回復速度上昇:大』も同じだし、これは……どうしようか。
今まで特にMPには困っていない……が、しぶとさを取るならこっちだ。しかし、状態異常効果を上昇させて、妨害に徹するのも……いや、どちらにせよ、グレーターゾンビクラスの相手にはMAGが足りないから通らないしなぁ……MP自動回復速度上げるか。
あと、『死神の加護』は……デスペナが半分になるのか。素直に依怙贔屓な感じだな。
加護を受けた、というと中々こそばゆい感じだが、効果を見ると素直に嬉しいものだ。
「よし……ロード、俺の方は大丈夫だ」
「……わかりました。先に行きましょう。この先に……『あれ』が……」
相変わらず御機嫌斜めなロードだが、立ち上がりローブの煤を払う顔には、確かに緊張と僅かばかりの恐怖が込められていた。
俺も俺で、こんな装備で大丈夫か?状態だ。
舐めプも良いところだろう。時刻はもうそろそろ十二時。日が刺さないここじゃ意味はないが、一般のシャドウスピリットからしたら、地獄にも等しい環境となる。
「なあ、ロード」
「なんでしょう?」
「……俺は、とても戦闘が出来そうな状態じゃ無いんだが」
ガシャガシャと、隙間だらけの鎧を揺らしながらロードに聞いてみた。せめて盾をくれ。
しかしロードはフードを少し深く被り直すと、抑揚のない声でこういった。
「大丈夫ですよ。ここから先は……僕の戦いなんです」
「……」
マズい。よく考えれば、ロードのレベルまだ全然上がってないじゃん……本来、レベル20いくつでこのセリフを言うからこそ、頼もしさや感慨があるのかもしれないが、今の俺には完全にフラグにしか聞こえねえ……。恐らくパーティで受けることが前提のクエストを盾職一人で受けたのが問題なのだろうが。
しばらく歩いていると、この通路が、だんだん下に向かっていることに気づいた。それと、少しずつ左に回っていることにも。
「螺旋の通路……?」
「そうです。よく気が付きましたね?」
「さっき言ってた『墓地の真ん中』は、地下だったのか」
螺旋状の通路を下る。この先に、何かが。ロードにとっては『あれ』がある。ロードの戦いという言葉を聞くに、ロード主体のボス戦か?だとしたら、限りなくやばいと言える。イベント戦は、大抵の場合、プレイヤーの干渉が出来ない。もちろん例外もあるが。
しばらくすると、だんだん通路が真っ直ぐに、そして広くなってきた。いよいよクエストのラストか……?にしては……何か物足りないが。
違和感に首を傾げていると、通路の奥に、何かが見えた。
「扉と、石像?」
俺がポツリと呟くのと、ロードが霞んだ銀杖を構えたのは、ほとんど同時だった。石像が、埃を舞い上げながら起き上がる。即座に鑑定を飛ばしてみるが、弾かれた。というより、判定がなかったと言った方がいいのかもしれない。
『石』
この一文字だけが、鑑定結果なのだから。
「……やっぱりプレイヤー不干渉系かよ……ロード! ちょっと出直した方が」
「……いえ、大丈夫です」
何が大丈夫なものか、とその肩を掴んで言ってやりたかったが、それより先に石像が暗闇からその全容を晒す方が早かった。
ぬるりと姿を現したのは、完全な形の剣士の石像。三メートル近い天井に頭がつきそうなほどに大きい。手入れが行き届いているのか、とても状態がいい。円形の盾を構え、片手剣を隙なく構えている。
とてもではないが、こんな明らかな上級モンスターを相手にできるとは思えなかった。
「逃げるぞ」
「いえ、戦います」
正気を疑ってロードのほうを見て、その顔と、その目を見て、ため息をつく。ギラついた金眼はロードの覚悟をありありと表していた。さっきまで無理だ無理だと叫んで、スケルトンにボコボコにされていたやつが見せる目じゃない。
ようやく自分の生きる意味を知ったかのような、生きる覚悟が決まったかのような、金剛のように硬い意志を感じる。
「下がっていてください。……これ以上、僕の弱さで、あなたを傷つけたくないんです」
「……さっきまでの態度はそれか」
急に雰囲気が変わったと思えば、変な覚悟を決めていらっしゃる。どこかこそばゆいというか、嬉しいというか……素直に後ろに下がってやると、ロードは静かにありがとうございます、とだけ言った。
その言葉がトリガーになったように、剣士がこちらに走りこんでくる。速い、少なくとも俺のシールドバッシュやカバーよりは。
圧倒的な質量に、ゴッ、と通路の空気が押し出され、ボロボロの俺の体は、体幹どうしたと言わんばかりに吹っ飛ばされた。なんとか大理石の床に溶けかけの籠手を立てて踏みとどまる。キンキンと火花が散った。
「ロード!」
顔を上げると、石像が大理石を抉りながら、剣を振り下ろしているところだった。対するロードは、杖を構えたまま動かない。圧倒的な破壊力が、ロードの首元に迫っていく。
『オオオオオォォ』
何十人もの声が重なったかのような歪な声で石像は吠えた。お前喋んのかよ!というツッコミより先に、凛とした声が響いた。ロードの声だ。
「眠れ、『
杖の先から、灰色の光が迸る。光の先は確実に石像を貫き、包み……その火力を持ってして、石像だけを消しとばした。
嘘だろ? 火力おかしくないか? 一段どころか三段飛ばしで可笑しい火力なんだけど。ゲージ見えなかったからわからんけど、まさか一撃だとは……。
はー、と深く息を吐いたロードは、ちょこんとこちらに振り返ってにこりと笑った。
「どうです? 凄いでしょう。褒めてくれてもいいんですよ?」
えへへ、と笑う顔は、とてもではないが仮想世界で再現できるレベルを超えている。簡単に言えば違法的可愛さだ。これで性別が女だとわかっていたら、万が一にゲームの中の子に恋をしてたかもしれない。光線レベルの超火力を誇る笑顔に、体の核を撃ち抜かれながら、なんとか返事を返す。
「あ、あぁ……めっちゃ凄い。強くなったな、ロード」
「……えへへ、ありがとうございます……あわっ」
「おぉっ!? 『カバー』!」
語彙力ゼロな俺の賛辞に頬を赤らめたロードだったが、その直後、ふらりと体を崩した。反射でカバーを飛ばして体を支えなければ、ばったり倒れ込んでいたかもしれない。
「す、すみません……さっきまで気張ってたんですけど、やっぱり結構辛いです」
「大丈夫だ。少し休め」
ガッチガチに顔固めながら歩いてたからな。いかにも『覚悟決めてます』みたいな顔して歩いてたし、疲れるのも無理はない。そこらの壁に背を預けて座らせようとしたが、ロードはぴょこんと腕の中から飛び出した。
「いえ、先に行きましょう」
「……流石にそれは許容できないぞ」
「……終わらせたいんです」
神妙な顔で、ロードが言った。とてもではないが、この先へは連れて行きたくない。情報が足りなすぎるのだ。扉の先には何がある? このユニーククエストの達成条件はなんだ? このダンジョンのボスは? NPCの死亡後はリスポーンするのか? 俺が死亡した場合、クエストはどうなるんだ?
どれも致命的なまでの『不明』のラベルが貼られている。特に、ロードがもし万が一にでも死亡した場合……再度リスポーンするのか、それともクエスト失敗扱いになるのか。
「あぁ……始めて二日の弊害がこんな所で……」
「……」
情報が足りない。普通のプレイヤーなら当たり前に知っていそうな事ですら、キワモノプレイをしている俺ではわからない。今からさらっと調べに離席することも一瞬考えたが、それですらなにかのトリガーを引かないか心配だ。
あぁ、悪い癖が出ている。リスクがあったときに、そのリスクを回避することに精一杯になってしまう。リスクを避けるリスクなんてものが頭を過ぎって、目の前の状況すらも忘れるほどに立ち止まってしまう。
「……ライチさん」
「ん?」
考え込む俺にロードが声をかけてきた。そっと胸に手を当てられる。それですらドキッとするような事だが、出来るだけ声に出さないように気をつける。
「僕、嬉しいです。貴方が、僕のことをそんなに大切に思ってくれること。……だから」
「……」
「僕を大切に思うなら――僕をこの先に行かせてください。これは……僕の戦いなんです」
それじゃあ俺は、一体どうなんだ。俺に何が出来るんだ。そう声を荒らげそうになったが、上げた視線の先には、こちらを優しく見つめるロードの姿。
「でももし、僕が……僕の力が足りなくて、どうしようもなくて、挫けそうな時は――その時は、僕をもう一度引っ張っていってくださいよ。……最初にしてくれたみたいに、もう一度」
ね? とロードは言う。俺は、この言葉にどう返していいのか分からなかった。否定の言葉も、肯定の言葉も、気の利いたセリフ回しで、主人公じみたことを言うこともできなかった。だから、ただ一回……首を縦に振った。
「……ありがとうございます」
「……取り戻しにいくのか? ここを」
「ええ、僕と――ライチさんで」
「なら、行こう」
「えへへ……行きましょう」
ニコニコと機嫌の良さそうな笑みを浮かべて、ロードは扉に向き直った。その背中は、気のせいか何処か頼もしく見えた。