消えていく者、現れ出る者
一番大事な局面で下書きを保存し忘れる痛恨のミス……。
十字架泥棒がVARTEXに突っ込む。敵ではないが味方でもない……取り敢えず中立という立場で見ておこう。今回のイベントで二番目に警戒していたVARTEXを抑えてくれるというのなら、これ以上の利点は無いだろう。二人がいなければ、今頃俺は死んでいるだろうし、コアも無事では済まないだろう。
とはいえ、今の状況が最悪中の最悪であることに変わりはない。俺一人で最前線組を相手にし、カルナ一人で三十人を相手にする。あぶれた四十人近くを、大隊長達が開いた扉の前で固まってなんとか凌いでいるようだ。しかし、その立ち姿はズタボロで、目は疲労に揺れている。それでも、決して折れない意志が彼らの中を一直線に貫いて、その体を抱き起こしている。
俺だってそうだ。このイベントで勝つために……魔物というものを見せつけてやるために、俺は――死ねなどしないのだ。
構えた盾の向こう側から、数多くの武器が突き出される。抉るような一撃、押し出すような打撃、盾の裏を狙うような刺突。それらを疲れた体で見切って、なんとか防ごうとする。
今まで独自に築いてきた型とも言えるものすら、今の状態ではまともに形を作れない。それでも、それでもだ。たとえ、瞳が霞んで剣がぶれようが、関節に弓矢をいくつも受け止めようが、全ての魔法が巨大な盾に防がれ、呪術の数々が悉く解除されようとも……俺は、倒れない。
鉄のように固まった体で、鉛のように重い反射で、最高に不格好な盾を披露する。腕は下がり、攻撃の合間に攻撃を受け、それでも泥臭くなんとか魔法だけは全て回避する。
情けないし、見るに堪えないだろう。喘鳴を大きく響かせながら、身体中に攻撃を受ける。HPが凄まじい勢いで減少し、同じくらい回復していく。さすがは最前線のプレイヤーだ。どれだけ技巧を凝らそうが、いとも容易くそれを撃ち抜いてくる。構えた盾は剣の柄で体から離され、魔法を防ぐためのランパートを使って立体的な機動を見せ、俺の一挙手一投足は全て見切られている。
でも――死ねるかよ。真後ろでカルナの咆哮が聞こえるんだ。狼の遠吠えが聞こえるんだ。鬼の唸り声と、掻き鳴らされる黒い鎧の足音が聞こえているんだ。
「こいつ……!」
「無理だ! 固すぎる!」
「何でこんなにしぶといんだよ……」
「攻撃が殆んど入っているのに……どうして」
「くっ……! 猛毒解除頼む!」
「不沈艦かよ……!」
「魔法もっと数で押せ!」
「あんたらがそんなに必死こいてがっつくから大型の魔法が撃てないんでしょうが!」
「もう少し距離を空けろ! 魔法じゃない限りライチは倒せないっぽいぞ!」
まだだ、まだ終われない。まだあと二十分残っている。たった一人で十分以上ボコボコにされて、どうして生きていられるのか俺にもさっぱりわからない。鎧は大きく凹んでしまったし、盾も遂に穴が空いてしまった。
クソ……この状況をどうにかしようにも、俺の呪術はヒーラーとして最前線の実力を持つクラウンに全てを即座に解除され、なけなしのMPで撃った魔法は全てフルメタの盾に吸い込まれ、HPを三割程度削るに留まっている。追い討ちなぞ出来るわけもなく、クラウンの回復でフルメタの体力は即座に回復し、また盾が復活する、というわけだ。
フルメタとクラウンが厄介すぎて、どう頑張っても敵は常に無傷だ。時折エンチャントの施された武器で体を切りつけられ、体力が半分を割ってしまう。その時はMPを等価交換して耐えきるしかない。アイツどれだけMAGD積んでるんだよ……俺と同じかそれ以上は確実にあるだろ。魔法が全く利かない。状態異常も即座に治される。
遂に俺の体力は底をつき、無様にも地面に膝をついてしまった。もう、立ち上がる気力も湧かない。
「見事だ……本当に、本当に……それ以外の言葉が見当たらない」
「はぁ……はぁ……あ、ありがたい、な」
「どれだけ不利であろうと挫けぬ意志、誰かを守る為だけに磨かれた盾の技術……本当に、俺など足元にも及ばない」
地面とにらめっこをする俺に対して、フルメタが無用心にも近寄る。その声は本当に感銘にうちひしがれており、震えているようにも聞こえた。フルメタの盾は俺とは似ても似つかないベクトルで、確かに完成されていた。勝つための盾であり、相手を倒すための盾だった。その先で完璧となった彼の盾は、それでも彼にとって物足りなかったらしい。
「ただただ……素晴らしかった。出来れば、敵でなく味方として、共に肩を並べたいほどに。もし、あの夜に貴方が居てくれれば、きっと――」
「フルメタ、そろそろ倒した方がいいよ。時間もないし、彼をこれ以上生かしてしまったら、きっともう一度立ち上がってくるから」
はは、事前情報はきちんといただいているか。俺の『精神体』についても既にばれているらしく、空っぽになったHPの俺に対して、多くのプレイヤーが畏怖を込めて武器を向けていた。
フルメタは名残り惜しそうに呻くと、こちらに向き直った。
「すまない。……貴方と戦えた事を、盾を持つ者として心から誇りに思う。……さようなら」
フルメタが道をあけた。空けた道の先に立っているのはクラウン。いつの間にか取り出した巨大な杖から、銀の光が漏れている。……浄化魔法か。ロードで見慣れているから、アンデッドを浄化する銀の光だとすぐにわかった。まさか、それが俺に向けられることになるとはな。
完全に……終わったか。ゆっくりとクラウンが口を開いた、その瞬間にフルメタがクラウンの前に立ち塞がる。
「ちょ、何してるの?フルメタ」
「フルメタさん……流石にライチは生かしてはおけませんよ。いくら貴方が尊敬するプレイヤーだといえ――」
「違うッ!!」
フルメタが大きく吠えて、怯えた瞳で俺を見つめた。
――へぇ? 勘が良いじゃないか。
体力を全て失い、敵に囲まれ膝を付いて、あとは浄化されるのを待つだけだった俺が浮かべていた表情。それは断頭台の上の囚人が浮かべるような絶望に満ちた泣き顔ではなく――満面の笑みだった。
はは、流石に最前線は勘が鋭いな。普通、ここまで追い詰めれば勝ったと思って油断するだろうに。回りのプレイヤーが、様子のおかしいフルメタを心配している。
「あ、貴方は……一体何を……」
「何を……?」
ずたぼろで、今にも死んでしまいそうな筈の俺は、鎧の奥でひたすらに笑顔を深めて言った。
俺が何をしようとしているかって? ……はは、決まってるじゃないか。
「すぐに分かるさ。特等席で見せてやるよ」
「ちょっと、二人で何を話してるのさ。フルメタはいい加減退いて――」
「今すぐここから離れろぉぉぉ!!」
「遅ぇよ」
俺が追い詰められた? 何を馬鹿なことを。追い詰められてなんかいない。俺にはずっと、最初からこの瞬間が見えていたんだから。きっと、俺ではこいつらに勝てないだろうと理解していた。だから、それを前提に理論を組んだ。
どれだけ動くか。
残しておくMPはどうするか。
周りのプレイヤーの誘導はどうするか。
最後の瞬間に持っていく為に、どうすれば良いのか。
最後から、最初へと巻き戻る演算。がむしゃらに見えた盾の奥で、兜の隙間で……俺は、ずっと隠し持っていたんだ。ずっと待ち望んだいたんだ。
――全部をひっくり返す、この切り札を切るタイミングを。
「暴れてくれよ。『オルゲス』、『メラルテンバル』」
俺の胸元から緑の光が二重の螺旋を描く。世界が鮮やかに塗り変わる。同時に、俺の背後からも緑の光が差し込んだ。俺の動きを見て、カルナが行動を合わせてきたのだろう。
――さあ、たった二分の大逆転劇だ。散々いたぶってくれたんだ……生きては、帰さないぜ。
『相承った。ライチの為に、この拳を振るうと誓おう』
『僕が出たんだから、大暴れじゃすまないくらいの『大荒れ』は覚悟してくれよ』
「頼んだ……」
俺の両隣に立つのは、頼もしい二人の仲間達。片や世界に名を轟かせた「拳」闘士、もう片や叡知を抱えた白竜。背後からは聞き覚えがある野太い声と、苛立ちが混じった咳払いが聞こえた。
『我は覇槍のレオニダス!! カルナ殿との縁を手繰り、参戦仕った! この場の誰も、生きては帰れぬと知れぃ!!』
『……俺達の仲間を傷付けた痴れ者には、とっておきの結末を用意してやる』
手狭なボス部屋が更に狭くなり、混沌はその色を更に濃くした。部屋の全員の視線が、俺と四人に引き寄せられた。
いきなり現れた彼らに固まるプレイヤー達へ、オルゲスが頼もしく筋肉を躍動させ、メラルテンバルは力強く尻尾を振るった。
それだけで多くのプレイヤーが塵のように吹き飛ばされ、オルゲスの一撃を受けた片手剣のプレイヤーは、盾ごと体を砕かれて消えていった。
背後では雄叫びと共に何かが砕け散る破砕音が響き、雷と炎が空間を塗りつぶす音がした。
「いつも理不尽被ってるのは俺たちの方だ。……そろそろ俺達の側にも立ってみろ」
圧倒的なレベルを持つエリアボス四体の集結。回りに共闘できるプレイヤーが居ようが、大隊長達がそれを押さえている。散発的な攻撃ではオルゲス達を仕留めることなど不可能だ。メラルテンバルが巨大な体躯を生かして部屋の隅から隅をカバーし、オルゲスが全てを打ち砕く拳で戦場を颯爽と駆け巡る。
「嘘だろ!? あの二匹レベル25と23だ!」
「う、後ろの奴らもやべえ! 22と27だ!」
「はぁ!?」
「ッ!? あの魔法使いの魔法、マジックバリア貫通してやがる!」
「なんだよあれ……あんな魔法、見た事ねえ……」
「駄目よ! 白竜と槍の男には魔法が利かないわ!」
「かといって物理とかもっと無理があるだろ……ぬぁぁぁ!!」
「羊光線さん!? ……くそ、あのデカイ男もヤバすぎる!」
「『スパーキングフレア』ッ! ……嘘!? 魔法を殴り返して――」
人間側の一角に大爆発が起きた。完全に混乱に満ちている。この状況を見逃すカルナではなく、燃え上がる体で包囲網をズタズタに引き裂いた。大隊長たちもずたぼろな体を動かして、逃げ惑うプレイヤーをしっかりと狙っていた。三分料理は震える刀身で敵の背後を切り裂き、てんどんモンスターは荒く上下する肩を抑えて弓矢を放った。カルナも、オルゲスにひけをとらない大暴れを披露している。
圧倒的なレベル差を誇る四体のボスによって、戦場は瞬く間に引っくり返された。事前情報が一切なかったオルゲスとメラルテンバル、レオニダスとメルトリアスの四人に抵抗する手段を、人間側は持ち合わせていない。
プレイヤーによっては二倍近いレベル差のエリアボスが四体。圧倒的な理不尽の塊が、そこにはあった。
とっておきだ、とメラルテンバルが呟き、混乱し錯綜する戦場に終止符を打つように、彼は大きく息を吸った。
『僕達の同僚にぶつけた分を返させてもらうよ』
ブレスの穂先は、呆然とこちらを見上げるフルメタとクラウン。無理もない。数分前までは完全に俺を追い詰めていたのだ。完全に勝ちを奪い取れる状況にいたのだ。それが二分足らずで全て崩壊し、完全な逆転を許している。思考を放棄したくなる気分は分からなくもない。
凶猛な銀の光がメラルテンバルの口元に集まっていくなか、ようやく思考を取り戻したらしいフルメタが、震える両手で盾を構えてクラウンの前に立ち塞がった。……たとえどうあろうと、最後まで仲間を守るつもりか。
「フルメタ……」
「…………後悔は、ない」
メラルテンバルのブレスは俺ですら全く歯が立たないほどの威力を秘めている。どうあがいても受ければ死を免れない。それでも、前に立つか。己の命を賭けて、仲間を守ろうというのか。
「……盾ってのは本当に……劣勢でしか輝かないもんなんだな」
圧倒的な破壊の渦が鋼鉄の騎士を飲み込む……その一瞬前の盾の煌めきは、盾職のプレイヤーならば無条件に息を飲む覚悟と意思に彩られていた。
超質量のブレスによって発生した強風に、弱った体を吹き飛ばされそうになりながら踏ん張った。ブレスが止んだ先には、盾ごと体を撃ち抜かれたフルメタと、同じくブレスを受けて倒れるクラウンがいた。クラウンの立派な神官帽はブレスによって吹き飛ばされ、フルメタの巨大な壁のような盾には大穴が空いていた。
ガジャン!と大きな音を立てて、フルメタの盾が地面に落ち、大きな体躯が正面から倒れた。
「見……事……」
そして、フルメタは静かに消えていった。もうすぐ二分が立つが、最早人間は立て直しが不可能なレベルで追い詰められており、唯一活動が出来るのは数の減ったVARTEXくらいなものだろうが、彼らは十字架泥棒と泣けよによって追い立てられており、そう易々とは動けない様子だった。
戦場がだんだん静かになっていく。戦闘音や人の声は疎らになり、糸が飛ぶ音や弓を放つ音、煌めく槍が産み出される独特の音が大きく聞こえた。見える人影は殆ど数える程度だ。
「勝った……勝ったぞ……」
真っ正面から、引き分けでも負けでもなく俺一人で作戦を組み立て、披露し、この圧倒的な不利を大きく覆して……勝ったのだ。本来なら全滅してもおかしくない状況だったはず。最前線を相手にそれをひっくり返せた事に、我ながら驚きが絶えない。
まるで夢みたいだ。自分がここまで動けるなんて。
完璧にはまった計画に思わず笑顔を浮かべていると、メラルテンバルとオルゲスの体が透け始めた。二人が体を揺らしてこちらを見つめる。
「久しぶりによい運動だった。……これからも、困ったことがあれば我を呼ぶがいい。この拳を貸そう」
「ありがとうオルゲス、メラルテンバル。本当に、本当に助かった」
『後輩を助けるのも先輩の勤めだからね……このくらい当たり前さ』
メラルテンバルはふふん、と鼻から、オルゲスはわはは、と腹から笑って消えていった。背後でもカルナとレオニダス、メラルテンバルが何かを話して消えていった。
彼らが消えたこの場所はとてつもなく広く感じる。敵は殆ど無し。残り時間は……よし、後十分!
「一仕事終えた感じね」
「一仕事でくくっていいレベルじゃねえだろうがな」
「うふふ……そうね」
メラメラと燃え上がるカルナが笑った。心なしか炎が大きくなったような気がする。身体中に満ちる倦怠感と満足感に心を揺さぶられながら周りを見渡すと、こちらに向けて笑顔で走ってくる大隊長達の姿。全員が笑ってしまうほどぼろぼろで、そのくせ気持ちの良い笑みを浮かべている。
「ライチー! かっこよかったよ!」
「ライチさんがいなかったら私たち負けてたかもしれないです」
「……文句無しのMVP」
「お疲れ様でしたぁ……あー、矢がもう殆ど無いよ」
「最高の戦いでした。最初から最後まで」
それぞれが口々にお互いを讃え合っている。完全な勝利の美酒に酔って、この場の全員が笑顔を浮かべた。
その時、空気を読まない通知が飛んでくる。
【コアのHPが半分を切りました】
「うぉ……マジかよ」
「さっき何人か抜けて出ていたもの。しょうがないわ」
「うぅ……面目無いです」
「流石に数が多すぎたよぅ……」
「多分……十人も居ないから、大丈夫」
通知にあわてて螺旋階段に走り出す。残り十分で半分。中に居るのはさほど強くない敵だろうし、大丈夫か。中々にバッドな通知に対して、俺の足は軽い。
シャンデリアの青い灯火が、つまらなそうに身をくねらせた……ように見えた。