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つまらない人助けを 下

 キラキラとした目でこちらを見つめるセレスに、取り敢えず事情を聞く。


「君は、どうしてこんな所に?」


 俺の質問にセレスは今の状況を思い出したようで、途端に暗い顔をした。夜の帳の中でも輝いて見える金髪の毛先を軽く触りながら、セレスは呟くように言った。


「わ、私……その……お父さんが病気で、薬になるお花を採りに森に入って……迷子になっちゃったの」


 そう言うと、セレスはまたもや大きな瞳に涙を浮かべ始めた。理由はよくわかった。ただの親孝行な娘さんじゃないか。他の誰かの手を借りる、という考えが無かったのは中々あれだが、一刻を争う容態だったとか、時間に急かされた部分もきっとあるのだろう。

 親を思う心優しい少女の、必死の遠征の先が今なのだろう。ならばその道で一人迷っている少女に手を差しのべるのは、至極当たり前なことだ。


 ゆっくりとセレスに歩み寄って、腰の辺りにある頭に、そっと手を当てた。繊細な髪を傷つけないように、重さを感じさせないように出来るだけ軽く頭を撫でる。

 小さい子供が泣いている時は、こうしてあやしてやる物と相場は決まっているのだ。驚きからかこちらを見上げるセレスに、鎧の奥で不定形な笑みを浮かべて語り掛ける。


「なら、私が君の側に居よう。君が安全な場所に辿り着けるまで、君を守ろう。何分なにぶん、騎士というものは親切な上暇なんだ」


 壮絶な騎士への誤解を生みつつ、なだめるようにそう言うと、セレスは呆けるように俺の顔を見つめ、呟くように言った。


「……本当に?」


「騎士に二言は無いとも」


「怖い魔物からも守ってくれるの?」


「勿論。指一本触れさせはしない」


「なら……もう、怖くないね」


 ありがとう、と柔らかく言うセレスの笑みは、日も暮れた森の奥でも太陽のように煌めいていた。何はともあれ、笑顔を取り戻してくれたのなら満足だ。約束通り、彼女を守ろう。彼女の頭から手を離して、胸に手を当ててそれっぽく騎士の一礼をしてみる。本当なら膝を付いて手を取ったりしてみたいが、それは騎士が主に向けてする臣下の礼だ。

 俺の主がロードである以上、それは出来ない。お前って変なところで真面目だよなぁ、と昔言われた晴人の言葉が脳裏を過ぎるが無視だ。


 向日葵のような笑顔を浮かべたセレスは、俺の真似をするように胸に手のひらを当てて口を開いた。


「私はお父……エルフの里の長、ソル・フィムリエの娘――セレス・フィムリエだよ。宜しくね、精霊の騎士さん」


「…………俺は騎士のライチ。宜しくな」


 疑問符()強調符()、その他諸々の感情を含んだ声を上げそうになって、飲み込んだ。やばい、間違いなくヤバイ。この子をただの迷子の子供だと思っていた。暗くてよく見えないが、もしかしたらこの子は尖った耳をしているのかもしれない。精霊の騎士、という言葉も、俺が精霊語を素で喋ってしまうから勘違いしたのだろう。


 あぁ、きっとそうだろうな……さて、かなり不味い状況だぞ。この子はどうやら近くにあるエルフの里の長の娘さんらしい。丁寧に自己紹介をしてくれたからセルフで記憶を誤魔化そうにも誤魔化せない。まだ年齢が低いが、死んでしまったら確実にとんでもないことになる。

 何でエルフの里の長の娘とかいう重要役職も重要役職な存在が一人で森の中を彷徨よってるのか、長の病気がどの程度のものか、この子が万が一にでも死んだ場合のペナルティというか、世界への影響はどうなるのか。


 取り敢えず言えることは、絶対にセレスを傷一つなく里に戻すべきだ、ということだろう。


 ……一気に隠し難易度が「イージー(優しい)」から「マストダイ(死すべし)」に変わった。やることは一切変わらない。彼女を最後まで守ればいいのだ。

 ただ、守るべきものが千円札一枚なのと、大金の入った銀行口座の番号を書いた紙一枚なのとでは、全く心構えが異なる。どちらも落としたくないと言えば落としたくはない。だが、落としたときのダメージの差は明白だ。


 ごくり、と無い唾を飲み込んでセレスに質問をした。


「……里の場所はわかるかい?」


「ごめんなさい、分からないの」


「それじゃあ、探していた花は見つかった?」


「それも……まだなの」


 だよなぁ。どっちもうん、と答えてくれていれば今ごろ彼女はここに居ない。ふぅ、落ち着け……目的は三つだ。


 なんとしてもセレスを守ること。

 薬となる花を見つけること。

 里を発見してセレスを無傷で返すこと。


 どれも文に起こせば簡単なように思われるが、二つ目と三つ目は目的の場所が一切わからない。俺にここの土地勘なんて無いし、セレスも迷子になっていることから同じく無いだろう。

 つまり、生えているかどうかすら分からない花を暗い森のなかで探し、場所も分からない里を探しつつモンスターからセレスを守る。……一気に運ゲーになったな。


 どう動いたもんか、と少し悩んで、取り敢えず花を探すことにした。探している過程で里が見つかるかもしれないからな。そうと決まればセレスに花について聞いてみる。


「セレスの探している花について、知ってることがあれば教えてくれるかな?」


「うん。……お花の名前は『銀月草』って言うんだ。草って言ってるけど、ちゃんと綺麗な銀の花を立派につけるってお母さんが言ってたの」


「銀月草か……」


 俺の記憶が間違っていなければ、それは蘇生ポーションの材料だ。他には反魂石と白竜の涙が必要とのことで、メルトリアスから確かにレシピを受け取ったのを覚えている。

 銀の花が立派に付くってことは、菊の花とかそういう派手な花っぽいのかな? 銀月草の様相を思い浮かべるのと並行して、小さなことを考える。


 ――これ、多分人間用のイベントだわ。


 冒険で欠かすことなど出来ない蘇生ポーションの素材の一つ、銀月草の群生地を探るって形だろう。恐らく人間側が西を開けることがトリガーで、エルフの里の長が何らかの病……死者を蘇らせる草なんて必要なくらいの難病を発症し、人間側に銀月草採取のクエストが届く。それの数日後にクエストが達成できていない場合はセレスが銀月草を求めて一人で森の奥へ。

 人間側にゲリラでイベントクエストが発生するって感じだろう。


 流石に全部は当たってないだろうが、大まかにはそんなところな筈だ。依頼主がエルフだとすれば、クエスト報酬に蘇生ポーションのレシピとか配られてもおかしくないと思う。もしくはエリクシール的な回復薬の上位互換が配られる、とかかな?


 この状況のバックボーンを探りつつ、セレスに他には何かないか、と聞いてみる。


「えーっと……あ、銀月草は月の光を受けて育つって聞いたよ。あと……確か、沢山のお水が必要だって聞いた気がする。……それ以外は特に思い出せないよ。ごめんなさい」


「な、成る程」


 月光で育つって、ここジャングルの中だぞ? そんなファンタジーな設定が通用するか。ちらりと空を見つめてみるが、重なった木々のせいでとてもではないが月光など差すようには見えない。

 雨が多く必要……というのも、これまたあやふやな条件だ。

 川の近くとか、開けた場所に群生しているのか……?


 銀月草の居場所に適当な当たりを付けて、今度は一応里の場所について聞いてみたが、セレスは悲しい顔をして首を横に振った。どうやら里の位置については本当にさっぱりな様子だ。

 里の近くに川があったかどうかを聞くと、あった、との答えが返ってきた。取り敢えず川を見つければ大丈夫そうだな。


 ……さて、情報は殆ど取れなかったが仕方ない。あきらめて川の近くの開けた場所を探そう。もしそこそこ大きな川があれば、下流に下って里を発見できるだろう。

 何やらサバイバルじみてきたが、抱えている爆弾はそれ相応に大きい。


「取り敢えず、開けた場所を探しに歩こうか」


「うん」


 その言葉を合図に、俺を先頭にして歩きだす。相変わらず歩きづらすぎる地面と根っこだ。真っ暗なのもそれに拍車をかけている。真っ暗な場所にはとてもではないが銀月草があるとは思えない。明るい場所を求めて、二人して歩く。


「ん? あそこは少し明るい……けど、遠目から見ても地面が乾いてんな。水溜まりの一つもない」


「地面が乾いて割れてるね……」


 暫く歩いていると、多少月の光が指す場所があったが……駄目だな。近づいて確認してみても、銀月草は欠片もない。カピカピのコケと割れた赤土だけだ。うーん、と呻いてまた歩き出す。

 ちらりと後ろをついてくるセレスを見た。今回俺と共に居るのは屈強な女ゾンビでも、疲れの概念が薄い歩く鎧でも、そもそも歩かないゴーストでもない。幼いエルフの少女なのだ。歩幅だってかなり違うし、何よりセレスのワンピースの裾についた土を見るに、俺と出会うまでに相当歩いているようだ。


 休憩の時間についてや、セレスの体調についても考えなければならない。それらについて少し頭を悩ませていると、ガサリと木の葉が擦れる音が聞こえ、それと共に一つの大きな影がこちらに飛び込んできた。狙いは……セレスか。

 即座にセレスの前に入り、盾で襲撃者の攻撃を地面にいなす。


「『血染めの一閃(ブラッディスタブ)』。逃がすか、『ダークアロー』!」


 空からの奇襲者の正体は巨大なキツツキ。モリのように鋭い嘴で盾ごと俺を貫こうとしたようだ。俺の代わりに地面を貫いたキツツキに向けて血染めの一閃を撃ち、ダメージエフェクトを散らしつつも逃げようとする背中にダークアローを撃ち込むと、キツツキは情けない囀りと共に絶命した。


【戦闘の終了を確認しました】


「……凄い、騎士様」


「そうでもないよ」


 恥ずかしさから少し謙遜をして、肩をすくめた。それからも魔物の相手をしつつ、森の中を歩き続けた。途中、歩き疲れたセレスを休ませようとした木がトレントだったりと、衝撃的なハプニングが幾つかあったが、セレスは無傷だ。


 歩き方からして、足を痛めたりはしていないようだ。だが、時折眠そうに瞼を擦っている。……そうだよな、今の時間は9時。セレスみたいな子供の起きている時間ではない。起きていたとしても、一日中暗い森の中を一人で歩き通しだったのだ。大人でも音を上げるだろう。それなのに、時折眠そうな笑顔でこちらを心配する言葉すら掛けてくれている。

 その心遣いは育ちの良さと純粋さをありありと体現しており、彼女が大きくなれば、それはそれは立派な長になるだろう。


 銀月草の捜索から一時間と少しが経過した頃だ。俺も少し体が重くなってきたかな、と思い始めていたとき、耳元に小さな音を拾った。最初に耳の中にその音が流れたとき、正直幻聴の一つだろうと思っていた。だが、それは確かに耳の奥で存在を囁いている――水音だ。


「セレス、聞こえるか」


「……え? ……うーん……え? これって……」


「水の音だ……多分音からして川だと思う」


 木々の間を抜けて先へ進むと、そこにはジャングルに流れる嘘みたいな川があった。意外にその水は澄んでおり、ぽちゃぽちゃと柔らかい音が天使の福音が如く聞こえてくる。


「よし、これで一応里の場所は大丈夫だろう……」


 良いことというのは連続するものだ。呟いた声の先……対岸の少し奥に、開けた場所が有るように感じられる。そこだけぽっかりと穴の空いたように樹木が無いのだ。川の近く、開けた場所に差す月光……これは、期待してもいいのでは無いのだろうか。


 やはり眠たげなセレスを肩に担いで川を渡り、対岸に向けて進む。幾つもの木を縫うように進んで、セレスの手を引いて、俺達は開けた場所に出た。


 そこには、絶景が広がっていた。小さく広がった空白の土地に、月光と星の光が燦々と降り注ぎ、地面にはそれらに手を伸ばすように銀の花が咲いていた。

 目が覚めるような緑をした葉、細く長い茎の先で満開に咲いているのは、例えるなら白い彼岸花。月の光を受けて、柔らかく揺れるそれらは幻想的かつ非現実的で、えもいわれぬ美しさを秘めていた。


「あ……銀月草だ。あぁ、いい匂い」


 繋いだ手の先のセレスは瞼を下ろしたり持ち上げたりしており、俺には分からない華の香りに酔いしれて、よりいっそう深く眠りに付こうとしていた。潤んだ青い瞳の奥で揺れるのは、幻想的な銀の花の群れ。


 セレスは暫く揺れる銀月草を眺めて、一番近くにあった一際大きな銀月草の茎の下の方を折って、ゆっくりと持ち上げた。金の髪と銀の花。恐ろしく似合う二つの組み合わせに心を奪われながら、一応花に鑑定を飛ばした。


『銀月草』レア度:エピック(希少)

限られた場所でしか咲くことの無い銀の花を付ける植物。花は優しい眠りを誘う香りを放ち、花をすりつぶした薬には万病を癒す力がある。

銀月草の香りを嗅いで眠ったものは、その者にとって最高の夢を見れる。最高の夢を見るために枕元に生ける者が多く、そのためについた二つ名は『夢枕』。


 その説明を読み終わると同時に、セレスの体がゆらりと倒れる。慌てて小さなその体を抱き止めると、どうやら寝てしまっているらしい。すぅ、すぅ、と白いワンピースの胸元が小さく上下している。恐らく銀月草の香りを嗅いで寝入ってしまったであろうセレスの寝顔は、充実したような、何かに満足したような――幸せに満ち足りた顔をしていた。

 それを見てしまえば、起こすことなど出来る筈もない。


「……運ぶか」


 何だかこちらまで幸せな気分になるような寝顔をしているセレスの体を持ち上げようとしたが、いかんせん盾があるせいで持てない。それどころか、STR1の俺では彼女を持ち上げることは出来ない。いや、流石に自分より二回りも小さい女の子の体を持ち上げることは出来るだろう。


「……行けるっ……けど無理っ!」


 情けないことに、普段大盾を扱っている筈の俺の腕力でも、女の子一人を持ち上げるので精一杯なようだ。この状態で魔物に襲われれば……それよりもまず盾をどうするか……。インベントリに入るのは基本的なアイテムだけで、装備品を入れるには街で鞄系のアイテムを購入しないとけいない。となると……。


 置いていくか。


「いや、あり得ない」


 僅かに浮かんだその考えを否定する。この盾は絶対に置いていけない。俺という存在を形作るアイデンティティーであるのと同時に、ロードから受け取ったユニーククエストの報酬であって、俺と彼女の確かな繋がりでもあるのだ。それを置いていくなど、俺にはとてもではないが出来ない。だが、俺は一人じゃない。頼れる仲間が……例えば、ツンデレな白竜との絆がある。インベントリからそれを取り出して、強く握った。


「……メラルテンバル、俺を助けてくれないか」


【アイテムを使用しました:絆の輝石『白竜メラルテンバル』】


【カウントダウン:1,59】


 緑の輝石が煌めくと、それを中心に渦を巻くような風が吹き荒れて、銀月草を揺らした。それと同時に、輝石から巨大な白い影が空に飛び立ち、ゆっくりとこちらに降下してきた。

 それは正真正銘、白竜メラルテンバルそのものだった。青い瞳が俺を見つめる。


『用件を聞かせておくれよ。時間は限られているからね』


 僕を呼び出す場所に銀月草とはいいセンスだね、と器用にウインクをしたメラルテンバルに苦笑いしながら、俺はこれまでのいきさつを話した。メラルテンバルは俺の話を聞き終わると、小さく頷いた。


『成る程、状況は理解したよ。これで盾を置いていく、なんて選んでたら……拳骨ものだったね』


「それは怖い……地面にめり込んでつくしみたいになるぞ」


『君なら死なないから平気さ。さて、じゃあ盾を僕に貸してくれ。彼女は責任を持って君が押さえているんだよ? ちゃんとスピードは考えるけれどね』


 言われた通りに盾をメラルテンバルに持たせ、セレスを抱いてメラルテンバルの背中に恐る恐る乗り込んだ。感触はまあ……予想通りツルツルスベスベしている。蛇の鱗と一緒だ。


『君、変なことを考えていないだろうね?』


「……いい鱗だな、と思って」


『毎日丁寧に掃除しているからね。そこに気づくとはいい目をしているよ……っと、時間が無いんだった。ささっと空から里を見つけて、その子を返してあげるんだよ』 


「勿論。そのためにここまで頑張ってきたんだ」


 竜の鱗掃除というパワーワードに首をかしげながら、俺の体は空に飛び立った。この言い方だといつも通り殴り飛ばされた、みたいな印象を受けそうだが、今回はしっかりとメラルテンバルの背中に乗っている。鎧越しに感じる風に恐る恐る瞳を開けると、そこは満天の星空だった。本当に久々に見たような気分になる銀色の月と、空に散らばった硝子片のような星達。


 視線を横に流せば、果てしなく広がる緑の大地と藍色の夜空との地平線が広がっていた。


「うっわ……凄い」


『ふふん、白竜の背中に堂々と跨がれる騎士は人類史で君が初めてだと思うよ。……あれだね、君の言う里は』


 メラルテンバルの視線の先を見れば、そこには緑の大地のなかでぽっかりと開けた空間があり、背の低い木々が群生している。ランタンのような淡い光が小さく見える。


「……出来れば目立たない場所で下ろしてくれると――」


『勿論、そのつもりさ。人里に僕が近寄ったら、最悪戦争になるからね』


「悪いな、初呼び出しが運び屋みたいなもんで」


 久々に会ったかと思えば、戦いでも何でもなく『人を運んでほしい』とは、これではタクシーと扱いが変わらないではないか。その事に本当に申し訳なく思っていると、メラルテンバルは俺に向けて呟くように声を出した。


『……僕は、君の役に立てたかい?』


「役に立ったどころじゃないくらいだよ」


『なら、いいんだ。僕は、君を助けに来たんだからね。君が助かって、喜んでくれれば……僕はそれでいいんだ』


「メラルテンバル……」


 茶化すような色のない真剣な言葉に、思わず涙腺が熱くなる。そんな俺にメラルテンバルは小さく笑った。


『だから偶には墓地に遊びに来るように、ね? ロード様だって、待っておられるんだから』


「野暮用が片付いたら、直ぐにでも飛んでく」


『よろしい』


 目的地に着いたようだ。ゆっくりとメラルテンバルが降下していく。翼を力強く羽ばたかせると、回りの太い木々が爪楊枝のように薙ぎ倒され、あっという間に更地が出来る。今更ながら、よくこんな空飛ぶ天災みたいな生物に勝てたな、としみじみ思う。今だったら間違いなく歯が立たない。

 ゆっくりと地面に降り立ったメラルテンバルが、手に持っていた盾を優しく地面に置いた。それを目尻に捉えつつ、セレスを抱えながら地面に降り立った。セレスが両手で胸元に寄せる銀月草はしっかりと残っている。


『じゃぁ、僕はそろそろ帰るね』


「……タイミングがいいな」


『計算していたからね』


「……本当か?」


『……流石に話を盛ったよ』


 まあ、ドラゴンジョークってことで、とメラルテンバルは小さく笑った。その白い体は輪郭が曖昧になってきている。もうそろそろ二分が経つのだ。メラルテンバルは青い目を細めると、小さく牙を剥いた。恐らく笑いかけているのだ。


『それじゃ、またね』


「ああ、また」


 簡素な挨拶だけを残して、メラルテンバルは消え失せてしまった。残されたのは馬鹿デカイクレーターと俺、セレス、盾のみである。地面に寝かされていた盾についた土を払いながら、セレスの様子を見つめる。

 あれだけド派手に飛行したのに目を覚まさないとは……疲れで眠りが深くなっているのか、銀月草の影響で目が覚めにくいのか。まあ、どっちだって変わらないだろう。


「ミッションオールクリアって所かな」


 セレスは傷一つ付いていない。

 銀月草は今セレスの手にある。

 俺達が居るのは里の近くだ。目を凝らせば木々の向こう側に明かりが見える。さっきのメラルテンバルの羽ばたきはかなり音が大きかったからな。すぐに誰かが来るだろう。


 つまり、だ。俺のやるべきことはすべて達成されたわけである。


「……これだけやって報酬無しってのは、中々あれだなぁ……」


 骨折り損のくたびれ儲けというやつか。だが、俺は元々対価を目的としてセレスを助けた訳ではない。迷子になっていた彼女を見捨てられなかったのだ。


「ただのお人好しじゃんか。……まあ、その通りだからぐうの音も出ないけどな」


 俺が今日やったのは……そうだ、タダの人助けだ。人助け一つでここまで疲れては、先程の骨折り損云々に逆戻りしてしまう。

 そうなる前に、ささっと切り上げて帰ろう。……帰り道が酷く心配だが。回りに魔物が居ないことを確かめてから、地面に寝かされたセレスを見つめた。


「……騎士に二言は無いからな」


 幸せそうな顔をして寝入る彼女の寝顔が、ちょっとした報酬のように思えた。それなら、損では無いだろう。


「さて、帰ろうか」


 俺はぼそりと呟いて、ゆっくりと森の奥に足を伸ばした。

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