二枚目のジョーカー
真後ろから聞こえてくるRTAとカルナの戦闘音は爆発音と空気を割るような音が連続して響いており、恐らく凄まじい物となっているのだろう。
それを鼓膜で感じながら、目の前の晴人に集中する。俺の回りは既に幾人ものプレイヤーに取り囲まれ、ちらりと晴人の後ろを見てみれば何人かの魔法使いがこちらをきつく睨んでいる。
あぁ、そうだよな。手加減なんかしてくれないよな。一対一でやり合おうなんて、そんな生温いことを考えてはくれないか。当たり前だろうな。周りにたっているプレイヤーの一人一人に勝ちたいという意志がある。活躍したいという野心がある。むしろボーッとつったってもらったほうが違和感があるな。
むしろ第一線のやつらが俺みたいな一般人に最大レベルの警戒をしてくれていることに喜びすら覚えるよ。これだけの有利にあっても、これほどまでに警戒してくれるなんて。
それならとくとご覧にいれよう。俺が積み重ねてきた全て。その結晶を。
俺の所作から何かを読み取ったらしい晴人がゆっくり口を開いた。
「大人数で掛かって行くが……まさか卑怯だなんて言わないよな?」
「当然。不利なのはいつもと変わらないからな。むしろ、こんなロマンチックな死に場所を用意してくれて、本当に助かったよ」
周りに囲んでいたプレイヤーと、後衛から俺を狙っていたプレイヤーがピクリと反応した。
慣れぬ形に表情筋を動かす。どうせ誰にも見えぬ悪辣な笑みを鎧の中で浮かべた。
「お前たちの人数分の墓を用意するのは大変そうだったからな」
「ハハッ!言ってくれるなぁ!辞世の句にしてはカッコつけすぎじゃねーか?」
「そっちこそ、冷やかしの言葉が最後にならないように、精々本気で掛かってこいよ――『四重捕捉』『吸収』、『並列捕捉』『沈黙』」
先手は頂く。ここまで不利なのだから、予告なしで状態異常を撒き散らしても文句は無いだろう。後衛に沈黙を撃ち込んで魔法や状態異常解除を遅延させ、晴人を含めた付近のプレイヤーに吸収をかける。
さあ、ここから先は俺の独壇場だ。俺が舞台を降りるまで……せいぜい食い入って見つめてくれよ。
「『ガイアブレイド』!」
「『ウィングストライプ』」
「『クロスファイヤ』」
「『クラリスブロー』!」
「『アンビバレント』」
「『サークルノヴァ』!」
「……『ディフェンススタンス』『シールドバトラー』『硬化』」
慌てた様にこちらにスキルを撃ち込んでくるプレイヤーを冷静に見つめて、各種バフを掛ける。前、横、後ろ。全ての方角から攻撃が襲いかかってくる。それぞれが重ならないように放たれている事に感心しながら、急所に集中して攻撃を耐える。
喉元を狙った打撃は首を振って回避し、肩を狙った刺突は甘んじて受け止める。胴体を狙った斬撃を盾で受け止め、腰元に放たれた飛来する斬撃をそのまま耐える。
籠手で弾き、体を捻り、それでも受けきれない攻撃がしっかりと俺の鎧に痕を残す。背中を斬られ、膝裏を蹴り飛ばされ、肩に弓矢を受けた。一瞬で千近い体力が半分を割るが、二秒もすれば一瞬で全快した。
物理は半減で、魔法は沈黙で潰す。吸収と自動回復を織り混ぜた俺のHPは実質無限大に近い。
俺の見えぬ所で、誰かが驚きに息を飲んだ音が聞こえた。
「どうした? こんなもんかよ。こんなに人が集まって、タンクの一人も落とせないのか?」
挑発と共にまた状態異常をそこら中に撒き散らす。こうなったらとことん暴れる他に無い。途端に周りから剣だの棍棒だのが振られるが、それらを一つ一つ受け流し、隙が有れば魔法も撃ち込む。MAGにも振っている俺の魔法を正面から受ければ、タンクでもない限りヒーラーの世話になるに違いない。
大勢のプレイヤーに取り囲まれ、睨まれ、武器を振るわれる。そのど真ん中でたった一人――盾だけを両手に戦場を圧倒していた。切り刻まれても止まらない。弓で射ぬこうが膝すらつかない。ひたすらに、舞うように盾を操った。時折飛び込む魔法をランパートに吸わせて、お返しとばかりにダークボールを撃ち込んで後衛を混乱させた。
似合わない悪どい笑みを顔に貼り付けながら、理不尽と理不尽の押し付け合いを楽しむ。
睡眠、猛毒、盲目、麻痺、石化、衰弱、呪い、毒、吸収、沈黙。
手加減なんて一切なしに、堰を切ったように呪いを吐き出して、一人でも多く削り倒す。一つ放つごとに俺の体に傷がつけられ、何人かのプレイヤーが膝をつく。HPを削ってMPに変換し、MPを削ってHPに変換する。
「くそっ! また石化……と、沈……もく……」
「あいつの体力は無限かよ! どんだけ斬っても死なねえぞ!?」
「『クリア』……MPがそろそろ足りないわ!」
「囲んでるだけじゃだめだ! うまくタイミングを合わせ……て……」
「パズズさんが睡眠食らっちまった! カバーする!」
「マナフォース掛けて殴ってるのに微塵も削れないのは何でだ!? ――うぉっ!?」
「はっ? 何だあの馬鹿げた威力の闇魔法!? ちゃんとマナエンチャついてただろ!?」
「何だよこの『吸収』とかいうやつ!『抵抗』エンチャ貫通か!?」
「それは状態異常扱いじゃなくて魔……ッ!?危な――」
「クソッ! ニードルネキさんはもう駄目だ! カウンター決めるぞお前らッ!!」
何度も、何度も、何度も状態異常と魔法を撃ち込む。途中に何人かをリスポーンさせて、油断したところに魔法が飛んできて大ダメージを負った。歯を食いしばって回復を待っていると、ここが正念場だとでも言わんばかりに、一気に攻撃が激しくなった。どれだけ防いでも、技巧を凝らしても守りきれない。
ついには自動回復よりもダメージが上回り始め、後衛から飛んできた雷魔法でついに俺のHPが空になった。
身体中から煙を吹き、銀の鎧をズタボロにして、ゆっくりと地面に膝をついて頭を垂れる。だらり、と盾を持つ両腕が弛緩し、両膝から力が抜けてしまった。
完全にくたばってしまったような俺の様子に、人間プレイヤー達が一斉にガッツポーズをした。既にてんどんやその他の面子は打ち倒され、今ではカルナだけがRTAとタイマンで切り結んでいる。
「っしゃぁ!!落ちたぁぁぁ!!」
「いょっしゃぁぁぁぁ!!!固すぎだろマジで!」
「やったぁ!!」
「あぶねぇ……本当に馬鹿すぎる……」
「化け物過ぎんだろ……何だよあの超回復。ボスに回復持たせちゃだめだろ」
「マジで……このゲームで一番苦戦した……」
「もう二度と戦いたくないよ……」
「はぁぁ……もう立てない……無理ぃ」
「……みんな、お疲れ様」
プレイヤーは全員、俺を倒したと思っている。HPは削りきったと、そう思っている。完全に油断している。唯一晴人だけが違和感を覚えているようで浮かない顔だが、こちらに背を向けていた。
かのナポレオンは言った。『最も大きな危険は、勝利の瞬間にある』と。震える体で、揺れる視界で、呪詛を紡ぐ。
――何を勝ったつもりでいるんだか。
――獅子が首を取られた程度で死ぬと思っているのか?
――俺の本気は、覚悟は……これからだ。
「……『四重捕捉』『強酸』、『並列捕捉』『四重捕捉』『吸収』」
四つの酸の塊が弧を描いてプレイヤーにぶち当たり、防具ごとその体を蝕む。驚きに固まるプレイヤー達に当たった吸収によって、俺は本来の回復力を取り戻した。六秒も経たない内に俺の体力は全快し、あっという間にゼロ・ゲームだ。
「は?え? 嘘だろ?」
「そ、装備?スキル?どういうこと?」
「うぁぁぁぁ!!回復!装備がぁ!」
「くそ! 足元に酸が残ってやがる! 踏むなよ!」
「ま、またやり直しか……!?」
「第二形態とか本当に勘弁してくれって……」
「もうマナが無いです……!」
どうせやられるのなら……最後まで足掻いて足掻いて、もがいてもがいて、死んだその先からでも戻ってきてやろう。何、悪役というのは往々にして悪運が強いものだ。一度の復活くらいはよくあるだろう。
ズタボロの鎧で立ち上がって、凹みが見える盾を構え、僅かに焦げた兜の奥底からプレイヤーを見つめる。それこそ、地獄の使者のように。
「俺は何度でも蘇るが……まさか、卑怯だなんて言わないよな」
「……勿論、言わないとも」
最初の言葉を返すように言い放つと、何処からか晴人が言葉を返した。それを合図に、俺を中心にまたもや戦場が展開された。
しかし、今回は流石に疲労している俺の動きが悪い。足元に酸を撒いて動きを制限するのは素晴らしい案だが、それでもプレイヤーは止まらない。俺が止まらないのと同じように、彼らも勝利を求めて止まらない。
必死に足掻くが、二度見た手はそう易々と通用しない。ならばせめて、と闇魔法を乱射して、一人でも多く倒すことに専念する。
一人、二人、三人抜き……リスポーンエリアに帰ってろ。
何とか相手の数を減らすが……やはり、多勢に無勢。すぐに俺の体力は三割を切った。
そこで、俺の中の時間が走馬灯を見るように引き伸ばされる。
――よくやったよな、俺は。
俺が、俺自身に語りかけてくる。
――ああ、勿論だ。上々だよ。十人から先は数えてないが、目に付くやつは全員リスポーン送りにしてやった。
――ここが潮時だな。コアは多少傷つくが……まあ、しょうがないだろう。
確かに、満足だ。ここまで派手に暴れられれば、この場の誰もが魔物プレイヤーを忘れられなくなるだろう。でも……それでも、俺には心残りがあるんだ。
――ああ、知っているよ。何が心残りなのか、何をどうしたいのか。
――晴人だ。
奴とはそこそこの付き合いだ。そして、そこそこの付き合いの中で何度も繰り返した筋書きを……結局、今も繰り返している。
俺が挑んで、晴人が越えていく。俺の手があいつより高い位置に伸びたことは無い。
今も現在進行形で俺の体を切り裂こうとしている晴人に対して、どう対処すれば良いのか後手後手だ。
盾で防げば晴人以外の攻撃で蜂の巣。その他を防げば晴人に撃ち抜かれてコンボを決められ昇天。
無理矢理晴人へ魔法を叩き込んでも、パリィで魔法が無効化される。更に言えば状態異常も効かないから『円環の主』も使えないし、使っても意味がないだろう。
長くゆっくりとした時間でそんなことを思いながら、俺の脳に『ただし』と言葉が浮かんだ。
今日だけはいつもと違う。キャラのスペックとリソース量なら、俺が圧倒していた。俺にはきっちりと積み上げてきた『今』がある。その点においてのみ、俺は晴人を超えている。
魔法、呪術、物理、円環の主、禁忌魔法――
……いや、待て。あったじゃないか。今まで一度として使ってこなかった技が。魔法の理から外れた最悪の外法の中に、確かにあったじゃないか。
見つけた可能性に脳の奥で火花が散って、視界が急激に明瞭になる。
あいつには無いもの。俺にはあるもの。積み重ねた全てであり、特大の初見殺し。ただ、それだけでは不十分だと俺の記憶と経験が嘯く。
相手はあの晴人だ。どんな隠し玉、どんな鬼札を抱えているかわかったものではない。何よりあいつが、脳死の初見殺しぶっ放しなんかで死ぬような男ではないのは俺が一番知っている。
それならどうするのか。天に愛された英雄を殺しうる一撃を決めるには?
刹那の間にあらゆる演算が俺の頭を過って、答えを導くように身体が躍動する。
迫りくる幾十の攻撃を全て無視。晴人の斬撃だけに集中する。……この動きには見覚えがある。ここだけじゃない、こいつと付き合ってきた何十、何百の戦いの中で見た動きだ。
まばたきを止めて、呼吸を止めて、ゆっくりと俺の喉元に迫る黒い剣を――銀の盾で正確に弾く。
「っそだろお前ッ!?」
――ハードパリィ。
俺には到底出来そうにないと思われていたそれは、極限の集中とこれまでの記憶を糧に成功してしまった。鉄を擦り合わせるようなけたたましい音と金色のエフェクトと共に、晴人が黒い瞳を大きく開く。今までに見たことがないほど、その体が大きくぐらついて、空に踊った。
完全に死に体と化した晴人に合わせて、俺の切り札をうち放つ。
「『犠牲の門』ッ!」
『犠牲の門』
任意のHPを消費して、相手に消費HPの三倍のダメージを与える。
確実に殺すために、1割を残したすべてのHPをこの一撃に叩き込む。オーバーキルはマナー違反かもしれないが、リアルのフレンド相手だ。このくらい……おふざけの範疇だろうさ。
そうして叩き込まれるのは対象指定の2000ダメージ強。軽装の晴人では確実に耐えられない。
魔法を発動させた途端に、全身から力が抜けて、ガラスが割れるような音が響いた。それと共に晴人の真上に巨大な人の頭蓋骨が現れて、真っ白な顎を限界まで開く。どこからともなく現れた白い手が四本、晴人の四肢をそっと抑える。途端に、晴人の首元から風船が割れるような音がして、装備していたアクセサリーが大きく揺れた。
それを見た晴人は、引きつったような笑みを浮かべながら呟く。
「おいおい……コレ、めっちゃ高かったんだが」
笑いながら呟かれた晴人の言葉を引き金に、真っ暗な骸の口内が赤く光った。瞬間、有無を言わせぬ深紅の光線が頭蓋骨から放たれ、晴人の体を頭上から撃ち抜く。鮮やかにダメージエフェクトが彼岸花さながらに大輪を咲かせた。同時に俺に対して殺到する遠距離攻撃を、ランパードと盾、そして残る全てのリソースで受け切る。
ド派手な攻撃が晴人に決まって相手の前衛組が手を止めたこと、後衛組のMPが枯れていて大した威力ではなかったことが相まって、案外俺のMPは削られなかった。俺は軽く目を細めてそれを確認すると、小さく息を吸う。
「黒剣士!?」
「なッ!?嘘だろ!?」
「回復!!回復は!?」
慌てふためき晴人の無事を確認するプレイヤー達を尻目に、俺もゆっくりと膝をつき、地面に倒れこんだ。体が怠いし、猛烈に眠い。身体からは精神体の発動エフェクトが立ち上っている。立ち上がる気力どころか、立つことを考えることすら無理だ。まあ、これから死ぬんだし、寝たままでいいか。
そんなふうに思いながら顔を上げた先――致死の光を受けたはずの晴人が、満身創痍の有り様で空中に縫い留められたまま……確かに生きていた。
「……マジかよ」
食いしばり、根性。致死の攻撃を受けた際、1を残して耐え切る。恐らくはそういった類のスキルかアイテムが発動したのだろう。晴人はボロ布のように張り裂けた装備とアクセサリ群を一瞥して、俺にニヤリと笑う。
確かに、そういったスキルやアイテムが存在する可能性は考えていた。考えていたんだ。
…………ああ、そうだとも。
「……ハハッ」
「は……?」
犠牲の門の拘束判定が終わり、地面に自由落下していく晴人。その落下地点が黒く光る。
「『ダークピラー』……食いしばり読みで詠唱しておいて良かった」
「死体撃ちはマナー違反だろ――ッ!?」
「ずいぶん元気な死体だな。埋葬し直してやる」
俺には晴人がどんな手札を持っているのか分からない。読み合いや局所の勝負ではこいつには勝てない。だから、パリィを決めた、犠牲の門を当てた。そこまでが俺の切り札だと見せかけた。
トランプでババ抜きを遊んでいる時、ブラフやジョーカーを警戒することは出来ても、『二枚目のジョーカー』なんて埓外の可能性は警戒できない。そしてその読み間違いは必ず敗北に帰結する。
目の前の晴人が空中で身体を捻ろうとした瞬間、黒い閃光がその身体をぶち抜いて、周囲に駆け寄ろうとしていたプレイヤーを数人巻き込みながら弾け飛んだ。同時に俺の身体を残りのプレイヤーの魔法が貫いて、ステータスに二つのゼロが並ぶ。
そうして深い眠りに落ちる前に心を満たす感情は二つ――満足感と、少しばかりの恥ずかしさだ。
……久しぶりに、あいつの驚いた顔を拝めた。数ヶ月ぶりに、俺の作戦勝ちってところか。そして……
「二枚目な悪役ムーブは、やっぱり俺には似合わねぇな」
はは、と小さく笑って、俺の思考は黒く掻き消えた。